理屈では割り切れないのが人間の愛しさなんだ

 

世の中は事実だけで出来ていないと思う。

事実では割り切れないものがある。

私たちはその人間のどうしようもなさを、愛らしいと感じるのだと思う。

 

理屈では割り切れなく人を好きになったり、理屈では割り切れないものにときめきを感じたり、割り切ってやっているはずのことに、不愉快になってる自分に気づいたり。

 

そういうことに執着する人間はうまくやってけない、損な役回りを引き受けることになったりするようだ。

 

感情がない人間の方が、幸せになれる世の中なのだとしたら。大人になる、お金を貰うということが、どれだけ自分の感情を抑えられるかどうかの対価なのだとしたら。

 

「誠実」とは、世の中に対してのことなのか、自分に対してのことなのか、どちらのことを言うのだろう。

 

会社や社会の中で生きて行くのだとしたら、自分の小さな違和感や、不快感など、小さなバグでしかない。バグがたまりやすい部品は、返品されるだけだ。

 

返品される人材なのだろうな、と思う。

そして私は返品されるものの中に愛しさを感じるのだと思う。

 

トイストーリーシリーズに出て来る、子供たちに忘れられ、ダンボールの中で眠る、個性豊かなおもちゃたちに、ときめきを覚えるように。

 

子供の時はスターだった、ヒーローも、恐竜も、お姫様も。みんな卒業してしまって、私たちだけそのまま残されて、おもちゃ箱の中で、埃をかぶっている。

 

いつか、もっと、大きくなったら、ヒーローや、魔法使いになれる、もっと大きなエネルギーを持って誰かを幸せにできると思ってたのにな。大人になればなるほど、難しくなってゆく。

 

だけどたまに、世の中の不条理とか、不当なことをいう人に、戦うこともなく、臆することもなく、しなやかに対応できる人がいる。

 

怒ることもなく、泣くこともなく、ただ真っ直ぐ、その人がそこに「在る」ことによって何かが溶けていく。溶けることによってひとつひとつがゆるやかに変わっていく。変えていってしまう。

 

そういう人をわたしは魔女と呼んでるのだけど。私はまだまだそんな魔女には程遠くて、見習い魔女1年生ってところだ。どこかでこういう文章を書くことが、誰かの心をやさしくすくい取れたなら、魔法を使い始められたということかもしれない。

 

書きたいことが全部書けた訳では無いけれど、わたしはわたしがブレないために、発信し続けなければならないと思います。

 

ちゃんと続かなくてごめんなさい。読みに来てくれるみなさんが大好きです。

 

今日も、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

生理が来た日のグロさを抱えて思春期が終わらないまま

 

どうも。ツイッターでこんな漫画を読んでたら思うところが溢れてしまって文章にしました。

 

 

はつきさんのこの作品は、男の子がある日突然女の子になってしまう病気にかかったまま、思春期を迎え、大人になっていく話だ。女の子になることに最初は抵抗があった主人公が、照れながら迷いながら女の子になることを受け入れていく姿が描かれている。

中でもショッキングなのは生理が始まるシーンだ。元男の子が、女になってしまったグロテスクさを見せつけられるわけだけど、これって女にとっても同じだと思う。(それを客観的にはっきりと描くためにはつきさんは主人公を元男の子にして描いているんだと思うけど。)初潮とは、女の子にとっても「オンナ」になったという一大ショッキングイベントなのだ。

 

いつか初潮が来るのが怖かった。膨らんでいく胸が憎かった。両親の前で「オンナ」になっていくのが恥ずかしかった。胸が大きくなることが、いやらしい身体になるような気がして、罰を受けているような思いがした。私は何になるんだろうという不安は大きく私を包み込み、脱ぎすてることもできずに22になった。

 

幸い(?)初潮は遅く、中学に入ってしばらくしてからのことだった。周りの友達は始まっている子も多かったし、母に報告するときも特に身構えることなく伝えられた。母の、父に祝われるのも恥ずかしいだろうという計らいで、赤飯を炊いたりなどはしなかった。だけど、母は私の生理の周期をカレンダーにつけ始めた。別に名前のイニシャルなので、父や弟が目にするのは構わないのだか、母にいつも生理周期を報告しなくてはいけないのが、オンナであるのに子供であるようで、苦痛だった。

 

 

まめな方ではない、ガサツな私が生理周期を書いておけるわけはないと思ったのだろう。知らない間に生理が来て、どこかで私が粗相をするかもしれない、という母の愛情だったのはわかるけれど、私はもう「オンナ」になったのだ。赤ん坊のトイレトレーニングではないのだから、そういうデリケートな事象を母に管理されているというのがたまらなく恥ずかしかった。母は生理が近づくと教えてくれる、ルナルナであった。高校に入ってしばらくするまで、その慣習は続き、私がなんとなく言わなくなるまで続いた。最初の方は言わないでおくと、もうそろそろだよね、なんて言われてたから答えざるを得なかったけれど、黙っておきつつ、母から聞かれなければ安心して、だんだんとフェードアウトさせた。高校に入ってしばらく経つまでその慣習は続いた。(その記憶は確かではないから中学までかもしれないけど。)

 

私はなんであのとき、「自分で生理周期つけるからいいよ」と一言いえなかったのだろう。子供のくせにそんなことを恥ずかしいと思うようになった、と思われるのが恥ずかしくて、纏足のようにぎゅっと成長する自我を結んで、自分を子供のままでいさせることにしたのだ。

 

初めてトリンプに下着を買いに行ったときもそうだ。大きくなる胸に、と書いたように、私は中学に入って初めてブラを買ったとき、すでにEカップあった。それがたまらなく嫌で、だけどちょっぴり誇らしくて、母に「あやちゃんはグラマーさんだね」と言われてどうしたらいいかわからなかった。小さい頃から育てられてきた「あやちゃん」とEカップの私がエラーを出す。

 

そのあと家に帰って、下着を並べると、可愛らしいリボンとレースに胸が踊った。そのまま出しっ放しにしてたのか袋に入れていたのかは覚えてないけれど、私は母が父に「こんなに下着を買ってあげたんだよ〜」と今日買った下着を見せたのを忘れない。

初めての下着にしては少し大ぶりのブラを父に見られた。自分の娘の胸がEカップあるオンナの体に成長したことが白日のもとに晒されたのだ。それが、たまらなく惨めで、初めてのブラというオンナの秘密のデビュー日に、オンナを失敗してしまったという敗北感はまだ私の中にあって消えない。

 

あの時、パパに見せないで、と怒ればよかっただろうか。

だけどそれが恥ずかしくてニコッとして気にしないふりをした。

私は子供のままでいることを選択した。膨らんだ胸を潰すように私は大人にならないように自分をぐるぐる巻きにした。

 

思春期とは秘密で、大人とは親への秘密が増えることだと思う。

それがいわゆる、プライバシーってやつじゃないか。

秘密の作れなかった私はオトナになれなかった、謎の生き物になっていった。

 

もっとオンナとしての自分を認めたかった。

冒頭の漫画では元男の子の主人公が徐々に出てくる女の子らしくしたい、という自分の中の願いに、葛藤しながらも順応していく様子が描かれていたけれど、女の子に生まれても、オンナになる、というのは苦手で怖いことなのだ。

何度もいうけど、それを客観的に描くためにはつきさんはその設定を描いたのだと思うけれど。

 

「女の子」はできた。リボンや魔法少女やプリンセスは得意だった。だけど「オンナ」はできなかった。男の子の前で妖しく誘惑する、大人の自覚のある、色気を出せる女ではなかった。ある程度の年齢になればどんなガサツな女でも、多少はそういう雰囲気が出せる、出てる、のだろうけど、そんなのとは無縁の私は、寝そべってだらしのない格好でブログを書くしかない。

 

色気とは秘密の数なんだと思う。生理周期も下着もあけすけな娘は、オンナにはなれない。ついでに言えばこれらを全てブログにしてしまうオンナにも色気がない。

 

思春期が終わっていないので、パーティーで男の人は女の子にお酌されると嬉しいみたいなことにも嘘だろと思ってしまうし、女の子の方が会費が安い飲み会には女としての何を求められているんだ!と思いパニックになるし、女としての何か、か怖い。

 

女の子がした方が華やかだから、女の子の方が〜〜。って華やかな人は華やかであって、女だから華やかなわけないだろ、じゃあなんで女の方が華やかなのかって胸に肉の塊が2つついてて、穴がある種族だからか?と考え始めて埒が明かない。

 

怖いのだ。女から逃げたいのだ。このまま逃げ切りたかった。女に生まれたから黙って〜〜とか、しょうがないじゃない女に〜〜とか。そんなのは知らん。時間をくれ。容姿の綺麗な女や色気のある女が人を喜ばせるというのはわかる。私は22だけどまだオンナ初心者マーク仮免中なのだ。オンナ初心者マークを貼っておくからどうかみんな私に優しくしてほしい。

 

いつか外れる日が来るかわからないけど、二十歳で母が死んだ日から、私のクローゼットにはTバックが2枚増えた。

 

人生の清算をするために、大人がしてくる話に私は傷ついてしまう

 

私のためを思って大人のしてくれるアドバイスはその人の生き方が詰まっている。


幸せな人も、幸せになれなかった人も、後悔のない人も、後悔だらけの人も、それを振り返って22歳の私へ語りかけてくる。


私が持っていて彼らにないのは若さであって、それは彼らが振り返っても手に入れることができないものだからだ。そして、それを彼らはかつて確かに持っていたからだ。それは同時にわたしがいつか失うものでもあるということだ。


私に大人たちが語りかけるとき、それはわたしにではなく、若い自分に、言いたいことを言っているのだと思う。


私という、若い人形を通して、彼らが見ているのは若い自分自身なのだと思う。


そして今の自分を肯定したり、あの時の後悔を無くしたりしたいために、私に語りかけるのだと思う。


私は悪気がない彼らのアドバイスに真剣に耳を傾けて、彼らがしていく 人生の無常な答え合わせに、深く傷ついてしまう。


協調や平穏が大事で我慢してきた人は、それが大事だと説く。あまり幸せそうじゃないけれど。


好きな人生を生きなかった人は、好きな人生を生きない大切さを説く。


大学院に行った人は行ったらいいというし、4年で就職した人は馬鹿らしいという。


一番好きな人と結婚したけど、結婚はそういうものではないから、二番目に好きな人にすればよかった。一番好きな人はやめた方がいい。


そんなことを言われても、それは一番好きな人と結婚したから言えるセリフであって、それが羨ましい。冷酷なネタバレをするのはご法度だ。私はそうなりたくないけれど、なったとしたらなったとき考えればいい。

 


脆くて壊れやすい私は、そういうことで生きるのが楽しくなくなるのだ。たまらなく無意味に感じる。

 

もちろん人生楽しいことばかりではないのはわかるけれど、楽しく豊かに過ごそうとしている人の話を聞くのが好きなのだ。そういう人たちの多くは、ああしておけ、こうしておけ、と言わずに、やってみろ、好きにやれ、というのを私は知っているし。

 

私にああしろこうしろ言ってくる彼らの多くには悪気はなくて、私に幸せになってほしいという気持ちから言ってくれることなのだろう。

 

だから、その気持ちを受け取る、というのが正しい選択肢なのだと思う。私はこんなブログを書いて、自分の考えを持っているようだけど、脆くてぐらつきがちで、自分の生き方と異なる生き方をしてきた人の声を聞くと、ブレてしまう。

 

だからこうして、言葉にして、残して、覚えておくことしかできない。ひたむきだけどささやかだけど確かに、自分を幸せにしてあげられる哲学を、あたためたいとおもう。

 

今度から大人にそういう話をされても、川の流れの中でどっしりと構えた岩のように、おおらかにあって、わたしの生きる歓びが、削り取られないような、態度でいたい。

なぜ書けないのか考えてたんですけど

なぜ書けないのか、考えてたんです。

まったくもってあの頃紡いでた文章とは似ても似つかない私になってしまって、書くことを仕事にしようと、思ってたんですけど、そう思った途端、なんだか薄っぺらくて、説明的で、人生の本質を捉えていないハリボテみたいな文しか綴れなくなってしまったのです。

 

書ける文章が変わるということは、ものの見方や考え方も変わるということで、私はこの数ヶ月ボーッと、何も考えず世の中の「現実」とやらを見て過ごしていました。

 

お金がないと生きていけないこと、遊んでいては暮らせないこと、嫌なことを我慢しないと生活はできないこと、世の中は綺麗事ではできていないこと。そんなことを嫌という程教えられました。

 

いえ、実際にその現実を見て思ったわけではないのですけど、最近仕事でお世話になってる人にそう言われたのです。

 

お金を稼ぐのは大変だ、商売は厳しい、とよく言われます。おっしゃる通りだと思います。思えば私は一人で生きていくということを考えたことがありませんでした。

 

自分でお金を稼いで生活するということを現実的に考えたことがありませんでした。両親の期待に答え、中高では成績上位、生徒会もやりました。文化祭では率先して仕切りました。よい大学に受かりました。華々しい活動も1つや2つしました。よい会社に入ってそれなりにしてれば、それなりに暮らしていけると思っていたのです。1日も休まずに小学校に通ったように。毎日決まった場所に座って、決まったようにやっていればなんとなく、そんな風になると。お小遣いのように給料がもらえると。 

 

だけどそんなことは全くなくて、人に合わせたくない私はとことん社会性もなく、わがままで、発達障害特有の粗雑さを発揮し、社会において大変に面倒な甘やかされた「使えない」人間だったのです。

 

生きてゆく覚悟と責任が私にはなかったのです。いつも誰かが何かをやってくれると思ってきました。遅刻したら母が車で送ってくれました。忘れ物も届けてくれました。掃除も洗濯も洗い物もほとんどしませんでした。大学への入学届けも、母が書いてくれました。

 

ハタチになった2ヶ月後に母が亡くなったあと、私はなにもできなくなりました。年金の学生免除の書類も提出を間違ったまま放置してました。老後になにが起こるかわからないのに、なんとかなると思ってました。大学も卒業してない20歳に、お金を払うように言われるなんて、考えてもなかったのです。甘えてますね。

 

大人になれると思ってました。大人になれてると。しかし22歳になって、偉そうなエッセイで人生論垂れても、机上の空論にしかならないのです。発達障害なのか、性格なのか、教育なのか。そうは言っても大人になった以上自分のせいであることには間違いがないのです。自分で生きていかなくてはならないのです。

 

稼がないと、食ってかないといけないんです。じゃないと、私は私の人生を生きられないから。それはわたしがなりたい美人ちゃんではないと思うのです。

 

それを気づかせてくれたその方には大変感謝をしています。しかし一方で、厳しい現実だけが、世の中かというと、そうでもないと思うのです。

 

その人には、人生が楽しい人なんてほとんどいなくて、生きていくって厳しくて、人生とは辛いものだと、伝えられました。だからそのように生きてみました。そのような目線で生きてみました。

 

日々が凍りついてゆき楽しいものも、生きてる意味も見出せず、ただただ虚無のまま死にたくなりました。人生楽しいという父に、「人生は楽しくないのはマジか」、と毎日毎日問い詰めてやさぐれました。母がドロップアウトした世界でわたしは、楽しくないなら生きてる意味がないのです。

 

辛いことをしたくないというわけではありません。より大きな目標のためなら、降りかかる理不尽やストレスにも耐える覚悟はあります。父は自分らしく生きられる人が増える社会をつくるため事業を起こしています。なので、もちろん仕事において裏切りや、人間関係の問題や楽しくないこともあると思いますが、本人は楽しく生きていると胸を張って言えるのだそうです。わたしはこの人の娘なんです。ハッピーに生きる才能だけがわたしの取り柄なのです。

 

だけどそれは綺麗事だと、言われました。「人は現実を見ようとしない。現実は厳しくて辛いから。」と。私はその言葉によって、その世界に引きずられました。毎日毎日、世の中を疎んで過ごしました。

 

「世の中のごく一部の相性のいいカップルを除いて、結婚相手なんて誰でもいいものだ。」とも言われました。好きな人と夫婦になれないならこの世に生きている意味がないのです。私にとっては。

 

悪気のない「現実」主義者に、私のささやかでハートフルな楽園は潰されてしまいました。

人それぞれ生きる意味や、人生に必要としていることは違います。「現実」とはなんなのでしょう。私はその人が見た世界が「現実」だと思います。

 

私はこれまでのブログで綴ってきたことを読み返しました。誰にも理解されないと思っていた私は人と心を通わせることができるということ。私が持っている感情は馬鹿げたものではなく、意味のある実在するものなのだということ。綴ることで、読んでもらうことで繋がれたらことを思い出しました。

 

私はそういうことを忘れたくない、忘れたくないんです。

 

この前ブログ再開の投稿をした時に、ほとんど知り合いのいないクラスで「わたしは文才とかないからよくわからないんだけど、ブログ読んでる、応援してる」と声をかけてきてくれた人がいました。なんだかそういうことだけでその場で泣き崩れたいくらいの悦びを感じてしまいます。

 

私は人一倍感情や考えを伝えることがうまくなく、開いてるように見せかけて、自分の心の壁は分厚く高く塗り固めています。そうしたものをちょろりちょろりと漏れ出した文章を誰かに読んでもらえる時に本当の私が少しだけ誰かと繋がれたような気がするのです。

 

人の心や、豊かな愛や、感情の機微を大事にしたい。私は私の感じるそういうものを誰かに、何かに、伝えることで生きて生きたいなと思いました。感情だけではだめです。でも、「現実」だけでもダメだと思います。人は見たものになります。私は私の見たい現実を見ます。それはすでに虚構や逃げだという人もいると思います。でも、見たものが事実なのです。  

 

「美人」という人格はわたしがなりたい自分でした。ずっと。あの頃より人に対して異常な劣等感を持たなくなりました。恋愛も少しはできました。

 

わたしはあの頃見た世界に生きてます。悩みは尽きませんが楽しいです。

 

まだお金を稼ぎ、一人で生きてないからかもしれませんが。

 

「美人ちゃん」は私であり、いつも私の数歩先を歩いているひとです。

 

かしこく、しなやかで、やさしい。芯のあるひとです。私はきっと、一人でちゃんと生きていくと思うんです。

 

しっかり稼いで、感情を大切にして、誰かやみんなを愛せる、そして心から人生が楽しいと言える、美しい人に、わたしはなりたい。それを証明するために、辛く厳しいと言われる人生をもう少し生きてみようと思います。

お久しぶりです、美人です。

拝啓、読者のみなさま。お元気ですか?

 

久々の更新になる。ありがたいことに、このブログには更新がない間にも一定数のアクセスがあり、時たまSNSで記事がシェアされているのを見つけては、ニヤついていました。廃墟にならずに、常に誰かが訪ねてきてくれるというのは私の支えになっていた。もしこの新しい記事を見に来てくださる方がいるのであればここでお礼を言いたい。

 

そして、また始めたいと思いつつも今日という日まで先延ばしにしてしまったことを許してほしい。このブログを休んでいる間に、私は発達障害の診断をもらい、就活を諦め、それから東大院への進学を決めた。

 

ちなみに、東大院では魔法少女に関する研究をする予定だ。幼少期に視聴した魔法少女アニメが、子供の成長においてどのような影響を及ぼすのか、というものなのだけど。メディア論・社会学の分野で研究を進めていくことになる。

私が魔法少女で東大院に挑むきっかけを与えてくれたのは間違いなくこの記事だ。

 

toyopuri.hatenadiary.jp

 

いろんな人に読んでもらって、ツイッターでもたくさんシェアしてもらって、「瀬川おんぷ」で検索すると上から3番目に出てきたりしたこともあって、これで東大に行くんだというヤバい目論みが実現に傾くことになった。

 

大学院受験の予備校に通っていたのだけど、先生が試験の前に「あなたには、魔法少女のパワーもついてるから大丈夫だよ。今までの人生も困ったとき、彼女たちが助けてくれたでしょう?」と言ってくれて、泣いた。まったく、メルヘンワールドを理解してもらえて嬉しい限りである。魔法少女たちのご加護もあってか、合格は決まり、晴れて東大院生になる資格を得たわけだ。

 

さて、そもそもなぜ大学院に行く必要性があったのかというともちろん研究分野にも興味があったし、東大院に進学するという夢はぼんやりと抱いたことはあるけれど、それを実行することに至った直接の理由には、発達障害の診断が下ったことにある。

このブログで書いてきた、幼い頃からがさつで、いびつな個性を持った自分が辛かったという内容。たたずまいの綺麗な美人になりたいという願いを込めてつけたこのハンドルネーム。こうした、うまくいかないことすべてが発達障害によるものだったのである。

 

toyopuri.hatenadiary.jp 

toyopuri.hatenadiary.jp

 

ADHD(注意欠陥多動性障害)私を知る人なら、誰もがその傾向に納得する節があると思う。

・がさつ

・落ち着きがない

・早口

・忘れ物が多い

・〆切を守れない

・時間を守れない

かとおもえば

・突飛なアイデアや思いつき

・エネルギッシュにそれを実現させる

 

ただ、これらの傾向は大なり小なり誰にでもあるもので、あなたはそういう節はあるけど、障害じゃないでしょ、とか、勉強はそれなりにできるから違うでしょ、また思い込みか、だとかいろんなことを言われる。だけど、診断名が下る前から、自分の中の恥の棚下ろしのようにしたためてきた私の上の2つの記事を見ると、私が小さい頃から感じていた違和感に、多少なりの理解を示してもらえると思いたい。

 

わたしはこれまでの22年間がさつで落ち着きのない自分が嫌で仕方がなかった。いつか治ると美人を目指して、自己啓発本や夢を叶えるノート的なのをつけていたのだが、どうやら脳の不具合なので治ることはないらしい。美人失格の審判が下った。

 

めちゃくちゃ可愛くて落ち着いた心理センターの大学院生のお姉さんの前で、積み木をやったりパズルをやったり、汚い字を見られた自分。惨めでした。

 

さて、本当に喜ばしくも残念なことに私は正真正銘のADHDであった。逆にこれで障害じゃない方が救いようがない。

 

この診断を受けたのは、発達障害者が身近にいた方からの勧めがあってのことだった。

その方に、わたしのような人間がどうやって社会の中で生きていくか、も含めてアドバイスをもらったんだけど、端的に言って、一般的な会社勤めは私には到底難しいらしい。バリキャリになれると幼い頃は信じてたけど、どうやら、汚い部屋から飛び出して、駅まで走って、プリントを無くし、アポをすっぽかし、締切を守れない、社会不適合者として怒られながら生きていくほかないらしいのだ。美人ちゃん、こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃないから美人ちゃんなのに。これではガサツちゃんである。

 

ガサツちゃんが美人ちゃんとして一定の社会適合力を持って生きていくには、文筆業なり、学業なり、起業なりで、生計を立てなくてはいけなくて、そのためにあと2年研究と文章を極めて、何か突破口を見つけるしかないみたいだ。

 

のんびりと、切実に。コンプレックスをつらつらと書いてきたこのブログにも、生活がかかった背水の陣で臨まないといけなくなった。

 

だけど、だからと言って何が変わるというわけでもなく、書かなきゃなー書かなきゃなーと思ってることをどんどん書いて、更新率を上げるくらいの話だ。

   

 

ここにしたためてきた「美人ちゃん」の言葉たちは、普段の私よりもよっぽど私の言葉で、ゆっくりゆっくり考えて、絞り出して織り上げた文章だ。たくさんの人に読んでもらって、たくさんの人に自分が考えてることを知ってもらって、初めて周りの人に理解された気がしました。ありがとう。すごく楽しくて嬉しかった。

 

これからも末永く、よろしくお願いします。

 

2018.11.15 美人

母とチロリン村

 

 

チロリン村」という妙な単語をたまに思い出す。

母が短大生の時、ナンパされた大学生たちと行ったキャンプ場の名前だ。

 

小さい頃何気なく耳にした思い出話が、21になる今あの頃の母と同い年になって、遠い世界のことのように感じる。

 

海で出会った彼らは大してかっこよくなく、彼らの慣れない運転で「チロリン村」へ行ったそうだ。メンバーの中で、一番かっこいい人が母のことを気に入っていたが、彼の友人のブ男が母のことを好きだったので、友人思いのイケメンが「俺、応援するよ」とブ男の肩を持ち、母は残念だった。というしょうもないエピソードを聞いた。

チロリン村がどんなキャンプ場かは知らないし、どこにあるかもわからない。

 

ただ、母の死後、アルバムを眺めると、「チロリン村」という看板の前に立つ男女の写真がしっかりと納められていた。

 

その時私は母の勘違いや幼い私の聞き間違いではなく「チロリン村」は本当にあったのだ。と思う。

チロリン村」とは私にとって「ラピュタ」並みの秘境であった。

 

海でナンパしてきたダサい男の子たちとキャンプをしたいとは思わないけど、ただ、母と違う青春を送っていることが、わびしくなる。

 

割と母はバリバリ若さを満喫してて、私はハタチを超えても子供のようだった。

 

小さい頃聞いていた母の昔話は、いつか叶うと思っていた。ココナッツクラブというパーティーの運営チームを仲のいい女の子たちで結成したり、海の家でアルバイトしたり、お祭りで地元のお城のお姫様になったり、かわいいと学校で噂になったり、ミスコンに出たり、車のショーレディになること。

 

華やかだな、と思う。羨ましい。

私にはその一握りもない。

当たり前のように聞かされていた昔話と私が違う道を歩いてるなと気がついたのは割と後の方であった。

 

私は芋で、高校生になり化粧を始めた時はなぜか罪悪感でいっぱいになり、水着で男の子の前に出てはいけないと思っていて、一軍ではなくて、道化を演じてて、キャラも違った。「ふたえ」と「ひとえ」の、言葉の意味がわからなかったが、母にはあるまぶたの線が私にはないことを知った。

 

小学生の時から「あやちゃんのお母さんはかわいいね」と言われていたが、私は美醜の判断もよくついていなかったのでその意味が本当にわからなかった。次第に母の見た目やキャリアが人とは違うことに気がつくことになるのだが。

 

高校生の時、母を見て「あやちゃんと似てないからびっくりした」と無遠慮なことを言った友人の母がいた。きっと家では「あやちゃん、あんな感じなのにお母さんかわいいね」と、言っているのだろう。平気で他の子の見た目や母親の見た目について品評しているのを私も聞いたことがあるから、私もそう言われてるのだろうと思う。

 

母が死んだ時、母へのコンプレックスと密かな尊敬と憧れが爆発して「ママみたいにきれいになりたかった」と泣きながら言うと、祖母に「なるよ、あやちゃんもママみたいにかわいくなるよ」、と言われて「あ、やっぱ祖母も私のこと母と違って微妙だと思ってたんだ。」と納得しながら絶望したのを覚えている。

 

 

見た目云々の話は、努力問題もあると思うし(母がしていたような摂生を私はしているとはいえない)、持って生まれたものだというのもよくわかる。(父がブ男なのだ)

 

SNSのない時代男女の出会いはナンパも普通であったと思うし、母の華々しい青春にはバブルの風が大きく影響しているとも思う。

 

 

ただ、私もちょっと「チロリン村」くらいには縁のある大学生でいたかったなと思う。

あのダサくて、母の青春のページにもうっすら一度だけ登場しただけの「チロリン村」。

その響きを忘れられず、今もまだ繰り返し続けている。

 

 

レコード

 

 

 暮らしは電子化していく。写真は画面で見るようになったし、音楽は小さな機器に詰め込むものになった。友情だって、全てネット上で見て取れる。そこに「存在した」はずのものが「データ」になってゆく。「ある」のは変わらないのに、「形」だけがなくなっていく。一見シンプルや、スリムになってるように思えて、実はその逆なのではないかと思う。一人が扱うデータ量も多くなり、しかもそのデータは媒体上にあり、それらひとつひとつが込められた「モノ」はない。雑念のように空間に浮遊するデータらを完全に掴み取ることなど到底できない。その煩雑さに私たちはどこか疲弊しているように思う。だから、データと「モノ」が一体化してあることは魂が体に入っているように、自然なことでしっくりくる。

 

その中でもレコードは特別である。

CDをほとんど買わない私は、レコードの魅力に惹きつけられつつある。データが記録された「媒体」と、物理的に音が刻まれている「モノ」というのは大きく異なる。目に見えない「曲」自体が手に取れる「モノ」になるというのは一周回ってすごいことのような気がする。だからきっと、今でもレコードはしぶとく息をしているし、これからも消えることはないと思う。だからと言って私はプレイヤーすら持っていないにわかなのだが、レコードが好きな人はそういうところが愛しくてたまらないんだろうな、と思う。