美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

どうにもこうにも大学に向いてない

悲しいことがある。

今年も新歓の時期になった。私はあの春に思いを馳せる。それはもちろん、私があのワセダの門を通り、晴れて早稲田生になった頃のことだ。

 

幼い頃から早稲田への憧れはあった。物心ついた時から、「だいがく」ってのがあるらしいけど、わたしには「わせだ」ってのがあってるなと思っていたからだ。自由闊達、在野の精神、進取の精神。この街が、早稲田という街が大学と一緒に息づいている。そんなナマナマしい魅力に私は取り憑かれていた。

 

それから、思春期を迎えて、自分らしく生きることが難しくなったりもした。そんな私の支えは、早稲田に入ればきっと自分らしい私を認めてもらえるに違いない、という思い込みであった。

 

それはさながら、白馬の王子様を待つ、脳内メルヘンお姫様のような考え方であるが、これは呪いを解くための儀式だったのだ。

 

バカなふりをしてヘラヘラ笑って、自分よりイケてると思った人には媚びへつらう。誰にも自分の本当の良さは理解されないと、心に鍵をかけたまま誰かを見下す、そんな息苦しい呪いを解く手段は、私にとって早稲田に入ることだったのだ。

 

しかし、困ったことに、だ。いかんせん、新歓が怖い。お酒を飲むのが正解なのか飲まないのが正解なのかはわからないし、きれいだなあ、と思っていた先輩が目の前でタバコをスパスパ吸い始めると、どうしてこんなに悲しい気持ちになってしまったのだろうか。

 

タダ酒、タダ飯を楽しむべき華の大学1年生。私は新歓が怖かった。飲み会に行くのが負担だった。どうしたらいいのかわからなかったし、何が正解なのかわからなかった。

 

酔っ払いは、嫌いだった。

 

あんなに憧れた早稲田で私はエンジ色に染まれなかった。肩を組み校歌を歌い、この学生街を我が物顔で歩き回る、バンカラで、だいぶダサくてちょっとかっこいい、そんな早稲田生とはまったく違う場所にいた。

 

そうはいっても、華の女子大生、バンカラに染まらなくたって、いくらだって楽しいことはある。可愛いファッションに身を包み、トレンドには敏感。ゼミで出会った彼氏なんて連れちゃって、気分はまさにJJガール。

 

しかし、ダメ、これもできていない。入学当初の私は結構ガーリーで「気合い入りすぎな服」が好きだったのだが、いかんせん思ったより文学部にはそういう人はいなかったし、あれ、「ちょっと力を抜いた実生活にフィットしたラフスタイル」みたいなほうがイケてるのでは?という空気を勝手に感じて萎縮して、キラ女ファッションは封印した。

 

でも困ったことにもう3女なのだ。JJガールの3女というのはオトナの風格を醸すイイオンナ。一方あたしは疲れた主婦みたいな格好で、芋高校生に毛が生えたような格好。結局サマンサタバサにも縁はなかった。(別に好きじゃないけど。)

 

思えば幼い頃からそうであった。勉強はまあできたし、委員会などには積極的。クラスの行事を仕切ったりはするくせに、クラスの子達の後をいつもドギマギして追いかけていた。

 

観光地にあるダサいプリクラではなくて、ゲームセンターに、ラクガキできる最新のプリクラがあると友達に連れていってもらったゲームセンター。なんだかママごめんなさいという気持ちでいっぱいだった。

 

学校で禁止しているシャープペンを、鉛筆にソックリの形のを先生の目の前で使う友達を眺めてアワアワしたり、駄菓子屋さんで買い食いするときも周りを見てソワソワしながら罪悪感を噛み締めてブタメンをすするのは大変だった。

 

高校生になってからのメイクデビューなんて、ドキドキもので、周りの様子を伺いながら少しずつやっていた。親に見られて下手だとか、まだ早いとか言われたらどうしようと思って、うつむきながらササッと母親に出発を告げると、「そんなに隠さなくてもいいのに」と言われた。なんだか、後ろめたくて恥ずかしかったのだ。察してほしい。

 

脱毛だってエクステだって、マツエクだって、高い美容室に行くのだって、それをしてもいいのか毎回周りを確認する。

 

私はいつだって周りの背中をみて、慌てて追いかけてきた。そんなんだからみんなを先導するイケてる女の子にはいつまで経ってもなれないんだろうなあ。かわいくなるためには勇気も必要って誰かが言っていたけど、その通りなのかもしれないなあ。

 

私だってわっしょいで飲んでみたいし、高校生の延長みたいなお洒落をやめたいし、ずっと子供のままだと思ってたらもうハタチなんだよ。

 

刺激的な下着を買ってもええし、デパコスだってシーズンごとの服だって好きなように買っていいのだ。お酒だって飲んで罪悪感を感じることもない。

 

困ったなあ、あたしもうハタチなんだ。

 

偏差値という病

久々に学校へ行くと、付属校の小学生たちの集団がいた。どうやら、大学見学に来たらしい。

 

まあ、私の大学は(きっとこの記事を読んでいる9割5分の人は知っているだろうが、この記事は検索避けも兼ねてあえて伏せさせてもらう)、まあかなり有名で、私は小学生の時から行きたいなあと思っていた大学だった。

 

思い入れもひとしおで、「ここに入らなきゃ、私の人生じゃない!」と必死こいて入った大好きな大学だ。

 

さて、冒頭の小学生たちの話に戻るが、彼らは学生の案内を聞いていた。彼女が各キャンパスと学部の説明をはじめると、男の子が「一番偏差値が高いところはどこですか」と尋ねた。彼女は少し困りながら「ん~政経かなぁ」と言う。そして彼はまた尋ねた「一番低いところはどこですか」と。隣にいた女の子が「そういうのは聞いちゃいけないの!」と言う。彼女は笑って説明を続けた。

説明が所〇キャンパスの話に差し掛かり、彼女の手元のボードには「人間〇学部」と「スポーツ〇学部」の文字が並んでいた。それを目にした男の子たちから「あ、偏差値低いところだ」「頭悪いところじゃん」と、声が上がる。

彼女は「スポーツ〇学部は同級生が日本代表!なんてこともあるんだよ〜!」と笑顔で話すが、それに被せて「でも頭は悪い。」と口々にいう。笑い声が上がる。

「人間〇学部には、通信教育課程ですが、羽生結弦さんも在籍しています!」という彼女の声に、「じゃあ羽生結弦って頭悪いんだw」と口々に笑う声が聞こえる。まさに、地獄絵図だ。

 

 

 

しかし、思えば私もそうであった。ずっとずっと自分が特別な子であると勘違いしたコマしゃくれた小学生のひとりであった。

 

小学4年生の時、両親から、「これから塾に行くことになる」と告げられた。「周りの子達も行く子いるんじゃない?」と母に言われたので、次の日には「ねぇ、塾とか行くの?」とクラス中の子達に聞いて回った。朝学校行ってから下駄箱で靴を履いて帰る瞬間まで手当り次第に聞きまくった。

母親が知ったら青い顔をしそうであるが、私は「4年生になったら塾に行く」というのは、それまで親からは聞いたこともなかったし、学校でも聞いたことがなかった。だから、少し驚いたけれどうちのママとパパが言うからそれが「普通」なのかなと思った。(結局は家庭の価値観なんだけどね。子供にとってはそれがすべてだ。)

 

小学校は「みんなおなじ」で当たり前であった。これから私がするらしい、パパとママが決めた「普通」のことが「普通」なのかがきになったわたしは、「みんなもそうなのかぜひ聞きたい!」と思い、大調査会を実施したのだと思う…。

 

結果、塾に行くと明確に言ったのは私だけであった。でも正確には、私の小学校は最終的にかなりの数が受験したので、みんな他人に言わなかっただけなんだろう。笑

(高学年になる時にはみんな割とオープンにしていたが。)

 

そんなこんなで流されるままに、塾に入った私であったが、塾での生活は、それまでの窮屈だった学校生活が一変するほど幸せであった。

純粋に、知らないことを知ることとか、学ぶことが楽しかったし、小学校の先生は毎日イライラしていたから嫌いだったけれど、塾の先生はすごく面白くて、へー、先生って好きだなあ、と思った。

 

 塾では入った時から割と上の方ではあったし、クラスも授業も本当に楽しかった。母と父は私に勉強しろとはあまり言わなかったが、私がなにかわがままを言うと、「塾を辞めさせる」と脅した。また、夜遅くに送り迎えをしてあげていることを母とそれについてくる弟に感謝しなさい、とも言われた。私はそれがずるい、と思った。確かに受験は私も望んでいたけれど、両親に言われて始めたことだから。

目の前に出されたからやったし、楽しかったから続けた。でもそれは私が選んだものではなく、両親のいうことを聞いた「いい子」なのになんで私の希望に家族が付き合っているみたいな話になってるんだ、と思っていた。

 

大学受験になれば親のサポートへの純粋な感謝ができたけれど、言うことを聞いているだけなのにさらには感謝まで要求される、というのが、中学受験では理解出来なかったんだと思う。

 

中学受験における精神性ってそうだ。親の言うことを聞いているし勉強もしている。こどもとして正しいことをしている、という自信がだんだん驕らせるんだろうなあ。

 

まあ、私の場合、塾に通うのが何より楽しかったから中学受験の思い出はいい思い出だけど。

 

私が楽しい塾生活を送る一方で、学校の雲行きは怪しくなっていく。普通の公立ながら受験する子たちがクラスの大多数を占めていたため、学校での授業の殆どは「みんなが知ってること」になりつつあったのだ。

受験をする子達はコマしゃくれているし、先生達は「教えてないことを知っている生徒」を好まない。「受験する子」は親の言うことを聞いた、勉強をするいい子である、しない子もまた等しくいい子である。しかし、こう、なんとも言えないミゾ、人生における初めての人生における選択の差っていうか、大人になるってこういうことか、みたいな雰囲気を感じることになる。どっちも正義なのにね。

 

私も無意識のうちに、「中学受験至上主義」に毒されていた。

給食の時先生が各班を回って一緒に食べる、という風習が嫌いだった。小学生の内輪受けではなく、話題に先生も入れなくては、という意識に駆られてしまうからである。その時の私の班はちょうど受験する子が多かったので、連日受験の話になることが多かった。先生がその班に加わり、何を話していいかわからなくなった私は、昨日その班の男の子に教えてもらった話を振った「〇〇くんのお姉さんって白〇合(中学名)なんですってすごいですよね~」と。

特にその話がしたかった訳では無いのだけど、同じ受験の話でも、私たちの話よりお姉さんの話の方が生々しくないかな、と配慮し、そして昨日の給食で盛り上がった話題なので、昨日までの班の話のあらすじ、ハイライト、として紹介したのである。(今思うと全然小学生としては不適切なんだけど。)

 

先生は「別にすごくない」と言った。班がしらけた。いや、私はまだしも暗に〇〇くんも、○○くんのお姉さんも、事故った。気まずかった。

 

 

今思うと不適切なのはわかるのだけれど、大の大人が小学校相手に露骨に不機嫌な態度をとるほど中学受験ってのはデリケートな問題なのだな、と思った。

 

 

確かに中学受験をする子供は「自分のことが特別だ」と思い込んでしまう。

塾に入り成績別に並べられ、みんなが知らないことを勉強する。その驕りと傲慢さは天下一品だ。学校が偏差値別に並べられた表を見て、下の学校をバカにする。そんなことが当たり前の世界で生きてきた。麻痺していく。

 

そんな麻痺のまま中高一貫に入学した。中高一貫はいかに偏差値が高い大学に入れる生徒を出すかという商売でもある。(もちろんそれだけではないけど) だから、偏差値が絶対的な正義だと思ってきた。有名大学に行くことこそ人生のただ一つの正解だという価値観に浸かり、縛られ、並べられた。

 

バイトができる高校生が羨ましかった。放課後原宿に行ける高校生が羨ましかった。なんちゃって制服を着て、スカートをギリギリまで短くして、つけまつげをつけて、カラコンをして、若さを満喫している女の子たちが羨ましかった。私は雑誌に載っているJKには、なれなかった。そのコンプレックスは、さらなる偏差値至上主義へと向かわせる。将来幸せになるのは私たちだ、私たちが正解だ、と。

 

女子高生の時、私は大学受験をしない人たちがどこに消えていくのかわからなくて怖かった。

 

今渋谷や原宿をほっつき歩いている人たちはこの街のどこに消えていくんだろう。

これからの社会の「表舞台」(だと思いこんでいる)にいるOLは私たち大卒だ。でも、このギャルたちはどうやって生きていくんだろう。

 

有名な大学に入れなくて「何者にもなれなかった人」はどうなるんだろう、消えるのかな、社会から相手にされなくなるのかな、若いうちはなんとかなっても若さがなくなったらどうなるんだろう。

 

いい大学に入らないと消えてしまう。

(私が知っている)一本道を踏み外せば(私の知っている)世界からは消えてしまうから。

そんな漠然とした恐怖が私を襲っていた。

 

必死で勉強して入った大学で、私は特に勉強せずに、この大学にやってくる人たちがいるのを知る。純粋に学問が好きで、この大学にやってくる人たちがいるのを知る。

 

それを知った時、なんだか頑張って入ったことを誇っていた私が恥ずかしくなった。あぁ、なーに私つまんないことにこだわってたんだろう、と。

 

そして、自分が本当に欲しいものをやっと手にした時、初めて周りが見えた。やっと偏差値の檻から出られたのだ。いろんな人生があること。別に大学に行かなくても消えないこと。むしろ、専門学校で自分のやりたいことをできるようになる、そんな生き方の方が理にかなっているんじゃないか、と心から思う。

 

でもきっと偏差値の檻から出るためには、コンプレックスから抜け出さなきゃいけない。

しかし、皮肉なことであるが、私の場合、偏差値の檻から出るためには、高い偏差値を手に入れる、という成功体験が必要だった。なぜなら、コンプレックスというのは、他人が持っているものを羨むことから生まれるからだ。

 

だからもしかすると、私は大学受験に失敗していたら、一生偏差値コンプレックスを抱えて生きていたのかもしれない。

 

偏差値格差社会は本当に正しいのだろうか。

わからない。

わからない。いつも自分と違う生き方をしている誰かを馬鹿にして生きてきた。

誰かの生き方が不正解だとバツ印をつけて生きてきた。

本当は雑誌に載るような、メイクバッチリの女子高生になりたかった。でも許されなかったから、彼女達の生き方を否定して、自分たちが大学に進学することを正当化することしか出来なかった。

私は今まで勉強をしてきた。それが正しいと思うために、偏差値が低いことはダメなことだとバツ印をつけて生きてきたのだ。

 

だけどそういう生き方は息苦しかった。誰かにつけたバツ印は、いつ自分に向くかわからない。きっと今の大学に落ちてたらずっと自分にバツ印を背負わせて生きていたのだろう。

 

結局、自分がいい偏差値の大学に行かないと、その檻から出られないのなら、誰しもそうなのかもしれない。

ほとんどの人は偏差値コンプレックスから

解放されないのかもしれない。

 

それに私は偏差値なんてくだらなくて、自分がこの大学に入ったことを大したことないと思いはじめていたが、自分が恋したこの大学を、もっと愛していいし、それは恥ずかしくないことなのかもしれない。私がこの大学に入った理由は偏差値でくくりきれないし。そこに息づく文化や、流れる血潮に恋をしたのだから。

 

偏差値は確かに今の世の中を生きてく上で必要だし、私ももちろんその恩恵に預かってきた。

だけど私は書きたい。今日出会ったあの小学生達に「そういう価値観」があることが恐ろしくなったから。きっと彼らの両親がそう思っていることが無意識に刷り込まれているのだろう。そういう価値観もすべてが間違いではないけれど、それがすべてではない、と思ったから。きっと彼らが持っているその価値観が、いつか、彼ら自身を苦しめる時が来るから。みんなが幸せになるために、ちょっと世の中が自由になるために、思ったことがあったから昔の自分を通して、考えてみることにしたのだ。

 

私は偏差値の檻からでて、楽になった。人生は踏み外すと死ぬ一本道ではなくて、どこへでも行ける、地平線の向こうまで広がる大地だったから。

 

さて、大学を出てなんになろうか。ファッションデザイナーにだって、ライターにだって、カメラマンにだってパテシエにだってなれる。みんなに自慢できる商社に行ってもいいし、ベンチャー企業に入ってもいい。やりたいことをやってなりたいものになっていい。

 

偏差値なんて入口は世界を覗くほんの小さな窓なのだ。

 

それなりに偏差値が高くて希望の大学に行った女だから言える戯言かもしれない。でもきっと、これを書けばもう少し幸せに生きられる人たちがいるかもしれない、書くことに意味があるかもしれない。そう思って、私は今筆をとったのだ。(スマホだけどね)

瀬川おんぷになりたくて気がつくと私は泣いていた

 

瀬川おんぷになりたかった。

本当は瀬川おんぷが好きだった。

 

私はおジャ魔女どれみでは、どれみちゃん派であった。明るくて楽しく、おてんばで好奇心旺盛、魔女になりたくて、魔法のことばかり考えている。友達想いで、大好物はステーキ。

 

そんな彼女が私は大好きだった。

私は魔女になりたかったし、本当は魔法があっていつか本物の魔法使いになれるんじゃないかと思っていた。図書館の隅で見つけた「わたし、魔女になりたい!」という本が大好きで何度も借りた。担任の先生に「とよのさん、魔女になりたいの?」とからかわれたのを覚えている。

 

春風どれみは魅力的な女の子だ。きっとみんな彼女のことが大好きだし、彼女の天真爛漫さはみんなの心に火を灯してきた。

女の子はおしとやかにしなくてもいいということ、信じたもののために駆け回っていいこと、だいじなものを守るためには必死になっていいこと、全部、春風どれみがおしえてくれたのだ。(そして、女の子の好きな食べ物がステーキでいいことも。)

 

 

だけど、「かわいい」のは瀬川おんぷであった。彼女はチャイルドアイドル、通称、チャイドル、だ。私は彼女が初めて登場したシーンを鮮明に覚えている。公開オーディション。観客の前で歌い、彼女は魔法を唱えるのだ「みんな、私に投票して!」と。それは禁断の魔法、「人の心を操る魔法」である。しかし、禁忌を犯しても、彼女には罰は下されない。彼女は「お守り」のブレスレットをしていたからだ。

 

しかし、例え「お守り」があって、自分に害が及ばないとしても、彼女は「禁忌を犯している」のだ。それをなんの罪悪感もなく何度もやってのける姿は、人一倍罪悪感の強かった幼い私には、衝撃的であった。

 

それに今まで知っている悪いことをする人は「わるもの」であった。アンパンマンならバイキンマンであるし、バイキンマンはバイキンだけれど、瀬川おんぷはかわいかった。かわいくて、ずるをしていて、うまくやっていた。わるいこなのに、「かわいかった」のだ。

 

 

その後彼女は改心していろいろあってどれみたちの仲間に入る。絆は強かったが一方で相変わらず性格はキツかった。お菓子を作る回で彼女がチョコレートをうまく刻めなかった時、「こうやってやるの、こんなの常識でしょ?」と言ったももこに対して、おんぷは「なにそのいいかた、わたし人から命令されるのきらいなの、気分悪いからかえる!」と言ってのけるのだ。

 

 

言ってみて〜!!!言ってみて~!!わかるよ、私だって命令されるの大嫌いだもん!自分がかわいいし指示されたくないもん!!でもそれは悪い子みたいだから言えない〜!!

 

そしてこれが瀬川おんぷのすごいところなのだが、これをやってもかわいい、いやむしろこれをやるからかわいい。

 

瀬川おんぷは「かわいい」である。性格が悪くても、わがままでも「かわいい」は強いのだ。

それまで、どれみ、はづき、あいこ、の3人でやっていたMAHO堂。「明るいこと」、「優しいこと」、「おもしろいこと」、しかなかった世界に、初めて「かわいい」という概念が登場したのだ。「かわいい」というのは「明るい」とか、「やさしい」と同じように生き方のひとつとして成立するのだ。

 

春風どれみがいかにみんなに愛される素敵な女の子は かは知っている、だけれど、モテるのは瀬川おんぷだった。いつだってかわいいのは瀬川おんぷだったのだ。

 

自分のためにわがままなことが出来る瀬川おんぷなのだ。

 

私は小さい頃から一番好きなのはどれみちゃん、もうひとりあげるならおんぷちゃん、といえのが定番であった。

 

しかしわたしは気がついてしまったのだ。、本当は瀬川おんぷになりたかったことを。そのことを認めた時、私は気がつくとYouTubeを見ながら泣いていた。昨日の夕方のことである。

 

本当は瀬川おんぷが心底羨ましかった。自分が逆立ちしてもなれないことが、悔しくて眩しくてずっと認めたくなかったのだ。

 

どれみが好きだった。自分に似ていると思っていた。魅力的な彼女が私の憧れだった。

でもどれみのような生き方を選んだ子は瀬川おんぷにはなれないのだ。

 

どれみがほうきにまたがって空を飛ぶ時、おんぷはほうきに横向きに腰掛けていた。

どれみが魔女に憧れている普通の女の子であった時、おんぷはアイドルで既に特別な女の子であった。

どれみは誰よりも魔女になりたいのに魔法に悪戦苦闘するが、おんぷは魔女見習い試験に飛び級で受かる天才肌だった。

どれみが魔女を目指す直接の動機は「好きな人に告白する勇気が欲しい」から、一方のおんぷはクラスの男子から絶大な人気を誇っている。

 

「かわいい」というのは、もしかしたら生き方の一つなのかもしれない。「ダサい」とか「おしゃれ」とかではなく、「おもしろい」とか「やさしい」の分野にカテゴライズされるのかもしれない。

 

「かわいい」生き方ができる瀬川おんぷが心底羨ましかった。

どれみとおんぷの違いを書き並べたが、私はもう一つだけ知っていることがある。

おんぷが「じぶんのために」魔法を使う女の子であったのに対し、どれみは「人のために」魔法を使う女の子であったことだ。

 

「かわいい」って、どれだけ自分をかわいがれるか、ということなのかもしれない、自分を大事にすること、それだってきっと大切だ。

 

だけど私は春風どれみが大好きだ。

わたしが覚えている印象的なシーンがある。不登校の女の子が教室へ向かう気分が悪くなり、吐き気を催してしまう。すると、どれみは自分の服を引っ張って、「吐きたいならここに吐いて」と言うのだ。私にはできない、と思ったし衝撃的で、嫌いなシーンであった…はずだった。しかし、この年になってもこのシーンだけ異常に覚えているのは、きっと彼女の行動が、あまりにも刺さったからなんだろう。

「だれかのために」いつも一生懸命になれる彼女の姿は人々の心に訴えかける。

 

 

「かわいく」あるためには、「出し惜しみ」をしなくちゃいけない気がする。過剰なサービス精神より、ミステリアスさとかクールさとかわがままさとか、そういうものが必要なのかもしれない。

 

だから、春風どれみの魅力はそういう「かわいさ」からはきっと遠くにある。彼女はきっとすごくやさしくてあたたかい光を人の心に灯せる、でも、それは、前述した「かわいさ」ではないんだろうな、と思う。

 

私はどちらを選ぼうか。やっぱりそれでも瀬川おんぷになりたいと願うだろうか。

わからないけれど、わたしはこれを書いているうちに、どれみのことがもっと好きになっていた。

瀬川おんぷの生き方も正しくて、なれなくて、うらやましい。

 

だけど私は誰かのために走り回って、貧乏くじを引いて「私って世界一不幸な美少女だ」が口癖の女の子が、愛おしくてたまらない。

 

だから私は今日から「自分のためのまほう」と「だれかのためのまほう」が使える女の子になるのだ。

 

きっと今日からだって、まほうつかいにはなれるはず。

 

だって彼女達が20年前、私たちにかけてくれた魔法は、今もまだこうして、解けていないから。

 

この家でいちばんえらいのはだれ?

 

4歳ごろの記憶である。

 

お風呂上りに、ほかほかの私の体を白いタオルで拭きながら母が聞いた。

 

「あやちゃん、とよのさんちでいちばんえらい人はだれだと思う?」

 

と。

幼い私にとって、それは衝撃的な質問であった。「誰が一番えらいか」という質問は、「母か父どちらがえらいと思うか」という意味であり、つまり「あやちゃんはパパとママどちらが好きなのか」と尋ねられている、と思ったからだ。

 

正直私はがっかりした。うちのパパとママは、どっちが好きかなんて聞かない徳の深い両親だと思っていたのに…やはり片方が不在の時を狙ってこっそり聞いてくるのか…

 

うちの両親もあさましい人間だ…そう思った。しかしここでごにょごにょごまかすわけにはいかない。今ここで何をいえば正解なのか、幼い私はたった4歳の小さな頭で考える。

 

もしかしたら、昨晩こんなことがあったのかもしれない。パパが自分が外で稼いでると、ママにえらそうにしたのかもしれない。だからママはママも毎日家事やってえらいよね?って、育児に疲れて娘の私に聞いたのかもしれない。

 

この家の苗字はパパの苗字だし、今の日本は一応お父さんがえらいらしいことはしってる。サザエさんでは波平さんがえらいし。

 

じゃあパパか? いやでも私がさっき考えたような出来事が昨晩あったとしたら、ここでパパといえばママにさらにショックを与えるかもしれない。それに今の時代外で稼いでるからって男がえらいってわけじゃない。

 

しかしここでママが偉いといったら、ママが目の前にいるからママと言ったのだと思われるかもしれない…。まぁ、一緒に過ごしている時間が長いのだからそこらへんはママを優先させても義理は通せる。しかし、今晩ママが「さいちゃんがこの家でいちばんえらいのはママだって〜」とパパに言ってしまったら…困ったなあ、大人だからここだけの話にしてパパには言わないでほしいなあ、でも昨日悔しい思いをしたからやっぱり言いたいのかなあ…

 

 

なんて悶々と考えているうちに私の頭の中に一つの光が差した。

それは、

「やはり、うちの両親は、どっちが好きかなんて聞く人じゃない!!!! 」

という両親への信頼であった。

 

だからもう答えは決まったのだ!優しくて賢くて徳の深い大好きな両親!その答えは!

 

 

「うーん…あや…ちゃん??」

 

 

そうだ、これに違いない、「このおうちでいちばーんえらいのはだあれ?」

「あやちゃんだよ!パパとママにとって一番大切な子どもだからね!」

「あやちゃんが我が家の宝物だよ!」

 

そうだ、うちの両親はそういうオチに持っていこうとしたのだ、まったく、どっちがえらいかを気にする親だなんて一瞬でも思った私が馬鹿だったよ~。うへへ。

 

 

 

 

 

 

 

…しかし、残念ながら正解は「父親」だったのだ。

この一件のせいで私は大きくなっても、自分が家族の中で一番偉いと思い込んでいたわがまま娘と言われ続けたが、未だにこのクイズの正解が正しかったのかわからない。

母は割と家父長制とかを大事にする人だったけれど、やはり稼いでいるからといって、「この家でいちばんえらい人は」の答えが「父親」で正解だったとは、思えないのだ。

私は毎日遊んでくれてご飯を作ってくれる「母親」がえらくてもいいと思っていたし、その二つを選ばせることがナンセンスだと思っていた。

 

だからあれから15年が経った今でもあのクイズの答えは「あやちゃん」が一番いい答えだったんじゃないか、と思っている。

 

 

 

他人をバカにしていた私はずっと独りでしゃべりつづけた。

昨日の続き。

 

 

かつて私は相手が自分に抱くイメージ全てを、私が操作できると思っていた。どう見せるかは自分の腕次第だと思っていた。

でも当たり前だがそんなことはなくて、私が相手のことを心の中で色々厳しく見たりするように、他人だって私のことをいろんな目で見ているのだ。

私が深く考えているのと同じくらい考えている、そんな存在と対峙し合うなんてコミュニケーションとはなんて恐ろしい行為なのだろうか。

だから、このこと(前回の記事)に気がついてもなお、なるべく相手の心を考えないようにするクセか抜けない。

 

自分のことをコミュ障と言う人が相手の感情を考えすぎて話せないのだとしたら、私は耳を手でパタパタふさぎながら大声で話しているような感じだ。

 


そうすれば相手の心を考えなくて済むから。

 

私は相手の感情を「ないもの」と扱いすぎている。

 

私がこんなことしたからこいつ今嬉しいんだな、なんか悲しいんだな、とか、自分の感情がそれほど単純で無いのと同じ様に、他人もそうであるはずなのに、相手の感情を適当に上からラベリングして、バカにしてる。

 

そしてそれを今反省している。


私がよく、人の話を聞かないと言われる原因もそこであろう。

でもこわいのだ、気を張り詰めて、相手の感情を考えないように、とりあえず喜ばせておけばいいかと、マシンガンを放つの私の戦い方だ。

 

それを下ろしてしまったら、途端に弱くなってしまう。マシンガントークは私の防具でもあるのだ。

 

もちろんただおしゃべりなのもあるけどね。

考えたくない。相手の感情を考えよう、とすると肩の力がふと抜ける、でも怖くて、身体中の筋肉に力が入る。脳までリキんでる。

まだ逃げている。

私も立派なコミュ障だ。

 

他人の感情を読み取るのが怖いから目も合わせられない。

耳を塞いで騒ぎ立てるだけ。

私の耳にも瞳にも一度も他人が写ったことはなかった。目隠しと耳栓をしていつも一人ぼっちで暴れ回っていた。

なかなか治らない。治そうと思って1年経ったけど、また忘れていた。

 

 

だけどこうして文にしたら、あの時の気持ちを思い出せた気がする。

 

まあ、いいんだ、また忘れたらこれ読んでやり治せるように、今日はブログを書いた。そんなにすぐは治らない。

 

みんなの話、今度はちゃんと聞かせてね。

他人をバカにしていたから私はずっと独りだった

自分だけが頭がいいと思っていた。

 

周りと表面的にコミュニケーションをとる中で、日々について、人生についてこんなに考えて悩んでいるのは自分だけだと思っていた。

 

傲慢だった、というよりも、話したらバカにされると思っていた。だからどうせ伝わらない、と早とちりして、相手をバカにしていたのだ。

 

自分が考えている全てについて、誰かに話すことは無かったし、本心や、うまく話せない、というより、単純な言葉で話せないことは、口にしなかった。

 

だから私はずっと独りだった。友達はたくさんいるし、自分がまさか独りだなんて考えもしなかった。ねるねるねるねが食べれなかったことのように、自分の中で他者と関わっていいのはここまでなんだ、と勝手に思い込んでいたのだ。

 

だから人と人は表面的にしか関わりあわないし、まぁ、おもしろおかしい話をしとけばいいか、というふうに考えていた。

 

そんな考えを持っているので男女交際というのは、異性が求める「かわいい私」像を一生演じ続けるものだと思っていたし、結婚というのはいちばん深い部分には触れずコミュニケーションをするものだと思っていた。だって「色々考えを持っている」、ということは、「かわいくない」こと、「女の子にはいらない機能」、だと思っていたから。

 

私の中の「女の子像」は「思考停止」している姿だった。だってみんなバカな女の子が好きだと思ったんだもん、え、違うの?

 

そんな認識がガラガラと音を立てて崩れ落ちたのは、ちょうど1年ほど前、私が、ほんとうに、ほんとうに、こまったとき、他人に、はじめてもう無理だ、と、口をした日からだ。

 

わたしはそれまで、いつも独りで解決してきた。相談と言いつつ解決策は自分の中で決めてるし、相手の言葉や気持ちは必要としてこなかった。いつも形だけだ。自分の味方がいる、その状況を受け取るだけなのだ。

 

だから、初めて降参を出した。私の手には終えませんでした。だめです。たすけてください。

と、初めて口にした。ほんとうに、わたしじゃない、だれかの力を必要としたのだ。

 

19年生きてきて、 初めて人と心から話した気がした。

それから、私が考えること、思うこと、を話せるようになっていった、自分の考えていた世界がこんなにも360度変わって見えるなんて、衝撃的だった。自分が深く考えるように誰かも何かを考えていて、それをぶつけあえるという人生における新機能に私は戦慄した。

 

最近、自分でもよくわからず、あやふやだけどそこにあるものを言葉としてしぼりだした文章が読んでもらえていることに、改めて、すごいなあと感じる。

きっと前の私からしたら信じられないだろう。

初めて心を繋げた彼女や、徹夜で語り明かした彼女の他にもこんなに、こんなにいるのだ。


きっとそれに気が付けなければ、自分だけが頭がいいと思ったまま、独りぼっちで死んでいったのだろう。

 

こわいなあ。

 

みんながあたまがよくて、よかったなあ。

おばあちゃんにお小遣いをもらえるかを期待しちゃダメだと思ってる女が男におごってもらうなんてできるわけがない。

 

おばあちゃんからもらうお金を期待してはいけないと思っていた。お盆の里帰りで、発つ日にもらうお小遣いは「え、いいの?ありがとう!」という気持ちで貰わなければならない。

もらうその瞬間まで期待してはいけないのだ。期待してるように見えてはいけない、のではない、「期待をしてはいけない」のだ。

 

だから、世の中には、お金がもらえるのを期待して(そしてそれを表に出して)おばあちゃんの家に行く子達がいるというのは衝撃的だった。

 

私は絶対にしてはいけないと思っていた。

だってお金のために会いに行っているわけじゃないから。

 

(ちなみに従兄弟や弟達は、祖父母の家に行けばお金がもらえるのは織り込み済みで、その後みんなでショッピングモールに出かけてのびのびと欲しいおもちゃを買っていた。)

 

前ほどは気にせず、割り切ってお金をもらえるようにはなったけど、今でも祖母から届く小包に入っているお金を期待する自分に罪悪感がわく。

 

私の祖父はホテルマンだった。母の実家は温泉地にあり、祖父の働くホテルのすぐ側にあった。祖父は私たちをすごくかわいがってくれて、私たちがいる間は毎晩、ホテルの売店で売っている小さなお土産物やおもちゃを買ってきてくれた。

 

祖父が帰ってくると私と弟と従兄弟は祖父を迎えに玄関までパタパタと走っていく。走りながら「おじいちゃんを迎えに行っているのか」「おもちゃを貰えるのが楽しみで出迎えるのか」を考えていると、ふと、足が止まってしまい、後ろから駆けてきた弟達に抜かされることもあった。

 

ある日、ホテルの清掃があり、祖父は作業着姿で帰ってきた。私たちは出迎えたが、「今日は忙しくて買えんかった」と祖父が言うと私たちは出迎えていたのをスッと解散した。

 

私はその時、「あぁ、やっぱり私たちはおもちゃを期待して集まってたんだ…」と実感した。しかし同時に、おもちゃがないことを告げ、それで解散した私たちを見ても、祖父は特に怒ったり、悲しんだりしなかったので、「あ、祖父もそういうのと割り切ってたのか」とわかって、次からは、「おもちゃ欲しい!」で前より少し堂々と祖父を迎えられるようになったのだ。

 

 

さて、こんな話を思い出している間に、そりゃあいくらハタチになっても男におごってもらうのが苦手なわけだ、と思った。

 

私はてっきり今まで、「アボカド〜」の記事でも書いたように、自分の異性としての魅力が低いから、男性に奢ってもらったりプレゼントをもらったりを期待できない、してはいけないと思っているんだと思っていた。

 

しかし、事はもっと根源的な部分にまで根を下ろしていたのだ。身内の祖父母にまでこんな気持ちを抱くなら、そりゃあしょうがないわ。と自分でも思った。

 

だから、好きになるかわからない異性とご飯に行くのに奢ってもらうのを期待するのは悪いし、と思うと、恋愛にも発展しない。

 

Tinderで出会った男に彼女になる気も一夜を共にする気もないのにごはんだけおごってもらうなんてことできっこない。

 

ここ数年、やっと祖父母は孫に喜んでもらいたくてやってるのだから喜んで受け取ればいいとか、祖父母からもらえるお小遣いは期待してもいいとか、思えるようになった。それは「や、私いい子だし、可愛い孫だからな」と、思えるようになったからだ。

 

きっと、それと同じで奢ってもらう時や、高価なプレゼントをもらう時の気持ちって、「私かわいいし、愛されてるからな」なのだ。全然好きじゃない異性に奢ってもらう時の気持ちは「や、向こうはかわいい女子とご飯食べて喜んでもらえたらいいんだろうな」なのかもしれない。(※おそらくかなり過剰です)

 

 

 

 

罪悪感と自己愛の渦の中で私はいつか正解をつかみ取れるのだろうか。