文学部の女はきっと好きな彼からもらった、彼のお気に入りのトラックリストが入ったカセットテープが好きだろう。
彼を想いながらカセットテープの表面のシールに書いてある彼の文字をなぞるのだ。
私に聞かせるために選んでくれた曲目と曲順。
彼のお気に入りの結晶。こんなに愛おしい物体が2017年の日本にあるだろうか。
こんなふうに私は、アナログ時代の彼女達を羨ましいと思うことがある。
モテる男の子は、きっと情報収集のうまい男の子だろう。
美味しいお店や楽しいイベントを知っていることは今よりもっと魔法のようなことなのだ。
駅のフリーペーパーや雑誌から見つけてきて、次に行きたい場所を相談するのも楽しい。
みんなが行っている場所に行くのもいいし、2人だけの穴場を見つけてもいい。
それをとやかく言われることも無い。
あの頃のイケてる女の子たちは、素敵なイタリアンに行っても、それを見せることは出来ない。
だから、イケてる女の子であるためには自分がイケてると思う日常を送るしか方法がないのだ。
社会人の彼とのセックスだって、高級なディナーだって、東京の夜景だって、ハワイへのバカンスだって、結局誰に報告するわけでもないのだから、自分が心から満足していないと、本当のイケてる女の子にしかなれないのだ。
そりゃあ今だったら自分の感情そっちのけでイケてる行動をSNSで報告できるけれど、当時はイケてる判定を下せるのは自分たちがイケてる日常を送っているという自信だけだ。彼女達は自分が楽しい時間を過ごせるかを大事にしていた。
彼女達が信じるのは、手で触れられる幸せだ。
旅行だって、みんなで過ごす、その瞬間を楽しむ。使い捨てカメラで撮った写真を現像すればみんなでワイワイと話しながら、焼き増しの数を相談したりするのだ。
そういうアナログの喜びが眩しい。
こんなに人と繋がれる今、
母の昔のアルバムを見ながら思う羨ましさを
私たちは取り戻さないといけないのかもしれない。