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名声欲という化け物、名声という食べ物

 

まずは、最近記事を書いていないことについて、詫びなくてはいけない。

それは、みなさんが私の更新を楽しみにしていたのに、待たせてしまったから、ではない。

私は私のためにブログをやっているから、そんな思い上がりはしない。

 

私が詫びたいのは、自分のためにブログを更新しているといいながら、前よりもいい記事が書けないのではないか、どうせ良い記事を書いても過去のものは越せず虚しさを抱えるのではないか、ブログ全体の純度が下がるのではないか、などの考えに取り憑かれたからである。

 

結局私はどんなに純度高く、作品を作り上げても、記事を書いても、表現しても、人の気を、人の目を、引きたくなってしまう。より多くの注目が欲しい。

アクセス数が上がれば何度もチェックしてしまうし、Twitterリツイートや言及されれば何かが刺激される、Facebookでのオトナたちからのいいね!やコメントが嬉しくて仕方が無い。スマートフォンが通知でうまる度に、自分がいかに正しくすばらしく価値ある人間かが保証されて行く気がするのだ。

 

名声というのは、本当に美味しい食べ物だ。しかし、いくら食べても満足出来ないものでもある。

 

それを私は、中学生の時、金スマの特集で林真理子を見た時、感じ取った。彼女の著作「野心のすすめ」のプロモーションとして組まれた特集であった。その作品を追うように、ドキュメンタリーが始まる。何者かになりたくて、いつか日の目を浴びる日を強く、強く望んで生きてきたマリコ。彼女の生きざまに、幼い頃からずっと埋まらない名声欲に乾き喘いでいた自分を重ねた。

 

強く思うことで有名になれる、なりたい自分になることが出来る。それは私に強い勇気を与えた。テレビに出て、執筆をし、直木賞、結婚、全てを手に入れた彼女の生きざまに、シビれた。かっこいい。ずっとなりたい自分になること、目立ちたいこと、活躍したいこと、恥ずかしいと思っていた。それを臆面もなく表に出し、野心で全てを手に入れたマリコは私にとってのミューズであった。

しかし、画面は切り替わり、現在のマリコの様子を映し出す。欲しいものをすべて手に入れた彼女はきっと満たされているのだろう。私は画面を食い入るように見つめた。

 

しかし現れたマリコは語り出す。このドリンクは朝鮮の高麗人参のもので、ウン万円するのを毎日飲んでいるの。この車は、この家具は、この額縁は…。止まらない自慢話。永遠に、永遠に自慢話しかなかったのだ。

 

悲しかった。人はこんなに、こんなに満たされてもなお、乾くのかということに。本当に満たされるにはどうしたらいいのかを考えた時、私は気が狂いそうだった。この空っぽの自分を埋めてくれる手段をその頃の私はまだ知らない。

 

名声は麻薬だ。欲しくて欲しくてしょうがない。手にした時の爽快感と高揚感。そしてあっけなく消えていく。名声はナマモノだからだ。またほしい、あの名声が欲しい。そう思っても永遠に満たされない。そのスパイラルの中であたしは永遠に幸せになれないのだ。

 

なぜ有名になりたいのかは分からない。幼い頃からそうだったのだ。より多くの人の瞳に映ることが私に背負わされた業であり、乾きであった。

 

でも私は気がついたのだ。志望校に入っても、日本一の文化祭で、一番のステージに立っても、現実はちっとも満たされないし、ドラマチックに人生が変わるなんてことはないことを。

 

(私のことを知らずにこのブログを読んでいる人向けに解説をすると、私は大学の大規模なファッションショーのイベントで、衣装を作り、デザイナーとして登壇した。)

 

それよりも、「こんな綺麗な衣装を作ってくれてありがとう」と、ドレスを着た担当のモデルが涙を流してくれたこととか、我が家に来た友達が、はにかみながらドレスを着てくれる様子とか、ボーイッシュな女の子が少し恥ずかしそうに、そして嬉しそうにドレスを着てくれる瞬間とか、そういう時に湧き上がる、お腹のそこから湧いてくる、じわっとした、それが、あたしの、大事なものなのだ。私の衣装は、夢を実体にする、魔法がかけられるのだ。それが、たまらない。

 

思えば、私は、人の瞳に映ることでしか自分が生きているという実感を得られなかった。自分が不確かだから、誰かの瞳の中に自分を求めるのかもしれないが、自分と同じように他人だって自分の存在をしっかり自覚している訳では無い。いくら数があろうとも、頼りにならないのだ。他人の瞳に生きる意味を見出すより、こう、なにか満たされたときの、お腹のそこからくる、じわっとした、このナマの感覚を、抱いて、私は生を感じる。いま、たしかに、ここに、私がいる、という感覚。

 

これはいい映画やいい音楽、おいしい食べ物や、友達と別れた後の今日はいい日だったなという気持ちにも、同じものがある。

 

このブログは、書いている時に、指先からじわっと満足感がある言葉しか紡がないことにしている。嘘はつかないのだ。すべて自分が思っている本当のことである。それが、面白いと言われる理由だと思うし、そこには自信がある。

 

だから、こうして、プレッシャーを感じて書けなくなったこととかも全て告げてしまおう。あたしは精神のヌード写真を撮っているのだ。いいじゃないか、みんなが隠したいモノを見せたげてるの。

 

これからも、つづけるのだ。

私は私のために。

心の中に名声欲という化け物を飼い慣らしながら。

化け物の飼い主は私だから、私がたずなを握らなくちゃいけない。

魂を食べられてしまったらきっと終わりだから。

 

みんなも、私の言葉が楽しみでしょ?