尾崎豊 53回目の誕生日に捧ぐ日記

 

※この記事は2018年11月29日に私が運営する「タイムトリップガール日記|タイムトリップガール 歌謡曲好きの22歳のブログ|note」にアップした記事です。美人ブログにも共通する内容だと思いましたので、転載させていただきます。

 

 

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卒業論文を書かなければならないのだけれど、やっぱり日付が変わる前に投稿しなくてはいけないと思い、この記事を書きはじめている。

今日は尾崎の誕生日。1965年11月29日に生まれ、1992年4月25日に26歳でこの世を去った、ミュージシャン尾崎豊がこの世に生を受けた日である。存命であれば53歳であった。

私が生まれる前に姿を消してしまったスターのことを私はよく知らない。夭折の天才ミュージシャンだと言われたり、厨二病の代名詞のような言い方をされたり。彼の評価はいろいろだけれど、彼の残した音楽がこんなにも日本の音楽史に残っている以上、天性のミュージシャンだったことは揺るぎない事実なのだと思う。4万人が参列したという彼の葬式の映像を何度もテレビで目にしたことがあるけれど、それほどまでにファンに熱狂をもたらした尾崎豊という人が、幼い私には不思議だった。

「夜の校舎窓ガラス壊して回った」とか「盗んだバイクで走り出す」とか、今の時代では理解しがたくなった世界観は、平成の世ではどこか冷めた目で見られ、自傷的で青臭い昭和の若者の熱狂的な文化だと揶揄されて受け止められるようになった気がする。

だいたい、学校を卒業するだけなのに、「この 支配からの卒業」は重すぎやしないか。「先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか」なんて聞かれたところで、先生も「そういわれましても…」となるし、いちいち面倒なやつだ、となるのがオチだ。学校生活を自由との戦いだと思ってるクラスメイトがいたら、もうちょっと気楽にやれよ、青春時代なんだから色々悩まず楽しくさ、と声をかけるだろう。

「悩まなくてもやっていける」「悩まないほうが幸せ」世の中のそういったことにいちいちアンチテーゼを掲げ、悩み、信じ、書き、歌い上げる。泥臭く、面倒臭くて、そんなことをしているとこの世はどんどん生きづらくなる。いいところでお茶を濁し、いいところで従い、思考をせずに生きていくほうがよっぽど楽なのだけど、世の中にはそういう生き方ができない、大変生きるのに向いていない、だけど生きることに至極真面目で、それだけが取り柄の人間が、一定数いる。

そうした人たちの居場所になり得るのは、音楽だったり、文学だったり、映画だったり、絵画だったり、文化そのものだったりする。悩まなくてもいいことを悩むのが文学。描かなくてもいいものを描くのが絵画。だけど、心にそれがある以上表現しなくてはいけない。この世の中の人間は嘘ばかりで上っ面ばかりで、信じられない、本当のところでは自分と同じ人間に通う血を、愛を信じたいのだけれど、あまり得意ではない。そんな時に、尾崎のような表現者が現れて、内面のグロテスクな部分まで浮き彫りにして歌われてしまったら、グサッときてしまう。

周りの人間は自分ほど悩まずに生きていて、のんびり楽しそうにやっている。当たり前とされていることが受け入れられず、自分の存在に疑問を問いかける。恥ずかしくて仕方のない、そういう悩みや思いを、80年代の日本に、若者の代弁者として世に放った尾崎の功績は大きい。

テレビでホンモノのロックンローラーを目にすることはなくなった。ツンとした空気が世の中を覆い、自分の中身を露出するようなグロテスクなミュージシャンは姿を消した。世の中には「無駄」とされる大切な悩みが吹き溜まり、インターネットを覆う。

0と1のデジタルの世界で、「うまく」生きようとしている私たちに尾崎は何を残してくれただろう。尾崎が歌うことを、やっぱり私は馬鹿にしてはいけないと思う。人は悩み、考えて、鼓動を打ち、生き続けなくてはならない。

人一倍デリケートで、パワフルで、革命的だったスーパースターの言葉を借りて、尾崎豊53回目の誕生日に私が世に放つ言葉の締めくくりとしたい。

若者たちが交差していく渋谷の街に、今も尾崎の言葉は響いているだろうか。

 

僕が僕であるために
勝ち続けなきゃならない
正しいものはなんなのか
それがこの胸に解るまで
僕は 街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に 歌い続けてる

 

2018年 11月29日 尾崎豊53回目の誕生日に捧ぐ

 


歌詞引用
僕が僕であるために

#エッセイ #音楽 #80年代 #尾崎豊