美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

今日の美人ちゃん「なんで定時で帰りたいんだろう−エモとチルを愛する若者たち−」

昨晩、しのさんとこうちゃんのラジオにゲストとして出演させていただいた。

その顔合わせの時に話題になったのが、「なぜ最近の若い人たちは定時退社を過剰に気にするんだろう」という話だ。

 

なるほど。なんでだろう。まわりの社会人になった友人たちの関心事は「定時退社、休日出勤、残業の有無」であり、ひと昔前のような、「出世、年収」などといったワードとは一線を画している。なんだか、「それが最近の当たり前でしょ?」なんて思っていた大学院生の私は、改めてなんで「定時で帰りたい」のか考えてみることにした。

 

上の世代が気になることは、こうだ。

「何か予定があるならまだしも、ない日にも、定時で絶対に帰りたいのはなぜ?」という批判というよりもむしろ純粋な疑問に近かった。

 

わたしは、これを、

会社に必要以上にいることを、「時間を搾取されている」と捉えているからではないかと思う。会社にいる時間は「自分」の時間ではない。「自分」の時間を侵されたくない。たとえ飲み会であろうとも会社の人間といる時間は「仕事」と捉える、という感じなのかなと思う。会社にいる時間は自分の人生を削られているという被害意識からくるものだと思う。

 

被害意識というのは過剰だ、と思うかもしれないが、「過労死」や、「自殺」などの文字を毎日流れるタイムラインで目にすれば、ある種、命を削られている、自分の命を差し出している、くらいの気持ちになってもおかしくないのかもしれない。

 

変化の段階には、必ず未完成な状態があり、今の私たちはその狭間にいるのだと思う。

「あれ?仕事ってそんなに大事だっけ?」という今までの価値観に対する疑いが始まっている。恋愛が下手になり、出産や子育ても難しくなり、家族との時間とか、恋人との時間とか、そういうものが仕事のために削られることが「ほんとうに正しいんだっけ?」という立ち返りが起こっているのだ。

 

 

私たち若者の間で「チルする」という言葉がよく用いられる。

チルは、英語の「chill out」から派生した言葉であり、「ゆっくりする」、「くつろぐ」という意味だ。

 

24時間働けますか、と真逆の価値観だ。スローモーでなんとなくイイ感じの音楽を聴いたり、芝生の上でゴロンとすること。ゆるりとした古着なんかを着てインスタグラムに写真を載せたりする。サイダーなんか飲んじゃって、犬なんかもいたら最高。

 

うーん…チルっていうのを私がうまく解説できてるかわからないけど(私はあまりおしゃれではないので)、やっぱりそこには、「肩肘を張らないおしゃれ」さがあるんだと思う。

 

がんばらない、かっこつけない。自然な感じが「おしゃれ」。なんとなくイイ。やすらぐ…みたいな…。平安貴族か、って感じだけど。

 

平安貴族といえば、「チル」と並んで紹介したい言葉が「エモ」だ。

 

「エモい」って言葉をよく耳にすることがあるんじゃないだろうか。だけどこの形のない言葉をどう捉えていいのかわからない大人も多くいるだろう。(私も最初はわからなかった。)

 

エモいは「emotional」に由来する言葉で、感傷的、情緒的という意味だ。

 

どんどん意味が拡大し、「感情に訴えかけられた、感動した」くらいのゆるーい意味で浸透したりしていいる。実際、人によって「エモい」の使い方がバラバラなので、「あいまいさ」ゆえに、大人が正体が掴めないのも頷ける。

 

「エモ」は、かつての「やばい」と同じように言語化することをないがしろにしている。という批判もあるけれど、

 

「エモい」は感性も語彙力も低下させる | BUSINESS INSIDER JAPAN

 

私は、それは違うと思う。落合陽一氏がよく提唱しているけれど「エモい」は「もののあはれ」のことなのだ。言葉にできない、胸の中に広がるうねりや懐かしい気持ち、切ない気持ち。かつて平安時代の貴族たちが、散る桜に、揺らぐ水面に、鳴く鳥に、輝く月に揺れ動かされた感情。そういうものに「エモい」は近いんだと思う。「あはれ」「をかし」に通じるものがあると思う。

 

また、私自身は「エモい」を「エモーショナルい」ではなく、「えもいわれぬ」の略ではないかと密かに思っている。「え〜ぬ」は「〇〇できない」という古文文法のことだが、「言葉にできない」という意味だ。言葉にできない感情の動き、という意味での「エモい」なのではないだろうか。

 

話がずれてしまったのだけど、要は、私たちの世代は、ゴリゴリマッチョに働くより、札束や出世や贅沢より、チルしたいし、エモを大事にしたい。

そういう新世代価値観は、産業革命以降突き進んできた社会に対して、新たな革命が起こっている予兆なのだと思う。

 

その渦中にいる私たちは、「定時で帰ったからって何かすることがある」わけでもないし、「仕事よりも大事なものがある」と宣言できるわけでもない、「好きなことで生きていく」奴らがではじめたけど、自分はそこまでのエネルギーはない。

 

だけど、でも、なんかたぶん、「本当に、仕事が一番大事なんだっけ?」ということだけに気付きはじめていて、代わりに何が大事かわからないまま、とりあえず定時に会社から逃げ帰ることしかできてないのだと思う。

 

会社はエモくない。行きたくない飲み会もエモくない。

出世争いや、陰口や、足の引っ張り合い、めんどくさいおじさんはチルじゃない。

満員電車なんてチルの正反対な現象である。

 

どうしたらいいかわからない。「定時まで我慢して、定時ぴったりで帰る」ということが最良の選択ではないことを私たちは知っている。

 

だけど、その最適解を私たちも、社会もまだ見出せずにいる。

 

ただ、変化の途中には、途中が故の少しおかしな現象があって、(髷を結った侍が洋服を着ている、みたいな。)それが、もっとちゃんとした形になる日はもうすぐだと思う。

 

定時で帰りたい、家に帰りたい、働きたくない、出勤したら褒めて欲しい。

そんなナヨナヨにみえる新世代は、すごしやすい時代をつくる、やわらかな刺客になり得るのかもしれないと、私は思う。