瀬川おんぷになりたかった。
本当は瀬川おんぷが好きだった。
私はおジャ魔女どれみでは、どれみちゃん派であった。明るくて楽しく、おてんばで好奇心旺盛、魔女になりたくて、魔法のことばかり考えている。友達想いで、大好物はステーキ。
そんな彼女が私は大好きだった。
私は魔女になりたかったし、本当は魔法があっていつか本物の魔法使いになれるんじゃないかと思っていた。図書館の隅で見つけた「わたし、魔女になりたい!」という本が大好きで何度も借りた。担任の先生に「とよのさん、魔女になりたいの?」とからかわれたのを覚えている。
春風どれみは魅力的な女の子だ。きっとみんな彼女のことが大好きだし、彼女の天真爛漫さはみんなの心に火を灯してきた。
女の子はおしとやかにしなくてもいいということ、信じたもののために駆け回っていいこと、だいじなものを守るためには必死になっていいこと、全部、春風どれみがおしえてくれたのだ。(そして、女の子の好きな食べ物がステーキでいいことも。)
だけど、「かわいい」のは瀬川おんぷであった。彼女はチャイルドアイドル、通称、チャイドル、だ。私は彼女が初めて登場したシーンを鮮明に覚えている。公開オーディション。観客の前で歌い、彼女は魔法を唱えるのだ「みんな、私に投票して!」と。それは禁断の魔法、「人の心を操る魔法」である。しかし、禁忌を犯しても、彼女には罰は下されない。彼女は「お守り」のブレスレットをしていたからだ。
しかし、例え「お守り」があって、自分に害が及ばないとしても、彼女は「禁忌を犯している」のだ。それをなんの罪悪感もなく何度もやってのける姿は、人一倍罪悪感の強かった幼い私には、衝撃的であった。
それに今まで知っている悪いことをする人は「わるもの」であった。アンパンマンならバイキンマンであるし、バイキンマンはバイキンだけれど、瀬川おんぷはかわいかった。かわいくて、ずるをしていて、うまくやっていた。わるいこなのに、「かわいかった」のだ。
その後彼女は改心していろいろあってどれみたちの仲間に入る。絆は強かったが一方で相変わらず性格はキツかった。お菓子を作る回で彼女がチョコレートをうまく刻めなかった時、「こうやってやるの、こんなの常識でしょ?」と言ったももこに対して、おんぷは「なにそのいいかた、わたし人から命令されるのきらいなの、気分悪いからかえる!」と言ってのけるのだ。
言ってみて〜!!!言ってみて~!!わかるよ、私だって命令されるの大嫌いだもん!自分がかわいいし指示されたくないもん!!でもそれは悪い子みたいだから言えない〜!!
そしてこれが瀬川おんぷのすごいところなのだが、これをやってもかわいい、いやむしろこれをやるからかわいい。
瀬川おんぷは「かわいい」である。性格が悪くても、わがままでも「かわいい」は強いのだ。
それまで、どれみ、はづき、あいこ、の3人でやっていたMAHO堂。「明るいこと」、「優しいこと」、「おもしろいこと」、しかなかった世界に、初めて「かわいい」という概念が登場したのだ。「かわいい」というのは「明るい」とか、「やさしい」と同じように生き方のひとつとして成立するのだ。
春風どれみがいかにみんなに愛される素敵な女の子は かは知っている、だけれど、モテるのは瀬川おんぷだった。いつだってかわいいのは瀬川おんぷだったのだ。
自分のためにわがままなことが出来る瀬川おんぷなのだ。
私は小さい頃から一番好きなのはどれみちゃん、もうひとりあげるならおんぷちゃん、といえのが定番であった。
しかしわたしは気がついてしまったのだ。、本当は瀬川おんぷになりたかったことを。そのことを認めた時、私は気がつくとYouTubeを見ながら泣いていた。昨日の夕方のことである。
本当は瀬川おんぷが心底羨ましかった。自分が逆立ちしてもなれないことが、悔しくて眩しくてずっと認めたくなかったのだ。
どれみが好きだった。自分に似ていると思っていた。魅力的な彼女が私の憧れだった。
でもどれみのような生き方を選んだ子は瀬川おんぷにはなれないのだ。
どれみがほうきにまたがって空を飛ぶ時、おんぷはほうきに横向きに腰掛けていた。
どれみが魔女に憧れている普通の女の子であった時、おんぷはアイドルで既に特別な女の子であった。
どれみは誰よりも魔女になりたいのに魔法に悪戦苦闘するが、おんぷは魔女見習い試験に飛び級で受かる天才肌だった。
どれみが魔女を目指す直接の動機は「好きな人に告白する勇気が欲しい」から、一方のおんぷはクラスの男子から絶大な人気を誇っている。
「かわいい」というのは、もしかしたら生き方の一つなのかもしれない。「ダサい」とか「おしゃれ」とかではなく、「おもしろい」とか「やさしい」の分野にカテゴライズされるのかもしれない。
「かわいい」生き方ができる瀬川おんぷが心底羨ましかった。
どれみとおんぷの違いを書き並べたが、私はもう一つだけ知っていることがある。
おんぷが「じぶんのために」魔法を使う女の子であったのに対し、どれみは「人のために」魔法を使う女の子であったことだ。
「かわいい」って、どれだけ自分をかわいがれるか、ということなのかもしれない、自分を大事にすること、それだってきっと大切だ。
だけど私は春風どれみが大好きだ。
わたしが覚えている印象的なシーンがある。不登校の女の子が教室へ向かう気分が悪くなり、吐き気を催してしまう。すると、どれみは自分の服を引っ張って、「吐きたいならここに吐いて」と言うのだ。私にはできない、と思ったし衝撃的で、嫌いなシーンであった…はずだった。しかし、この年になってもこのシーンだけ異常に覚えているのは、きっと彼女の行動が、あまりにも刺さったからなんだろう。
「だれかのために」いつも一生懸命になれる彼女の姿は人々の心に訴えかける。
「かわいく」あるためには、「出し惜しみ」をしなくちゃいけない気がする。過剰なサービス精神より、ミステリアスさとかクールさとかわがままさとか、そういうものが必要なのかもしれない。
だから、春風どれみの魅力はそういう「かわいさ」からはきっと遠くにある。彼女はきっとすごくやさしくてあたたかい光を人の心に灯せる、でも、それは、前述した「かわいさ」ではないんだろうな、と思う。
私はどちらを選ぼうか。やっぱりそれでも瀬川おんぷになりたいと願うだろうか。
わからないけれど、わたしはこれを書いているうちに、どれみのことがもっと好きになっていた。
瀬川おんぷの生き方も正しくて、なれなくて、うらやましい。
だけど私は誰かのために走り回って、貧乏くじを引いて「私って世界一不幸な美少女だ」が口癖の女の子が、愛おしくてたまらない。
だから私は今日から「自分のためのまほう」と「だれかのためのまほう」が使える女の子になるのだ。
きっと今日からだって、まほうつかいにはなれるはず。
だって彼女達が20年前、私たちにかけてくれた魔法は、今もまだこうして、解けていないから。