「かわいこぶらないと かわいいこに たちうちできないじゃない」
と彼女は言った。
「だれしもかわいこぶる資格はあると思うんだよね」
そう断言する彼女の名は、杉咲ハルカである。
私が彼女を知ったのは高校生の時であった。Instagramで人気を博していた彼女のイラストを見た私は一瞬で心を奪われた。
彼女の描く絵には女の子のかわいさがつまっている。女の子として生まれたことを、女の子として消化していく、そういう彼女の生きざまは、ただただ輝かしかった。
本当は私も女の子として生きていたかった。
プリンセスになりたかったし、おジャ魔女にだってなりたかった。いつだって、ヒロインになりたかった。いつか自分にだけかかる魔法を信じて生きてきたけれど、どこかで、「主人公として生きるダサさ」に気がつく。
幼い頃は目立ちたがり屋だった同級生は、どんどん控えめになっていく。幼稚園の学芸会では「アリス役」が10人いたのに、高校の文化祭の劇ではみんな出たがらないし、小学校のクラスの学級委員も3年生の時は取り合いだったのに6年生になって引き受けるのは私だけだった。
「脇役」として生きる人生を「普通の」人生を、「ありきたりな幸せ」を大事にできる彼女達が羨ましかった。「かわいい女の子」とされる、そういう控えめな、奥ゆかしい、慎ましやかな、女の子たち、に、私はなれなかった。
彼女達には年頃になると王子様が現れて、毎朝姫と王子は一緒に登校する。
私は脇役で、背景のようで、みじめだった。
誰よりも「ヒロイン」になりたかった女の子は、ヒロインになろうとすればするほど、空回りだ。何でも自分で手に入れようとする女はかわいくないことを私は知っている。
最近になってようやく、生まれてこの方泉のように吹き出していた「特別になりたい」という感情に、区切りがついた。他のみんなのように「普通の幸せ」とか「ささやかだけど幸せな毎日」とかに興味が持てるようになった。
やっと、やっとである。みんなみたいに落ち着けた、と思った。ずっとずっと注いでも干上がってしまう自己承認欲求の囚われから開放されたのだ。小学3年生の時自宅の七夕の短冊に「めだつ」って書いていたんだよな。自意識が強すぎて、前に出たい気持ちと出られない気持ちの板挟みで常にそれが苦しかった。
壮大な欲を捨てて私は楽になった。それにささやかな幸せを大事にできる美人ちゃんなら、きっとかわいらしくてしおらしくてモテるかも?なーんて思っちゃってたわけだ。
いやでも全然もてないし、これから待ち受ける膨大な「普通の日々」と「普通になっていく自分」を考えると発狂しそうだし、きっと違った、間違ってた。
杉咲ハルカはこう言った
「わがままな女の子はかわいいよ。そういう子がヒロインなんだよ。」と。
そうだ~私わがままだった〜。わがままなのにいい子のふりして、恋愛できないごっこしてるだけだった~!!!
いいなあと思った子には甘えていいし、付き合ったらやきもちだって妬いてよかったし、かわいこぶってよかったんだった~!!
私ヒロインじゃん!ヒロインは自分でヒロインになるの。うちのヒロインキャラ属性追加し忘れてただけです!ってだけでした。
昔好きな人にブスって言われたとか、スクールカースト最底辺とか、声がババアみたいとか、キャラが違うとか、目立ちたがり屋の女はモテないとか、そんなの関係なかった~!!!
誰かとか何かのせいにするの間違ってた〜!!
かわいこぶる権利、あります!!!!
しおらしく生きてモテようなんて間違ってました!
「♪プレゼントの山 埋もれもがいても まだ死ぬわけに行かない 欲張りなのは 生まれつき パーティーはこれから」って、プリンセスプリンセスが歌ってたし!
あたし、バリバリ働くし、バリバリ表現するし、活躍するよ。目立ちたいし、特別になりたい、面白いと思うけど、許してね。
あたしはやりたいように生きていくし、そんでもってハートもがっちりもらいに行くからね!
諸君、覚悟しとけ♡