美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

お前らの丁寧な暮らしなんて露出狂出てきたら終わりなんだってさ。

お前らの丁寧な暮らしやファインダー越しの私の世界なんて、シャッター切った瞬間に露出狂が飛び出してきた時点で成立しなくなるようなものというツイートを見かけた。

 

そしてそれらは異質な他者を排除することによって成り立っている、だからその丁寧さは面白くないのだと。

 

幼い頃から、自分のいる空間が自分の思い通りにできないことにフラストレーションが溜まっていたことを思い出す。自由が効くようになったらなったで全然汚れた部屋で生きてるんだけどさ。

 

思い描いた場所に住みたい、思い描いた空間に住みたい、思い描いた服を着て、思い描いたように生きたい。子供部屋の学習机を捨てた時、実家の壁を水色で塗った時。カーテンレールを取り外して、遮光のロールスクリーンをつけてプロジェクターで友達と映画を見た時、私はずっとしたかったことができて嬉しかった。何か大きな目標を達成した時とは違う、自分の暮らす空間を自分でカスタマイズできる。その生きる選択肢の広さが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 

逆に思い返すと嫌なのは、小学校に行くときにスカートをあんまり履かせてもらえなかったこと。「普通の小学生」の格好をさせられていたこと。幼い頃はサマーワンピースとか着られたのに、日常に馴染んでいくうちにコーデュロイのズボンと、地味なゴールデンレトリバーのトレーナーとか着せられる。(ゴールデンレトリバーに罪はない)。当時流行っていたゴリエユニクロコラボの「pecori」って書いてあるフリース、マジで嫌だった。

 

私は特別なのにと思ってたのかもしれないな。別に今は服装において人と被る服が嫌、とか過剰に思うタイプではない。今日も私はUTのドラミちゃんの刺繍のTシャツを着てすごしてたけど、子供の頃はもっともっと着たい服や思い描いている自分があるのに、それと違う現実しか選択できないことがとてつもなく嫌だった。

 

話がそれた。

 

えっ、日常で露出狂が出てくるの普通に最も重罪じゃないですか?死ねとは思わないし、酷い目にあえとも思わないけど、そっと私の人生から消えてほしいと思っている。勝手に出てくることを絶対に許さない。

 

子供の頃は完璧な自分の世界に完璧ではないものが存在すること、そして自分が完璧ではないことが辛く苦しかった。緩やかに現実を知った今、気に入らないことにいちいち腹を立てているほど、私の人生は長くないことを知る。

 

見たくないものを別世界のこととして生きることを私は選択している。サイテーである。

 

冗談のように書いていたけど、私は露出狂に4回遭遇していてその時の怖さを鮮明に思い出すし、去年も遭遇したから、大したことないと思っても、夜道が怖いと思う。なんか、人の欲望が野放しに生々しく道端に存在してそれに触れさせられる傲慢さに吐き気がする。すごくその、異常性もだけどなんか生の欲感がほんとうに恐ろしい。裸の人がいた、とかじゃないんだよな。最初にあったのは小1の時だったけどいまだに思い出すとゾッとするし、あとの3回はここ2年くらいなんだけど。家に帰る瞬間にとても気が重くなるのだ。個でいられない。誰かの欲望の巻き添えを食うかもしれないので、私の帰り道で無くなる、その感覚が嫌だ。1人で帰るという選択肢を奪われたから、許さない。他人の人生の些細なシーンにでも登場してきて壊すこと、許さなさすぎる。

 

他人の世界を壊す人間を絶対に許さない。そして徹底的に排除したいと思っているのだ。私が思う安全や多様性というのはそれほどまでに薄っぺらーいのである。本当にね。ただの潔癖女であり、綺麗事を宣い、自分の安全が崩れるものからは徹底的に距離を置いて「美しい世界」の中で生きたいのである。私が選択した「ユニークでいろいろある世界」の中に生きている。悪意の侵入は存在だけで傷つくので徹底的に排除!そう、私は絶対に許さない、という言葉を平気で使うくらいに非寛容である!!!

 

痛い目にあえとか過剰なまでに不当な処罰されろとは思わないけど、私の世界からはいなくなるので、それはすなわち死なのかもしれない。(この前美人さんって自分の気に入らない人間を瞳にうつさないけど、やってること夜神月だよ?と言われた。まあ、新世界の神って理想郷だから…)無関心という名の死を与えてしまう。昔はそういうのに大発狂して泣いて怒り騒ぎ暴れて生きていたが、おいしいご飯食べて好きな人たちと一緒にいることに時間を使いたいのだ。精神を乱すものはお引き取り願いたい。

 

多様性は理解できるけど、あまりにも異質な世界に対しては防衛本能が働いてしまう。暮らす世界が違うものが少し、いや、だいぶ苦手。

 

自分の見える範囲に徹底的に愛を注ぎ、できることをし、自分と自分の好きな人がまず楽しければ本当に幸せなのだ。ファインダー越しの世界も丁寧な暮らしもいいでしょう。本物でしょう。誰かが思い描いて生きている世界を揶揄したり、粗暴なものが飛び込めば壊れるからつまんないなどと言わないでほしいと思う。まあそれもその人の意見なのだから私がとやかくいうのはあれだが。

 

こうやって多様性といえばいうほど結局は「棲み分け」ということになるのではないかなと思う。そしてなんかつめたいのかなあ、どんどん人への関心がなくなってるのかなあとか思ったりする。

 

私は自分の見た世界で生きることが大事、自分のなりたいものになるのが大事、大きなことに取り組む意思より自分が楽しいことが優先、自分が人生で出会った範囲の人にできる限りのことをしたい、余裕があれば自分が削られない範囲でより広い世界で役立つこともしたい。

 

絶対に私の暮らしにもファインダーにも露出狂はいない。いやいるし、出てきたらTwitterに書くし、さ。幼い頃は自分が生きてる世界がディズニープリンセスの世界でできてないことにいちいち絶望していたので、そんなものが露出狂によって壊されたらショックでつらつらだったのだが。でも、それでも今は私は露出狂が出てきちゃう現実があるのを知っていて、露出狂出てきちゃったーって言えるのだ、出てきちゃった現実を生きてるけど、それでも暮らしもファインダー越しの世界も変わんねーし壊れねーし、加工で消せば良くね?と思ってる。

 

私も、ファイダー越しの私の世界ってタグに対してちょっと揶揄したい気持ちがないかって言ったらそんなことない時もあるけど、でもその人の世界じゃん?と思ったらまあそうだーファインダー越しのあなたの世界ですよねーってなるし。

 

何かを揶揄する気持ちって必ず自分が何かをするときも自分への揶揄になって帰ってくるから、寛容でも無関心でも、うーん、尊重っていうのがいい?ちょっと傲慢?わからんけど、その人が見てる世界はそれでいいやーんと思うんだよね。

 

そういう緩やかな虚構の中で生きていることをあまりにも稚拙だ、現実を見てないと思われるのかもしれないなと思うけど。でも私の人生の時間は限られているから、気に入らないものの出演シーンカットもありでしょ。そんなもんに邪魔されてたまるか。

 

自分の箱庭に自分の理想のお城を作ってそこでお姫様をやるということは、緩やかな社会からの離脱なのかな。

 

にっちもさっちもいかない現実や理不尽なニュースに出会うたびに、出来ることがあるとしたら、目の前にいる人に出来る限り心を尽くそうとしてみることくらいだなと思って、自分が何かできていることにして、辛い現実から逃れる手段に使っている。

現実を見る勇気がないから、よくわかんない強引な宗教の中で生きている。

 

私は話まとめるの苦手だから、振り返るね。

 

「自分の世界(丁寧な暮らし)は突然の露出狂によって邪魔されるようなもんだからつまらん」ってのと、それに対抗して「自分の世界を邪魔するものは徹底的に切り離して他者に迷惑かけなければそれで何が悪い!個人の世界を守れ!」と言ったわけだけどそれもそれで現実逃避だろうみたいな話もあって。ってことが言いたかったの…か?なんか序盤自分の生活を自分で選択できなかった話も混じったね。

 

「優雅な生活が最大の逆襲である」という言葉もあるし、実際去年の宣言中も、変わらず営まれる生活や料理に支えられた。

 

露出狂が飛び出してきたって別にどってことないし、誰かの生活も、世界も滅びないし、本物じゃないなんて言わないでよ。いたいところつかれてると思うからこんなにムキになるんだろうな。

 

正しくて間違ってるよ。でも生活は続く。