美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

諸星あたるは生き残る

 

子どもの時に信じていたものが打ち崩されることがつらい。きっと幸せになるとか、一生懸命やったら悲しいことはひとつもおこらないとか、大人はちゃんとしてるとか、なんかそういう話。できる限り変えていきたいけど、壊れたものはもう戻らないということに、踏ん切りがついたら、また次の夢を見るしかないのかもしれない。

 

昨日、見よう見ようと思って先延ばしにしていた新『うる星やつら』をやっと見始めた。

第1話、開始2分の時点で、諸星あたる

「女に振られたくらいで死んでたまるかー!!」

と言い切っていて、スカッとした。

もう何年も、考える必要のないようなことで悩んでた私の時間がバカらしく思えて、本当に、なんだったんだ!と思って全てが整理された気がした。

 

別に名言でもない、アニメの些細な一言に救われてしまうことがある。

私は諸星あたるを信じているし、諸星あたるはやっぱり裏切らなかった。少し長くなるかもしれない連載につきあってほしい。

 

さて、今なら言葉にできる気がするから、綴りたくなった。話は5年ほど前に遡る。

 

大学生の頃、働いていた高田馬場のバーに中学受験時代の理科の教師やってきたことがあった。私がSNSで告知したのでそれを見て来てくれたのだ。

 

バーというか、スナックというか。その日の担当の人がカウンターに立っておしゃべりする感じの手狭なお店。

 

当時の私は21。理科の先生と会うのは成人式以来だった。先生は毎年、地元の成人式の会場に来てくれる。成人した教え子たちの様子を見に来るのだ。私も大好きな先生だったので、当時、久々に会えて本当に嬉しかった。

 

先生はいわゆるカリスマ中受講師で生徒からの人気が絶大だった。授業は面白いし、ユーモラスだし、申し分ない内容と密度だ。印象深いエピソードを交えたり、語呂合わせの呪文を教えたりして、記憶に残る授業を展開する。

 

11歳の頃に覚えた知識、エピソード、暗記の語呂合わせなどが26歳になった今でもするすると出てくる。私の中に染みついている。それほどまでに、楽しく興味深かったのだと思う。内容も先生も。

 

先生は生徒たちからあだ名で呼ばれていて、いつもいじられたり、対等に話しかけられたりしていて、小学生が本当に無邪気にじゃれられるような立ち位置だった。猫背でガリガリの身体とペラペラのスーツ。ロバのような顔立ち。ベビースモーカーでコーヒーばかり飲んでいる。ニコチンとカフェインでできてるような人だった。生徒たちからは「キモい!キモい!」と言われてて、よくキモキャラになっていた。私はそれほど気持ち悪いとは思わなかったけど。

 

先生はよく女の子を特別扱いした。「俺は女の子が好きだ!」と公言しており、例えば「りさこちゃん」なら授業中「リサリサ」などと呼んだりしていた。かなり男勝りなりさこちゃんがそれにマジギレしたりしていたのも懐かしい。

 

それから、私のクラスの生徒たちが先生に黒板消しを落とそうとするブームがあった。先生に見えないように、ドアの間に挟んだり、ドアの上にある時計に挟んだり、あの手この手を使って先生と生徒の攻防戦が繰り広げられた。たいてい、教室に入る前に先生がひょいと黒板消しをつかんで終わってしまうのだけど、ある時先生が授業中コピーを取りに行っている間に、男子が黒板消しを仕掛けて、その時に一度だけ、気持ちいいくらいにすとんと先生の頭の上に落ちて、先生が降参したこと。

 

なんか、そういう、他愛もない時間。わざわざ書くと私が幼いみたいだけど、でもすごく好きだった。だって、その時間と空間はささやかで豊かな愛が溢れてたと思う。

 

さて、話は私が21の頃、その先生が私のお店にやってきたところに戻る。カウンターには先生と私だけ。成人式の時に一瞬会った時には気がつかなかったけど、少し薄暗い店内で、カウンター越し、私の目の前に50代になった先生が座る。薄かった身体はさらに薄くなって、目は落ち窪んでいた。タバコは相変わらずのようで、また命を削るように、火をつけていた。歳を重ねた先生のそれは、とめなければならないような危うさを秘めていた。

 

私と先生は、お互いに近況報告をする。先生は私たちが通っていた大手の塾を辞めて、いまは小さいけれど新しいことにチャレンジしている中受塾で教鞭を振るっているらしい。少子化もあって中受産業は斜陽らしいが、それでも、変わらず理科を教えているのだという。

 

私は、小学生の頃から入りたかった早稲田に入ったこと、大学のファッションショーで服をつくったこと、あの頃の塾がすごく楽しかったこと、弟が学校に行っていないこと、母は精神疾患自死してしまったこと、昭和歌謡が好きなのでここの他に歌謡曲バーで働いていること、などを話す。

 

先生は、

「ああ、俺のカミさんの父親も首くくって死んだからねぇ、あと、俺も不登校だったし。」

 

と言った。先生が不登校だったことは知っている。塾に通っていた頃、先生が余談で話していたことを覚えているから。先生は、小学校に行かずに、ずっと家でNHKの教育テレビを見続けていた。それが先生にとって染み込むような興味と関心を煽り気がつけば学びになっていたのだという。特に理科の番組が好きだったらしい。だから先生はよく「俺を育てたのはNHKの教育テレビ」と豪語していた。そんなことが昨日のことのように思い出される。

 

それから、懐かしい同級生たちの話をする。先生は、当時一番上のクラスで成績トップで難関男子校にいった生徒たちの名前を挙げて、「あいつもあいつも面白かったけど、もうこれから医者になるだけだろ?」と言った。そのことが悪いわけではない、立派なことだ。でも、先生がなんとなく言わんとしている意味はわかる。当時、溢れ出るような個性を持っていたり、授業にのめり込むような姿勢で取り組んで、興味と知識欲の中で自由かつ大胆不敵だった男の子たちが、結局一直線のエリートとして大人になっていくことが、すこし寂しくて、やるせない気持ちになるのだろうなとおもった。

 

それから先生は、私を見て「君がどういう風に生きてくのか、ずっと楽しみだ。塾講師を長くやってると、忘れられない生徒というのがいて、君はそうだったし、他の先生にとってもそうだったと思う。国語の金田先生とかも、絶対きっと君の名前を出せばすぐに思い出すと思うよ。」と言った。嬉しかった。溢れ出そうなエネルギーと、授業中(授業外)のさまざまなはみ出し行為をあげればキリがない。今日は書かないでおくけれど。小学校においては生活態度とか、だらしなさとか、粗雑さばかり目立って劣等生になりがちだった、私にとって中学受験塾は、ある程度勉強ができれば、ちゃんと軽んじられずにすみ、その上自由に振る舞える、小学校より楽しくてウキウキする場所だった。本当に奔放だった。

 

そんなはみ出し行為にも関わらず先生たちは私に一目置いてくれていた。国語は得意だから先生からの扱いもかなり、一目置かれており、それで当然!という感じだった。それに、理科のこの先生も、私のことを頭が悪い女子としては扱わなかった。算数が劣等生だったから、勉強には苦労していたけど、その先生は私は頑張ればもっと上のレベルにいけると、ずっと言ってくれていた。

 

共学の学校にしか興味のなかった私に、「君にはJG(女子学院)があってる、JGを狙った方がいい、頑張ればいけるから」と言い続けてくれた。結局受けなかったけれど、自由闊達かつ、エネルギッシュで、校則もなく、おてんばな私にあっていると思ったのだと思う。私もキャラクター的にそうだと思うから、そのレベルに達する可能性があることや、私のことを理解してくれてる感じがして嬉しかった。あの時真剣になってて、通ってたらどんな未来があっただろうか。

 

この日も、「アヤ(私のことね)は、もう少し頑張ればJGに行けたと思うよ」と言っていた。へー、覚えてるんだ、と思った。ありがたいな、と思う。いろんなことが溢れ出てしまう私をただの頭の悪い子だと先生は思っていないことが、私には嬉しい。

 

思い通りにならなかったこと、悲しいこともあったけど、それでもこうして先生と会えたこととか、お店に立つ機会に恵まれたこと(Twitterで私のブログを見た先輩の紹介でカウンターに立てることになった)、その全てが愛おしかった。

 

だけど、そんな話をしているうちに、先生が、おもむろに切り出した。

 

「最近もまた教え子とドライブデートに行ったんだけどさ、デートまではいくんだけど、そのあとがね、セックス まで持ち込めないの。50代になってから成功率が下がってねぇ。もう生きてる楽しさもないし、死のうかと思う。」

 

と。私はそれに対してビビった顔をしたら負けた気がするから、精一杯何気ない素振りをして相槌を打つ。

 

先生は聞いてもいないことを、勝手に話し始めた。奥さんと合意のもと、互いに不倫をしていること。俺は奥さんのこと悦ばせてやれないから、他の男が妻を悦ばせてくれるならそれでいい、とのこと。

自分は成長した元教え子たちと何十年にもわたって、デートやセックス をしてきたこと。それこそが仄暗い人生の1番の楽しみだったこと。いろんな子たちと遊んできたけど、20歳になるまで待つから犯罪ではないこと。生徒の母親と不倫をしたこともあること。次々と話し始めた。

 

「俺はね、昔から成長した教え子とデートいってセックス することしか生きてる楽しみがなかったのよ。そろそろ塾業界も厳しいし、全然金もないわけ。ずっとそんなもんよ、生活も安定しないし、カミさんと一緒にいいところで首くくろうつってるの。」

 

そう言った。当時の私は、母親が飛び降りるような現実がこの世に存在することに打ちひしがれていたから、あの楽しい時間の裏で、先生が死にたいほどの塾業界の現実を生きていて、それが本当に現実なのだとしたら到底そんなことには耐えられなかった。何も知らない幼い頃に戻りたかった。もし仮に先生が死にたいほどの塾業界の実態があったとしても、私にはささやかだけどこの先を生きる希望になるくらいの豊かな学びの時間だったこと、いろんな生徒たちの受験や進路を見守って来たことは、教え子とセックス 出来なくなったことより全然価値のないことのようで、傷ついてしまう。

 

あの教室で、先生本気で生徒の女の子たちのことそういう目で見てたの?「女の子が好き」って本当にそういう意味?クラスの女子たちをオリジナルのあだ名で呼んでいた声が、途端に気味の悪さを帯びる。

 

先生は言う

「だからさ、昔から言ってるじゃん、俺はさ、お前らの前に立てるほどできた人間ではないよ」って。

 

当時そのなんとなく自己侮蔑を含んだ言動が不思議な色香を漂わせていたのは事実だ。でも、でも、こんなことだとは思わない。だってあまりにも私たち当時の女子生徒に対するリスペクトがかけてる。セックス できなくなったからと言って死ぬ理由にされるような存在は、個別の行為への意味よりも単なる彼のプライドを埋める消費でしかなくて、一人一人との関係性をなめてるとしか思えない。

 

そういえばアニメ『おそ松さん』か放映されてた頃、友達と話していて、私が「おそ松兄さんが好き」と言ったら、「多分アンタは普段ヘラヘラしててクズだけどやるところではやるおそ松兄さん(長男)が好きなんだろうけど、それは二次創作だから!原作はクズだから、ちゃんと見て!」

 

と言われたことを思い出す。なんとなく、公然と教室で「女の子が好き」と言っている先生は親戚の叔父さんが姪っ子を可愛がるみたいなノリで、逆に本当の意味で自分の将来の愛人と思っているとは思わなかった。だって、だって、信頼してたもん。

 

中学に入ってからも、理科が化学とか生物とか物理になる前、理科1・理科2の頃は私先生の授業で教わったことで乗り切れたからいつも定期テストの、優秀者で、順位張り出されてたんです、先生。文系だったけど、理科、得意だったし、理科、好きだったんです。先生から教えてもらったこと、よく思い出してたんです。

 

先生が十数年後教え子の1人や2人と恋愛関係になるくらいのことはあるだろう。だけど、この件はそう言う話とは別段だった。自分の教え子たちを漁ることがあなたの生きがいのような言い方をされて(そして、多分ある程度本当)苦しくなった。それは性愛でも、愛でもない気がした。支配欲でしょう。育った教え子を摘むのが楽しかったでしょう?自分に男としての力があるように思えたでしょう。21の時はただただ傷ついてそれが現実だと思って打ちひしがれたことを、今なら言葉にできる、今なら書ける、書くことで傷ついた自分を守ることができる。迎え撃つことが出来る、気がする。

 

先生、大人の女の人は怖かったんでしょ、自分の教え子か、自分が強気になれる生徒の母親しか抱けないんでしょう。父権制みたいなものに勝てなくてウジウジしたその感情を、性行為による支配で埋めてたでしょう。虚しさも苦しさも、なんとなく感じる切なさも、全て少女と肌を重ねることでなんとかなると思ってきたでしょう。人の妻を抱くことで埋まる穴があったでしょう。ふざけるのも大概にせいよ。本当は、ずっとNHKの教育番組見てた引きこもりの小学生からたいして変わってないくせに。

 

大人になりきれなかった男の人が、少女と遊ぶのはやっぱりなんとなく不健康だし、ルール違反だと思う。

 

思い返すとぞわりとすることばかりだった。ある時、先生は、中学受験の理科で、難関校の過去問に、人間の生殖に関する問題が出て、これを知らないと解けないことがあると、公教育の学校の保健の授業では扱わない範囲だから、俺は教えた方がいいと思うから教える、と言って、性教育の授業をしたことがあった。

多分クラスの半分くらいは、セックス というものをはじめて知ったのが、この先生の授業だったと思う。

一連の話を聞いた後、このことを思い出した。先生が性愛に生きてることはわかる、その楽しさや悦びが存在することもわかる。でも、当時小学生の生徒たちにはじめて授業を通じて性的な行為を教え込んで、その教え子たちが大人になってから摘み取りに行くのは違う気がする。先生がやってることは、生徒と結局恋愛関係になったのではなく、未来の恋愛対象としてずっと生徒たちを見ていることだ。目的が先にある関係はやっぱり狂気と支配欲が絡んでいると思う。不誠実だ。

 

「あ、今までの恋人と経験してても、全然潮吹いたことない子とかいるからさ、いろいろ教えてあげるんだよね。」

 

先生は飄々と言った。教育というものはグロい行為だなと思う。

 

「ああ、上野美優、あいつは美人だったよね。あと、花坂香奈、あの子も色白だったから今頃いい感じになっているだろうな。ああ、あの子〇〇学園の女子校に入ったんだよね。」

 

幼少期からいつか性欲の対象にしようとしていた女の子たちがどんな女子校に入ったかの話をする。

私の頭の中には11歳、12歳だった頃の同級生の顔が浮かぶ。彼女たちはまだこのことを知らない、これを聞いている私1人が勝手に傷ついている。願わくば知りたくなかったこと。

 

そしてまた、思い出が再編集される。成人式に来てくれたのは、私たちが二十歳になったことを喜んでお祝いしてくれようとしたんじゃないの?私先生と会えて嬉しかったのにな。

 

ひとしきり勝手に話す先生を見ながら、21歳の私は傷ついた顔をしたら終わりだと思って、淡々と手元のグラスを拭いていた。そしてこの話題の終着点を悟りながら、まるで自分には無関係のような素振りで、そんなこともこの世にありますよね、みたいな顔で、相槌を打っていた。