先月、人生で初めてファンクラブに入り、昨日YUKIのファンクラブの会員証が届いた。ずっと入りたかったからカードが届いて嬉しかった。入会特典のポーチも、嬉しかった。だけど、ユキの手書き文字がプリントされた、メッセージカードの中にあった「ユキンコリニスタなあなたへ」という言葉が気になってしまった。「嫌すぎる!」とおもった、私は「YUKIが好きな人」で、「ユキンコリニスタ」ではない。極めて内輪の名称をなんとなく恥ずかしいと思ってしまう。あと、YUKIが本当に好きでYUKIの生き様とか作品とか在り方に憧れてる人は、ユキンコリニスタを自称しないと思う。
私がこわいもの
この胸の火が消えること
いつでもさがしてる
サムシング ニュー
似合わなくなってきた
服はあなたにあげるよ
霜柱踏みながら踊ろう
「私は誰だ」 YUKI
ユキンコリニスタはYUKIが着なくなった服を着て、霜柱踏み終わったところで踊ってるだろう。ユキンコリニスタはYUKIから最も遠い存在だ。一生ユキンコリニスタだ。この名称は、YUKIの楽曲「メランコリニスタ」からきてるんだけど、なんかすごく嫌なのだ。それからYUKIが描いてるユキンコっていうキャラもいるんだけど、そこまで興味はない。でも私はYUKIのことが好き、大好き。YUKIみたいになりたいし、YUKIのことを尊敬している。
全然ブリーチ読まないんだけど、友達が我が家に泊まりにきておしゃべりしてた時に話してた、
「憧れは理解から最も遠い感情だよ」
という台詞をよく思い出す時がある。しばしばある。やっぱり人は何かに憧れていたいし、自分より圧倒的に魅力があると思う事物に自我を投げ打って隷属したいわけじゃないですか。隷属チャンスを探したい!
でも、隷属したい!!と思うほど心の琴線に触れられる事物ってそんなに出会えない。私は旅行先で友達が志磨遼平を初めて紹介してくれた時に、「“Don't Trust Ryohei Shima"」のライブ映像を見て、そのエゴの振り切れ方に感動してひっくり返ってしまった。おかしくなってしまった。なので、翌日、茅ヶ崎の海でバカ踊りした。志磨遼平がめっちゃ好きだったので、海で踊らなくてはならないと思った。志磨遼平を愛する気持ちが、溢れて溢れて、海で踊ってしまった。愛するって、ファンになるって、私にとってそういうことです、共に最前線で恥に振り切れることです。
その恥辱とエゴのギリギリが人の心の、ガードしていた理性の領域をふっと振り切れて越えたりする時に、圧倒的な美しさとかエロティシズムになるとおもうんだよね。イタさとか笑われと格好良さの狭間にあるものが美だと思う。人前に立ちたい、みたいな人たちが羨望と恥辱と引き換えにしないとき、私は物凄く冷たい場合がある。だけど、どんな人もステージに上がってみて、上手くても下手でも、やってみる寛容性も大事だと思ってはいる。
さて、そんな志磨遼平が近年の購入特典でアクキーになっていた。ショックだった。大好きで狂おしいほど大きくて美しくて、エゴをやってたから、手のひらにおさまらないで欲しい、ファンサをしないでほしい、アイドルにならないで欲しいという気持ちがあったのだ。
志磨遼平は志磨遼平の世界観の中にいるのがすきで、その世界の中で志磨遼平が王様だったのに、音楽聞いてるだけで私が「わがままなクイーン」でいられたのに…。アクキーになっちゃったらもう、「ふまじめなキング」じゃない。財布とか携帯につけて一緒にお出かけしたいわけじゃない。
──と、理不尽に怒ってしまうのも私が勝手に期待したのが悪いわけで、結局、「憧れは理解から最も遠い感情だよ」に収束する。
YUKIのファンクラブに入ったら、YUKIがライブでいつも「スーパースターに会いにきたんでしょ?」とMCをする件について、自分の言葉で語ってるのを初めて読むことができた。「自分で自分に魔法をかけているんです。」と言っていた。そりゃそうである、でかいことを言うのは、そしてそれで相手を魅了するのはとてつもなくプレッシャーがかかることだ。
ライブ中に「かわいー!」と会場から声がかかれば、「私の耳が間違ってなかったら、今、かわいいって聞こえたんだけど……(間をとって)正解!」といってくるっと回る。圧巻。
でも、そのことは50歳になって、なかなかできることじゃない。自分で言い切るのは、そしてそれを魅了の方向に持っていくのは、大変。年齢重ねて自分は人には見られない立場にいる人たちから勝手に老けただの太っただの言われて晒されてさ。うっとりするように返すためにはどれだけのハートの強さと、それを自負できる日々の努力と身体があるだろうか。プライドって本当に美しいと思う。
YUKIが、オーケストラと一緒にオーチャードホールで演奏したライブの音源があって、楽器との掛け合いでスキャットを披露するんだけど、
「すっごく練習したの、こんなに拍手がもらえて嬉しい」って言っていた。
▼恋愛模様-LIVE-の冒頭に収録されているので各々サブスクで聞いてね
素直に褒められるって、素直に頑張るって素直に嬉しいって言うことってこんなにかわいらしいんだ!と思った。それを自分もやるようになってからだいぶ人生が好転するようになった。素直って可愛いんだよね。会えるうちに好きな人に、ちゃんと好きと伝えておくこととか、褒められた時に素直に調子に乗ることとか、変な出し惜しみせずにまっすぐうれしさを伝えることは、ちゃんと外側の人たちに届くし、なんとかしてあげたいって思ってもらえるんだよな。プライドとかわいげ、すなおさ、全部大事なことだ。
志磨遼平は、結局「愛に気をつけてね」で
「アイム・アン・イミテーション」って歌ってるし、「もう無理っすわ、バレバレっすわ」って言ってるし、逆にもう「さぁカスのお出まし」とネガティブ側に振り切ってますけど。
その、「カスのお出まし」感は「唯我独尊マン」とか「ふまじめなキング」的なものと表裏一体のはずなんだよな。身一つで爆弾やりに出てくる人が持っている緊迫感、格好いい。
物語をくれる人が瀬戸際で、いつも土壇場でギリギリで張っているハッタリに、恥辱に、圧巻に想いを馳せていたい。必死でやっている人の美しさに、好きだからこそ想いを馳せたい。愛しているから、盲目になりたくないと、思う。
格好のいい人たちを1人にしたくなくて、もしそうなら私も1人にならなきゃいけない。私もまた同じヤバさを負わなければいけないのかもしれない。愛って同じものを負うってことではないでしょうか。
ちなみに冒頭の絵のYUKIはこのPV見て描いた!