うるせーーーーなぁ!!!!!
私の文章はほとんどが劇的な感情と熱病のような愛情で出来ている。超局所的な、超内輪的な、個人に対する私的な会話、愛着、濃度、密着、融合、慈愛、好意。大好きな人に読んでもらいたいという大好きなエネルギー。生きてる人でも死んでる人でもいい。
最近の思考をインターネットに書き溜めてたら、会ったばかりのおじさんに「伝わらない言葉がかわいそう」と言われた。だまれ。お前へのラブレターではないから。だまれ。添削するな。
私は記憶の中の友達に、記憶の中の愛した人に、向けて書いてる。過去の、その一瞬混じり合った時のその人に照準を合わせて、心の奥底を放つ。捧げる。手渡す。
一生は続かないその一瞬のことを思い出して綴るだけで、人はずっと生きていける。そう思うのだ。亡くなった人の面影を、愛した記憶を、愛された記憶を祈りのようにして生きていく人たち。そういうのが私の世界。だから、他人がわからなくても全く問題ない。
相手と面識が無くたって、死んでる人だっていい。橋本治が好きだ。その本を読んだあと、橋本治に呼応するような文章なら書ける。同じ部屋の中で語らっているように書くことなら好き。
雨宮まみが好き。神戸出身の友達が「雨宮まみが、生前、お気に入りのマンションを見つけて住みたがった街だよ!」と言ってた。今旅行できてるけど、何が好きだったんだろうか、雨宮まみは。昨日は、雨宮まみが好きだった、宇多田ヒカルの『俺の彼女』を聞いてぼーっとしてた。それだけで十分。明日は彼女が好きだったアンティークショップに行こう。もう会えない人の面影をたどりたい。
もう本当に嫌になっちゃう。人が入ってくるのって気持ちが悪い。うるさい。私は自分の形がわからない。形がわからないから書き続けてるのであり、すべては混沌の中にある語りだ。聞き取って欲しいと思って書いている。ほとんど悲鳴であり、ほとんどそれらに救いようがないことを知っている。たまに拾ってくれる人がいる。すごい深さで拾ってくれる人がいる。めちゃくちゃ嬉しい。それが。
やっぱりnoteになんか書かなきゃよかった。世界のことなんて何一つわからず、わからないことをただ書くのみなのに?わかりやすい事なんて何一つない。わかんないことだらけ。なんで世界を攻略できると思うの?なんで?
自分の好きな人以外に文章見せなきゃよかった。愛してる人以外に読まれるとダメになっちゃうな。
だから私は私のままだいたいとずーっと言ってるんだよ。こっちから願い下げなんだよクソが。読むな、返せボケ。