美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

鋭利にさせられてしまった

忘れかけてたし、もう忘れようと思っていた感情だったのに、さっき、更新されていた、あまりにも内面すぎるブログを読んでしまったから、自分に嘘がつけなくなってしまった。

 

そういう書き手やアーティストは今までにも何人かいたが、変わっていってえぐるものが失われてしまったり、本人がこの世から去ったりしてしまったので、私には拠り所がなく、基本的に発狂している。

 

そんなものは私が拠り所を探していないからで、この世には文章も音楽も映像も無限にあるのだから見つけにいけばいい。でも、過去のものは嫌で、今同じ時代に同じ時間を生きている人の痛烈で内面を切り裂くような言葉を目にした時に私は背筋が伸びて、凛として生きることが馬鹿らしくないよなと思えるようになる。

 

そんな言葉を綴ってくれる他者がいることに縋り付きながら生きている。周りにいてくれる人よりも、何年も一緒にいる人よりも身近に感じるような、一瞬で何かに勝利してしまうような、会心の一撃みたいな、文章に出会ってぶちのめされたい。

 

そういうものを見た時の私は、自分の頬が緩むのを感じる。初めて志磨遼平見た時そういう顔をしていたので、私は志磨遼平を見た時の顔をしちゃうものは、嘘偽りなく美しいものだと思っている。いい文章を書ける時には、フリック入力が指先と繋がる感覚が存在する。

 

そしてその感覚が今である。いちばんだいじなものを見せてもらったお礼にこちらも同じだけ切り出さなければと思う。そういう極上の反応みたいなものを欲していてどこまでそれができるかをためしてみたいとおもっている。

 

だから、嘘をついたことを詫びるような本当のブログが好きだ。人は何かしら嘘をつきながら生きており、その嘘にどれだけ敏感であれるかが、生きることの質を上げると思う。そのことはとても美しいと思う。怠惰にならずそのことを辞めたくないと思う。自分の嘘に嘘だと言い続けること以外、誠実である方法はないと思う。人は嘘をつく。そしてそれに敏感であるべきだと思う。

 

心の奥底を抱きしめられるような感覚を思い出すし、たまらない気持ちになる。ここにいるという感覚がたしかにある。そういう文章を読むと生きててよかったと思う。ブログは人格だと思っており、書く文章がその人だと思う、私は、鋭利な優しさがある人が好きだ。

 

鋭利であることは知性である。明瞭である。ハッキリとしている、ハッキリとしているものは美しい。自分が自分になる感覚がある。

 

この人の言葉があれば、他のはいらない!と思うような文が私には必要で、今までそう思えたような文章を書く人は3〜4人くらいしかいないんだけど、それは私が読書をしてきた量があまりに少ないからかもしれない。

 

自分が孤独であるということを忘れて、自分の世界に初めて他者の自我が存在したような喜びをくれる人はそう多くはないから記憶に残る。それはもはや私の中で息苦しいほどの感激を誘う。自分を見て欲しい、自分の生は特別だと主張しまくる、痛々しいほどに美しい文が私は好きだ。たくさんある文章の中で、ここに自分がいると叫んでいるような文章が好きだ。惹きつけられる。

 

そういうものを見られて今日は良かったという話。もっともっと言語化が上手くなりたい。痛切であることは面倒なんだけど妥協したくないなと思う。理性と感性の狭間で揺れ動く文が好きだ。また読みたいと思うんだ。なんのために書いてるんだとそのブログには書いてあったけど、私はずっと書いて欲しいと切実に思っている。全くの他人だけど、ただその人が書くことを求めている自分がおり、辞めないで欲しいなと思う。欲しいものや見たいものや近づきたいものに容赦がないけれど、欲しいものを欲しいと言わなくてなくなってしまったらどうしようと思うのだ。

 

ずっと痛切でありたいと思う。自分に嘘をつかないのは大変だけど、辞めずにいたい、自分の欲とか嘘くささとか妥協に誠実にありたい思ったんだよな、心にめっちゃ近くにありたい。その自我を保ち続けるのは大変だと思うけどずっと待ってて欲しいという気持ちを押し付けることしかできない。圧だけど。でも書き続けて欲しいって、生きてて欲しいって願いに近いな、ずっとそこにいて欲しいと思える人の数で、豊かさって決まるのかもと思った。誰かが書いてくれることがありがたい。

 

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合わん人おる つらい 書く

結婚式に呼ばれた

楽しかった

しあわせだった

 

新婦はめっちゃ綺麗だったし、幸せでできてた、それは本当。彼女は良かった。新郎もよかった。でもしんどい。しんどいしんどいしんどいしんどい。

 

元バイト先の縁の結婚式だったんだけど、本当に幸せだった。だけど本当に下品な人が私の隣でしんどかった……

 

私も飲みの場で面識があり、悪い人ではなくて、私と飲んだ時の楽しい思い出も覚えていた。一緒に盛り上がったSMAPのSHAKEの話も知っていた。だけど下品だった。始終居心地が悪くて変な盛り上げ方ばかりしていた。ここのテーブルのみんなで盛り上がりましょうと言っていたけど…。みなさん落ち着いた人が多かったから…その人だけが浮いていた…彼がいなければ比較的和やかな場だった気がする…。なんでこんなことに…。

 

ガールズバーばっかり飲み歩いてる人で始終ダル絡みだった。わかるのだ。この人が寂しがりやで、優しくて、人が好きで依存的で何かふざけてないと居場所がないことがわかるのだ。で、その面倒を見るのが私でないことはわかるんだけど、私とは反対側の隣の男性はお酒を飲まないのに無理からダル絡みされてて可哀想で、一応今回は私の元職場の結婚式なのだからわたしが面倒を見なくては行けないのだろうと思った。配席も、なるほど、これが私に課せられた役割、と認識した。

 

静かに過ごしたい。うるせぇ。ずっとガールズバーの話をしている。お酒を一切飲まない反対側の席の同世代の男性が引いている。私の方がお酒が飲めるし多少飲みの場は慣れてるから、私がうまく対応しなくちゃ、守らなきゃかもと思った。ずっと女好き?女好き?と、反対側の隣の席の男の子に声をかけている、彼が冗談めかしてわたしに「なんとかしてください」と切実に訴えかけてくる。

 

その、下品な人の責任を私が負わなきゃいけないわけではないんだけど、反対側の席の男の子は初対面で、私は何度か会ったことがあるし、私もなんとかしなきゃいけないんじゃないかと思って、ソワソワした😭

 

その下品な人が、今度はサーブをしてくれるホテルのお姉さんたちに変な声をかけ始めた。「連絡先を〜」とか、「この仕事はいいですねぇ、いろんな人の幸せが見られてぇ」とか言い始める。黙れオッサン。

 

今日はみんな仕事してるから大変なこともあるし、幸せなことだけじゃないしここはガールズバーじゃないから女の人みんなに話しかけていいわけじゃないんだよ…。

 

「えー!独身なんですか?」とか聞くなよ、女性が「あはははは」って乾いた笑いをしている。

 

私が耐えきれず、

 

「お仕事中ですから!〇〇さんと話す仕事はされてないですから今日はそう言う場じゃないですし」と、突っ込んだ。

 

「すみません、絡んでしまって」とお姉さんに何故か私が謝った。その人の恋人でもないし、連れでもないのに。でも、本当に嫌だった。

 

お姉さんが「ありがとうございます」と言っていた。なんとなく、力強い言葉のニュアンスを感じた。職業的な役割ではなくて、なんとなく人間の声として聞こえた。私に赤ワインを注いでくれた。

 

なんかそんなことがしんどかった。

なんでこんなことでこんな気持ちになってしまうのかわからないんだけど、大学院を出てからめっちゃ女として扱われることが増えた。

 

私は食が大好きなので食に携わって手を動かすことをやってみたいなーと思ってフラッと飲食店のバイトをしたけれど、なんとなく教養層が違うと、露骨にメス扱いをされた。不当に優しいし気持ちが悪い。訳のわからないつまらない話や自分は本当はIQ180あると言う話や自分の好きなアニメの話をしてくる男ばっかで気持ちが悪かった。終わりです。終わりの男の子と話したことがなかった…わからない…。でも私がドジをした時に助けてくれたので、世話になったお礼にスラムダンクの入場特典をあげた。これくらいのことしかできない。なんか、その人とかも、優しい、めっちゃ優しかった、優しいんだけどすごいキモかったんだよな。

 

ていうか…私の男友達って、友達と付き合いでキャバに行ったが居心地が悪かったとか、女の子のいる店に行ったことがないとかいう人が多くて…あと女性の権利が軽んじられてることとかに怒る人も多い。普通に他にもたくさん女友達がいて、金払ってまで女と話す必要がない。

 

でも彼らが別に金払わないで女と喋れてラッキー♪と思って私たちと会ってるかと言うとそうではなくて、別に人間に対して愛着とリスペクトが払えるから男女問わず対等な関係を結べるんだよなぁ。

 

男友達が言ってた

「社会がうっすら女性のこと好きで、うっすら男性のこと嫌いだからねぇ」

 

というメタ認知が面白すぎた。そうなんだよなぁ。これは別に不服とかではなくて、男性が嫌われていることをなんとなくわかりますぅって感じのニュアンスで言っててホンマそれな、というだけの話。

 

 

 

 

YouTube投稿したらカスのコメントがつく。

 

もはや今日の結婚式の幸せに対して不快が強すぎて急に死にたくなったりする。なんでそんなことで、と思うと思うんだけど私自分の想定した以外の人間が飛び出してくることが極端に嫌みたいで、絶望してしまう。

 

前に別の友達の結婚式に行った時も、誓いのキスの時にその友達の同僚たちが、クスクス笑ってたのを見て、別にそこまでの悪意はないと思うんだけど悲しすぎて私がずっと凹んでる。忘れろと言われるかもしれないが、今後私は人の誓いのキスを見るたびに思い出して凹み続ける。私の人生にそんな人いたことなかったから…。🥲

多分私の結婚式でも、私のすごく近い人の結婚式でもそんな人はいないと思うんだよな。

 

その時は同じテーブルの人たちは初対面だったんだけどでちょっとお茶でもして帰りましょとなったんだけど、なんか全然普段いる人たちと違って苦しかった。誓いのキスの時に唯一号泣していたため、この人とは話が合いそうだ、とおもって式の間ちょっと仲良くしてた人は人は前日まで彼氏が自殺未遂をして警察沙汰になっていたし♪♪

もう1人は職場で取引先のセクハラおじさんの相手をしなかったことで報復のようにいじめられてる話をしていたのと(それは相手が悪い)、拗らせ 非モテオタクと付き合っていた時期があり、そういうこじらせ男を「わからせ」るのが楽しいと言っていた。すごく綺麗な子だった。性癖としては全然わかるんだけど、パートナーとして接する相手の紹介としては舐めてるよなーとなんかムズムズした。

 

同じテーブルだったけどプチ二次会に参加しなかった1人はまだ認知されてない彼氏の子供を孕っていた。いや、自由ですけど。

 

全員インスタで繋がったあと後日ブロックした。ストーリーを見るたびになんか邪の記憶が蘇って苦しくなるから。

 

私の友達の彼氏って、リンツのチョコレートが好きだったりさ、ワニのたけぞうくんってぬいぐるみを大事にしてたりさ、音楽家で急に路上でバイオリンを弾いちゃったり、友達の好きなコンテンツの一番くじを引きに行ってくれたり、なんかそういう…そういう話でできてるから…

鉄道博物館にいくとずーっと楽しそうにしているんだけど人間の話には興味がないから人間の話をすると爪いじいじすんねん」という紹介を受けたりするし…

 

あと20年以上まえに亡くなった旦那さんのことをずっと大事に思って同じ家に住みながら彼と過ごした生活の面影をずっと大切に未亡人を貫いてる人と一緒に食卓を囲んだらするから…

 

恋愛に上下ないと言われても、ちょっと私の人生には出てこない人ばっかりと結婚式で出会うと具合が悪くなってしまう。

 

大人めんどすぎる、だるい。新婚の友達の家に私と親しい友人だけ招かれて、とっておきのギフトだけ持って駆けつけたい。早くそれになってほしい。式はライブみたいな感じで客席扱いでいいので、あんまり交流が生まれないでほしい。酷すぎることを言っているのは承知なんですが…

 

関係性、めんどすぎる。知ってる人と会えるのは嬉しいのに、知らん人だるすぎる。

幸せそうな恋愛や交友関係持ってる人間以外と話したくない…運気落ちるから…😭😭

 

書いてるうちに落ち着いてきた、なんかめっちゃ疲れてて、帰りなんか本気で死にたくなった、マジでYouTubeについてるコメントも地獄で、世界って地獄ばっかりなんだ死んでやろうかなと半ば本気で思ってしまった。死ねば抱えてるタスクも、お金のこともなーんにも考えなくて良くなるし、こんなに世界が不完全なら死んじゃえばいいじゃんくらいに思っている。

 

女であることが思ったよりめんどい。タコ殴りしていいと思われてたり、緩やかにケアしてもらえるんじゃないかと思われたり、相手をしてくれないので生意気だと思われたりしてだるい。自分の思ったように人から見てもらえないのなら極端なのでめっちゃ嫌でこのまま消えてしまいたいくらい不快に思う。

 

私がこんなに絶望してしまうのはかつてそうでは無い扱いをされた時期や場所や関係性を知っているからだ。知らない人は希望を持たないし、病まないと思うんだけど、持ってるものを失うことは耐えられない。

 

世界と、愚鈍な男性と、下劣な恋愛で女が傷つきまくるのが憎すぎて生きる気力が湧かない、というのは別に心療内科に行って解決するものでもない。基本的にオールNG!

 

家にたどり着いたらほっとして、携帯の電源を入れたら自分の好きな友達たちから連絡が来てて、あー死ななくてよかったーと思った。

 

この家にいて知り合いとだけ連絡を取って生きていきたい。前から読みたかったニッターズハイという漫画をポチった。挫折した陸上少年が編物に目覚める物語で、没頭以外に外界と隔絶する方法がないことを知っているのだ。

 

むかつくなー世界。この冬は編み物をしたい、編んでやりたい。世界に別れを告げたいので編み物をやる。

 

そういえば私に東大院の進学を勧めたオッサン、ずっと私のメンターみたいな感じでマインドコントロールしてきたけどキモかったな。「君はこんな本も読んでないのか」ってずっと言って私をバカにしてた、支配してたキモかったなー。あと基本的に自分の身長がデカくて体格がいいことを自慢していたけど、何がすごいのかよくわからなかった。

 

コロナの前だったかなぁ、最後にあった日、私のお気に入りのレストランでアフタヌーンティーしたんだけど、なんかその日はムードが違ったので、あ、これは口説きにかかられてるなと思った。東大にいい人はいた?と聞かれたので

 

「あ、うーん、エンジニアとか?なんかひとつのことずっとやってる人が好きですかね〜」

と答えておいた

 

「へぇ、美人ちゃんは、職人さんとかがいいのかなぁ」

 

と言われたので、

「そうですね(お前のような高圧的で支配的な人ではなく)」

とだけ言っておいた。マジでこのおっさんは、突然激昂したり、自分が世界中に愛人がいることを自慢してきたりでカスすぎる。

 

志磨遼平とか好きだからな〜、なんでこんなずんぐりむっくりしたひとがモテるんだろうか、と思っていた。基本的に力を自慢する人間は神話でもオペラでもディズニーでもいい最期を迎えないから🥲🥲

 

エセインテリガストンのようなことをやめろ!

 

みんなキモい…無理すぎる…好きな人間以外好きじゃなさすぎる…極度の内向性と、爆発的な外向性を持て余している。

 

もうなんのことを書いてるかわからなくなってきた。外界と接していいことなんてないということです。

 

自分と近い学歴の人たちと受験に関する仕事をしたり、文章を書いたり、duolingoでフランス語をやってると楽しい。キモイやつ全部消えてほしい。内向デスノート。さくじょさくじょ。

 

年収、タワマン、美女との結婚、人はさまざまなものを目指しますが…!!

私はこの先の人生なるべく合わない人との接点を減らすことに、全力を賭けると決めております。

 

人間のことが大好きで人間のことが大嫌いで、男の人のことがうっすら嫌いで警戒しており、嫌われても面倒なので怖いなぁとも思っており、下劣な感じと傷ついた感じの女の子が苦手で、完璧な愛の砦の中でないと生きられません。

 

箱入りすぎて悲しくなる、その上編み物をしてさらに引きこもろうとしている。

 

大学時代いちばん楽しかったのって、結局1年の夏にずっと引きこもってドレス縫ってた時かもな〜。人の結婚式出て外界パニック起こすより、ドレス縫う方が楽しいかもな〜。

 

まじでマイワールドの外に出る気がない。

 

私は多分自分が子供を持つ機会があれば私立に入れると思う。私が外界に触れたくないからだ。

 

いつかは外界と触れる時がやってくるんたから、早めにというのも意見の一つだが、書く、編む、つくる、は内向の方から外側に突き抜けられる可能性があると思う、そちらにbetしたい。私が見た世界が世界だろ死ねや!

 

インテリアとかリフォームの話も好きなんだよな。自分の人生をなるべく好きにカスタムしたい、ガーデニングとかも好き。陣地から出る気がない。

 

今日結婚式から帰ってきて隣の席の人の対応に疲れて凹んでたら、最近お世話になってる先輩から電話がかかってきて、フランス映画を見に行くチケットをとってちょうだいと言われて、あー死ななくてよかった!とおもった!

 

ていうか、書いてると本当に元気になるな、支離滅裂だけど、自分のために書いてる。

 

私がひたすら喋り続けるのは、まじで自己認知を世界にしたいからで27でこんなことを言っていると流石にやばいがこんな感じでしか生きられないのでどうしようもない。

 

助けて〜〜。なるべく人間と距離を置きながら人間と接し続けたい、それは何かを作ることなんだよなー。私の認知私が作る〜キモいやつ出てくるな!!

 

カス!塩たくさん入れて風呂入るぞ!儀式は大事!バーカ!

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作為を超えてみたい

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私が好きになる人たちはいつも作為がない人を愛する。頭がいいが故に作為のなさや無垢さを愛する。私は我慢と作為と操作に満ちているから、なんとなく、分が悪くなる。

 

本当のこととか、魂の無邪気さを美しいと思うこと、そのことを好むことが、眩しいのに、その光に追いつこうとすると、途端に魂が曇る。

 

どうすればそこへ、と思いながら、私はそういう人たちの文章とか、ユーモアとか言葉を眺める。頭がいいから、作為が読めるんだよな。その上でふざける、いちばん真実とか、悲しみとか、現実とか、わかっているから遊ぶのだ。

 

遊びがうまい人、ちゃめっ気がある人、二枚目より三枚目が好きであると、私がよくいうのは、少し、寂しそうな顔をするからである。全部が見えてる人が、なにかこの世界に託すように演じる道化が子どもの頃から好きで、そういう人は、悲しさの分だけ世界に色を見出したり、色をつけていくのが上手だった。

 

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根源的に根っからふざけていることがもつ寂しさが好きだ。根っからふざけることができるのは何かものすごい寂しさと表裏一体になっている気がするからだった。明るい人は暗い人である。暗い人は暗いだけの人だと思う。

 

明晰であることは暴力性を生む。

明晰さから逃れられない。嘘をつかない。真実を見て、暗いものも見て、なおのこと自分と世界を信じられるかみたいなところで戦ってる人のことが私は好きである。

 

全てが見透かされるような恐怖と対峙するような人と会話をしてみたいと思う。見透かされたり、見透かしたり己の小ささを感じたり、むしろそんなものを超えた何かで闘ってみたいと思ったりする。なんというか、作為って難しいな。加害的だからな〜。極上の自分でいたら作為を超えられるだろうか。

階級闘争思い悩みドビー

 

日々、階級闘争ことを考えています。

階級闘争のことを考えまくり、階級闘争思い悩みドビーになっています…。

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階級闘争思い悩みドビー

 

階級闘争重い悩みドビーとしての日常は大変です。大学院を出てからぶち当たるさまざまな人との出会いに、喜び勇んで参加しながら、ささやかな違和感を覚えたのち、お家に帰ってベッドで暴れるだけのことです。

 

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階級闘争想い悩みドビー、帰宅

 

大学院受験を志した時、社会学の勉強を始めて一番惹きつけられたのは「ハビトゥス」という概念だった。「ハビトゥス」というのは、フランスの社会学者、ピエール・ブルデューが提唱した概念で、その階級に特有の習慣、仕草、好み、行動様式のことである。いわゆる文化資本のことで、家庭にどれだけ本があるかとか、どんな経験をしてきたかとかが影響する。

 

私は多分大多数の人間の中でも圧倒的に人に興味がある方で、人間のことが大好きだ。文化や社会や人との交流を愛している。その一方で、「ハビトゥス」という言葉が可視化したものがあまりに痛烈で、びっくりしてしまった。今まで感じていたが、存在しないことになっていたものが初めて出現した、そのものとの戦いが本当に辛くなり、私はその時から階級闘争思い悩みドビーになってしまった。

 

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階級闘争思い悩みドビーになった

 

我が家は、わたしの自己認知では「一億総中流♪」という感じの家柄で、ユーミンとサザンを聴いて育った。私は、80年代を過ごした夫婦の子どもという自負があり、それほどリッチだとも思っていないし、それほど文化資本が高い方だとも思っていない。世の中には、クラシックや乗馬といった伝統的なハイカルチャーを好むアッパーオブアッパークラスがおり、別にうちは全くそんなことはない。私も雑で気が短く、ピアノもへたっぴで続かなかった。オリジナルソング「バーミヤンの歌」とかを即興で歌っている方が向いていた。

 

だから、大衆的な一般の家庭のひとつにすぎない。名曲「バーミヤンの歌」が生まれる豊かな土壌はあったが。この辺は、ブルデュー的にはどの辺の文化資本に入るんだろう。高級な中華屋に行っている層には歌えない名曲だ。昔母親に「うちがバーミヤンに行ってるってバレるからそんなに歌わないで」と言われたけど。

 

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▲くらえ!自称中流階級バーミヤンの歌!

 

最近は私も上流階級のすなるものを〜と思い、クラシック、オペラ、歌舞伎、などに行ってみたが、クラシックは2回行って2回とも眠くなってしまった。一応、幼稚園音大付属のところだったんだけどな。年に一度クラシックを聞く集いがあり、その日は上品な黒のパンプスをはかされるのだが、私は常に足を引き摺りながら歩いていたため、つま先をボロボロにして怒られていた。これって上流階級ですか?

 

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▲ドビーは常に自らを屋敷しもべ妖精だと思っておりました

 

このように、幼児の頃あまりに足を引きずって歩くので、形成外科に連れて行かれたことがありますが、単に「歩くのがダルかった」という理由で、病院の廊下で「走ってごらん!」と言われて軽やかに走る私の姿が目撃された。歩くのが本当にだるくて。

 

話を元に戻すと、オペラは、本当に品のよく高いクオリティで人間同士の痴情のもつれを見られるので、質の良いインターネットみたいで楽しい。大ファンです。U35の割引を使って見ています。うざいセクハラおじさんから、突然女に入れ込んで人生を滅ぼす人などが出てきます。こんなものはXでも見られますが、めっちゃ頑張って歌ったり演じたりしてる人たちのを見た方がよっぽど楽しいです。人間の"揉め"って結局めっちゃ面白いですからね。"揉め"を見るならオペラとかで見た方がいいです。あやなんとしばゆーとてつやのことは気になるけど。(東海オンエアの話)

 

モーツァルトのオペラ『魔笛』は、「女の子をゲットするために男の子が通過儀礼を経て立派な大人になるぞ!」的な話なんですけど、主人公の青年タミーノのそばに、パパゲーノという軟派な青年がおりまして。(工藤新一と服部平次みたいなもんです)

通過儀礼のひとつとして2人にはおしゃべり禁止令が出されるんですよね。仮にもフェミニズムを学んだ私といたしましては、

 

「あ!女と喋らないのが大人の男性になる通過儀礼だと思ってー!いけないんだー!!」

「軟派な青年を軟派なままにしておけーー!」

「他者と交わることを閉鎖して個を確立することを成長と履き違えるなー!やー!」

 

と、思ったりするわけです。品の悪い野球観戦ジジイとかだったら、自分の思ったことをビール飲みながらヤジってしまうかもしれませんが、そこは美人ちゃん、お上品なオペラを見にきているので、ヤジは飛ばしません。ドビーめは、ハリーポッターに誓って絶対にそのようなことは致しません。

 

 

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▲ドビーめはモーツァルトのオペラを見て思ったのです。男性もお喋りをした方がよいと。

 

まあ、なんやかんやあって、おしゃべり禁止令を克服したパパゲーノが、老女に結婚しろと脅されて、受容れると、その老女がめちゃかわフィアンセのパパゲーナになってラッキーハッピーマリッジに結びつくという話なんですね。『魔笛』。話のメインテーマはまた別筋なんですが。

 

これは私の想像に過ぎないけど、一旦老女を受けいれるとめちゃかわフィアンセになるという描写、女性の老いを受容れることが結婚の試練として課されてるんじゃないかと思うんですけど。どうなんですかね。

 

ハライチの岩井が19歳と結婚したことをXで見て答えのない答えを探してる時間より、『魔笛』のこと考えてる方が楽しい。全然、X見てましたけどね。全然。前髪重めだった岩井って、おでこを出す髪型になってから活躍めざましくて、おでこを出した人間は全ての判断が世界に祝福されると思ってたけど、おでこを出しただけでなんでも乗り越えられるわけではない。わたしも社会人としておでこを出そうかと思ったが、べつにおでこを出すことが万能ではないことも感じました。

 

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▲デコ出しは万能だぞ!初期マルフォイ大好き!

 

ピエール・ブルデューが著書『ディスタンクシオン』で、趣味によって人々の階層が決定づけられたと書いたらしいが、上下巻で10000円するのでヒヨっている。金を払った上怖い指摘に辿り着きたくないだろ!

 

例えば「味覚」とかによって支配階級同士で陰湿なメッセージを確認しあって、階級を確立してきた、みたいな話があるらしくて、私、最近人に勧められた人の料理が食べられなかった経験を始めてして、こんなに自分って人に不寛容なんだと思って、愕然としたんですよ。

 

したがって、『味』は文化的覇権の重要な例であり、階級的分断がどのように決定されるかを示す重要な例である。それは、社会資本や経済資本の保有だけでなく、文化資本保有でもある。文化資本を植え付け、獲得することは、支配階級の文化的再生産だけでなく、社会的再生産を確実にするための陰湿なメカニズムとして利用される。また、人は幼少期に自分の嗜好を教えられるため、嗜好は深く内在化される。味覚のための社会的再コンディショニングは非常に困難である。植え付けられ、後天的に獲得された味覚は、その人がある社会階級の出身者であることを恒久的に特定する傾向があり、それが社会的な流動性を阻害するのである。このようにして、支配的な(支配的な)階級の文化的嗜好が他の社会階級の嗜好を支配する傾向があり、経済的にも文化的にも支配的な階級の個々の男女は、支配的な美的嗜好に適合するか、あるいは「社会的」(しかし実際には小数の支配的な)不支持を受ける危険性があり、粗野で下品で味気ないように見えるのである。

ディスタンクシオン - Wikipedia

とりあえず500円の100分で名著のやつはメルカリで買った。

 

私大学時代、お友達がお鍋とか作ってくれるの大好きでさ。人って食によって温かい気持ちになるし、みんなで食べると美味しいね!楽しいね☺️みたいな気持ちだったのにこんな、暴力差別装置みたいな側面があって本当に悲しい。

 

味、残酷すぎる。私が食べられなかったのは、人が作ってくれたプリンでさ、目の前で砂糖をかけてバーナーで炙ってキャラメリゼしてくれたんだけど、ベッコウ飴みたいになって、スプーンの裏で叩いたけど割れんかった。びっくりした。アメリになれなかった。飲み会した時先輩が深夜に作ってくれるプッタネスカ美味しかったのに。人の料理ってなんでも嬉しいわけではなかった。

 

実際には、男性や女性が他の社会階級の文化や芸術に出会うと、「嫌悪感、恐怖によって誘発されたもの、あるいは他の人の嗜好に対する内臓的な不寛容(「気分が悪くなる」)」を感じる。

 

ディスタンクシオン - Wikipedia

これは悪口ではないのです。社会学のいいところは、悪口を言わずに済むことです。私ではなくて、ピエール・ブルデューが言ってたから!人の料理を食べられないことが良心以外のもので起こりうるって、1979年にフランスの社会学者が本にしてくれたおかげで、私はドビーみたいにタンスに頭をガタガタぶつけてハリーを困らせずに済む。

 

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▲べっこう飴のようなプリンのキャラメリゼではアメリにはなれないことが発覚

 

▼ショックでブルデューの『ディスタンクシオン』を読もうとする屋敷しもべ妖精

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ちなみに『ディクタンクシオン』には、農作業でひどく荒れた手の老婆の写真を見てどう思うか、という質問に、上流階級は「美しい」みたいな感動を見出すけど、それを言う側の手は往々にしてきれいだ、みたいな話が出てくるらしく。結局物事に対して、俯瞰的でさまざまな見方をする可能性を持ち得る人は上流階級なのだといった話が出てるらしい。

 

①「わたしたち」の輪郭を決める文化資本の呪い~ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオン」より|なかそね

 

階層の話をする時にドビーの話をして大暴れをする人間は、上流階級に入るのだろうか。全然私は、もっと、親からブランド物を買い与えられてる人とか、クラシック音楽をやらせてもらっている人とか、海外に留学する人とか、親の会社を継ぐ人とかいるのしってるよ。それなら私はどこに位置するのだろうか。

 

ブルデューは、「労働者階級の人々は対象物が機能を果たすことを期待している」のに対し、経済的必需品から解放された人々は、日常生活から切り離された純粋なまなざしを操作することができると主張している。

ディスタンクシオン - Wikipedia

つまり、機能面とは違う美に興味を持てるのが上流階級らしい。

 

でも、わりかし子供の時って、みんな機能面とは違う面白さを見出す力を持っているよなーとか思ったりもする。まあ、幼稚園にかわいいサンダルを履いていこうとしたらスニーカーじゃないとダメとか言われていたけれど。

 

なんだろうなー、心の上流階級っぽさみたいなのがあって。童心を持ち続けられるかどうかって、普通に貴族性とかと関係性あると思うんだよな。童心がダサい幼いとされるのは、普通に、それを忘れさせた方が都合のいい誰かがいるからだということに気がついた方がいいし、人と話さず硬派を気取ることが、大人になることではないと、重ねて言っておくからね。恵まれてるからできること、で結構、死ぬ気で守ってやる、と思ってる。童心ないやつつまらんもん。おふざけできんやつはきらいでつ。

 

多分もっとお金持ちな人とかは私の高校とかにもいたんだけど、こう、ユーモアとか、ポエティックな表現ができる人とか、ゆとりのあるやりとりとか、ウィットのある感じとかは、なかったんだよな。目の前の機能だけを見てた気がする。ほんとに!?私よりいいものを持ってたし、経験もたくさんしてるし本も読んでた気がするけど。彼女たち、彼らと私ならどちらが上流階層なんだろう。早く読まなきゃ〜上下巻で10000円するよぉ。

 

てか、私が求めてるのって、文学部っぽさ?と思ったりする。

 

「あそぶんがくぶ」とか「就活に弱い」とか揶揄されてたけど、私が結局文学部っぽい人としか仲良くしたくないのって、うわべでは「社会不適合者ばっかり☆」とか「いやいや、趣味人が多くて!」とか、「理系じゃないから」とかこちらを下げるようなことを言いながら、

 

・世界に機能面以外の余剰を見出すことができる

・そしてそのことを人生のある一定期間追求する決断ができる精神的身体的な余裕があった

 

人たちが好き、と言う話であってこれはかなり恵まれていて、ある種CAとの合コン以外嫌だぜ!とか、キー◯ンス以外はお断りよ!みたいな話をしてるんだろうな、と思った。

 

一番就活に弱い学部を選べてそれを好きでいられることはやはり、かなり余裕があり、先のことを考えないでいられることの裏返しだよなー、と思った。最も価値がなさそうに思われているのは、この世で価値があると思われている物をすでに持っている、もしくは全く気にしないでいられるかと言う強さがあるからなんだろうなと思った。誇り高きやしきしもべ妖精ドビーは、自由な妖精なのです!

 

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▲ドビーは、マルフォイ家の妖精なので、ハリーに告げ口すると自分の耳をオーブンの扉で挟む自己処罰を与えていたが、靴下をもらって自由になったため、もうお耳を挟まなくて良くなった。わたしも早く知性を得てこうなりたい。

 

なんだろうな、もちろん出自も影響するとは思うんだけど、そして、ブルデューはそれは強固なもので乗り越えようがないと言いがちなのもわかった上でなんだけど、逆に言えば、物事を機能面以外で見られたり、一つの写真に対して俯瞰してさまざまな美を見出すことができるのは上流階級に近いということではないかと思う。近いのがいいかどうかはわからないけれど、私は美的センスが優れていたり、いろんなものの見方ができる人が好きだ。

 

自分の軸かもなーと思う。合わんやつは去れ!

私は人様のプリンを食べられない自由な屋敷しもべ妖精…

 

ドビーに靴下くれるみたいに誰か『ディクタンクシオン』くれないかなー。

そして短歌

 

自分のために短歌をつくった。誰もいないところに向けて。虚空に放っている。私の中の隠していた言葉が、限られた韻律の中で出てくる。こんな自分がいたのかと思う。全く正しくないことを思ってる。意地悪なことを思っている。勝ち負けを意識しているし、人一倍プライドが高い。嫉妬も暴力も不倫も、31音の中ならなんでもありだ。劣等感まみれであるし、人間に暴力を振るいたい気持ちだらけ!よくもまあいけしゃあしゃあと善人ぶっとるわ!と思える言葉がずらりと並ぶ。悔しいとか、負けたとか意味ないですよね、アンガーマネジメントですよねとか言いながら、私は私のプライドが傷つくことを絶対に許さないし、絶対に私が一等賞でないと気が済まないのである。強欲な気持ちがあるから今までチャンスをモノにしてきたし、絶対に、戦わなきゃいけないと思っている。生半可な欲しがり方で、勝てるわけないだろ、舐めんなバーカ!アタシが優勝だ!プライド以外に何があるんだよほんと、獅子座強いんだよなー、私。金星も火星も獅子座だからな、プライドでできているな。ほんと。

 

31音の小箱に悪意を詰め込んでみて初めてわかる。私も誰かに嫉妬されている。美人さんの境遇や才能を羨まれたりしているし、疎まれていたり、蔑まれていたり、劣等感を抱かせたりしている。失敗すればいいと思われてるかもしれない。このままどうなるんだろうな、あんまり上手く行かなけりゃいいのにと思われてるかもしれない。どうでもいいなー、お前に関心ないなー、言うほど他人ってあなたに興味ないですよー、とか思われながら読まれてるかもしれないし、他者にとって自分が他者にすぎないつてのはわかってるんだけどさ。

 

例えば表面的にはうまくいって欲しいと思われてる心の隅で少ししくじってほしいと思われてるかもしれない、私なら、そう思うこともあると思う。

 

人ってそういう機微があるから。インターネットで内心が可視化されたように感知されてるけど、その裏でもっと複雑な色々があったよ、思っちゃいけないことを思うことがあったよな。自分の中にもそういう、ものすごい意地悪なところがあったのを思い出した、私も劣等感があるし、消えたいほどに嫌なこともあって、どうなるかわかんなくて、自分探しとかダサいというのもあって、でも書く以外ないだろというのもあって、圧倒的に才能はあって、でも上には上がいたりして、その人に対する、すげーなとかたいしたことねーなみたいなみみっちくて嫉妬深い感情を私だって誰かに持たれている。既婚の人を好きになったり、円満そうな人間の別れを祈ったり、なんとなく気に食わない奴が酷い目にあえばいいと思ったり、そんなことだって私は考えている。考えてないことにしていると、多分人じゃなくなってしまう。私は拙くて素人くさい31音をそうやって使う。でも私だけの感情。私だけの小部屋。ものすごく虚しくてみみっちい31音を綴るようにしてから私が少しだけ地上に帰ってきた感じがした。

すぎたあと のこるひかりを つかまえて わたしとおくに いかなくちゃだ

ハイハイ大人になりましょう。愛の資本の限界と残酷さを知って大人になりましょう。愛、愛、愛、それってそんなにいいものですか?と思う。

 

大学院の徳倫理学の授業で、目の前で溺れている人がいる時に衝動的にどちらを先に助けるか、そこに意思や選択や責任が生じるであろうか、という命題があり、もう2年近く苦しんでいる。苦しい。溺れて助けられなかった方の人が最後に見たビジョンのこと、自分が選ばれなかったことを考えながら沈んでいく瞬間のことを考えると、吐きそうになる。存在しない溺れた人のことを考えて鬱々としながら、洗面台の前でドライヤーをかける夜が、私にはある。

 

相変わらずフリーターですが、こんなことを考えて辛くなってばかりいるので、大学院に戻って、徳倫理学をもう一度専攻しようか悩んでいます。存在しない溺れた人にいつも悩まされています。苦しい。助けてくれ。

 

どうしたらいいだろう。何度やっても溺れてしまう側の人はどうしたらいいんだろうか。 

 

子どもの時からアンデルセンが作った方の人魚姫の童話について苦しいほどに考えてしまうのは、泡になって海に沈む側のことがいつも気になるからだった。自分も泡になるかもしれないし、誰かを泡にしているかもしれない。助けてくれ、しんどすぎる。

 

大人になることは、限界を知ることだと河合隼雄が言ってたけど、私にも限界が見えた。人間には、愛のランクがあると思う。難しい。私は神ではなく、全員を愛せるわけでもなく、できるなら愛が溢れてる人を愛したい。愛は資本である。愛されてきた人間にはそれ相応の愛の資本の香りがするものだ。峯岸みなみとか見てればわかるでしょう。愛の資本は結構可視化されると思う。有名人の垢抜けとかもそういうものだと思うし、アイドルがだんだんアイドルらしくなっていくのも、愛の資本なんだと思う。

 

頂き女子りりちゃんの事件が気になる。

おぢたちからお金を巻き上げた女の子の話なんだけど、どうしても、私はさ巻き上げられたおじさんが不幸なのか、微妙だなって思うんだよ。

 

頂き女子りりちゃん、54歳派遣社員から5200万円だまし取る…「ホストクラブの金ほしくて」 : 読売新聞

 

何百万の価値がさ、「あなたしかないない」「他に頼れないの」と言われることに、存在してたなら、もちろん嘘や詐欺はいけないが、商売じゃないか、とおもう。どうしたって、人はそれがほしい時がある。どうしてくれよう。唯一無二の存在として誰かに必要とされることがこれくらいの値段で売れるのだ。どうしてくれようか、と思う。

 

一流の芸術家になれば、あなたしかいないと言われることもあるだろう。一流のビジネスマンになれば、君はこの会社に必要だとか、我が社に来てほしいと言われるかもしれない。あなたの小説に救われたとか、あなたの映画で人生が変わったとか。別に業績じゃなくたっていい。子どもから「おとうさんだいすき」って手紙をもらうこととか、親しい恋人に「あなたと会えてよかった」と言ってもらうこととか、元を辿れば親から、「あなたは我が家の唯一無二の宝物」と言われること。「お前と飲むとやっぱり楽しいわ!」と言ってくれる友達がいること。近くの老人に、「あんたがいないと電気変えられないからほんと助かるわ、ご飯食べてく?」と言われることかもしれない。

 

そんな何かが満たされず積み重なって、人は頂き女子りりちゃんにお金を払うんじゃないだろうか。私も人からものをもらうから、嘘をつかずに誠実にしているだけで、境界線なんて曖昧だと思う。りりちゃんは嘘ついてるから明確に犯罪だけどね。でも、りりちゃんはホストに貢いでいた。みんな愛が欲しい。欲しくて欲しくてたまらないじゃないか。誰でも代わりがいそうな世の中で、お金を出してでも誰かの特別になりたいと思っている。苦しいほどに切実でいじらしいと思う。

 

不安の総量はお金になる。私だってそう。水商売をしている。元から人の思い出を覚えるのが得意で、その人にとって唯一のものに愛しさを感じやすい。どんな人の人生にも物語があり、それらは唯一無二だと思う。恋愛がうまくいった人も上手くいかなかった人もいて、友達が多い人もいれば多くない人もいて、仕事がうまくいった人もいれば、いってない人もいて、でもそれぞれ一生分。その人の思い出の曲や好きな食べ物、好きだったアイドルを覚えること、私はそれを、切り売りしている。

 

私はオートクチュールや占いやスナックに興味がある。それは全て、極めてただ1人の個人に宛てられた支配と裏返しの愛情である。文化祭やハロウィンで人に服をつくって泣かせたり、会えなくなった友達に宛ててブログを書いてキャンパスのなかでちょっと話題になってはいけないし、ちょっと背中を押されたからってオーディションでファイナリストまで残って約束を果たそうとしたりしてはいけない。いけないけどやってしまうのが私なのだからそういう暴力性を引き受けようと思う。極めて特別と特別でないものの差がめっちゃあるのに自覚的だから私は誰かを溺れ死なせることが怖いのだ。本当は強烈な愛の選別、それらは往々にして私からの愛情というよりもむしろ彼ら自身がもっている崇高さによるものな気がしている。

 

どうしようもなく、崇高な魂と美と知性の前に私は平伏してしまう。生きることを煌めかせるから。ただ1人の誰か、ただ1人の、ただ1人の繰り返しで生きている。唯一性と唯一性が呼び合う時に私は満足をする。この前遊んだ年下の女の子が、ちょっと珍しいカメラで私を映してくれた時とか、四連で撮れるフィルムカメラをくれた時に、あーあ、圧巻と思う。個人的で特別で揺るぎない関係に夢中になっている間に、周りはどんどん溺れてるかもしれない。でもいいじゃないかと思う。光しか見たくない、光を見て、私が光になって、誰かも光になるしかない。何があっても光ってるもの以外、勝たないじゃんか。美しさに酔いしれて、残酷さなんて忘れてしまおう。今日を限りに、光だけ見ることに決めるから、光らなかったものを見た話をここに記しておく。

 

 

私がどんな人も光として扱えるのは、カウンターに立っている時だけできることだ。カウンターを一度離れると、事故が起きる。

 

例えば、その人の縁で見たい劇のチケットを取ってもらって私はある地域まで行ったことがあるが、1日中その人の予定に付き合った上、別にチケット代出してもらえるわけでもなければクソほど歩かされるとか。本当はそこでやってる見たい展示があったんだけど、私の要望はそんなに尊重されないとか。自分が接してきた人たちとは全然違うことが起きる。悪気がないけど私が不愉快なのは、その人が自分の欲望の満たし方を知らないくらい、愛の閾値が少ないからだ。その人にとっての満足は、私を満たさない。

 

私は色んな人に愛されてきたから、そんな扱いをされると、特に意図的に失礼なことをされたわけではなくても、シンプルにつらいとなってしまう。同伴代をもらわないと割に合わない。そこに性愛のニュアンスがあろうがなかろうが、愛の差違はお金か贈与で埋められて然るべきなのだ。多分、私のギャラに対して、その人が自分に対してかけているギャラが釣り合わないから私がキレてしまうのだ。今度からはもっとちゃんと自分の主張をするし、本当に無自覚に搾取する人が存在する、弱いのに有害ということが存在すると初めて知った。

 

 

結局自分の欲望を自分で満たせる具合が同じもの同士じゃないと、同じ時間を過ごしても差異が出る。それって学歴や見た目や稼ぎとは本当は関係ないんだけど、まあ、結局そういうものがある人間は満たされ度合いも強いのでそういう人といると損をすることがなくなるよね、とは思ったりはする。

 

友達とか恋人とかって結局、自分の価値同士が噛み合う同士しか成立しないんじゃないのか。私が自傷行為を繰り返したり変な男と寝てばっかいる人と友達になれないのは、一緒に過ごしているだけで、何かずっと、自分のギャラ、みたいなものが、不当に時間と共に搾取されている感じがするからだろう。この前友達とディズニーランドに行った時に、私はパレードを待つ間「ずっと座ろ」と言った。彼女と過ごすだけで私はすごく楽しいという究極のLOVEである。

 

例えば、それを腕切り尻(軽)ガールとかに言えるかと言えば、「愚かすぎる!助けてくれ!明日は明るいのに自ら不幸に飛び込むな!改善するかさもなくば私の前から消え去れ!!」と罵倒をして、たぶんパレードも一緒に見ずに走り去り、ディズニーランドの白雪姫の泉で虚空を見つめて、「ちょっと悪いことをしちゃったかな」と思って、ターキーレッグとかを買っていってあげるだろう。うん、ずっと座ってても楽しい人とディズニーランドに行こう。やっぱり、ナチュラルに自分の価値が低い人といるとこちらが傷つくんだよな。

 

別に本人がいいなら性に奔放でもいいんだけど、男の人と2人で飲んだら、必ず帰り際に手を握って、寝るとこまで持ち込まないと帰って来れない人ってやっぱり、何か自分の価値がすごく低くて、友達としても一緒にいるだけで疲れる。崇高さのレートが釣り合わない。彼女の世界での彼女と過ごす時間の方が鬼低いと、こちらのレートが強制的に下げられて、おかしなことになる。奪われてる感じがする。だから、逃げなきゃダメなのだ。

 

だって私の好きな友達みんな、「自称かわいいアメショー」「自称お金持ちのペルシャ猫」「自称大きいプードル」「自称王」とか名乗るんだよ。耐えられないよ。私は私の魂の値段は自分で決めるんだ、大好きな人たちと、プリンセス同士で、キング同士で過ごさなきゃいけないんだ。

 

めっちゃ疲れるんだよな。奪われてるんだよ。自分の崇高さを保つって戦いだから、引きずり下ろそうとする人から逃げなきゃいけない。追っかけてくるならもう、逃げ続けるしかない。

 

話が逸れまくってるけど、本当に、カウンター越しの付き合いならうまく行ったのに一歩出ると失敗することがあって、それは色恋沙汰を吹っ掛けられたとかそういうのとも違う、根源的な自分を大事にする気持ちの差異によって事故が巻き起こっている。

 

同世代くらいのお兄さん(学歴鬼高・おしゃれ)と知人がやっているバーに行った時も急に「こんなゴールデンウィークの真ん中に時間とって来てくれるなんて、どうせ恋人とかもいてお忙しいんでしょうなぁ」みたいなイヤミから始まって、私は「私がどういう交際をしていようが今日!今!ここに!あなたと同じ時間を過ごしていることを大事にしましょう。」と言ったけど、なんかいじけてた。「自分はモテない、いいと思った人には恋人がいる。」とか話し始めたから、「西野カナみたいなことを言うのを今すぐにやめなさい!」と言ったけど無駄だった。堂々としてれば人から好かれることだってある。先方は

「いや、自分のことを好いてくれてる人もいたけど、そう言う人に一応…プレゼントとか、記念日とかもやったけど…なんか…結局全然好みじゃなくて…。」

 

と言っていた。私は胸が痛かった。私だって、私だって好きだった相手に「一応〇〇はしてあげたけど」とか言われたら苦しすぎる。この人はそういう人なのだ。自分の価値が低いから、自分に好きって言ってくれた人にもそういう扱いをする。

 

「あなたは私のことをちょっといいものだと思ってるかもしれないけど、私だって、誰かに一応って言われる立ち位置の時ももちろんあって、そういうことを言われると、自分が言われたみたいに悲しい。自分を好きって言ってくれた人にそんなこと言ってると一生変わらないよ。もちろん、いいものの時もあるし、そちらの立場に行く時もある。みんなそうやって両方の立場に行く時があるのに、なんでそんな言い方を…。」

 

と言ってしまった。向こうは「ごめんなさい、そんな…」みたいなことを言っていたけど、多分相手の謝罪の確信は、私がそんなにいいものでもないという立ち位置を自分から吐露させたことへの慰めにあったんだと思うから、そこはズレている。私は私を光だと思っている。結局私はその、他者との個別の関係性においてその人がいいものかいいものじゃないかが変化しうる話をしていて。私は全体の中でどういう立ち位置かを言ったわけではない。一つ一つの自分に向けられた感情に自分が誰かに向ける感情と同じくらいの誠意を持って対応できるかという話をしていて、そういう誰かの勇気に「一応」っていう人が私は許せないんだけどなあ。

 

悲しくなってきた。不服すぎる。愛に誠実じゃない人間話しかけてくんなカス。まあ、彼は、頭がいいから、「お金を払っている以上関係性がフェアなわけがない」と言ってきたことがあり、無邪気な私は、気がつかないふりをしていたけど、それはやっぱり真実だ、と思う。

 

自分が卑屈なことで誰かに迷惑かけたくないんだよね。なんでそんなことがわからないんだろう。

 

 卑屈にならずに「今日は来てくれてありがとう!一緒の時間を過ごせて、とっても嬉しい!」って言っておけば男女問わず嫌な思いする人いなくないか?別に結果がどうこうとかじゃなくて、老若男女に愛されると思う。そう思うから私はそうする。本当に繰り返しになるけど、もう自分の卑屈さで他人に迷惑をかけたくないんだよ。それは覚悟なんだよ。愛だし。全部まとめてまっすぐ行くしかないでしょう。誰かが埋めてくれると、思わないでくれ。

 

自分で自分を一級品にするしかないんだよ。自分を満足させるものを見つけるしかないのだ。なんでそんなこともわからないのだ。私より何年もいきて、私より今のところ稼いでて、私より自立してるのに。悲しくて悔しくて心だけが救ってほしいとみんな思ってる。私だってそう。みんなそう。だからそんな中で、口を結んで胸を張って、ほんの少し、触れ合っただけでそれが満ちるような光になりたい。そういう光を少しずつ、ほんの一瞬接した誰かに分けられるようになりたい。暖かく、眩くなりたい。

 

感熱紙に焼きついた写真の私は唯一で、私はその瞬間無二で特別になる。

 

私を撮ってくれた彼女も彼女で戦っている。

今日はこれから、最近ラジオを聴きまくっている詩人がイベントで話をするというので、お出かけしてきて、レモネードを飲みながら、待っている。著作のあとがきでそれぞれの個人に向けて誠意を尽くした言葉を書いてて、本当によかったんだよな。

 

勝負をしている人と一緒にいよう。私の心がとられてしまう前に。

 

なんの淀みもなくだいすきといってみたい。だいすきといえないもののことを考えずにだいすきといってみたい。だいすきなものでいっぱいになって、気がつけばだいすきじゃなかったはずのひとやものも、だんだん楽しくなってくればいいな。

 

愛しか見ないことにしよう、後ろ姿しか見せないでいる。さようなら。

 

すぎたあと のこるひかりを  つかまえて わたしとおくに いかなくちゃだ

 

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結局のところ

この前、久々に昔働いてた馬場のお店に行ったけど、ここに来てくれた人は今も来てくれるし、結果仲良くなる人間とか自分のいる場所に会いに来てくれる人たちって変わんないんじゃないかと思った。ありがとう。

 

そんなにね、人は変わらないんじゃないかと思うんだよ。私はサンローランと手塚治虫が好きだし。料理は和食の方が好き。エッセイが好き。勉強はちょっと得意で、でも完璧ではない。縫い物や料理が好き。1人で過ごすのが好き。でも、パーティみたいにいろんな人が来るのも好き。福砂屋のカステラが好き。六花亭のホワイトチョコがけいちごが好き。青い鳥文庫好きだったなー。凝ったラーメンより、福しんのラーメンがいちばん好き。温泉も好き!

 

ピアノはあんまり上手くない。音楽は好きだと思う、たぶん。激しいのはあんまり好きじゃない。散歩好き。走るのは好きじゃない。絵を描くのは好きかも。上手いと思う。結構、人を描くのが、いい感じな気がしてる。子どもの時は自分の絵が下手だと思ってたけど、パトスが希少性を浴び始めて、パトスの方が精巧さよりもちょっと「いいね」と言ってもらえる度合いが増えるし、自分でも思う。似顔絵とか物真似とか、口癖とか、人の思い出とかめちゃめちゃ焼きつくんだよな。

 

縫い物をするときも、本を読んでそれに合わせてやるより、そこにある材料からどうやってつくろうかな?って考えるのが好き。

 

恋が好き!人間に対する異常執着以外に生きるモチベーションがない!こわい!支配欲?ドラマ『やまとなでしこ』の脚本家の中園ミホが、好きだった脚本家にストーカーして怒られて、その人の脚本を国立国会図書館で写経してたら気がついたら脚本家になれてた話が好きすぎる。定期的に思い出す、人間の念と狂気。

 

テレビ好き!ドラマ見るの楽しい。

 

食卓が好き!桶にちらし寿司があると嬉しい。

 

分厚いガラスの容器に、丸い用器なら杏仁豆腐を。四角い容器ならティラミスを入れたい。

 

耐熱容器ならラザニアです♪

 

天ぷらが好き!舞茸とか青葉とか、山菜とか表面積が多いものが揚がるとうれしい。

 

そういうわけでdanchuが好き。雑誌、好きだなー。つくるかー。

 

漫画は昔のが好き、『キャンディ・キャンディ』とか、『はいからさんが通る』とか、手塚治虫とか。

 

服は結局ラインが綺麗なものや型紙がきちんとしたものが好き。

 

あと、百貨店が好き。歴史のあるデパートが好き。歴史のあるホテルが好き。

 

ディズニーランドが好き。シーはそんなに好きじゃない。ランドが好き。ランドの中だとワールドバザールが好き。シーだったら、マーメイドラグーンが好き。屋内が好き。キャラメルポップコーンをバケツで買った後、塩味のポップコーンを入れて振るとちょっとキャラメル味になって、楽しい。

 

香水はジョーマローンより、ゲランの方がときめく。デパコスなら、threeよりイブサンローラン。

 

果物はザクロが好き!あと柿と梨。

 

サザンもユーミンもすきー!

湘南に行くと元気が出る!人間の記憶があるので!

 

好きな車は子どもの時に乗ってた赤いROVER。この前、昔の車に乗ってる友達の彼氏が、将来買い戻して乗れば?と言ってくれて、なるほどそういう選択もあるのか、と思い始めて免許が欲しくなった。

 

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幸せになりたい。

記憶と固有性の他に自分を幸せにする術があるのだろうか。