美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

私的な領域しか信じてない

どうしても社会に開かれたくない。

社会のことを信じていない。

社会のことを信じられないから、個人の関係性しか信じていない。

 

結局人の頭がおかしくなって、家で奇声をあげて飛び降りても、社会は助けてくれない。

ていうか母親がおかしくなった要因のひとつに、弟が不登校だったことがあるんだと思うんだけど、結局、社会というか学校みたいなのの枠に入れなかった人間が家に押し込められてて、中で腐って煮詰まっていくのを、どうしようもできない。もう毎日毎日この話するの嫌になったな。これが終わったら早く夢の世界にトびたい。

 

恋愛も信じていない。人が甘くて格好のいい部分だけで生きていけないことを知っているから。ダサくて情けなくてしょうもなくて、弱っていって、生活、というところにしか興味がない。身近な人間はあっという間に奇声を上げるかもしれないし、元の形状を止めるかなんて誰にもわからないのだから。結局は愛着なんじゃないかなと思う。同じ時間を過ごしたり、自分の記憶において特別という、ただそれだけ。安心毛布とか、ボロボロのぬいぐるみとか。そういうもの、あと、自分がこれは特別だ、と決めた石とかね。その人間関係の間の中だけにある語彙とか。そういうのしか救わないと思う。

 

結婚式の翌日に、事故って全身が動かなくなるかもだし、めっちゃ顔が好みの人の顔が老けるかもだし、事故って形が変わるかもだし、頭のいいところが好きだったとしても、脳の機能だってなんかしらおかしくなる時があるし、言葉選びが好きだった人でも、言語障害になるかもだし、運動神経抜群の人とか、スポーツ選手を好きになっても、故障でそれが変わるかもしれない。

 

私にとっての愛って、その、元あった形が変わっていく中で、それでもどこまで、まだyesと言い続けられるか、みたいなところにあって、そういう泥臭さにしか興味がない。職業だって、いつクビになったり、その仕事がなくなったり、できなくなるかわからんからな。

 

なんか、ロマンチックさ、みたいなものはなくて、人間の最終形態が、奇声をあげて、壁ぶつかり、様子がおかしすぎて、家族一同ドン引きで見て見ぬふりをしてしまい、というかどうしたらいいのかもわからず、本人は深夜にタクシーで知らんマンションに行き飛び降りてENDなんですよね。

 

なんか、それって全然、イルミネーションとか、ロブションの話とかの向こう側にあって、キモすぎる人体のリアルみたいな方が自分にとってはすごく切実な感じがする。ただでさえ関係を続けるのって難しいのに、その人のその人らしい部分がどこまで失われても、私は正気でいられるんだろうというのをよく考えている。逃げないためにどうしたらいいんだろうかと思ったりする。なんか、私にとって愛って、それくらい切実なものだ。

 

結婚式もつまんないし、嘘くさいなと思うことが多い。あんなの家族がきちんと揃っている人たちが、(これを言うと私の負け惜しみみたいに聞こえるけど、もっと広義の意味ね)うちにはなんの問題もないですって両家が証明するための儀式みたいであんまり優しくないな、とおもう。なんかやっぱ、外に向けられたもの全部嘘って思っちゃうんだよな。

 

子どもをアメリカンスクールに入れるだの、どこをお受験させるだの言っても、なんか結局、障害とかあったらそれどころではないので、生まれてきた命総祝福以外ないんだよな。

 

なんか、個人と個人の間だから、すべては、と思う。人間関係を維持できる数には限りがある。だから私は私にとって切実な中で生きていく。なんかなー。自分が大事だと思う人たちを大事にしていくだけだなー。生活、愛。

 

あと願いが叶うという考え方じゃなくて、叶っているものは、願っていたことなんだろうな、という感じだ。昔私は精神的に一度死んでいて、それからあとはボーナスタイムなのだった。

 

なんの執着もないんだった。今になって思い出した。気楽にいく。

 

 

美人ブログしかない

もう美人ブログだけでいいやと思った。

私はこのブログを更新するとinstagramのストーリーの親しい友達の欄に投稿していた。

 

この前大学の頃の同級生に、「まだ私が親しい友達欄に入っているのならあなたのブログを読んでるけど。」と、言われたけど、やはり書く内容によっては人を傷つけたりするからどんどん読む人を選ぶようになっていく。

 

私は強烈なまでのこだわりがあるから、何が好きで何が嫌いなのかがめちゃくちゃある。私は私の感性を変えることはできず、感性というのは非常に元も子もない。元も子もないから誰も悪くないのかな。

 

会話のテンポとかでこの人とこの人は今噛み合ってるけどこの人は明確に置いて行かれているとか、この人は世界観が違うとかめちゃくちゃ思う。ルッキズムとかには敏感なのに、私のコミュニティの友達と私の別のコミュニティの友達が会った時にグルーヴが起きるかどうかが気になってしまう。

 

グループラインの進み方とかでもめっちゃあるからなーグルーヴ。グルーヴとセンスってなんか、努力問題じゃない気がするんだよな。合わないってだけなんだよな。

 

合わないことそのものを気にするのが違うのかもな。多分私は同質性の高いコミュニティ以外に関心がないんだと思う。関わる気もさらさらないんだと思う。海外旅行とか嫌いだしなー。相当縁の深い友達と行くと楽しいかも。多分関係性にしか興味ないんだよなぁ。

 

強烈に自分の大事なものを抱きしめないと、私が私でなくなってしまう、そこからの距離感でしか、人は人を愛せないんじゃないかと思う。

 

人伝に、かつその人のプライベイトの文脈で聞いた話だから本当かどうかわからないので、伏せるが、ある有名な画家の人が「絵も、多くの人に見られると痩せる」という話をしていたらしい。ご開帳とか秘仏とかいう言葉があるが、本当に多くの人の目に触れるというのは、それだけ物語に巻き込まれるから大変なんだろうなと思う。

 

セレブが着飾ったり、アイドルがすごく派手な衣装を着るのは、エナジーの防具なんだろうなと思う。川上未映子とか、たまに表に出てくるからハイパー美人なんだって。

 

あと、浸透圧が変わんないところでは、外に流れ出すものがないから、内輪だとそのままでいられるんだけど、なんか、流れてんなー、取られてるなーってときがある。

 

わたし、限られた場所でしか生きてけないんだと思う。それを、好き嫌いが激しいとか、選民思想とか、差別的とか言うなら言えばいいじゃん!!極上しかないし、極めて好きしかないんだよ。それは必ずしも高級品だとか、そういう話でもなくて、なんか好き嫌いはっきりしてるから、めっちゃそれを誤魔化すように生きてるんですよ。欲望って下品だから。

 

美人さんって人の欲望が嫌いですよねって言われたけど、本当はめっちゃ強くて、それを隠してるからだと思う。私はお前が嫌い!!笑笑 お前を嫌いな自分はダサいから、嫌いじゃないふりをすると言うだけで。

 

でもそれもそれで傲慢だからあんまり逆らわなくていいんだろうな。欲に純粋にいきます!!

 

第8室

掃除してないエアコンから、水滴が落ちてきて、涙かと思った。

 

寝起きでホゲホゲしてたけど、結局、カビと埃の水滴なので、頬を拭って顔を洗う。

 

エアコンを、ガバッと開けて、フィルターをジャッと外して、シャワーでシャワワーと流して、フィルターをまたジャッと付け直したら、エアコンが張り切り出して2倍くらい効くようになった。そんなポテンシャルを秘めていたんだね。

 

なんで数分で終わることが、ずっと出来なかったんだろう。こんなことばっか。生活のことをしていると、世界から置いてかれる気がして私は怖い。

 

自分のことを大事にするということがよくわからなくなっていたので、ローソンで無印良品の不揃いバウムをいっぱい買って食べた。いろんな種類を買って、一度に3種類ぱくついたりした。発酵バターとはちみつと宇治抹茶と1口ずつ食べて残してまたあとで食べちゃったりします。

 

ローソンの冷凍のカヌレが美味しいから、それも何度も買ったりして、謎の贅沢をしている。

 

ちかごろ元気がなくてスーパーに行く気力がないから最寄りのコンビニばっか行ってて、コンビニで割高の梨を買うという暴挙に出た。あとで冷やして剥く。

 

幼い頃の私が、

 

「男の人ってなんでみんな梨が好きなんだろうねぇ」

 

と言いながら梨をぱくついたらしい。かなり気に入っているエピソードだ。記憶にあるし。

 

おませ女児としてのポテンシャルが高い。なんでそう思ったんだろう。

 

 

はぁ、戸川純三宅裕司が、アポジー&ポリジーという別名義で歌っている『真空キッス』という曲を聞いている。

 

ニッカのウイスキーのCMのキャラクターのロボットをコンセプトに、松本隆が作詞で、細野晴臣が作曲をしている。

 

私の思う、ジャッジのない、異空間のパーティーってこんな感じだなぁ。本当にかわいい。B面の曲。(3:53からどうぞ)

 

 

回転木馬のオルゴール

赤青緑のイリュミネーション

あなたピエロの真似しながら

鏡の迷路へと手招きしてる

雲間にそびえる観覧車

下を見ちゃだめよ 目がまわる

黄昏色の遊園地に

無数の風船が舞い上るのよ

真空キッス きつく抱かれると

真空キッス チッ息しそうよ

受動的な私性格ネ

自動的に瞳 閉じてるの

 

この前カラオケでYUKIの『cosmic box』歌ってたら、間奏のところで友達が、「あー、これ美人ちゃん好きなのわかるなぁ、間奏のところ、思春期のぎゅーって切ない感じ思い出すなぁ」と言っていた。

 

COSMIC BOX-LIVE-

COSMIC BOX-LIVE-

 

月で生まれた人は 地球には戻れない

母の故郷の惑星に降る雪に頬うずめるのは難しい

見た事の無い海に 憧れてため息

巨大なモニター 同じ顔した 青い魚達が跳ねる

歌い出しがなんか本当に好き。

 

びっくりした。私は一生この感情を引きずると思ってたから。生まれてからずっとこんな気持ちだ。慢性的にどこかに帰りたくて、切ない気持ちがある。

 

昔の子供向けアニメのEDで、夕暮れ時が描かれる時の憧憬を生きている。物心ついて初めて買ってもらったCD、ポケモンの『ぼくのベストフレンドへ』だった。夕方の歌なので…。私は基本的に夕方を生きている。すごく好きだった。

 

あと、『おジャ魔女どれみ』の1期のEDの『きっと明日は』が、大好き。夕暮れ時にシャボン玉がたくさん出てきて、友達と仲直りする映像なんだけど。どれみちゃんたちのイノセントな表情が良くて。可愛いなぁと思って、よく見る。

 

帰り道ひとりきり

はなうたを うたえば

素直な気持ちになる

ちょっぴり泣きたくなる

 

この感じを27年繰り返し続けている。

 

おそらくそれは、ざっくりエモい、と言われるもの。感傷的な気持ち。私はエモい感覚が多分好きだったんだけど、エモいは切なすぎるから、切り離した。

 

寂しすぎて、旅行が苦手で、もう戻らない場所が増えるのが苦手で、夜が来るのも、死ぬのも、苦しい。インターネットに出会う前の私は、毎晩眠るためにベッドの周りをぬいぐるみで固めて、ファミリーを形成していた。こうでもしないと、もう全てが怖かった。

 

わけもなく泣くため、育てづらい子だと言われていた。私からすればどうして平静でこの人たちは生きていけるのだろうと、思っていた。テレビのニュースの、事件に、いちいち悲しくなり、不完全な世界に生きていることに驚いていた。いちいち傷付かずにいられるようになったら大人になれるんだろうか。

 

私のメールアドレスには5歳の時に買っていた魚のベタの名前が遺っている。

 

エモという言葉が流行し始めた時に、大学の友達に「エモって何!?!?」と聞き続けていた。

 

私の知らない話をみんながし始めて、びっくりした。「エモいわー」とか、口々に言うようになったから、それが指し示す状態がなんなのかを知りたかった。

 

しばらくして、それが私が生きるために切り離した類いのそれだ、ということに気がついた。「あー、やってましたやってました。」と思ったんだけど、もし、その心当たりあるものを「エモ」と呼ぶなら、これみよがしに、みんなが口にしてたエモってなんだったんだろうなと思う。

 

でも、私はいまだにフィルムカメラの写真の写りのことをエモいとは思ってないんだよな。

 

エモと人が言い始めた2016年ごろ、当時、流行ってたパスピエの『デ・ジャヴ』を聞いた時に急にわかって、「エモって、これ!?!」と思って、慌てて、「これですか!?!」と人に聞いてしまった。

 

明確に「エモかも!」と思ったタイミングを覚えてて、サビが始まる瞬間に、ぶわあああって、子どものころからずーっと同じだった駅まで行く道が全然違って見えた。人によってエモの感覚違うんだけど、私はやっぱ「帰りたい」という気持ちがめちゃくちゃ強くて、そのことをエモいと表現することが多いかもなぁ。安心したいのかなぁ。

 

 

金色の街へ 行ったあなたは戻らない

知っていました でもまだ

わたしここにいます

 

いやぁ、私だなぁ。いつもこういう気持ちで生きている。残りたい、もあるんだよね、留まりたい、みたいな感情。待つ人でありたいという気持ちも痛切にあって、いつも同じ場所にいてしまう。

 

 

あと、2020年に旅行先で、友達に「私の好きなロン毛を見てくれ」と言われて、志磨遼平を初めて友達に見せられた時、私は「志磨遼平 is water…」と呟き卒倒した。

 

私は最初「あなたたちほどロン毛好きじゃないからなぁ、多分好きにならないよー。」って言いながら、深夜3時くらいに見せられたんだけど、釘付けになってた。

 

当時、コロナの流行し始めだったので「マスクをしていなかったので、志磨遼平と濃厚接触をしてしまった…」という気持ちの悪い言葉を遺して、床に伸びていた。助け起こされ、「志磨遼平 is water」の発言を褒め称えられ、私は、しどろもどろ説明する。

 

「あの、ヘレンケラーがさ、コップから溢れた水で『water…』って知るじゃん。あれ、今あの気持ち。」

 

と言ったら友達が笑っていた。多分、"ある"のに、感じてなかったものが溢れて初めて感じられてしまってどうしたらいいかわからなかなったんだと思う。

 

あと、感情とか、エモって、やっぱ水なんだよなー。「エモって水だと思う!」って仲良しの子が言ってて、エモ、水説は、2016年くらいから私たちの中で、結構メジャーな話になっている。私の友人たちは水が好きなので、いつも水をガブガブ飲み、お風呂に入っては「人間は水につけないといけないねぇ」とLINEをしてくるし、噴水を見たり、湖面だけを見て帰ってきたりする。

 

この前、ハリポタのスタジオツアー行った時、「憂いの篩」を見た。いろんな記憶をいつも頭の中に入れておくわけにはいかないから、人はこの中に流して、必要な時だけ取り出して、見るのだそうだ。再現されていたは、映像が映るモニターの上に水が張ってあって、スモークが焚かれていて、白い煙と、水面と過去の記憶だけが映し出される装置。とてつもなく魅力的だった。私は、一生こういうものに張り付いててもいいなと思っていた。私は「憂いの篩」に磔になりたい。てかインターネットなんて広義の「憂いの篩」でしょ…。

 

もんにゃりした思い出と、昔のことと、お別れまでの寂しさみたいなもので、私はできているなぁ。世界の時間の流れと全然違うところに自分がいて、ずっともんにゃりさみしい。もんにゃりもんにゃり。なんかずっと「遺」とか「冥」みたいな感じのところにいる感じがするんだよな、子どもの頃から。

 

そこから抜け出せない、抜け出せないでいる。てかずっとここにいたらいいのかもなぁ。たぶん私が捲し立てるように話すのと声が大きいのは、同じくらい加害してないと、負けてしまうからなのかもしれない。安心できる人の前では、囁くように話しても大丈夫なのかもしれないなぁ。

 

サシの会話が好きだ、グループよりも、サシが好き。個人のチャットはその人と自分だけの部屋だから好き。LINEもDMもサシの部屋が並んでいると思うと楽しい。

 

スナックに立ってる時間より、閉店後に、一緒に立ってくれた友達や、仲良しのお友達が1人だけ残ってくれて、店のソファで話す時間が好き。みんな優しくて、柔らかくて素敵なところを見せてくれるから。もうそういうものしか見たくないんだよなぁ。ずっとサシで話してたい、と思う。 サシで話したいという性欲が強い人なんだろうな。すぐ性欲の話をする。

 

私星占いで第8室という部屋に金星(ラブの星)と火星(暴力の星)があって、めちゃくちゃ変なんだよな。

第8室は、遺伝/継承/死/性/深い情動/深い関係性/婚姻/隠されたもの/共有/融合

 

みたいなテーマがあり、私は星占いというのはその当たる当たらないというより、世界に存在する事象の切り取り方として好き。この第8室っぽさが、自分の根源にあるんだよなと思う。これで人に迷惑をかけ、人を閉じ込め、人と揉め、人を癒してきた。めちゃくちゃ性に潔癖なのに、性に極振りみたいな人たちの書くものとか好きなんだよなぁ。

 

最近読んだブログで、「潔癖もビッチも同じで身体を代償に愛されたい」という話をしていて、「わ!そうだ!」と思った。身体を人質に取るのが潔癖で、身体を人質にさせるのがビッチだ。

 

性愛の話だけじゃなくてさ、みんな、身体を代償に愛されたいから、愛が足りなくなると体調を崩したりするのかなぁと思う。そのブログを読んでから、身体について考えることが多い。

 

自殺は、身体を代償に愛されたいの、極地だと思うし、引きこもりだって自分の身体を人質にとってるんだよなー。と、我が母と弟のことを考えながら思う。

 

なんか、身体を大事にする方向に、人生の舵を切って行った方がいい気がしている。1個分の命の価値を上げてった方がいい。

 

この前男友達が、今までずっとネイルやってみたかったネイルをして、ずっと着たかった服を着て、見せに来てくれたけど、清々しい気持ちになったもんなー。

 

垂れ流しで話してるなー。なんか、生活というか、ライフというか、身体性というか愛というか。そういうのの中にいたいなー、と思いながら、明日こそは散らかった部屋を片付けようと思うのでした。

 

 

 

1/3、死守!

f:id:toyopuri:20240722211836j:image

 

ザクロジュースがすきだ。この数日は、ずっと家の近辺にいる。コンビニ行って毎日同じジュースを買っている。機能性で考えれば1日分の野菜とかを買えばいいんだけど、内面の物語を優先させたっていいじゃないかと思った。

 

果汁、35%しか入ってなくて、最初がっかりしたけど、ペルセポネーの冥界堕ち神話で、ハデスから差し出された12粒のうち4粒だけ食べた割合と近いのでこれでいいかー。と思った。

 

乙女座生まれの私は、よく、ペルセポネー神話の話をしている。日常的に神話の話をよくする。そして友達がよく聞いてくれる。ありがとう。冥界と地上を少しずつ、行き来できたらどんなにいいだろうかと思う。地割れが起きて冥界に堕ちたい。冥界にあるものを地上に持ってきたい、その境目を、行き来するための秘技を見つけたい。

 

私は冥界ではいつもロジカルすぎる方で、地上ではいつも少し情緒的すぎる。なんか、どちらでも困った顔をしている。「もし、終わらない箱庭があれば」と私が願っていることをみんなは知ってたでしょう。そして、他も私の駄々っ子のような態度が、癪に触ったでしょう。時間の流れに抗うように、何かを無視するように、人生のステップと真逆の方向に突入していく私をみていたでしょう。

 

"私は私のままでいたい"と、何か意地になって、過度に私的な格好で飲み会に来る、私の意図をいつだってわかっていたでしょう。

 

そうして、行先が、気が触れた人になっちゃったらどうしようかと思った。ねぇ、だって、なんで、もっと、なんもいらないから、そんな贅沢言わないから、あとちょっと死ぬまでの間だけ、と思ってたんだよ。食卓を囲みたかった。

 

f:id:toyopuri:20240722215116j:image

 

 

本当にこの頃(2021年)、「このまま何も残らずにあなたと分かち合うだけ」と思ってたけど、なんか、残らないどころか大事なものが、大事な人の傷が増えていくたびに、傷つく自由のことと、痛む私の感情ことを考えている。

 

私はやっぱり外に出られないタチのようで、ここに残るしかないようだった。他者を自分の胎内に閉じ込めて、腐らせてしまうような母性にならないためにはどうしたらいいのかを考えながら、それでもやはり、美人ちゃんは美人ちゃんでいられる場所にいなきゃ行けないのだと思うのだ。

 

私が切実なことを言ってくれるまで待ってくれる人たち。「何か感情を持った後、慌てて言葉にしたらダメ、それはそれになっちゃうから。」と私に諭した友達、元気ですか?心の中の"ほんとう"をいえる友達の前でだけ美人ちゃんは美人ちゃんでいられるからなぁ。

 

猫物語(白)』をうちで一緒に見て、2人でなんも言わずに泣いたね〜。 

 

あーあ!思ってる"ほんとう"を引き出してくれた人たちが見つけてくれた私が、ずっと"美人ちゃん"でいられないと、もう嫌なんだよ。

 

それって、あなたの性欲ですよね?

数日前、私の友人の中で、最も強迫的で、ガリ勉で、内向の世界に生きている女の子に連絡をして、長電話をした。綺麗なものが見つからなくて寂しかったから。「以前お会いした時に夜神月の話をされていましたよね?」と言われた。

 

「美人さんが夜神月好きなのって、男性ジェンダーに振り切れてて、脆さが透けて見えるところ、そこで女性的な弱さが見えるのが性的だからですよね?」

 

と言われて、絶叫してしまった。ダメすぎるから。本当すぎて、にっちもさっちもいかない。

 

「あ゛!あ゛!あ゛!!あ゛!」

 

 

言い当てられて気持ちよくなりたくて通話して、言い当てられて気持ちよくなってしまった。自分のいちばん恥部のところを照らされて、恥ずかしくなりたい。でもどうやら、その暴き合いができるのは、自分もそっち側に生きると決めた人同士でないといけないらしい。もっと言ってほしい。

 

「美人さん、過労死しそうな人のこと、好きでしょう?」

 

と言われて、ンンンンンン!!!!ってなっちゃった。あれって、私があえてそういう人を選んでいたのか。はい、好きなんだよね…。

 

追い討ちは、「ケアで籠絡させたい、みたいなところあるでしょ。」

である。

 

フィニッシュ♡

 

自分のケアが一番映える場所を探してるんであって、それって性欲なのかもしれないっすね。と話していた。「まあまぁ、そういう自己もある、くらいにね。」と言われたけど。だから、中途半端なものをケアしようとすると、「全然大したことないじゃん!」と言ってキレてしまう。多分根源がフェチと性欲からきてる可能性があるから、選り好みしているんだろうな。

 

 

「美人さんがケアをやりたい場所には、"美人さんより男性ジェンダー度合いが低い人お断り"って張り紙しとけばどうですか?」

 

と言われて笑ってしまった。ケアする気ないだろ。そうかもしれないな。切羽詰まったものの耐えにしか興味がないんだよなー。自分が限界までやって、その時にフッと助かるものがあって、その裏返し。

 

でも、他人の姿をかりた、自慰行為であり、結果本質的なマチズモの中でしか生きられず、そういうものしか愛せない。 

 

という理由で、互いに互いの精神的恥部を触り合ってぐじゅぐじゅになっていた。

 

その子に、「私は殉教者を目指してる」と言われて好きになっちゃった。私は孤独が怖いから、暗室の中で孤高の真理に向かう人にはなれない、2番手でないと、人の背中を追えないから。

 

電話口の彼女は「高校の時に先生に"あなたは山月記の李徴すぎる"と言われた」と、話していて、私のテンションが上がってしまった。本人は「悪口すぎませんか!?!?」と言ってたが、「いやー、こんな人に会うために、私も頑張ったんだと思います。」とか返してしまった。

 

別の友達にその話をしたら、「それを悪口だと思わないのは袁傪側」と言われた。確かに、そうだな、と思う。でも、私は高校生の時李徴側と思っていて、多分私のことを李徴っぽいと、言う他者もいると思うし、ざっくり人口分布で言うと、李徴側の部類に入ると思う。

 

ただ、本当の頂点を目指す魂を覗いた時、理性の化け物よりかは、私はほんの少しだけ、柔らかいんだと思う。そのほんの少しの柔らかさが映える場所がある。そういうところを探してるんだろうな、と思う。だから、そのささやかな差に、愛が溢れるんだと思う。向こうから流れ込んでくるのか、私が流れ込んでいくのかわかんないけど、陰陽のマークみたいな感じの。不思議な渾然一体とした時間が訪れる。私は多分それが好き。だから、同じだけのつらさをちょっと見たい、強い人専門の、慈愛を担当したいと言う、特殊性癖チームなんだろうなと思う。まあ別の相手にとっては私が逆の立場にもなるんだけど。同じ相手にとっても場面によって受け容れ側が変わるし。なんかBLの話してる?

 

結局、私も私の首を絞めて、自分の恥部の面倒を誰かに見てほしいと思ったりする。折れるってキモチイイから。当面、ひりつくような自分をやっていくしかないな。こういう感じでしか生きられない。

 

電話口で、

「大学院出てから外側に綺麗なもの探しに行ったんだけど、全然なくておかしくなっちゃいそうなの。」

 

と、私が言ったら、

 

「それ、、、、たぶん、、、外にない、、、。多分、本の中とかに、、、ある、、、、。」

 

と言われて、

 

「そっかーーーーーー!!!」と返した。

 

どおりで!

 

オタクと文学部以外に友達がいなかったから気が付かなかった。なんでフィクションで露悪的だとされてるダサい行為をわざわざ現実でやる人がいるのか!と思って、慌てて卒倒して、人間の魂を糾弾し続けてました。

 

私は、内面が充実した人たちの心の中の砦を、盾にして、その輪の中で自分の内面を掘り下げることをせずに、手抜きをして、寄りかかって、生きてたから知らなかったんですよ。

 

でも、「ないよ」って言い切ってくれる人はいなかった。言い切るって、覚悟なんだよな笑。んでもって、でも、外側にあるんじゃないかと思える私の色味も相対的に別の魅力が出るからな。全ては鏡合わせ。

 

電話口の声が「外界に怯えてる人って、セクシーですよね!」と言ってて、ウケた。私は「ダメだよ!」と言った。本当だから。

 

内向の城の外に、きれいなものはどこにもなくて、薄々そんな気がしてて、この世にはきれいなものは、もう見つからないかと思って絶望してた。そしたら、突然、現世のダイソー店員に、「そこになければないです」と責任を持って言われて笑ってしまった。現世管理部?

 

ああ、美しさって、人の心の中にしかないんだ!じゃあ、逆に言えば、私が今まで感じてきた美しさは、私が私の心の中で見つけものなのか!と思った。

 

私はすぐに、「じゃあもう、探しにいきません!」と言った。即決!自分でサンクチュアリを紡ぐしかないんだな。心を磨こう。

 

彼女は「それがいいと思うし、私は外側の時間がどれだけ流れても、ずっとこの時間軸にいますから。」と言っていた。私がいじいじしながら、「また、電話していい?」と言ったら、「こんなになる前に、もっと早く言ってくれればよかったのに。」と言ってくれて、きゅーっとなった。

 

私がケアしたい対象は、超、極限状態にのみ向けられている。それは個人的な性欲すぎる。幅広いものへの慈愛を持ってないことがちゃんとわかってよかった。利己と利他のバランスが崩れるとおかしなことになる。あたしの善人ぶった態度は、あたしの性欲だなぁ。あーあ、神でも仏でも巫女でも、なくてよかった。

 

今朝、

 

「私が虎になって発狂したら、袁傪になって止めてね。」

 

とLINEが来てたので、

 

「おっけー♡よろこんで!♡」

 

と書いた。なんもできなくてもいいよ♡

 

 

ああ 「あきらめた」って言わなくちゃ

 頭の中でノイズが鳴り止まないから 

空っぽが埋まらないこと 全部バレてたらどうしよう

ああ あの子の言うとおり 終わりなんだ

 ああ 幸せになっちまうよ 

ああ 失うのがつらいな 全部無駄になったら 愛した罰を受けるから 

ひどく優しいあなたの 胸で泣けたらどうしよう 最後見たのはそんな夢

わたし ちゅうぶらりん

『きゅうくらりん』 いよわ/iyowa

 

きゅうくらりん

きゅうくらりん

  • いよわ
  • アニメ
  • ¥255

 

まあでも、好きな人が、壊れる前に、消えちゃう前に、間に合え!という気持ちは、いつもちゃんと真剣に持ってるな。現世という、バレーボールのコートの、リベロでありたすぎる。いちばんつよいチームの、いちばん小柄で、胆力のある係がいいな。死ぬ気で球を拾い続けたい。私もまた、母性と、男性ジェンダーがふりきれているのであった。

 

😉💓

 

 

あーーーーー恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!

 

今日もイベントでステージで喋った。(昨晩書いたブログ)一緒にやってる子が、メディアにめっちゃ出てる子なので助けてもらってなんとかなった。

 

あまりにいろんなことがひどく助けてもらった。

 

楽屋で、「今回はこの方法が良かったから次以降もこうしたいね!」と言われて、「ああっ、つ、次もいっしょにやってくれるのぉ!?!」と言って、ビニール傘いじいじしてたら、「美人ちゃんおバカでかわいい〜」と言ってくれた。本当になんか安心した。そうなのだよ、私はおバカでかわいいのだよ。

 

この前、別の友人に、サシャも一応調査兵団だから、美人さんが民間人に立体機動装置をつけた状態で「パァン!」とか言ってお茶目なそぶりをしても、怖がられるよ、という話をしてもらった。

 

おバカでかわいいポジのはずなのに全然違う場所に行ったら違う扱いを受ける。基本的に周りが有能すぎたので相対的に自分ができないポジになり、私が喚くのが定石。人に陰険としたりしないで済むし、おバカでかわいい私の方が自分らしいと感じる。自分のホームグラウンド以外出ていかなくていいのではないかと感じる。

 

終わってからいつも、運営の人と、カウンターで飲むんだけど、「ウワーーーーッ!!耐えられない!自分のことで精一杯!自分のことで精一杯で恥ずかし過ぎる!!!!」と言って喚いた。

 

「もっと、もっと伸び伸びやりたいのに!!次失敗したらどうしようとか!呼ばれなかったらどうしようとか!!!!そういうことでいっぱいいっぱいになって全然外側を見られない!!!むなしすぎる!!!!!!」

 

と言ったら、ウケた。「本当すぎますね」と担当者の人が言っていた。他人の問題に干渉して絶叫するか、自分のことになると自意識でいっぱいいっぱいになるしかない。自分のことでいっぱいいっぱいになるのは辛いけど、どうしようもない。

 

結局自分に合う半径2〜3メートルで生きていくしかないという話もした。必死で必死でにっちもさっちもいかない。自分に対するこだわりを減らすことが大事だと多分多くの芸事で言われているけどマジで無理!怖い!バクバクする!!!!!!!あとブログで本当のことを書く時もバクバクする!相手に自我があると思うこと全てがクラクラする!人が自分と同じだけの意識を持っていてこちらをみてジャッジしてくることが怖い。優しさも情けも慈悲もあって、ドキドキする。世界中にひとりぼっちな気もしてでもそうでもない気がして、外界との間に膜できたり、繋がったりする。ヒリヒリとするような視線の中に生きている時にしか、生きている実感がなく、自分の輪郭を確かめるように私はよく自撮りをする。

 

 

緊張で焦ってどうしようもなくて謙虚になってしまうことをやった方がいい。それは私が言っているbeingとはまた違うのかな。ひりつくような緊張と、自分の輪郭を確かめるような作業は、いつか終わるのであろうか?でも、それがない日々は退屈でもあり、私は死ぬまでそれを続けるのだろうなと思う。ごまかしきれないから。恥ずかしくないものは、いじらしくない、いじらしくないものは、愛おしくないと思う。

 

愛おしさというのは無力さから出るものであり、無力である時ひとは自分のエゴを貫いているんだと思う。少し嘘をついている時、ひとは傲慢になる。これくらい折れているのだからとか、嫌われないようにやっているのだから、と思う。本当にやりたいことをやっている時にだけ訪れる、無力さと嘆願のみが、私を小さくさせるのだと思う。誰かの面倒を見る方が楽で、本当は自分のエゴをやる方が困難なのかもしれない。ドキドキして恥ずかしくてどうしようもないけど前に出たいみたいなことをこれからも繰り返し続けるのだろうと思う。安心したらのびのびできたり、慣れることってないのかも。

 

和田アキ子って、いまだに歌う前緊張するらしい。すごいよ、「アッコにおまかせ」されてるのに、歌う時緊張するんだって!おまかせされてる人でも緊張するんだよ。しかも、歌が一番緊張するんだって。側から見たら、和田アキ子が一番得意なことは歌なのにね。ひとは緊張することをやったほうがいい。

 

終電で帰りながら、大学1年生の時に、服を作って、ステージに登った時のことを思い出した。ずっとこの話をしてしまって恥ずかしい。その年のファッションショーのデザイナーの募集が入学前に終わっていることを知っていたけど、ブースに突撃して、新歓名簿に名前を書いた。留学で1人デザイナーに欠員が出たと連絡が来たのは、その夜の事だった。

 

結局、実現しなかったんだけどトレーナーとTシャツをデザインするというプロジェクトが、当時あって、私は黒いトレーナーと白いトレーナーに宇宙柄のハートマークと、イチゴの写真を載せたものを作ろうとしていた。黒と白のカラーはベーシックで人気だから、他のデザイナーの人と色が被ってしまったら良くないという場合もあった。でも、絶対に、黒と白だった。

 

「お願いします!!!どうしても私はこの色が良くて、それはこのデザインに映えるからだと思っていて、もしかしたら1年生だから譲った方がいいかもとも思うんですけどわがままかもなんですけど、ずっと憧れてた、役割だからから、いいものにしたくて、なるべく!白と!黒がいいです!!」

 

と、理工キャンパスの3年生のお兄さん(担当者)に、懇願していた。ていうか嘆願?いちいち面倒くさくなっちゃうの本当に恥ずかしい。多分、普通のサークルであれば、めっちゃ先輩に当たるポジだから、もう絶対にわがまま言ったら、ダメかと思ったけど、引き下がれず、にっちもさっちもいかず、激重LINEをしてしまった。そんな感じだった。でも、基本的にね、人は自分が携わっているものに真剣な人のことを、あんまり悪く思わないんだよね。

 

予算を増やしてもらえないか、3年生のお姉さんに、頼んでみたり、衣装をLEDで光らせたいと言ってみたり、衣装替えをしてみたいと言ってみたり、こんなことしたら嫌われちゃうかもしれない、でもこんなことしてみたい、みたいな、なんかものすごいひとつひとつがおっかなびっくりで、助けてほしいくらい恥ずかしくて苦しくてどうしようもなかった。息が止まりそう。あの時のことを思い出す。

 

私の衣装で、モデルさんたちが秋の文化祭の時にキャンパスを練り歩くことになってる時に、モデルさんが寒い思いをしたら困ると思って、カイロを届けたりしていた。わからない、モデルさんが主役の催しだから、私がどんな服を作ろうとそんなに大事ではないことはわかるんだけど、足を引っ張りたくない、失敗だけはしたくない。

 

基本的に自分の折りたたみ傘を忘れている私がである!

 

昨日も、出演者の人たちとか、運営の人たちに、お土産を渡したりとかしていて。なんか、そういう自分を思い出した。受け入れられたくて必死で、なのに対して能力も高くなく、でも自分がやりたいことばっかあって、理想像とのギャップに必死で、いつか、ペコペコしないで自信たっぷりに振る舞える日がやってくるんじゃないかと思ったけどそうじゃなくて。そういう日々が一生続くんだろうな。全てが怖い、人間が怖い。

 

文化祭でデザイナーをやってた頃から、地下アイドルの衣装まで、人のスリーサイズが測れない。モデルみたいな綺麗でちょっと怖く見える人の身体に、メジャーを添わせて正確なサイズを測ることができない。デリケート過ぎる。助けてくれ。人と近づくことが怖い。私が結局服飾が続かないのは、スリーサイズを測ることが怖いからだと言っても過言ではない。そのくせその人一人一人のジャストサイズの服をとか言ってパーソナルなオーダーメイドにこだわるのは、良くも悪くも、人に対して過敏だからなんだろうな。全然気にしない人が代わりにサイズ測ってくれたらいいのかもしれない笑笑

 

全然はかれてないのに、ゴニョゴニョ!っとクニャクニャ!と雑に測ってしまう、ダメなのに。多分きっと、恥ずかしい分だけ、それくらい人の身体を測ることが怖い人の方が、いいものが作れるのかも知れない。息と一緒に膨らむお腹が怖い、あがる肩が怖い。ぼんやりとした他者が、正確な数値となって自分の手の中に入るのが怖い。出来上がっても服の丈を調整するたびに、その人の、身体の形が私の手の中に入ってきてこわくなる。肉薄しすぎている。

 

一番素敵な服を着てもらいたい。わたしのエゴで、迷惑をかけたくないと思っている。ステージの途中で、ビスチェが外れたらどうしよう。綺麗に見えるラインってなんだろう。自分のためなのか他人のためなのかもわからない。いつも何かを渡して、自信がなくなって張り裂けそう。自我が割れてしまいそう。どうしたらいいかわからない。いつも必死で、なんでこんなに必死になってしまうのかわからなくて、どうしようもない。そのくせ、ボディラインに沿った服が好きだ。ワンピースの胸の下の切り替え、男性のベストの背中についてるベルトとか本当に官能的だと思う。身体に肉薄したものが好きで、とても格好いいとおもう。人に近づきたい。ひとのかたちがしりたい。こわくてこわくて、そのかたちをつくりたくなる。きれいなものってこわれやすいものだから。

 

また、どうしたらいいかわからない。でももしかしたら一生こんな状態を続けるのかも知れないなと思う。伝わらないかも知れないことを、伝えてみたいという、スベるかスベらないかのギリギリを必死で試してみたい。

ドスベリが怖いんだよな。

 

次のトークはうまくやれるだろうか、いつも準備が中途半端でダメになってしまう。逃げているんだと思う。自分がギリギリの時間だけを生きていると、人に優しくなれるのかも知れない。なるべくほんとうのことだけをやっていよう。

 

デッキへの入場は1度限りです。

f:id:toyopuri:20240710155653j:image

▲ポートタワー展望デッキの前の張り紙。人生かと思った。

 

地元の飲食店の常連さんが死んだ。

 

メガバン(大手銀行の意)出身で、奥さんと別居してて、口を開けば東大に落ちた話と、共通一次の点数の話をしていた。カウンターで虚空に向かって、出張の予定と自分がやる講演会の話をしていた。この人の話聞きたい人がそんなにいるんかなぁ、と思ってたけど、その仕事もそんなにうまくいかなかったみたい。

 

62だったけど、髪の毛は真っ白で、お爺さんだった。ズボンはお腹の上の方まであげてて、姿勢が老け込んでいた。

 

それでも、そのおじいさんは、清潔感とか品の良さは残っていて、あぁ、若い時、格好良かったんだろうな。と思う。

 

お店の1番の常連さんで、定位置が決まっていた。その地元のお店が昔スナックだった時から通っていたそうで、ママさんの息子さんの受験や就活の時も相談に乗っていたという。

 

老け込んだきっかけは、これ、というわけではないけど、出世ルートから外れたのは、たった一枚、出向先で手形の不渡りをだしたことらしい。出向から戻ってきて支店長になったのも束の間、降格されたのだそうだ。

 

そのおじいさんは、ママのことが好きなのにとても不器用だ。ムッとすると機嫌を損ねて変なオーラを出すし。構って欲しい時に不機嫌なことしかできないというのは本当に良くない。箸置きを置き忘れていたら「今日は箸置きないんですか?」と言って並べさせる。チャーミングな常連さんのお兄さんは、サッと置き場所から自分の分以外も並べたりするのに。

 

ものすごく不機嫌なのに、紙の封筒にお金を入れて、ママさんに渡す。ママさんは求めてるわけではないので大体バイトの子にママに渡すようにこっそり渡す。その後すぐ、ママさんのケータイには「こずえちゃん、大好きです❤️❤️❤️」というLINEが入る。わけがわからない。基本的にブー垂れて、金渡して、LINEで甘え倒す。感情労働と、ケアと、コミュニティに関心を抱いていた私としては、そうか、人には、こんなことがあるんだよな、そう。あるんだ。と思った。虚しくて虚して、いたたまれないんだろうな。それでも、こずえちゃんへのラブコール、基本的にこの類のLINEはめちゃ入ってくるらしい。なんなんだ。

 

ここ最近は「らっきょうを剥いている姿が素敵です❤️」と、言われたそうです。笑っちゃった。

 

でも全然チャーミングじゃないの。私が働いていた頃、彼にお釣りを渡したとき、釣り銭が違うと言って、こちらに直させたことがあった。

 

そのおじいさんの隣の席の人が、あなたは銀色の硬貨を〇枚出しました、美人ちゃんがあってます!と言ってきたのに、硬直して笑顔でこちらを見つめて、私に行動を変えるように促した。

 

私が固まっている間に他のバイトの子が適当に釣り銭を直して渡したけど、私結構そのこと根に持っている。相手を屈服させるコミュニケーショしかできない人が嫌いだ。でも、そういう中を生き抜いてきたから、人から大事にされる方法も、する方法も、知らないのかもしれないな。

 

メガバンの出世ルートは厳しいようで、そのルートから逸れたら、もうお払い箱のようだった。天下り先でもあんまりうまくいかずに、週に2〜3日ほど出勤してたようだけど、2ヶ月ほど前にそれも辞めてしまった。というか、やんわり辞めるように言われたのかな。

 

お酒の量はどんどん増えた。どんどん増えて。お店にいる時以外もずーっと飲んでたんじゃないかなぁ。ここ最近は、みるみる痩せてしまって。2週間で10キロ痩せた日もあった。最寄りの駅の出口でうずくまってる人がいると思ったら、その人だったらしい。その後もまあ、ヨタヨタしながら店には来てたんだけどね。

 

近所の人たちがゴルフに誘うと、朝から酒臭いまま車に乗り込んでくる。ママさんは「そんなにお酒飲むならもうゴルフ行かない!」と言ってしまったのだという。

 

昨日、私は、関西旅行から帰ってきたばかりで、久々にそのお店に顔出したら、ママさんが私に挨拶をしてくれなかった。不思議に思いながら、席についていたら、お通し出しながら、「植村さん、亡くなったんだ。」と言ってきた。

 

あーあ、思いの外早かったなと、思った。そういう人って、なんだかんだ、しぶとく生き残るのかと思ってた。本当に死んじゃったんだ。突然死の類の病気だった。

 

奥さんと別居した、一人暮らしの家で倒れていたのが亡くなった数日後に見つかったのだという。毎日来てたとはいえ、店になど連絡が来るわけではなく、風の噂で知ったという。

 

葬儀は終わっており、もう骨になっちゃったって。あっという間にいなくなっちゃった。

 

ママさんは言う「最近もう、目も合わさなくしてたの。返事もしなかったの。だって目が濁っててさぁ。」

 

と言っていた。嗚呼。と思う。

私はその目を知っている。すがるような澱んだ目を、私は何度か見たことがある。助けて欲しそうで、相手を取り込むような、死の淵に近いような目を私は知っている。私はそういう目の面倒を見なくてはいけないのではないかと思ってしまって、何件もそういう目を見たことがある。自分のことならどうでも良くなってしまう。なんならすぐ取り込まれてしまう。

 

でも、他人になら言える。

「だめです!目を見たら! 取り込まれちゃうから…。」

 

ママさんのことが好きで好きで仕方がなかった。LINEでお金をあげると言われたこともあるらしい。ママさんはそういうのに返事はしない。あーあ、カオナシだ。

 

もう20年くらいの付き合いだったんじゃないかなぁ。それだけ大好き大好き言われて愛なり毒なり盛られてた相手が、どうしようもなくなって消えてしまったって、ママさんどんな気持ちなんだろうか。

私は自分にも言い聞かせるように言った。

「引きずられちゃ、ダメなんです。こずえさんは、カウンターの中で光ってなきゃいけないから。」

 

本当にそう。カウンターは聖域で、ひとつ隔てているからなんとかなる。

 

私がその人に最後に会った時、洋服の青山で買ったというカジュアルなスニーカーを自慢してくれた。可愛らしかったので、褒めた。何回か足を出してこちらに見せてくれた。なんか、褒めておいてよかったなと思った。

 

でも、もうあの店のお客さんも店員も、彼のことがしんどかった。ずっと何言ってるかもわからなくて、陰険としてて、誰も助けられなかった。

 

そう、私は気がついたの。誰も助けられないって。本人がやっぱり死にたがってた。本人が助かろうと思わないと人は助からないって、化物語でも言ってたっけね。

 

自分を大事にする方法がわからなくて、雨の中ゴルフに行った時、傘もカッパも身につけず、下着まで全身グショグショになってたらしい。

 

私はね、人の最期がこんなだなんて、ショックだったんだよ。酒浸りになって、暴れ散らかして、無視されて死んでいく。なーんの物語も奇跡もなく、無常に消えていく。だって、優しくできた要素が浮かばないんだもの。まあこうやって私が3000字くらい書いてるのはその人が生きた証ではあるな。本当にどうでも良ければ、書かないもの。 

 

旅行で行った、神戸ポートタワーを思い出す。「デッキへの入場は一度きりです。※入口も出口も同じでこの場所に戻ってきます。」という張り紙の先を進むと、「立ち止まらずお進みください」という張り紙があった。KEEP MOVING。なるほど、生きるとはそういうことですよね、と思う。

 

f:id:toyopuri:20240711015712j:image

 

人生、ゆっくり右方向の可能性が出てきた。

いやー思想は若干左寄りなんだよなーと思いながら階段を登る。

 

くるりと一周すると大体満足した。こちらが海であちらの山側が友達の家。あちぃ。まあ、こんな感じでいいか、と思い階段を降りると、デッキから戻る張り紙があった。

 

f:id:toyopuri:20240711020815j:image

 

「ええっ!?また人生!?!?」と思った。張り紙に対していちいち意味を見出して人生を問われてると勘違いする人は危ない。精神状態は一応正常。そうかー、フロアから出て、フロアに戻るんだもんなー。と思った。

 

でもまあ、くるっと一周見たし、いいか、と思って階段を降りた。

 

ポートタワーの階段は、とても狭く離合が難しい。上から歩いてきた人と下から歩いてきた人がすれ違うとかなりきつい。まるで「旧アニメイト池袋店の階段のようだ!」と思ったが、私にだけ伝われば大丈夫です。リニューアル前のアニメイト池袋店の階段は信じられないくらい離合が難しかった。

 

f:id:toyopuri:20240711021537j:image

 

あれかな、人が生まれるときの産道と、死ぬ時に通る道って、旧アニメイト池袋店の階段と、神戸ポートタワーの階段とかに近いのかもしれない…。死ぬ時にこういう道通ったらそう思うんかな…。私は…。

 

これから生まれる人と、これから死ぬ人がちょっと会釈とかしてて。「すいませぇん」とか言っててね。それを見て私は「うわ、ポートタワーの階段みたいだ!」と思うのかもしれない。

 

私はね、人が必要じゃないって爪弾きにされて、コミュニケーションも下手で、ボロボロになって疎まれていく死に際見て、こんなになんのフォローもしようがないラストってあるの!?とショックを受けちゃった。

 

でも、思ったんだよ。意外と人生のラストは、「一度フロアは戻られますと、再入場はできません」くらいのものなのかもしれないって。それで、おじいさんは「いいです。」って思ったんだろうな。

 

私は「あ、もう一周見たんで最上階はまあいいっす〜。涼しいところでまた景色見ます〜。」って感じだった。人が死ぬ時もそんなもんかもしれん。

 

おじいさんも、くるっと一周みて、「デッキにはもう戻らんでいいかなー。」って、フロアに戻ってっただけのことだ。フロアに戻る人を止めるのは変だ。じっくり何十分もデッキにいる人もいるし、数十秒で去る人もいる。景色のひとつひとつに感動する人もいれば、なんかたいしたことない、と言って降りる人もいる。

 

全部が1度きりの入場で、同じ場所に帰っていく。KEEP MOVINGでしかなく、時の流れは右方向。狭い階段を降りて、元の場所に帰るだけ。そのことに、いいも悪いもなく、無理に助けようとしたり、縋るような目の相手をしなくてもいいんだろうなと思った。

 

私は自分以外の感情の面倒を見過ぎてしまう。何が不幸かなんてわからないし、私には私の幸せがあるから、誰かを助けられないことだとか、縋られるような目で見られても、私のペースで動いてもいいんだよな、と思った。

 

毎日毎日、ママさんは彼のご飯とお酒をつくってたけど、どんどん衰えてそのおじいさんは死んでしまった。欲しがるばっかで、もらってる愛情には気がつかない。結局死にたい人は死にたいのだ。結局他人の居場所より、自分の居心地を優先するしかないんだよな、と思った。

 

f:id:toyopuri:20240711023052j:image

 

ポートタワーの、地上に一番近い階段には開業時からの床が残っていて「今もここに在る」と書かれてた。1963年当時の開業からの来場者たちの足跡が残っている。いいじゃん。

 

デッキへの入場は1度きり、だけど、足跡は残るよね。

 

あーあ!人を助けなきゃと思ってたけど、もう、やめにしようと思う。結果本人の問題だ、何一つできないな。私は私のために生きて、その縋られるような目のことは、私も忘れるのだと決めた。