美人ブログ

拝啓、美人でございます。

ふわりとした女の子になりたいと思ったりもする

3週間くらい前に、ちょっぴりご縁があって、ある人のお宅に伺った。飲み屋で仲良くなった人で、ごく一般的なサラリーマンだ。駅に着くと、奥様も一緒に迎えに来てくれた。夫婦でよく行くという近くの中華屋で昼食をとる。

 

奥様はふんわりした人だった。優しくて、やわらかて、言葉を交わすだけで、慈愛というか、水面に滴を垂らした時のような受容力を感じる。

 

ああ、またこういうタイプの奥様か、という想いが、胸をギュッと締め付ける。その人のことが好きだったとかそういうのでは一切ないのだけど、何となく私が傷つくのだ。

 

私はよく様々な夫婦やカップルのお宅にお邪魔することがある。こういうふわふわした受容力でできた奥様は多くて、かつどなたも魅力的で、お会いするたびに、あぁ、安らぐやつだ…と思い、私もまたそういう奥様たちに癒される。

 

私はこうはなれないのだ。柔らかく、優しく、しなやかな母性を、持ち合わせない。

 

美空ひばりは夫婦の家にお邪魔しては夫婦の間にお布団を喜んで敷いて寝てたんですって」って仲良しの先輩が私に話してくれたけど、夫婦の間に布団を敷いて寝るのは嫌だなと、思う。別に結婚願望があるわけでも、結婚制度の云々に対するアレでもなく、完成されている2人の世界にわざわざ1人だけ布団を間に敷いて割り込むのは、コントラストが際立つだけだ。

 

逆立ちしたって、ふんわりとした奥様のような受容性は手に入らない。

私には、ない。

しんど。

すごい好きなことをやろう

 

すごい好きなことをやろう。

 

インターネットに出会う前に

スマホに出会う前に

好きな男の子に振られる前に

女の子として頑張らなきゃと思いはじめる前に

 

ずっと前に好きだったことをやろう。

 

1人の時間が好きだった。

 

幼稚園の頃の夏休み。

好きなだけ工作して、好きなだけ図鑑を読んで、

楽しかったな。

 

小学生の頃も受験勉強してたはずなんだけど、

好きなだけ手芸をした記憶がある。楽しかった。

 

手芸をはじめた頃は楽しくて、手芸屋さんにフェルトと目のパーツを買いに行った日の帰りはうきうきした。

 

フェルトを切って、縫って、わたを入れて、目をつければ生き物が出来上がった。嬉しかった。

 

ミシンをもらってからは巾着袋を作りまくって、ポーチを作るためにファスナーがつけられるようになった時は自分に「すごい」と思った。

 

赤いフェルトのバッグを友達家族のお食事に持って行ったのも思い出した。うさぎのアップリケがついていて、かわいいんだ。自分で作ったものではじめてお出掛けしたんだ。あぁ、幸せだったな。

 

ミサンガを作ったり、樹脂粘土にハマってスイーツデコをしたり、ラインストーンをひたすら電子辞書に貼り付けたり、

充実して過ごしていたと思う。

 

人と遊んだ記憶はあまりなくて、私にとっての「楽しいこと」はそういうものだった。

 

つくるのがすごく好き。

 

花も好き。動物はあまり興味がなくて、花の図鑑を読むのが子供の頃から好きだった。草花の前がわかるようになりたかった。

 

遠方に住んでいる祖母と電話をしては、花の名前しりとりをした。私は「さくいん」を知っているので負けないのだ。ずるい。

 

最近花屋さんで1、2週間に一度花を買っている。それだけで楽しい気持ちになる。

 

読書も、もう何年ものめり込んではしていない。私が読書を好んでいたのは中学2年生までだ。毎日毎日図書館に通っていた。

 

当時は地下鉄の電波がなかったから、いつも小説を読んでいた。子供の頃から本が大好きで、たくさんの本があるのが何よりも好きだった。置いてあったら片っ端から読んでしまうそういう子だった。

 

だけど、思春期になって、あんまり学校の中でうまくやってくには読書は役立たない気がして、もっと女の子として頑張らなきゃと、ファッション雑誌に乗り換えてしまった。

 

夏休みに祖母の家に行って、朝一番のお茶を入れる時間が好き。先に湯のみにお湯を入れてから急須に入れると、湯のみが暖かくて美味しく仕上がるんだ。茶葉はツンと先の尖ったのがいい。

 

祖母は夏休みに遊びに行けば本を買ってくれて、私がミサンガを編みたいといえば刺繍糸を送ってくれる。ミシンをくれたのも祖母だった。そうだ、花の図鑑も。

小3の夏休みに「なかよし」の別冊付録漫画でついてた「夢水清志郎」に興味を持って、はじめて「青い鳥文庫」を、買ってもらったんだっけ。

 

社会、というものを意識するようになってから、どんどん自分というものがあやふやになってしまった気がする。

 

もともと見栄っ張りだし、人と話すのそんな得意じゃないくせにハイになってしまうから、ツイッターがやめられない。

 

三つ子の魂百まで、というけれど、一人で縫い物をしてるときとか、本を読んでるときとか、そういうときが、一番楽しいんだった、わたし。

 

なんか作ろ。昔より好きなもの買えるし、もっと器用になってるはずなのに、手のひらの画面見つめて、人生終わらせてる場合じゃないんだよ。

 

わたしはつくる人だ。

 

「美人はつくる人だね」と親友に言われたけど、わたしはつくる人なんだ。つくるのが好きなこと。

 

物語の世界に没入するのが、好きなこと。

 

最近は言葉を紡ぐのも好き。

 

周りの音が消えて、私の頭が一つの線になって、そういう瞬間が好き。

 

人といるとついギャーギャー喋っているから自分でも忘れてたけれど、私は1人でいるのが好きなタイプなんだと思う。なんで自分を社交好きだと勘違いしまったのだろう。

 

それなりに人と明るく楽しくできるけど、1人で本を読んでたり手芸してた記憶の方が、幸福度が高すぎる。

 

中2でスカイプを始めてから、私は常にインターネットでいつでも会える友達に依存していて、常に誰かと一緒にいた。家にいても。

 

スマホもネットも消して、もっと落ち着いたことをやろう。本屋に行ったり、本を読んだり、パンを作ったり、手芸をしたりしよう。

 

今日本屋さん回ってたら、ふと人生で一番楽しかった時代のことを考えて胸が熱くなりました。

 

もしかしたら自分が思ってた、周りに思わせようとしてた私像が違うのかもしれない。気付いたの今更だけど。

 

慣れないペアーズとか登録しちゃって嫌な思いしてるより、ミサンガ編んだ方が私は幸せで、しょうがない。

 

サークルも入れなかった。私はシコシコ縫い物してるのが、いいんだ。したくないことを周りがやっているという理由でやろうとしない。

 

すごい好きなこと。やる。

 

 

 

今日の美人ちゃん「美人、言葉は万能じゃないの」

 

これは、今から3年くらい前のこと。

 

わが家で友達とあるアニメを見ていた時の話。

 

私も友達もわんわん泣いてしまって、なんだか、そんな作品だったんだ。

 

終わったあとに、私はいっぱいいっぱいになって、また「気づき」とか「感想」を述べようとしたんだよね。

 

そしたら彼女が、ぐすぐすしながら、

 

「ねぇ、美人、しゃべらないで。

言葉は万能じゃないの。

言葉ですくってしまったら、

それは、それになってしまうんだよ。

言語化することは時に陳腐にしてしまうんだよ。

だから、言葉を大切にして。」

 

って言ったんだよね。

私、びっくりしてしまって。

だってその時まで私、「言葉が万能じゃない」なんて、思いもしなかったから。

 

とても傲慢なのだけど、私は全てを言葉で表せると思っていたし、発する前に言葉を選ぶなんて、したことも無かったんだ。

 

おぞましいね。私はその日から「言葉」について考えるようになった。海みたいに広がる中から、すくいとることが、言葉にするってことなんだ。

 

フラれた理由とか好きな理由とか、そういうものを理詰めで考える馬鹿らしさにもやっと気がついた。当時の私は理詰めで会えなくなった人の事を追いかけていた。

 

言葉は万能じゃない。

いくら言葉を尽くしても、私たちには伝えられないものがある。その謙虚さが、言葉にするってことなんだよね。万能じゃないけど、私は伝えることを諦めたくない。たゆたう水の中からなるべく正確に丁寧にすくいたいとおもっている。

 

あの夜がなければ、私はこんな風に「書く」ことも無かったし、「言葉にできないものがある」という考え方は、いろんな場面で私を助けてきたと思う。

 

いい友達に出逢えてしあわせだな。

ありがとう。

 

今日の美人ちゃん「コドモはオトナじゃないんですけれど」

 

タイトルは、矢野顕子の曲『夢のヒヨコ』の歌い出しだ。

 

コドモは オトナじゃ ないんですけれど

オトナじゃ できない こともする

3000万人 コドモがいたら

なんでもできそうなきがするよ

 

作詞:糸井重里 『夢のヒヨコ』

 

そう、これ糸井さんの詞なんですよね。「ひらけ!ポンキッキ」のテーマ曲で。

今日ほぼ日のアプリをぼーっと読んでいたら、矢野顕子さんとの対談を見つけて。

それで『夢のヒヨコ』について話していた。

 

私は『夢のヒヨコ』を知らなかったんだけど、歌い出しの歌詞を見た瞬間、気がついたら音楽が流れていた。

 

「コドモは、オトナじゃ なーいんですーけれど〜」

 

あぁ、これ、知ってる。なんて曲だっけ。曲名を知らずにずっと探してたんだと思う。

母もよく歌ってたっけ。

 

私はわりかしコドモ時代を謳歌したフシがあって、コドモ時代の私のテーマはこの曲に集約されてる気がする。

 

コドモである自分が「持っている」ことを知っていて、「特別である」ということを知っていた。コドモのコドモ性に向いている、ユーモアと想像力に溢れた自分が好きだった。

 

だからいつまでもコドモで居られると思ってたんだなあ。コドモに向いてるから。

 

でもそんなことはなくて、気がついたら20歳になってからもうすぐ3年目を迎えようとしている。

 

あのとき、コドモ側で勝ち誇ったように

「オトナは コドモじゃ ないんですーけれどー」なんて歌ってたおしゃまな5歳児から内面はまったく変わってないんですけど。

 

糸井重里ってひとはコドモがすてきなんていってひどいよ。と戻れない過去に想いを馳せた。

 

だけど、この曲には2番があったのだ。

 

コドモは オトナに なれるんだけど

オトナも コドモに なれるって

大きなコドモと小さなコドモ

どっちも ヒヨコを 飼えばいい

だってだれでも だってだれでも

夢のヒヨコを飼えるんだもん

夢のヒヨコを飼えるんだもん

 

作詞:糸井重里 『夢のヒヨコ』

 

 

そっかぁ〜、そっかぁ〜、、、、

糸井さんはヒヨコのままデカくなってしまった私を見捨てなかった。

「コドモは オトナに なれるんだけど

オトナも コドモに なれるって」

ってフレーズ本当にいいよなぁ。

 

最近は、人間は体感時間で20歳の時点で人生の半分を消費してるって言う「ジャネーの法則」を聞いて、しょんぼりしてたんだ。

 

コドモ時代の終わりは私にとって「死」を表すし、(感受性を明け渡した私は私ではないので)

 

なんとなく生きてるオトナになんてなりたくないからだ。

 

だから、日曜日の夕暮れ時に、糸井重里に「大きなコドモ」でいいよって言われてベッドで泣いたりする。矢野顕子の声に慰められてぽろぽろ涙をこぼしたりする。

 

私は今日起きて、お風呂に入って、頼まれてた歌謡曲のコラムで大好きなレストラン「キャンティ」について書いてる間に何時間も経ってしまっていて、気がつけば「夢のヒヨコ」を聞いて泣いていた。

 

そんなことで今日が終わってく。今日が終わってくね。

 

今日は母の日だったね。この曲を聞くと本当にコドモの頃に戻ったきぶんになったよ。

懐かしくて、あったかいね。

 

私はどうやって生きて行こうか。

 

 

今日の美人ちゃん「自意識と創作と」

 ええそうです。タイトルでわかるように、糸井重里さんの「今日のダーリン」のオマージュですね。

 

このところ(というかずっと)、ヘビーな記事を書くことを目的としていたこのブログでは、筆をとってはやめ、筆をとってはやめ、ということが繰り返し行われてきました。下書き欄にはブログになりかけた記事かふわりふわりと蓄積されてゆきます。

 

このまま、日の目を浴びることなく、私はいつかライターになるだの、エッセイストになるだのいいながら、書きかけの文章たちとともに一生を終えてくのではないかと思うと恐ろしくなりました。

 

中学の頃、教科書で読んだ山月記の李徴に、ただならぬ感情を覚えたのは、わたしの持って生まれた性格のゆえでしょうか。

 

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という言葉に冷や汗をかいたのを忘れません。

 

思えば、幼い頃からプライドの高さや、自分への期待値の高さを、自覚していました。

 

ものをつくることが好きでしたが、自らの未熟さ故に、自分の思った通りの形に作れない自分に常に苛立ちを覚えていました。その苛立ちは、時に私の実力を伸ばすエネルギーにもなりましたが、一方で私の芽をぶちぶちと引き抜いてきました。

 

私の性格を表すエピソードとして、小学2年生の時の国語の授業で物語を創作した時のことが挙げられます。

 

私は小学校に上がる前、絵を描くのが好きな子供でした。物語を作るのも好きな子供でした。絵本を描いたり、別府に住んでいるおばあちゃんと電話をしながら「つくりばなし」を披露したりしていました。

 

だから、国語の授業で「本をつくろう」という単元に入った時、私はできるに決まっていると思って、わくわくしていました。そうですね、それはちょうど、音読の時間に自分がすらすらと感情を込めて読みたいので、文章の中の「。」を数えて、あと何人でどの文が自分に回ってくるかを必死で数えてた時のような感じですね。なるべく長い文や「」カギカッコのセリフの文があたって「おいしい」ところを読みたいと思っていました。そういう目立ちたがりというか、自意識が強い子でした。

 

「本を作ろう」の話に戻ります。私は、張り切って画用紙を前にしました。すると、何を書いていいのかが全くわからない。どんな物語が「正解」かがわからないのです。何が喜ばれるのか、何をしたら褒められるのか。それがわからなくて、私は真っ白になってしまいました。結局二人の女の子(ドレスをきている)が冒険に行くというお茶を濁した面白くもクソもない作品を作りました。魔法の水とか飲んだりするんですけど。とにかく「かわいい」「女の子らしい」みたいな作品を書きました。それが理想の作品ではないことはわかっていたのですが、授業ですので、それなりに完成をさせました。

 

その後、クラス全員の本を学級文庫に置くことになりました。私は当時仲良しだったミエちゃんの本を読むことにしました。ミエちゃんは、お兄ちゃんがいて、「ちゃお」や「なかよし」よりも「コロコロコミック」が好きな女の子でした。帰り道が同じで、集団下校の時に、しりとりをしていたら「し」のところで「しんのすけ」と答えたミエちゃんのことがわたしはなんとなく好きでした。

 

ミエちゃんの絵本は、ひこうきくんが出てくる話でした。内容は忘れてしまったのですが、黄色い画用紙の表紙に、光り輝く飛行機の先頭(顔がついている)がゆる〜いタッチで描かれていたのを今でも覚えています。彼女の作品には才能がありました。面白かったのです。それに比べて自分の「あざとい」作品が陳腐に思えました。

 

ミエちゃんも私の本を読もうとしていました。私はそれが嫌で、取り返したくなりました。ミエちゃんが本を開く前に、私が引っ張って、喧嘩になりました。ミエちゃんと言い合いになったのは、後にも先にもこれだけだったと記憶しています。絶対に見ないでと泣きながら喚いた私を見かねた先生が、私に本を持って帰るように言いました。40人のクラスで、本を学級文庫に置かなかったのは私だけでした。

 

それほどまでにプライドが高い私は、なににしても「恥」がつきまといました。

 

毎日ブログを更新したいのに、完成系を書くには何時間もかかるので、継続できない。ライトなものは更新したくない。そんな日々を重ねていくうちに、埋もれてゆく。

 

そこで、「毎日書く」という日課を作ることにしました。わたしが書けない原因はわかっています。自分に対する「期待値の高さ」なのです。

 

それを払拭するためには、未完成でも発表する、ということが大切なのだろうと思います。もっと小さい頃、私は未完成のものをたくさん作っていました。

 

初めて針と糸を持った時のガラクタのようなマスコットたち。アップリケを縫いつけられず、接着剤でバリバリに貼ったポーチ、少しずれてるけど初めてつけられたファスナー。もっと昔なら、不織布をテープで止めたバッグ、ゴミ袋で作った服。描くこと自体が楽しかった絵。

 

そういうものの一つ一つが今作るもっと素敵な服とかに集約されていて、それは未完成のものが、積み重なった先にあると思うのです。もっといえば、それらのものは未完成だったのか、という話にもつながります。

 

たしかに、あの時幼少の私が、もっと集中していればより良い作品を一個、つくれたかもしれません。でも、あの時の私は、思い描いたことを形にするというそれ自体が楽しくて、四六時中何かを作っていたのです。質より量、量を作ることが楽しい、そういうのもまた否定されるべきではないのかな、と思います。

 

私はブログを書いてほめられるのが嬉しいです。才能があるような気もしてきますし、特別な気持ちになります。考えていることを理解されているような気にもなって幸せになります。

 

しかしその原動力は、今日の記事は面白くないと言われたらどうしよう。今日の記事は前回より良いのかな。とかそんな考えを生んで、結局自分を創作から遠ざけるわけです。

更新通知をツイッターにあげて、RTが伸びるのを凝視したりさ。結局追い詰められて何も書けなくなるという。

 

そのうちどこかでコツコツ書いてた知り合いとかが、新人賞でポッと小説家デビューとかしちゃって私は悔しくて発狂して虎になっちまうみたいなことがわかってるんです。わかってるんですよ心の中では。

 

長々と話してしまったけど、私は糸井さんのすごいとところは「今日のダーリン」を「毎日」更新してることだと思う。「ほぼ日刊」と言いつつもう20年も(!)1日も休まず更新しているそうです。すごいよね。

 

だから今日のダーリンの中には、これはいいぞ、絶対覚えておきたい!と思う日もあれば、これは微妙だな、と思う日もあって。でもそれは、私にとってそうなだけで、別の人には違うかもしれない。

 

このブログの中にも、ちょっとだけ他の記事とは毛色の違う記事があって。

アクセスも伸びていないし自分でも気に入ってなかったのだけど、Twitterの質問箱で、ある日、この記事が好きです。と言ってくれる人がいて、そうか、そんなものか。と思ったりもした。

 

だから書くこと自体に意味があるのだと思う。つづけることって大変だけど、だからこそ意味があるんだな。つづけるとボロが見えるし未完成な部分も見える。だけどそれはそれでいいじゃないか。もっと自意識の向こう側に行きたいな。

 

 

そうそう、その後ミエちゃんから小四の誕生日に、手描きのお米のマンガをもらったけど、あいつ、ほんと面白いよな。悔しくなっちゃうくらい。

 

人生の清算をするために、大人がしてくる話に私は傷ついてしまう

 

私のためを思って大人のしてくれるアドバイスはその人の生き方が詰まっている。


幸せな人も、幸せになれなかった人も、後悔のない人も、後悔だらけの人も、それを振り返って22歳の私へ語りかけてくる。


私が持っていて彼らにないのは若さであって、それは彼らが振り返っても手に入れることができないものだからだ。そして、それを彼らはかつて確かに持っていたからだ。それは同時にわたしがいつか失うものでもあるということだ。


私に大人たちが語りかけるとき、それはわたしにではなく、若い自分に、言いたいことを言っているのだと思う。


私という、若い人形を通して、彼らが見ているのは若い自分自身なのだと思う。


そして今の自分を肯定したり、あの時の後悔を無くしたりしたいために、私に語りかけるのだと思う。


私は悪気がない彼らのアドバイスに真剣に耳を傾けて、彼らがしていく 人生の無常な答え合わせに、深く傷ついてしまう。


協調や平穏が大事で我慢してきた人は、それが大事だと説く。あまり幸せそうじゃないけれど。


好きな人生を生きなかった人は、好きな人生を生きない大切さを説く。


大学院に行った人は行ったらいいというし、4年で就職した人は馬鹿らしいという。


一番好きな人と結婚したけど、結婚はそういうものではないから、二番目に好きな人にすればよかった。一番好きな人はやめた方がいい。


そんなことを言われても、それは一番好きな人と結婚したから言えるセリフであって、それが羨ましい。冷酷なネタバレをするのはご法度だ。私はそうなりたくないけれど、なったとしたらなったとき考えればいい。

 


脆くて壊れやすい私は、そういうことで生きるのが楽しくなくなるのだ。たまらなく無意味に感じる。

 

もちろん人生楽しいことばかりではないのはわかるけれど、楽しく豊かに過ごそうとしている人の話を聞くのが好きなのだ。そういう人たちの多くは、ああしておけ、こうしておけ、と言わずに、やってみろ、好きにやれ、というのを私は知っているし。

 

私にああしろこうしろ言ってくる彼らの多くには悪気はなくて、私に幸せになってほしいという気持ちから言ってくれることなのだろう。

 

だから、その気持ちを受け取る、というのが正しい選択肢なのだと思う。私はこんなブログを書いて、自分の考えを持っているようだけど、脆くてぐらつきがちで、自分の生き方と異なる生き方をしてきた人の声を聞くと、ブレてしまう。

 

だからこうして、言葉にして、残して、覚えておくことしかできない。ひたむきだけどささやかだけど確かに、自分を幸せにしてあげられる哲学を、あたためたいとおもう。

 

今度から大人にそういう話をされても、川の流れの中でどっしりと構えた岩のように、おおらかにあって、わたしの生きる歓びが、削り取られないような、態度でいたい。

なぜ書けないのか考えてたんですけど

なぜ書けないのか、考えてたんです。

まったくもってあの頃紡いでた文章とは似ても似つかない私になってしまって、書くことを仕事にしようと、思ってたんですけど、そう思った途端、なんだか薄っぺらくて、説明的で、人生の本質を捉えていないハリボテみたいな文しか綴れなくなってしまったのです。

 

書ける文章が変わるということは、ものの見方や考え方も変わるということで、私はこの数ヶ月ボーッと、何も考えず世の中の「現実」とやらを見て過ごしていました。

 

お金がないと生きていけないこと、遊んでいては暮らせないこと、嫌なことを我慢しないと生活はできないこと、世の中は綺麗事ではできていないこと。そんなことを嫌という程教えられました。

 

いえ、実際にその現実を見て思ったわけではないのですけど、最近仕事でお世話になってる人にそう言われたのです。

 

お金を稼ぐのは大変だ、商売は厳しい、とよく言われます。おっしゃる通りだと思います。思えば私は一人で生きていくということを考えたことがありませんでした。

 

自分でお金を稼いで生活するということを現実的に考えたことがありませんでした。両親の期待に答え、中高では成績上位、生徒会もやりました。文化祭では率先して仕切りました。よい大学に受かりました。華々しい活動も1つや2つしました。よい会社に入ってそれなりにしてれば、それなりに暮らしていけると思っていたのです。1日も休まずに小学校に通ったように。毎日決まった場所に座って、決まったようにやっていればなんとなく、そんな風になると。お小遣いのように給料がもらえると。 

 

だけどそんなことは全くなくて、人に合わせたくない私はとことん社会性もなく、わがままで、発達障害特有の粗雑さを発揮し、社会において大変に面倒な甘やかされた「使えない」人間だったのです。

 

生きてゆく覚悟と責任が私にはなかったのです。いつも誰かが何かをやってくれると思ってきました。遅刻したら母が車で送ってくれました。忘れ物も届けてくれました。掃除も洗濯も洗い物もほとんどしませんでした。大学への入学届けも、母が書いてくれました。

 

ハタチになった2ヶ月後に母が亡くなったあと、私はなにもできなくなりました。年金の学生免除の書類も提出を間違ったまま放置してました。老後になにが起こるかわからないのに、なんとかなると思ってました。大学も卒業してない20歳に、お金を払うように言われるなんて、考えてもなかったのです。甘えてますね。

 

大人になれると思ってました。大人になれてると。しかし22歳になって、偉そうなエッセイで人生論垂れても、机上の空論にしかならないのです。発達障害なのか、性格なのか、教育なのか。そうは言っても大人になった以上自分のせいであることには間違いがないのです。自分で生きていかなくてはならないのです。

 

稼がないと、食ってかないといけないんです。じゃないと、私は私の人生を生きられないから。それはわたしがなりたい美人ちゃんではないと思うのです。

 

それを気づかせてくれたその方には大変感謝をしています。しかし一方で、厳しい現実だけが、世の中かというと、そうでもないと思うのです。

 

その人には、人生が楽しい人なんてほとんどいなくて、生きていくって厳しくて、人生とは辛いものだと、伝えられました。だからそのように生きてみました。そのような目線で生きてみました。

 

日々が凍りついてゆき楽しいものも、生きてる意味も見出せず、ただただ虚無のまま死にたくなりました。人生楽しいという父に、「人生は楽しくないのはマジか」、と毎日毎日問い詰めてやさぐれました。母がドロップアウトした世界でわたしは、楽しくないなら生きてる意味がないのです。

 

辛いことをしたくないというわけではありません。より大きな目標のためなら、降りかかる理不尽やストレスにも耐える覚悟はあります。父は自分らしく生きられる人が増える社会をつくるため事業を起こしています。なので、もちろん仕事において裏切りや、人間関係の問題や楽しくないこともあると思いますが、本人は楽しく生きていると胸を張って言えるのだそうです。わたしはこの人の娘なんです。ハッピーに生きる才能だけがわたしの取り柄なのです。

 

だけどそれは綺麗事だと、言われました。「人は現実を見ようとしない。現実は厳しくて辛いから。」と。私はその言葉によって、その世界に引きずられました。毎日毎日、世の中を疎んで過ごしました。

 

「世の中のごく一部の相性のいいカップルを除いて、結婚相手なんて誰でもいいものだ。」とも言われました。好きな人と夫婦になれないならこの世に生きている意味がないのです。私にとっては。

 

悪気のない「現実」主義者に、私のささやかでハートフルな楽園は潰されてしまいました。

人それぞれ生きる意味や、人生に必要としていることは違います。「現実」とはなんなのでしょう。私はその人が見た世界が「現実」だと思います。

 

私はこれまでのブログで綴ってきたことを読み返しました。誰にも理解されないと思っていた私は人と心を通わせることができるということ。私が持っている感情は馬鹿げたものではなく、意味のある実在するものなのだということ。綴ることで、読んでもらうことで繋がれたらことを思い出しました。

 

私はそういうことを忘れたくない、忘れたくないんです。

 

この前ブログ再開の投稿をした時に、ほとんど知り合いのいないクラスで「わたしは文才とかないからよくわからないんだけど、ブログ読んでる、応援してる」と声をかけてきてくれた人がいました。なんだかそういうことだけでその場で泣き崩れたいくらいの悦びを感じてしまいます。

 

私は人一倍感情や考えを伝えることがうまくなく、開いてるように見せかけて、自分の心の壁は分厚く高く塗り固めています。そうしたものをちょろりちょろりと漏れ出した文章を誰かに読んでもらえる時に本当の私が少しだけ誰かと繋がれたような気がするのです。

 

人の心や、豊かな愛や、感情の機微を大事にしたい。私は私の感じるそういうものを誰かに、何かに、伝えることで生きて生きたいなと思いました。感情だけではだめです。でも、「現実」だけでもダメだと思います。人は見たものになります。私は私の見たい現実を見ます。それはすでに虚構や逃げだという人もいると思います。でも、見たものが事実なのです。  

 

「美人」という人格はわたしがなりたい自分でした。ずっと。あの頃より人に対して異常な劣等感を持たなくなりました。恋愛も少しはできました。

 

わたしはあの頃見た世界に生きてます。悩みは尽きませんが楽しいです。

 

まだお金を稼ぎ、一人で生きてないからかもしれませんが。

 

「美人ちゃん」は私であり、いつも私の数歩先を歩いているひとです。

 

かしこく、しなやかで、やさしい。芯のあるひとです。私はきっと、一人でちゃんと生きていくと思うんです。

 

しっかり稼いで、感情を大切にして、誰かやみんなを愛せる、そして心から人生が楽しいと言える、美しい人に、わたしはなりたい。それを証明するために、辛く厳しいと言われる人生をもう少し生きてみようと思います。