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他人をバカにしていたから私はずっと独りだった

自分だけが頭がいいと思っていた。

 

周りと表面的にコミュニケーションをとる中で、日々について、人生についてこんなに考えて悩んでいるのは自分だけだと思っていた。

 

傲慢だった、というよりも、話したらバカにされると思っていた。だからどうせ伝わらない、と早とちりして、相手をバカにしていたのだ。

 

自分が考えている全てについて、誰かに話すことは無かったし、本心や、うまく話せない、というより、単純な言葉で話せないことは、口にしなかった。

 

だから私はずっと独りだった。友達はたくさんいるし、自分がまさか独りだなんて考えもしなかった。ねるねるねるねが食べれなかったことのように、自分の中で他者と関わっていいのはここまでなんだ、と勝手に思い込んでいたのだ。

 

だから人と人は表面的にしか関わりあわないし、まぁ、おもしろおかしい話をしとけばいいか、というふうに考えていた。

 

そんな考えを持っているので男女交際というのは、異性が求める「かわいい私」像を一生演じ続けるものだと思っていたし、結婚というのはいちばん深い部分には触れずコミュニケーションをするものだと思っていた。だって「色々考えを持っている」、ということは、「かわいくない」こと、「女の子にはいらない機能」、だと思っていたから。

 

私の中の「女の子像」は「思考停止」している姿だった。だってみんなバカな女の子が好きだと思ったんだもん、え、違うの?

 

そんな認識がガラガラと音を立てて崩れ落ちたのは、ちょうど1年ほど前、私が、ほんとうに、ほんとうに、こまったとき、他人に、はじめてもう無理だ、と、口をした日からだ。

 

わたしはそれまで、いつも独りで解決してきた。相談と言いつつ解決策は自分の中で決めてるし、相手の言葉や気持ちは必要としてこなかった。いつも形だけだ。自分の味方がいる、その状況を受け取るだけなのだ。

 

だから、初めて降参を出した。私の手には終えませんでした。だめです。たすけてください。

と、初めて口にした。ほんとうに、わたしじゃない、だれかの力を必要としたのだ。

 

19年生きてきて、 初めて人と心から話した気がした。

それから、私が考えること、思うこと、を話せるようになっていった、自分の考えていた世界がこんなにも360度変わって見えるなんて、衝撃的だった。自分が深く考えるように誰かも何かを考えていて、それをぶつけあえるという人生における新機能に私は戦慄した。

 

最近、自分でもよくわからず、あやふやだけどそこにあるものを言葉としてしぼりだした文章が読んでもらえていることに、改めて、すごいなあと感じる。

きっと前の私からしたら信じられないだろう。

初めて心を繋げた彼女や、徹夜で語り明かした彼女の他にもこんなに、こんなにいるのだ。


きっとそれに気が付けなければ、自分だけが頭がいいと思ったまま、独りぼっちで死んでいったのだろう。

 

こわいなあ。

 

みんながあたまがよくて、よかったなあ。

おばあちゃんにお小遣いをもらえるかを期待しちゃダメだと思ってる女が男におごってもらうなんてできるわけがない。

 

おばあちゃんからもらうお金を期待してはいけないと思っていた。お盆の里帰りで、発つ日にもらうお小遣いは「え、いいの?ありがとう!」という気持ちで貰わなければならない。

もらうその瞬間まで期待してはいけないのだ。期待してるように見えてはいけない、のではない、「期待をしてはいけない」のだ。

 

だから、世の中には、お金がもらえるのを期待して(そしてそれを表に出して)おばあちゃんの家に行く子達がいるというのは衝撃的だった。

 

私は絶対にしてはいけないと思っていた。

だってお金のために会いに行っているわけじゃないから。

 

(ちなみに従兄弟や弟達は、祖父母の家に行けばお金がもらえるのは織り込み済みで、その後みんなでショッピングモールに出かけてのびのびと欲しいおもちゃを買っていた。)

 

前ほどは気にせず、割り切ってお金をもらえるようにはなったけど、今でも祖母から届く小包に入っているお金を期待する自分に罪悪感がわく。

 

私の祖父はホテルマンだった。母の実家は温泉地にあり、祖父の働くホテルのすぐ側にあった。祖父は私たちをすごくかわいがってくれて、私たちがいる間は毎晩、ホテルの売店で売っている小さなお土産物やおもちゃを買ってきてくれた。

 

祖父が帰ってくると私と弟と従兄弟は祖父を迎えに玄関までパタパタと走っていく。走りながら「おじいちゃんを迎えに行っているのか」「おもちゃを貰えるのが楽しみで出迎えるのか」を考えていると、ふと、足が止まってしまい、後ろから駆けてきた弟達に抜かされることもあった。

 

ある日、ホテルの清掃があり、祖父は作業着姿で帰ってきた。私たちは出迎えたが、「今日は忙しくて買えんかった」と祖父が言うと私たちは出迎えていたのをスッと解散した。

 

私はその時、「あぁ、やっぱり私たちはおもちゃを期待して集まってたんだ…」と実感した。しかし同時に、おもちゃがないことを告げ、それで解散した私たちを見ても、祖父は特に怒ったり、悲しんだりしなかったので、「あ、祖父もそういうのと割り切ってたのか」とわかって、次からは、「おもちゃ欲しい!」で前より少し堂々と祖父を迎えられるようになったのだ。

 

 

さて、こんな話を思い出している間に、そりゃあいくらハタチになっても男におごってもらうのが苦手なわけだ、と思った。

 

私はてっきり今まで、「アボカド〜」の記事でも書いたように、自分の異性としての魅力が低いから、男性に奢ってもらったりプレゼントをもらったりを期待できない、してはいけないと思っているんだと思っていた。

 

しかし、事はもっと根源的な部分にまで根を下ろしていたのだ。身内の祖父母にまでこんな気持ちを抱くなら、そりゃあしょうがないわ。と自分でも思った。

 

だから、好きになるかわからない異性とご飯に行くのに奢ってもらうのを期待するのは悪いし、と思うと、恋愛にも発展しない。

 

Tinderで出会った男に彼女になる気も一夜を共にする気もないのにごはんだけおごってもらうなんてことできっこない。

 

ここ数年、やっと祖父母は孫に喜んでもらいたくてやってるのだから喜んで受け取ればいいとか、祖父母からもらえるお小遣いは期待してもいいとか、思えるようになった。それは「や、私いい子だし、可愛い孫だからな」と、思えるようになったからだ。

 

きっと、それと同じで奢ってもらう時や、高価なプレゼントをもらう時の気持ちって、「私かわいいし、愛されてるからな」なのだ。全然好きじゃない異性に奢ってもらう時の気持ちは「や、向こうはかわいい女子とご飯食べて喜んでもらえたらいいんだろうな」なのかもしれない。(※おそらくかなり過剰です)

 

 

 

 

罪悪感と自己愛の渦の中で私はいつか正解をつかみ取れるのだろうか。

 

 

あの頃の彼女たちに、憧れとノスタルジー

文学部の女はきっと好きな彼からもらった、彼のお気に入りのトラックリストが入ったカセットテープが好きだろう。

 

彼を想いながらカセットテープの表面のシールに書いてある彼の文字をなぞるのだ。

 

私に聞かせるために選んでくれた曲目と曲順。

彼のお気に入りの結晶。こんなに愛おしい物体が2017年の日本にあるだろうか。

 

 

こんなふうに私は、アナログ時代の彼女達を羨ましいと思うことがある。

 

モテる男の子は、きっと情報収集のうまい男の子だろう。

 

美味しいお店や楽しいイベントを知っていることは今よりもっと魔法のようなことなのだ。

 

駅のフリーペーパーや雑誌から見つけてきて、次に行きたい場所を相談するのも楽しい。

 

みんなが行っている場所に行くのもいいし、2人だけの穴場を見つけてもいい。

 

それをとやかく言われることも無い。

 

あの頃のイケてる女の子たちは、素敵なイタリアンに行っても、それを見せることは出来ない。

だから、イケてる女の子であるためには自分がイケてると思う日常を送るしか方法がないのだ。

 

社会人の彼とのセックスだって、高級なディナーだって、東京の夜景だって、ハワイへのバカンスだって、結局誰に報告するわけでもないのだから、自分が心から満足していないと、本当のイケてる女の子にしかなれないのだ。

 

そりゃあ今だったら自分の感情そっちのけでイケてる行動をSNSで報告できるけれど、当時はイケてる判定を下せるのは自分たちがイケてる日常を送っているという自信だけだ。彼女達は自分が楽しい時間を過ごせるかを大事にしていた。

 

彼女達が信じるのは、手で触れられる幸せだ。

 

旅行だって、みんなで過ごす、その瞬間を楽しむ。使い捨てカメラで撮った写真を現像すればみんなでワイワイと話しながら、焼き増しの数を相談したりするのだ。

 

そういうアナログの喜びが眩しい。

こんなに人と繋がれる今、

母の昔のアルバムを見ながら思う羨ましさを

私たちは取り戻さないといけないのかもしれない。

 

アボカドだってショートケーキに乗りたかった

小学4年生の時だった。

いつもちょっぴりいがみ合ってた男子に菌扱いをされた。

私が近づくと逃げる。だから触ってやろうと思って、手を伸ばした。

そしたら私が触れた部分を触って他の子になすりつけた。

なすりつけた相手の男の子は私と仲が良かった子だったけれど、彼もその部分を触って別の子になすりつけた。菌だ菌だとなすりつけ合いが始まった。

でも、全く知らない相手ならともかく、それなりに仲も良かった子だったし、彼らもワーと騒ぎながらニコニコしていたし、菌扱いされたことにはびっくりしたけれど、まぁいいか、というような感じだった。そういうのが始まると大体、私から触ってやろうと追いかけ回すこともあった。

そんなことがしばらく続いていて、先生に呼び出された。「菌扱いされていることについてどう思っているか」とのことだった。私は気にしていないので「気にしていない」と答えた。でも「本当のことを言え」「辛いならちゃんと言え」と言われた。気にしていないから別に何もしないでほしいと、何度も何度も言っているのにそれでも先生は問い詰めてくる。いくら言っても話が通じないことに耐えられなくなり、私はついに泣いてしまった。先生はきっと「ほら、やっぱり我慢していたんだ」と思ったことだろう。

先生は言う「ほら、言いなさい。泣いてるじゃないか。」と。

私は言う「だ゛か゛ら゛〜〜〜つ゛ら゛く゛ないのに゛〜〜、せ゛ん゛せ゛い゛がわかってくれないから゛〜〜」と。

泣いてもなお辛いと言わない私を、先生はさぞ可愛くないと思ったことだろう。

この押し問答がどこで終わったかは覚えてないが、私はお願いだから何もしないでほしいというのは一生懸命伝えて家に帰ったと思う。

 

中学受験塾に通っていた時の話だ。ここでも確か菌扱いされていた。多分4年生の時。でも成績は良かったからクラスで一番前の列に座ってたし、そんなに居心地が悪いとは思っていなかった。というか塾がとても楽しくて大好きだった。

ちなみに小学5年生の時は花園夢華という芸名を名乗って休み時間に塾でライブごっこをしていた。愉快な人である。

 

中学に入った。中学でも菌扱いされた、だけど、この場合は結構特例で、私を菌扱いした男の子もなかなかに面白い子だった。一番反応が過剰で、私が触れただけで絶叫する。その反応が面白いから、もうネタとして取られていて、私と彼は「あの子達仲悪いよね〜」といった感じでもうお馴染みだった。言うなれば、トムとジェリー的な感じだ。

例えば私が彼の電子辞書に触れた時は、彼が発狂して自分の電子辞書をゴミ箱に捨ててしまった。彼の性格上自分から捨てた電子辞書を取りに行けるような性格をしていないのはわかっていたので、私が撮ってきて机の上に置いておいてあげたりしたこともあった。

まあそんなことが中1から続いて、中2になった。クラスで発表をする機会があった。それぞれの感想を紙に書いて全員分にレビューをするそうだ。その時私はつい大声で言ってしまった「先生!○○くんも私の書いてくれるんですか?」と。いや、今思うと余計な一言なのは十分わかっている。だけど、言ってしまった。彼に書くのが嫌と言われるくらいならその前に自分から言ってしまえばいいっていう気持ちとか、結構空気的にウケるんじゃないかとか、そういう気持ちがあったと思う。

すると先生に「それ今言う必要あった?」と言われてしまった。確かに今思うとそうなのだ。もちろんそうなのだ。今も残っている私の癖なんだけれど、自分の身を削って道化を演じてしまうし、それで自分の身を守ってしまったりするのだ。

 

余計な発言ではあったが、そのあと私は担任に呼び出されることになるなんて思ってもみなかった。担任は中1からの持ち上がりがったが、前の年からクラスの男女の間に溝があるのを気にしていた。クラスのメンバーは成績別編成でそれほど入れ替わりもないので、担任はクラスの男女の中が悪いのを私たちのせいだと考えたようだった。

私としてはクラスの空気が硬いのは担任の影響もあったと思っているし、普通に菌扱いされていたらいじめになりかねないし、クラスの空気も悪くなるのに、それを明るく楽しく、コミカルに変えていたので、むしろ褒められてしかるべきだろ!と思っていた。

 

そして小4の時と同じ押し問答が始まるのだ。私が一向に反省も態度を直す気もないので、相手の男の子が解放されてもなお私だけ先生との話が続いた。なんで菌扱いされてる私だけ怒られているのか、私は私なりにちゃんとやってるのに。そう思うと涙が出てきて話が通じない先生への悔しさがあふれた。教室の中では数学の試験が行われていた。多分泣き声がクラスの中に聞こえていたと思う。まぁそんな話だ。

 

 

さて、こういう話を書き連ねて思うことは、小学校、塾、中学と、私は行く先々で別のコミュニティで菌扱いされている、これを考えると、もう私は他者から見た時圧倒的に「菌」なのであろう。いや、菌じゃないよ!ってよりも、こんだけ別々の場所で言われるから菌の方が正しいんだろうなと思う。

その時々ではまぁ私ちょっと変わってるしこんなこともあるか、くらいに思ってやってたけど、すごい、すごい虐げられている。ウケる。たぶん私がこんなにいろんなことされながらも、強くいられたのは本当に本当にプライドが高かったからだと思う。小4の時は男の子にされるのはまぁいいかだったけれど、彼らと仲のいい女の子にまで菌扱いされると「お前は私の中で許してないんだけど、調子乗るな」と思っていた。

塾の時も、同じクラスと一つ上のクラスの男の子にされても気にしなかったけど、自分より成績が悪いクラスの子にやられると「いや、お前ら私より成績悪いからね、私のこの菌ごっこしていいコミュニティに入ってないじゃん調子乗るな」と思っていた。

中学の時も、よく知らない子にやられると腹が立っていた。

 

私は私の中で「菌ごっこ」を「してもいいヤツ」と「されたら腹たつヤツ」に心の中で区分していたのだ。「してもいいヤツ」の中で成立しているなら、それは遊びやごっこであって、私もそういうものだと認識できるからだ。

 

だけど、今ようやくこうして振り返ってわかったことがある。小学4年生の時に先生に呼び出された時に思っていたことを思い出したのだ。私は明確にこう思っていた。「先生。私の努力を全部台無しにしないで。」と。そうだ。そりゃ菌扱いされてそんなに楽しいわけなかろう。結局は辛いのに辛くないふりをしていた可愛くない子、その先生の認識で部分的には合っていたよ。そりゃね。だけど私はその中で、自分がちゃんと人として扱われて、傷つきもしないで、みんなも嫌な思いをしない解決法を見つけたじゃない。と。そう思えば私はいじめられていることにはならないし、別の見方ができるから。…おぞましいほどにプライドの高い小学生だ。だから先生に「○○さんが菌扱いされてるのはいじめですみんなやめましょう」と言われてしまったら私が積み上げたものが一瞬で終わりを迎えてしまうのである。だから、だからどうか、これ以上私をカッコ悪くしないように余計なことはしないでほしい、そんな思いがあった。

 

そりゃぁ私だって普通の可愛い女の子になりたかったよ。

行く先々で菌だと思われるなら、それは彼らじゃなくて、私がおかしいんだ。そんなことに気がつき始めた時、やっぱり自分はゲテモノなんだなぁと思った。

それなりに好かれてたとは思うし、学級委員とかもやっていたし、成績も良かったし、こんなに頑張っているのにゲテモノにしかなれない。

そのことを気にし始めたのは思春期になってからだ。

面白おかしい女の子は女友達には好かれるけどモテないのは知っていた。だけど、だんだん周りの子達に彼氏ができたり、自分に好きな人ができたりするたびに、自分がゲテモノであることが悲しくて悲しくてしょうがなかった。

すごく芋かったから毎月雑誌を3冊買って可愛い女の子になろうと思った。それなりに女子高生にはなれたけど、やっぱり「みんなと同じ」とか「彼女にしたい女の子」にはなれなかった。

声が大きくでがさつで芸人みたいで、色気がなくて我が強くてなんか変。

それはどうやっても残ってしまう。この「ゲテモノ感」を私はアボカドみたいだな、と思う。他の女の子たちは年頃になればちゃんと可愛いフルーツになれる。果汁がたっぷりの桃とか、明るくフレッシュなオレンジとか、真っ赤なさくらんぼとかね。だけど私はアボカドなんだよね。見た目からして違うし食感も違うし、フルーツかどうかも危うい。そんなことないよ!アボカドだって美味しいよ!という人もいるよね。知ってる。セレブだってモデルだってアボカドが好きだっていうしね。サブウェイとかで挟まれてるし。

だけどそういう人に言うね、じゃあアボカドがショートケーキの上に載れる?っていう話。そりゃあみんなに憧れられるイチゴみたいな女の子はいつも当たり前のようにケーキに載れるし、イチゴほど王道ではなくても桃だってブルーベリーだって、ケーキの上に乗るチャンスはやってくる。

 

だけどアボカドってケーキの上載れないでしょ?そういう話。そういう自分の他の女の子とは違うんだなって気持ちをどこかに抱えながら生きてきた。だから、自分は面白いし明るいから友達できるでしょ、という気持ちもありながら、ずっと、みんなはどうしてこんなゲテモノを人間扱いして一緒にいてくれているんだ、という気持ちを抱えていた。

 

だから、中学の時に仲のいい男女グループができたのは嬉しかったし、分裂しそうになるたびに必死で守っていた。彼らのことが好きだったし一緒にいて楽しかったし、という気持ちも大きかったけれど、この人たちが私の前から消えてしまったら、私は誰にも普通の人として扱ってもらえないかもしれない、という不安もあった。特に、男の子に対しては男子は私を気持ち悪いと思うはずだから仲良くしてくれる人を大事にしなきゃ、というような執着もあった。

 

だけどまぁ、普通に周りを見渡してみると私を受け入れてくれるような人はたくさんいて、相変わらず私はアボカドだけど別にみんな気にしなくて、おお、生きやすくなったなぁと思う。それを早稲田に来たからだと思っている私の思い込みの強さと枠組みにとらわれるところはまだまだダメだってわかっているけれど、もう少し、ここで受け入れられて甘やかされたいと、思っています。

 

あと、別に私は誰かに決められてアボカドを担当しているわけではなくて、別にイチゴになりたいと思ってもいいってことだ。私がどうありたいかは私が決めるし、私だってケーキの上に乗れる女の子になりたい。だからなってみようと思う。

さぁ、美人になるぞ。ずっとなりたかった美人に。

 

そんなことを思いながら昨日の夜半分に切ってわさびと醤油とマヨネーズをつけてたべたアボカドはおいしくて、アボカドもわるくないじゃん?なんて思ったわけだ。

 

 

女に性欲があったらいけないと思っていたから高3にもなって妖怪ウォッチのBL漁りながら早稲田の合格発表の朝を迎えることになる

女に性欲があるんですか!?

知らなかったです。

 

いわゆる「欲求不満」みたいな話まで行かなくても単純に、「エロいものを見たい」という気持ち自体が女性は持ったらいけないと思ってたんですね。

 

ていうか、女に性欲があるのは、はしたないと思ってたし、保健の授業で教えてくれないし。

え、保健の授業で教えてくれないですよね?なんか男は性欲あるから解消するよねみたいになるけど、女と性欲について一切触れられませんよね?

 

だから女って性欲あったらいけないと思ってたんですよ、自分自身もそういう欲求がなかったし、エロいことはしちゃいけないと思ってたから、異性と付き合うことが無意識にこわいとも思っていた。

 

エロいことはダメな事だと思っていた。だから大好きな読書も、児童書から一般向けの小説になった途端、ラブシーンが当たり前のように書かれることが多くなって困惑してやめてしまった。

 

転機が訪れたのは高3の夏休み、大学受験を控えていた。なかなか成績が上がらず、悩みながら勉強していた夏の模試の前日、出来心でうたプリのBLを検索した。それまでBLにはそこまで馴染みがあった訳では無い。勉強の逃避からスマホで読んでいたら、だんだんエロくて過激なものも出てきはじめて、困惑しながらも、あぁアリかも?みたいにな感情も生まれてくる。何よりこれはBLだから女性が書いてて女性が楽しむために出来ているものなのか!、と思うと衝撃的だった。男性の成人向けのものであればそれを見ている自分に罪悪感があったかもしれないけど、世の女性たちはこんなにエロくてエロい漫画書いたりしてんのか!すごい女の性欲堂々としすぎだ!ということに衝撃を受けたのだ。

 

その日はBLを読みまくったせいで次の日の模試は興奮感と罪悪感で散々であった。(ちなみに15号館で受けた。BLのせいで英語が過去最悪になってしまったことが恥ずかしすぎて、こんなことあってはならないと国語で過去最高を出して挽回はした)

 

以降、私の中で、ボーイズラブのエロいやつは女性が見てもいいやつ、と認識され、抵抗なく見られるようになった。

 

そして秋がすぎ冬になり早稲田の受験がはじまった。私は人一倍早稲田へのこだわりが強くて、5学部受験したし、絶対に早稲田に行きたいと思っていた。まあ試験のことなんかここで書いてもしょうがないけど、ぶっちゃけほぼ絶望的で、手応えがあるのは文学部だけだった。

 

これがダメならもう浪人しかない、と思いながら結果を待つ日々。その時私はなぜか「妖怪ウォッチ」のBLにハマっていた。カップリングはまさかの「ウィスケー」主人公の少年ケータくんと隣にいるソフトクリームみたいなお化け、ウィスパーのカップリンクである。いや、自分でも驚くよ。でも割とメジャーみたいで、結構あった。(ちなみに、一応説明すると、いつもうるさいなあ使えないなあ的な感じでウィスパーをドSにいじってるケータくんが、弱気になって甘えちゃう立場の逆転が萌えでした。)

 

私はとりあえず、受験結果を待つ数日の中で、家にいると発狂しそうなので映画を見に行くことにした。1日で、映画「妖怪ウォッチ」と「fifty shades of grey」の2本を見た。3歳以下入場可と、R15のSM映画を見るという、盛りだくさんの1日であった。

 

早稲田の結果の前日、私は死にそうなほどの不安があった。このまま朝起きたら結果発表になってしまう、ということがたまらなく恐ろしかった。早稲田の合格発表は朝10時から電話の音声での発表、12時からインターネットで合格者の番号が掲示される発表が行われる。私は電話で「残念ながら〜」と伝えられるのが怖かった。その一瞬で全てが終わってしまうから。

だから、インターネットで見ることにした。しかしおそらく私の性格上12時前に起きていたら耐えられず電話をかけてしまうだろう、でもかけるのは怖いし…という板挟みの中で、私はある考えを思いつく。「そうだ!12時過ぎに起きればいいのだ!」と。

 

その日は明け方まで布団の中で「妖怪ウォッチ BL」を検索した。「ウィスケー R18」なんいうのまで調べてしまった。そんな中朝を迎えて、ネットを見るとまあ今私がここにいることからわかるように、合格をしたわけだ。

 

母親に伝えると「おめでとうー!名刺に早稲田universeって書けるね!」って言われた。

(もちろん大学はuniversity。早稲田universeってなんだ、ミス・ユニバースかなにかか。)

 

早稲田に行けるのが決まったことは死ぬほど嬉しかったけど、(うわ、合格発表まで妖怪ウォッチのBL見てたの人生において絶対に忘れられない思い出になっちゃったじゃん…誰にも言えない…)という思いが湧くのであった。

 

でもまあこうして文学部に来て、これを赤裸々に語ってみんなに面白おかしく読んでもらえるなら、それもまた必然でしょう…。

 

以上、女に性欲あったらいけないと思ってたけどエロいBLと出会って、女に性欲あるんだなってことを教えてもらった話でした。

 

 

(※BLがエロだけじゃないことも承知の上です、私個人の感想です。)

私は美人だ

ちいさいころから、美人になりたかった。

背筋がピンと伸びてて、知的でユーモアがあって、うつくしい人。

だけどわたしの部屋は汚かったし、食べ方だって汚かった。

家族で美女と野獣を観たときに両親に、食べ方が野獣みたいだよ、と注意されたのがショックで、ずっと美女と野獣が嫌いだった。

小学校の道徳の授業で整理整頓を扱った回で「おどうぐばこがきたない人」として晒し上げられたのもすごく嫌だった。そのときはわたしは割と意識してきれいにしていたのに、だれかが「みやじさんのがきたないです!」と言ったのだ。悲しくて悔しくて消えてしまいたかった。

 

部屋だっていつもきたない。絵を描いたら書きっぱなし、片付けることができない。

わたしには6歳離れた弟がいるのだが、弟が生まれながらにして使ったクレヨンは1色ずつ元の場所に戻せることには衝撃を受けた。(なぜならわたしが絵を描いたあとは全色のクレヨンが散らばっているからだ。)

 

わたしはいつも頭の中がぐるぐるしている。それはそれはめまぐるしくて、一つのことをしている最中に別のことを思いつくと今やっていたことを忘れてしまうし、逆に一つのことに集中しすぎると周りの変化に気がつけない。いつも気持ちばかりが先行して体とずれてしまう。

幼い頃からそうであった。人一倍やる気はあるのに体がついていかない。いつも浮き足立っていて背伸びをして歩くのが癖だ。自分の体より気持ちが3cmぐらい上にずれている感じ。自分の体を感じることがない。NO身体性だ。

小学校の図工の時間、創作意欲だけが先行して手が追いつかない。絵の具は特に苦手でいつも水分を含んでグショグショだった。あれも描きたい!これも描きたい!と書き足すうちに滲んで惨めな作品が誕生する。このまま捨ててしまいたいのに、虚しく作品はクラスメイトたちのものと並べて展示される。公開処刑を受けてる気分だ。

これはわたしの「言葉」についても同じで、基本的にぐるぐると回る思考全ては頭の中で全て言語化されている。それがそのまま口に出ている。言葉は絵の具みたいに滲んで混ざったりしないからまだいいけれど、自分でも何が言いたいかわからないまま話し続けている。

これはもう病気だ。

頭の中が洪水だあっぷあっぷしてしまう。だからよく独り言もいう。

例えば本当は嫌いなはずの人を、おそらく「好きだ」と思いたい(思わなくてはいけない)という気持ちから「 ○○も、○○も、好き、全然好き大好き」とか、平気で独り言でつぶやいてしまったりする。頭が限界を迎えて知らない間にこう思おうと思ったことが口から出ているのだ。

 

そんなところもあってわたしはよく道端とかにいる「変な人」とほぼ変わらないと思っている。だから自分をゲテモノみたいな女だと思っていた。声はでかいし、しゃべりすぎだし、がさつで不潔で、プリントはすぐぐしゃぐしゃにしてしまう。普通の子が当たり前にできることでドジを踏んだり、自分はどうして周りの女の子みたいにできないんだろう、と思っていた。

 

人一倍評価されたくて人一倍頭を動かすけど全てがぐしゃぐしゃ、自分は劣等生だ。そんな敗北感でいっぱいだった。友達はなんでこんなゲテモノと仲良くしてくれるのかわからなかったし、好きな人にだってこんなゲテモノみたいな自分ではどうやって関わっていいかもわからない、そんな勝手な殻に閉じこもって、こじらせていった。

 

そんなわたしに転機が訪れたのはファッションショーのデザイナーの仕事だった。大学に入ったら一番やりたかったこと。だが、正直わたしは戸惑った。ぐしゃぐしゃなものをあの場で発表してしまったらどうしよう、というプレッシャーの中で、今までで初めて異常なほど丁寧に仕事をした。すると、どうだろう、自分が思っていた以上のものが目の前に現れた。わたしはやっと普通の人になれた気がした。

 

自分は人よりも雑だけれども人一倍気持ちを込めて丁寧にやればちゃんとすごいものを作れる、というのはわたしの自信になった。

 

相変わらず部屋も汚い。できると思って始めた飲食店のホールのバイトも複数のタスクに優先順位をつけてこなすことができなくてミスを連発し、先行きが見えず初めてバイトを短期間でやめた。

 

店長には「高校生の子でもやっている仕事だし、うちでできないなら他のところでも厳しいと思う」と言われたが、わたしにはその「高校生でもやっている仕事」をするのがとても難しいのだ。

気が回らなくて、ドジで、作業をやっていたらお客さんが来ていることにも気がつけないし、みんなが当たり前にできることが人一倍苦手なのだ。

できない、とは言わない。ただみんなが当たり前にできることに2倍や3倍の気を払わないとわたしはできないんだなぁということを認識した。

 

だから、わたしが美人になるのは非常に難しい。

非常に難しいから美人を名乗っている。

名乗ったらなれるかなって。

ちょっとずつ変えていけるかなって。

こうして話したいことを整理して、文章にまとめるのも今まで脳みそ垂れ流しで喋ってた人間からすると新鮮だ。

 

少しずつだけど丁寧に生きられるといいなぁ。

だって私は、美人だから。

 

なんのために、を繰り返していると 感じることを忘れてしまう

 

なんの役に立つんだろうか、と思うと何もすることが出来ない。そういう大人になってしまった。

 

この本を読んだらなんになるのか、この映画を見たらなんの役に立つのか、美術は、音楽は、なんのためにあるのか。

 

そんなことばかり考えているうちに私は楽しむことを忘れてしまった。

 

 なんのために生きているのか、という感覚は幼稚園くらいの頃から無意識にあって、それは「私がこの世界でなんの役にたつのだ」という意味ではなくて、「この世界自体がなんのためにあるのか」という疑問だ。毎日繰り広げられる日常がなんのためにあるかがわからなかったのだ。

だからこの世界はヒトより上の誰か見て楽しむために作ってんのか?と考えるようにしてたし、そうでも考えないと気が狂いそうだったのだ。

 

なんでここに「ある」のかがわからない、その空虚さが夜になると襲ってきて、それが怖くて、夜になると毎晩のように泣いていた。

(おかあさん、めちゃイケの件といい、訳わからないことで泣いてすみませんでした)

 

それはきっと自分が何かがわからない、という不安だったんだと思う。私が幼い頃から人一倍、他人からの注目を浴びたかった理由はそこにもあると思う。

 

だけど私は、映画を見る理由も、美術館に行く理由も、音楽を聴く理由も、生きてる意味も、全部「たのしいから」でいいことに、ハタチにもなってやっと気がついた。

 

思えばちいさい頃は本を読むのが楽しくて仕方がなかった。週末に地元のちょっと大きな図書館に連れていってもらって、袋がちぎれそうなほどたくさんの本を借りても、次の日には読み終えてしまう、そんな子供だった。(まぁ、それはいつからか「明日モテるための」ファッション雑誌に姿を変えていったけれど。)

 

いい絵を見た時や、いい音楽を聴いた時とかに訪れる、ぞわぞわとした感覚、そういう、そういう感覚のために今を生きてる、それで十分だったんだなぁ。だってたのしいし。

 

ヘルタースケルター」に「忘れられるってことは、死ぬってことでしょ」というりりこのセリフがあるが、わたしにはとても印象深かった。

 

だけど、自分が生きてる実感は他人に求めるものではなくて、私は私が楽しむことで生きている実感を求めればよかったんだ。

 

音楽も美術も文学も、そんな、人が生きてる実感に関われるなら、なんて素敵で、人間を人間たらしめているものだろう。

 

きっといつか、全てのことを機械がやってくれる時代がくるだろう。そしたらその時人間がするべきことは、おいしいごはんをたべて、おもしろい映画を見て、好きな音楽を聴いて、好きな人たちと楽しい時間を過ごすことだよ。

 

文学部に来て、よかったなあ。