おばあちゃんからもらうお金を期待してはいけないと思っていた。お盆の里帰りで、発つ日にもらうお小遣いは「え、いいの?ありがとう!」という気持ちで貰わなければならない。
もらうその瞬間まで期待してはいけないのだ。期待してるように見えてはいけない、のではない、「期待をしてはいけない」のだ。
だから、世の中には、お金がもらえるのを期待して(そしてそれを表に出して)おばあちゃんの家に行く子達がいるというのは衝撃的だった。
私は絶対にしてはいけないと思っていた。
だってお金のために会いに行っているわけじゃないから。
(ちなみに従兄弟や弟達は、祖父母の家に行けばお金がもらえるのは織り込み済みで、その後みんなでショッピングモールに出かけてのびのびと欲しいおもちゃを買っていた。)
前ほどは気にせず、割り切ってお金をもらえるようにはなったけど、今でも祖母から届く小包に入っているお金を期待する自分に罪悪感がわく。
私の祖父はホテルマンだった。母の実家は温泉地にあり、祖父の働くホテルのすぐ側にあった。祖父は私たちをすごくかわいがってくれて、私たちがいる間は毎晩、ホテルの売店で売っている小さなお土産物やおもちゃを買ってきてくれた。
祖父が帰ってくると私と弟と従兄弟は祖父を迎えに玄関までパタパタと走っていく。走りながら「おじいちゃんを迎えに行っているのか」「おもちゃを貰えるのが楽しみで出迎えるのか」を考えていると、ふと、足が止まってしまい、後ろから駆けてきた弟達に抜かされることもあった。
ある日、ホテルの清掃があり、祖父は作業着姿で帰ってきた。私たちは出迎えたが、「今日は忙しくて買えんかった」と祖父が言うと私たちは出迎えていたのをスッと解散した。
私はその時、「あぁ、やっぱり私たちはおもちゃを期待して集まってたんだ…」と実感した。しかし同時に、おもちゃがないことを告げ、それで解散した私たちを見ても、祖父は特に怒ったり、悲しんだりしなかったので、「あ、祖父もそういうのと割り切ってたのか」とわかって、次からは、「おもちゃ欲しい!」で前より少し堂々と祖父を迎えられるようになったのだ。
さて、こんな話を思い出している間に、そりゃあいくらハタチになっても男におごってもらうのが苦手なわけだ、と思った。
私はてっきり今まで、「アボカド〜」の記事でも書いたように、自分の異性としての魅力が低いから、男性に奢ってもらったりプレゼントをもらったりを期待できない、してはいけないと思っているんだと思っていた。
しかし、事はもっと根源的な部分にまで根を下ろしていたのだ。身内の祖父母にまでこんな気持ちを抱くなら、そりゃあしょうがないわ。と自分でも思った。
だから、好きになるかわからない異性とご飯に行くのに奢ってもらうのを期待するのは悪いし、と思うと、恋愛にも発展しない。
Tinderで出会った男に彼女になる気も一夜を共にする気もないのにごはんだけおごってもらうなんてことできっこない。
ここ数年、やっと祖父母は孫に喜んでもらいたくてやってるのだから喜んで受け取ればいいとか、祖父母からもらえるお小遣いは期待してもいいとか、思えるようになった。それは「や、私いい子だし、可愛い孫だからな」と、思えるようになったからだ。
きっと、それと同じで奢ってもらう時や、高価なプレゼントをもらう時の気持ちって、「私かわいいし、愛されてるからな」なのだ。全然好きじゃない異性に奢ってもらう時の気持ちは「や、向こうはかわいい女子とご飯食べて喜んでもらえたらいいんだろうな」なのかもしれない。(※おそらくかなり過剰です)
罪悪感と自己愛の渦の中で私はいつか正解をつかみ取れるのだろうか。