美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

めりこんでるというありのまま

 

なんかミスiDについて書きまくったあと、改めて、大森靖子見てると改めてめっちゃいい。

toyopuri.hatenadiary.jp

 

私は感情と理性だと、ギリギリ理性の方が強いと思う。両方強いけど。感情には飲みこまれきれない。画面越しに見る大森靖子の世界はとてもいい。実際に大森靖子的なメンタルや世界観に生きる女の子たちとの関わり方は気をつけなきゃだけど、アーティストとしては相変わらず好きかもな、と思う。ライブとか行ったらどうなんだろう。ものすごい量の人間の怨念拾ってきそうだ。自分とはまた別の世界観のものとして、見ていると、人の心の中にある衝動を解放してくれるものなんだろうな。と思う。

 

大森靖子がデビュー後すぐ、かねてより大ファンだったという道重さゆみとの共演が叶い、激的な愛情をぶつけた映像を見た。

 

西武ライオンズのピンクのiPhoneケース(絶妙すぎる)のメモ帳にしたためた道重へのラブレターを読み上げ、可愛いけど全体的に不穏な服装で、ひきつけを起こしながら歌を歌っていた。いや、絶妙すぎる。西武ライオンズのピンクのiPhoneケースってめっちゃ「私」(私的領域)なんだよな。大森靖子、私的領域がなんかステージにそのままめり込んできた感じがある。仮に文明というものを、理性とするなら、文明以前のものがメリメリと境界線を突き破って、そのままぽろりとやってきてしまったようだ。なんか、未開すぎる。特に黎明期はそうだよね。

 

 

なんか、正しさとかとは別に、ぶつかってしまう、ぶつけてしまうものがある場合があるよな〜。よかったね〜大森靖子〜。全然別の対談で、大森靖子が、「愛情ってぶつけたらいけないとされてる時もあるから、ぶつけていいよって言われると安心する(意訳)」と言っており、いや、なんだかんだ色々わかっているんだよな、大森靖子は。と思った。私も志磨遼平好きになった後、ラジオに投稿送り付けたらむちゃくちゃ音読されて卒倒したことがある。で、以降音読されないと傷つくので逆にメールを送らなくなってしまった。人はなぜ。

 

話を道重さゆみ大森靖子に戻そう。私はそんなに道重さんのことを知らないんだけど、すごい好きな人多いイメージがある。多分、道重さゆみって結構理性的でクールなタイプなんだろうな。キャラやれる人頭いいよな。

 

知りたいと思って検索したら『OK!生きまくっちゃえ』歌ってた。いや、『OK!生きまくっちゃえ』歌うことある!?どんなタイトルだよ。

 

ていうか道重さんの座右の銘が当初、「くるもの拒まず」だったが、後に「感謝の気持を忘れずに」に変わり、その理由が、「それを貫こうとするあまり、周囲を気遣う余裕を失い自己嫌悪に陥った。頑張り過ぎないことを覚えて、周りへの感謝の気持ちも自然と出てきた」、だったのが完全に「それな!」になった。「拒もう!そしてOK生きまくっちゃえ!」今私もそんな気持ちです!

 

あと、久々に大森靖子の『マジックミラー』見に行ったら、コメント欄が絶妙だった。

 

 

 

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良すぎて笑ってしまった。あまりに『マジックミラー』のコメント欄すぎる。2年前のこの人は元気だろうか。この、()の中の(美男美女しか選ばれない)というのをわざわざ書いてるのも、学校のパンフレットなのもいいなー。この人、泣きながら聞いたのか、元気すぎる。(愛です)

 

ファンで「大森靖子ちゃんって神様!!!!!💓」「靖子ちゃんがいるから生きる💓」って言ってるタイプのファンは大森靖子大森靖子性からは遠い気がしている。このコメント欄みたいな人、いいな、赤裸々で、と思う。元気だ…。自分が可哀想なことをこえて、なんかめちゃくちゃカッコ悪いことまで踏み込めてる人ってロックなんだよな。ダサい話をした方が、人は結構好きになると思うんだよな。むき身と捨て身。

 

あと、以前、銀杏BOYZのファンのブログで、峯田が月9で石原さとみと共演したことにめっちゃキレてるのをどこかで読んだんだよなー。あれはよかった。峯田は最初から石原さとみが好きな感じじゃん、それでなんか上手くいかない感じが、銀杏BOYZ的なもののアレなんじゃないかなと思ってた。ブログで石原さとみと共演したことにキレている人、元気だった。

 

それは、銀杏BOYZ銀杏BOYZ性だからだ…。なんか入れ子式に銀杏BOYZじゃん。美しい。銀杏BOYZを歌っている側が歌われる対象に抱く感情を、銀杏BOYZの峯田に抱くファンって正直だ。これはもう「Re:援助交際」だ!!と思う。総合芸術。「応援してた峯田くんが、月9で主演♡しかも石原さとみさんと!頑張って欲しい!」とかいうのよりぜんぜん誠実な気がしてきた。「もともと峯田は石原さとみと共演するような男じゃなかった!!」(意訳)みたいなの、めっちゃ面白かったな〜〜〜。やっぱ人間のままならなさのことまじで好きだな。

 

結局コンプレックス無し、みんなそのままで美しい、多様!みたいなのより、なんか意味のないことで煮詰まっているほうが自分のことは好きだと思う。──私がそうだからだというのは前提だとしても──自分への期待値だと思うんだよな。

 

自分へのこだわりを捨てて世界は広くて、世界の全ては素敵で、それぞれをリスペクトし合う方向…が正しそうなんだけど、そちらに持っていくと、なんか、心が疲れるんだよな。それってやっぱ私の心の中では、やっぱ嘘だから。

 

なんか、私は結局いじけ虫みたいな人間たちが好きで「こんなんでごめんね、ありがと…」という恥じらいが可愛いなと思う。あ〜〜何人か浮かぶ顔がいる。愛してます。最近、完全に虚無って、愛の存在疑いかけてたんだけど、ようやく思い出してきた。私が愛らしいなと思うのは、至らなさだ。「至る至らないじゃなくて、全ての結果が美しい」みたいな耳障りのよさとかじゃないんだろうな。足るを知ること、満足すること、とか、全てを受け入れることとかが大事とされるんだけど、なんか、うまくその領域にいけない。それは多分ガチったあとなんだよな。そして、必ずしもそれは、完全な自分LOVEみたいな方向じゃなくていいんじゃないかと思い始めてきた。

 

例えば、何かしらの行事で徒競走したとして、4位だった人が「走るって別に比べるものじゃないから、自分の力出しました。」って言ってる方がなんか今の時代っぽいけど、なんか本気で悔しがって、まじで泣いてる人とかいたらかなり好きになってしまうな。いや、めっちゃ好きだな。勝ち目ないのに自分への期待値強い人結構好きなんだよな〜〜。努力込みで〜〜。やっぱ、根性論悪いとかなっているけど、努力はいいよ、結果自分への期待値だから。

 

急にRADWIMPSの『もしも』が聴きたくなって聴き始めました。

 

 

もうこんな他者の心理的距離大侵害、感情の贈与ソング、もう暴力として裁かれるんじゃないだろうか。カロリーが高すぎる。相手の気持ちを確かめずにエゴを押し付けており、大加害。重罪です。

 

以前ドルオタの人たちと話した時に、「アイドルの現場が楽しいのは、ものすごい浅い関係性の人に好きなだけ『ありがとう〜〜』とか『愛してるよ〜〜〜』って普段言わない言葉を大声で絶叫できるのが楽しいんですよ。」と言っていて、世の中には日常で言わない言葉を絶叫するとしたらもっとひどい言葉を選ぶだろうに、「ありがとう」と「愛してるよ」を絶叫したい人はいい人たちだなぁと思った。あと、関係性が浅いのは大事なんだと思う。まあ全然皆ヘビーな贈り物してたけど。好きな声優に論文とか送り付けてる話してたな。なんかでも一方で思うのが、確かに傷つけちゃいけないし傷つけあっちゃいけないんだけど、絶対ぶつからない位置でするちゃんばらはつまんないんじゃないかとも思う。

 

やっぱり、相手を傷つけたくない気持ちは大事なんだけど、自分が傷つきたくない気持ちは違うんだよな。まじで。これよ。ほんと。我が父が私を再婚パーティーに雑招待した事件の怒りの矛先は完全にこれ。私は自己保身が嫌い。悲しすぎる。は?己傷つけや!?!?と思っている。愛の領域において己が傷つくことを怖がる人、愛の負けなのでめっちゃだめです。死ぬ時後悔します。やり直した方がいいです。

 

相手を少しでも傷つけたら、離れたらいい。だけど、このご時世、剣と剣が触れ合わないような関係性しか最近できなくなった気がしていて、ほんの少しでも相手に触れそうになったらアウトみたいなのはちょっと寂しいんだよな。正しいや正しくないで、判断しなくていいなら、私、多分他人との距離感が、フェンシングより、どちらかといえば剣道なんだよな。剣道だって悪くないだろ!そういうスポーツを選択する人がいてもいいよな。迷惑だったら離れてください。

 

他人は他人だが、でも、剣の振動が伝わることはあるよな。中学の時、学校の体育の授業で剣道やらされて、組んだ相手の女の子、つんとすました感じの女の子で、ちょっと苦手だったけど、私の身体感覚に殴られた感じとか、竹刀がぶつかった感じとか覚えているんだよな。私は全然仲良くなかったけど、覚えているんだよな〜。なんか人との距離を全然尊重されたくないんだな、私が。いや、うざい奴はいるな。なんか、ぶつかってなんか作りたいみたいな欲があって、人と一緒に物を作ったりするのがすごい好きなんだよな。人間関係とかに異常にこだわるのも、何かを作る人だったら誰と一緒に創作活動をするかが大事だし、私は情とパッションと、人間の距離の近づきと生み出しの事めっちゃ好きなんだよな〜〜〜〜。何か生み出せそうなら好き。生まれないなら嫌い。

 

無理に人と距離感を調整したり、自分の体を誇らなきゃいけないことに嫌気がさしてきた。ブログってのはいい。こちら側が世界だからだ。私にとってしっくりくる身体感覚を生きていいのだと思うと頭が冴え渡ってくる。

 

ボディポジティブじゃなくて、ボディネガティブでもいい気がしている。自分の方に意識が向いているのだって愛だ。なんか、「太っててもぷよぷよでもいい♡自分の体♡」と思うより、どうしても痩せたかった頃の方が私は私に期待してたし私を愛していたと思うんだよな。そういうことが増えている気がする。本当に自分を愛するみたいなものがどこにあるんだろうと思ったりする。自分に期待しなくなったら終わりだと思うんだよな。自意識過剰な方が自分のbeingに近い気がしていて、私はあんまり寛容性とか向いてないんじゃないかという気がしてきた。自分への期待値maxで頑張って、それでそのあと足るを知ればいいよな〜〜。

 

傷つけ続けはしないから一旦ギリまで近づきたいとか、基本的にはちょっと無理をした方がいい、自分に期待し続けた方がいい、と思っているため、多分それで誰かを傷つけてしまうのであればそういう人間は私から離れた方がいいと思う。

 

私にこだわり続けているとあんまり運が良くないらしいけど仕方ない。

 

ゆうこすがミスiDのオーディションのカメラテストで「文化祭で、なんか地味目な男の子たちが、スピッツ歌うって言ってたんだけど、当日急に銀杏BOYZの『援助交際』を歌っていて。それで銀杏が好きになって」 という話をしていたのが、記憶に残っている。たぶんこれは歌ってた人たちに、当事者性があるから美だったんだよなぁ。

 

 

 

やっぱ、なんか勇気出したんだろうよ、ゆうこすの見た文化祭で歌ってた人たち。で、心に残ったわけでしょ、いいことだよ。又聞きした私もそのエピソードのこと覚えているんだもんな〜〜。ガチってすごい。

 

結局大森靖子、峯田とゆうこすの話をしている。ミスiD的な趣味のままこういう系のサブカルまっしぐらでいくんだろうな。めりこんでいる、何かが。世界が自分の側にめり込んでいる。そのことがたまらなく安心する。ブログ長くなってごめんなさい自己内省です。