美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

「全戦、全勝。」したいから

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表紙と、誌面の写真が良すぎて芸人雑誌を買った。サーヤとくるまのステッカーが欲しくて、特典付きの通販で買った。

 

「全戦、全勝。」というキャッチコピーが非常に力強い。やっぱり全部に勝ちたいなと思う。

 

どんな感じで生きるかどうかのモードは人それぞれ決められるけど、自分の決めた全戦、全勝。をやるしかないのだろうな、と思うのだ。

 

なんかさー年長者の器の小ささに出会うとびっくりすることがあって、高校生の時は頼れるお兄さんだと思ってた人が、こちらが少しもの申しただけで、めちゃめちゃムッとしたりして、びっくりする。

 

私は人のプライドを、お膳立てするためにいるわけじゃないんだよな。なんか本当にだるい。

 

慈愛を持って、ああこの人はこれが限界値なんだよな、と優しく包み込もうとする一方で、じゃぁ、私は、そういう人の器の小ささを受け取るばっかで、私の後ろ盾はないんだ?そういう人たちが見たくなかった傷や、残した宿題を私がやるんだ?という気持ちになってしまうのだ。これ以上出来ないなら、出来ないと言えばいいのに、と思う。情けなさを見せられないことがこの世で最も情けないことなのだ。見せてくれたら、私は1人じゃなくなるのに。見せてくれないならあなたはあなたの虚の中にいるから、私の声が届かなかくなってどんどん距離が開いまう、と思う。

 

私は自分の小ささや不甲斐なさを認められない人が嫌いだ。プライドをグジャグジャに折って、恥入って、そのまま精神的に死ねばいいと思ってしまう。あなたが「強い」という立ち位置を、あなた自身のために崩さない、崩せないとすれば、私はそばにいると自分に嘘をつくことになってしまう。それなら、距離を置かなくてはいけなくなり、別れる孤独が辛い。

 

今まで見守ってくれてた人を、なんかそっと遠くで見守るのは、つらい。上下関係が逆転するみたいな時間が訪れる。

 

私をひとりにしないでくれと、いつも思う。結局美味しいとこだけやりたいのか、ふざけんなと、人を罵ったことがある。最後まで一緒にいて欲しかった人なんて何人もいた。

 

以前、物事を一緒にやろうとしていた人たちとのクソみたいにくだらない飲み会で、「この中で付き合うなら誰?結婚するなら誰?」と言われたとき、(あ、こいつ、自分は結婚するならでよく名前が上がるんだけど〜…みたいな流れに持ってくな)となんとなく察した時に、クソつまんないのでその人をその選択肢に絶対に入れず、その後の話題から阻害するみたいなイジワルをした。

 

ちなみに、その時私は、むちゃくちゃベーシックにイケてる感じの男性を、付き合うならとして名前を挙げ「なんか、自分がマトモな人間になれる感じがするから」、ADHD気味の男性を結婚相手として名前を挙げ「お互い発達障害しぐさをしても許されそうだから」と言った。

 

こうやって、なんか、誰も傷つけないが、お前がした質問自体がナンセンス、みたいな返しを私が考える時間ってなんなんだろうな。私頼りじゃん、アホらしすぎる、と思う。お前がお前のために、気持ちよくなろうとしてんじゃねぇよ、と、思ってしまう。ニヤニヤしながら二度と飲み会で結婚相手について指名させるな、一生お前の名前が上がることはないから。ナンセンス!

 

…まぁ、そういう質問をあえてする時点でなんか、色々生きていく上で自信がない人ではあるんだよな。

 

本当に自信のある人は、みんなでご飯食べてるお店で、女の子連れて行くと絶対に持ち帰れるみたいなことはあえて言わないんだよなー。

 

でも、それも含めて、その人の自信のなさまで私が丸っと飲み込んで対応してあげる必要があるのかというと、スナックママとしてもプリキュアとしてもなかなか難しい。

 

なんかもっと強い志に触れたい。強いものを見てないと折れそうになる。

YouTubeの動画で、サーヤが、くるまに対して、「寂しかったーーーーーーー」と言っていたのを見た時、あーこういう展開もあるんだなと思う。しかも相手は、M-1王者。

 

あと、サーヤが、生で見て衝撃を受けた芸能人として、爆笑問題太田光を挙げていた。爆笑問題の漫才の収録で、会場中がドカンドカンウケていた。太田が少し噛んだが、大爆笑をかっさらった。しかし、カメラが止まった瞬間、太田が自分の頭をパチンと叩き舌をだして死ぬほど悔しがっているのを見て、サーヤは「格好いい♡」と思ったそうだ。

 

アーーーーーーーー、と思った。

苦しいな、苦しいほどに格好いいな、と思う。結構この2週間くらい何度も思い出して、格好良すぎる!と思った。なんか、救いになるんだよな。誠実さというか。ちゃんと現実にひれ伏しながら神の領域を目指してる感じが。

 

まあ…私の友達は、そういう精神が行きすぎて、いいDJできないと寝込んだり、私に服を選んでくれるはずがいい服が選べなくて高円寺で癇癪を起こしたりするが…でも…私はそれくらい自分に期待値の大きく、身ひとつで勝負する人が好き。表現する人は勇気と恥だから。

 

私もさ、それなりに一生懸命やってたのよ。ミスiDのあとやった、アイドルだってさ、なんか、自分達で衣装作ってダンス練習して、そうやって最高になれれば、それはもう別に誰にも崩されない私たちだけのお城だからさぁ。そういうスタイルでの"アイドル自由型"みたいなのを確立させたかった。配信アプリのくだらない課金オーディションも、半グレみたいな運営にも負けない、ただ華やかな衣装と楽しい音楽のある女の子のためのアイドルの新しい形を作ってみたかった。治安が悪すぎたからね。

 

特別歌やダンスやビジュアルがいいわけでなくても、そこに光るものがあるとしたら、0→1を自分達でやって、なりたいものになるっていうことだ。そこ関して、私はめっちゃ真剣だったよーーー。別に地下アイドル大戦国時代に本気で切り込むんじゃなくて、本気でなりたい自分になろうということをやりたかったんだよ…。自分なんかがっていうのを絶対にやめようねというなんかそういう強い、強い…"決め"なんだよ。自意識で振り返らないっていう覚悟なんだよな。わかれよ。

 

私が相方の子とやりたかったアイドルって、なんか、早稲田で見た、チアダンスの女の子たちとか、ベリーダンスの女の子たちとか、ミュージカルサークルの人たちとか、そういうなんか、自分達で頑張ることがアイデンティティになっているような子たちの真剣な営みであって、誰かに必要とされるとか、消費の向こう側にあったんだけど。それ私が見てきたから知ってて、私がやりたかったことであって、うまくそのニュアンスは、共有できない。作って練習して形にすることが私はやりたい。なんか、こうしなきゃ好かれない、愛されないみたいなオーラを纏いたくない。私たちが私たちであるという堂々とした感じがすっごい大事だったのになぁ。セルフラブのニュアンスが、うまくいかない。なんか私はやっぱりいいものを見過ぎている。多分、軸が、大学文化祭ガチ勢のところに設定されている。そして、世はそんなに大学文化祭ガチ勢で回ってない。

 

新しいこと、本気なこと、尊厳に配慮していること、その全てにおいてピカイチがいい。先駆的でなければならない。

 

この前仲良しの絵描きの友達と喧嘩した時、「最近好きな人が学術系の人だからって背伸びして、勉強してる系のツイートしてるの透けて見えるで」

「は?美人ちゃんだってアイドルっぽくないのにアイドルやったじゃん。」

と言い合ったが、完全にこれはアウトである。(仲は変わらずだけど)

 

でもどうしても言いたい。こういう本当に痛い言葉のやり取りを私は求めてるんだけど、多分それは変わった人なんだろうな。例えば、「結婚するなら誰?」と聞いた人にそのまま「あ、結婚するなら〜でよく〇〇さんが名前あがるって話にしたいんですか?笑、だめですよ?」とダイレクトに切り込める関係が好きだ。そのことで恥で爆発してしまわないくらいには余裕のある人が好きだ。

 

ある程度ウィットに富んだからかいをしあえるのは、それが鋭利であればあるほど、余裕のある人だけになる。私はなんやっぱ、人生のプロとアマみたいなものがあるなら、プロの場所にいたい。

 

そうそう、アイドルの件で言えばぽくないことをやることに、ひっくり返す意義があるから、ぽくないことはやっぱり絶対に、逃げてはいけないことなんだよな。「ざ/わ/め/き/c/o/m/p/l/e/x」(検索よけ)って名前をつけることがさ。全部がクィアっぽいんだよな。

 

だからさ、一番都合の悪いことを見た時に花開く美しさに興味があるんだよ。私はそうあって欲しい。

 

父親が派手な再婚パーティーやったから「そういうことやる時って、一旦新しいパートナーと私たちで、母のこととか一旦共有して過去について見つめた後でやると思うんだけど、それが無かったし再三お願いしてもやってくれないってことは逃げるってことだね。その宿題を残していくんだね。」とマジで言ってはいけないことを言い、完全に拗ねられた。でも本当のことである。

 

棄権とみなす。私は残る。私は自死遺族の知人が今度海外から帰ってくるから、どこか行きたいところないですか?と言って、その人の思い出の神社に一緒に行くことにした。私はこういうものに付き添う人生を選ぶ。重さとか傷とか痛みと共にありたい。出ないと人生の価値が軽くなるから。

 

人が耐えられないことを察しないといけない。言ってくれないから。言うと壊れちゃうのかもしれないけど。

 

今、私に余裕がないから、全然人と対話できないし、尊厳に対して、謝ってくれない。父の再婚パーティーを、父が交際オープンにする前に勝手にサプライズで開催した35くらいのお兄さん(私とも弟とも親交があり)に、「なんで声かけてくれなかったんですか?」と送ったら「俺の人生にGOはあったけどNOGOはなかった」とか人生論をほざいていた。なんか、最後に私が送ったメッセージにもまったくをつけない。プライドが傷ついたんだね。

 

「私の母、自死してて、明け方の4時にマンションの13階から飛び降りて、それから7年間、私たち家族は、毎日そういうことを考えたり考えなかったりしながら生きてきたけんですよ。ただ母が亡くなってるということしか知らないくせに、『事情が事情なのでこういう形にしないと〇〇さんも祝ってもらいづらいと思って』っていう形でオープンにされて、虚栄心と功名心に迷惑してるんですけど。」

 

とは、ギリギリ言わないでいる。なんか、刺すと可哀想だから。ずるいじゃんけんだと思うから。初手で「あ、ごめん、美人ちゃん声かけられてなかった汗 申し訳ない」って言えばよかったのに。「美人ちゃんが知ってしまったなら俺の采配ミスです」とか言ってくるからなー。それでも私は最後のカードを切らない。殺さない。お前のチンケなプライドをさ。ギリギリ指摘しない。

 

本気でマジのガチで嫌なことを言って、追い込もうと思えば追い込めるんだけどさ。しても仕方がないからやめるのだ。やっぱり人のプライドを潰していいことはないが、でも、潰してやりたくなることがある。お前のそのチンケなプライドなんて、こちらのやりようによって保たれてるだけだからなと、思う。大嫌いだ。

 

私もうスナックママするの疲れたよ、と思う。最近思うんだよな。私はスナックママをする時に、ガチで本気でぶつかっていい階級の人と、ほんのり距離を置いた慈愛で接する階級の人がいて、どっちを選択すべきなのかなと思う。

 

多分そのお兄さんにいつか母のことを伝えるとしても、そのお兄さんが受け入れやすいように彼のプライドを損なわないように、だからダメだったね、って感じでこちらが慰めながらカードを切ることになるんだと思う。それは私がもっと大人にならなきゃいけなくて、なんか、私の方の情動の方を動かしたり、もう少しでかくならなきゃいけない。はーー。こちらの方が大変に傷ついてるのにこちらが相手が受け入れやすいようにケアをしなければいけない。

 

結局父と父のパートナーとご飯に行った時に私がお花を持って行ってとてもほくほくと喜んでいてお花の写真をわざわざ2人ともそれぞれ送ってくれたけど、なんか、こちらが母の話をして涙目になったのに対処法がわからないという感じだったので(多分感情のキャパとケアの才能が先方にない)、こちらも私に余裕が出たら、多分お菓子とかを持って、こちらが向こうを思いやる感じで墓の処理のこととかを切り出した方がいい。キャパがない人に求めても仕方がない。

 

なんか、本気でやり合えない人がふえていてさみしい。血気盛んに殴り合いたいという私の欲は、ただ1人で空回りして、いつも寂しい。この人のプライドを潰さないとなると、慈愛モードにうつるしかなく、なんとなく満たされるけど少し損をしているような、寂しい気持ちになる。

 

話少し変わるけど、褒められていい気になると思われてることって舐められてるからな。世にいうお水プレイで喜ばせられそうになってる時、人は怒った方がいいぞ。

 

高校の時、クラスで格好いいキャラのスクールカーストトップのサッカー部の男の子がいた。しかしそんなにサッカーが上手くなかったが、彼がクラスサッカーに出られないと可哀想なので体育委員の女子たちが調整して代表選手にしていた。

 

こんなに裏で格好悪いことされて大丈夫なのだろうか、と思って、それを見ていた私はものすごく苦しくなった。下駄をはかされた王子様ほど虚しいものはないよな。褒めているようで、持ち上げているようで、その彼のことを一番馬鹿にしているのはその女の子たちだ、と思った。

 

まあ本人は知らなかったけど、なんか、もしその扱いをされたらマジで怒って、俺出ないから、と言って死ぬ気で練習する 人が好きだ。

 

なんか、爆笑問題太田と、それを格好いいと思うサーヤの世界にいたい。

 

それは、へたっぴな楽器を年少者に、披露しようとする中高年に見切りをつけることだ。私はやっぱり爆笑問題太田のエピソードに心を打たれている。人生は短く、中途半端なものを、肯定していることに私は磔になってはいけないんだ。私は高いところを目指したくて、どうしようもないもののどうしようもなさに嘘をついてたらだめなんだ。格好の悪いものにちゃんと格好の悪いと言う態度を取る。なんかさ、真剣にやってる人のものって伝わるから、ちゃんとダサいって言ってもらえる方が、誠実だ。まあ、逆上されるかもだからアレだが。

 

あんね、ダメなものはダメです。ダメなものをいいって言うのは、相手を舐めてるんだよな。

なんか、そう言う緊張感を身に纏おうと思う。ダメなもんはダメ。ダサいよ!とちゃんと言ってあげる方が相手を格好いいものとして扱ってる気がする。はー難しい。でもダメだ、わたしはどうしても爆笑問題太田、完璧に漫才できずに悔しがり、格好いい事件に心を奪われている。

 

自分の乗るレースはこれだな、と思う。

 

冒頭の雑誌の、サーヤとくるまの対談は面白かった。自分のスタイルで、既存のものを飲み込みながら、走っていて、私たちの世代が持っているモラルみたいなものをある程度体現してる最強の人が見たかった。まあ彼らも人間であるから全然私の期待を裏切ることはあるかもしれないけど。

 

この雑誌おしゃれでねぇ。編集してる人たちもすごくいい。私この世界の中にいたいな、と、思うよ。

 

今日は飲みに行ったお店の人たちが優しくて無限に話を聞いてくれて、聡明ですごくよかった。

 

私はバツの悪いところを見ている。悲しかったことを見る。一生懸命やりたい。現実に対して、自分に対して恥入りたい。全戦、全勝。の世界にいたいと思った。

 

嘘のプライドでもいいか、本物のプライドがいいかなら、本物がいい。

 

でも別に嘘のプライドなんてなくて、その人が見えてる範囲のプライド、見ることができるキャパのプライドだ。でもどうしても極道みたいな、ものが見えるのならこちらに転ぶしかないな。目を逸らさない。そのことで人を傷つけない。自分で選んだから自分の範囲で留める。寂しいので少し強そうな人の雑誌を読んだりする。そうやってちゃんと生きてこうと思う。恵まれてるのもあるけど、やっぱ私、勝率結構高いと思うんだよな。今自分が手にしてるものを誤魔化さず誇ろうと思う。勝ってきたものをリセットしない。これからも勝つ。たまに負けてもちゃんと勝つ。