美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

死ぬまでに見るVRをなるべく美しくすることに集中したい

最近ダイエットしたくてオートミール食べてる。友達がスーパーで安かったらいちごよく買ってるって言ってて、私もいちご買おうと思った。

 

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昨日は当たりの日だった。夕方から、人に声かけられた会行ってみて、夜は大学の頃の自主ゼミの飲み会だった。

 

夕方から行った会はどうやら、かつて何かしらしらのメディア業界とかの前線で活躍した方たちが集まってるらしく、みなさん年配の方が多い。私に声かけてくださった方は多分40〜50代の女性だったんだけど、6〜7人で、ざっくりこれから仕掛けたいこと?とか、話すらしい。初回なので概要は掴みきれなかったけど、多分自分との環境フィット度でいうと、かなり高い。

 

まず、場所に辿り着く前に、連れてってくれた女性に「今までどういうことをしたんですか?」と聞いたら「日活ロマンポルノが〜」と話してたので、(おっ、これは大丈夫そうだ)と思った。完全に信頼した。そして、たどり着いた会場は秀和レジデンスの一室!

 

秀和レジデンスというのはヴィンテージマンションで、さまざまな場所にあるマンションなのだが、その特徴的な青い屋根と、曲線を描くアイアンの窓枠(と呼べばいいのかな)に根強い人気があるのだ。(あ、今日当たりだ)と思った。

 

主催者のオフィスだというその一室は、内装が完全にカスタムされており、間接照明が、柔らかな光を生み出している。あ、既存の白っぽい光の蛍光灯を全部取り外してる。いい!廊下には、空撮された東京の大きな写真がかかり、それほど広くはない室内に、温もりのある素敵な丸テーブルと、それを囲む複数の椅子。奥の作業スペースには大きなmacと可愛い椅子。作業スペースと大きな机のあるスペースを隔てる棚には小さな観葉植物たちがならんでいる。その観葉植物が載っている棚には、たくさんのCDが綺麗におさまっている。ものは多い。だけど、無駄に多いのではなく、その人が好きなものだけが置いてある。棚の上にはプロジェクターもあり、なるほど、壁のところにあるロールスクリーンを下ろすとプロジェクターも使えるのか!と思った。(あ!ここは我が家と一緒!)と思った。小さなスペースにアイデアがたくさんある。とにかくセンスがいい。POPEYEの部屋特集が熟成された後って感じだ。こういう部屋を雑誌で見るのと体験するのは違う。見たものは、作れるな、と思う。

 

壁際にある本棚には、一番上には家族の写真(これも何枚もではなくて大切なものを数枚)、ぎっしりと詰まった本棚だが、ここも、本当に大事なものだけ残している感じがする。良いオーラを放っている。良いオーラを放つ本棚は大丈夫な本棚だ。信頼。お茶を出してくれるコップが乗ったトレイは、金縁の飾りが載ってて素敵。いい。洗練、(私ここが好きだわ)と思う。

 

その人からもらった名刺に載ったQRを読み込むとなんだかいろんな情報の乗ったサイト?に飛ばされたのだが、こう…入り組んでおり…どんどん自分のサイトに、情報を足してる感じ?自分の部屋が広がってる感じだったので、まあ一旦スマホは閉じて、部屋を味わうことにした。あ、内向の人だ。と思う。インテリアの趣味が良く、置いてある本が洗練されている。心の中で(ヨシ!安全!いいぞ!かなり私の世界に近い!)と思う。

 

会に集まった人たちはご年配の男性が多く確かにちょっと権威的な香りもするけど、話していることもマトモだ。むちゃくちゃ与党推しの話とかもしているが、思想はかなりソーシャルで、地域性とか、小さなコミュニティみたいな話をしていて大まかに私が描きたい未来みたいなものと重なっているし、理想主義者な感じがする。そして、権力がある。コネもある。大きなものとつながりながら、何かをしようとしてる人たちの中にいると、実現性高そうで安心する。社会の中のデカい話をしてる人はいい。権力は自分で得るだけが策ではない。プライベート的な場所でぬるっと入り込むのはわたしはすごく得意。

 

まあこの日は結構お固めな話をしたので「本当に日活ロマンポルノ!?の話題が!?!?」と思ったのだがもう少し様子を見る。とりあえずあの部屋に行く時間を人生の中で増やしたいと思った日だった。

 

まあこれも数ヶ月経ったら違ったとか言いはじめるかもだけど、この世に100がないことをやっと私が分かり始めたので、ヨシ。いつか私が100を作るための、70とか80。とにかく部屋がいい。部屋がいいから信頼。相対的にわたしの感性にじんじんくる度合いが高そうだ。とりあえず月に1度この場に来れることは私の精神チャージに必要と判断!楽しみ!

 

それから、大学の時の自主ゼミの方々が先生交えて飲み会すると言ってたので顔を出した。相変わらず楽しそうで良かった。超よかった!大学ではじめて話が合う人と会って、でその後触れる世界は特に話の合わない人たちの中の世界に元に戻っていく、という話をしている人がいて、なるほどー思った。まあ大学ってある種のユートピア化してるよなーって先生が言ってたけど、私はそうかーと思う。

 

私は多分、人間に会った機会が少なく、基本的には、小→中→高→大→院→その他諸々、どんどん話があうようになって行ったので、さらに良くなると思ってた。私は全然違うビジョンを生きてきたらしい。「あれ、世間知らずだったか!?」と思う。でも、私は私の前にある道を歩いてただけだ。確かにギャップを知ってど絶望してこのブログ書いてた時もあったんだけど、切り替えてみると、私個人で言えば、どんどん楽しいことになってるのも事実なんだよな。

 

それこそ、一緒に『テルマ&ルイーズ』見に行こう!って超ハイパワーな女の子に誘われて、熱烈に「何かを変えたい」「あれをしたい」「これをしたい」「これをしましょう」と言われたり、数ヶ月に一度都内のホテルに泊まってる時に声かけてくれるお友達は、いつも部屋で待っててくれてイチゴを剥いてくれる。それでひたすら話す。この前私の都合でちょっとしか会えんくて、それでも2時間は一緒にいたけど、もっと話したかったになった。こちらが関西に行く行く詐欺をしまくってたので、言霊のパワーを上げるためにもどんどん行かなきゃいけない。

 

あ!あと、一昨日、友達と、夜中に長電話した。なんか結局普通に盛り上がって終わった。家族を大事にする方向のエネルギーと、仕事を大事にする方向のエネルギーと、両方に引き裂かれると大変なんだよな〜とか話した。自分たちが27になりそろそろ身の振り方を…という話の流れにもなり、「いや、本当にそうか?ぶっちゃけみんなあんまよくわかってないけど、とりあえず選んでみただけじゃない?人間そんな簡単に割り切れなくない?」みたいなことになり、もちろんまた別の場所に行けばそちらの物語や環境が待ってるが、なんか楽しかったんだよな。元に戻りたいとか時間を遡りたいってより、自分の存在って軸からまっすぐありたいんだよなー。

 

軸の波動が合う人と一緒にいた方がいい。軸から人生伸びていくからな〜。軸があれば嫌なもの見ても凹まないし。でも、今は軸が弱い時期だから、なるべく自分とシンクロ度が高い場所に行った方がいい。ぐわんぐわん揺れてる軸をちょっとずつ周りにクッションつけて、その振れ幅を正していく感じ。

 

こうして書いてみると、院出てからも、人生良くなってんじゃん!(気がつき)むちゃくちゃ自我の強いカッケー友達がおって、自分の世界から遠いものを知って愕然としたり、だから自分の好きなものがわかったり(何が嫌いかわからないと何が好きかわからない)、ちょっとずつやりたいこと見えてきたり。Eじゃん!ダンスダンス(ダンスを踊っています)

 

長電話相手の友達と、「外側からどう見えるかを気にするよね〜」という話をしたんだけど確かにそうで、多分私がやってることとか、やりたいこととか、今どんな立場かって、客観的に話そうとするとなんか自分でも良くわかんないから、肩身が狭くなる。結局見てるものはまともというか、人間やってるんだけどな〜。私は"状態"だから。エッセイなんだよなー。エッセイを生きてるし、本来、人ってそうでしょう、私は何かの立場に落ち着けるんじゃないかと思うけど、実際そんなこともないし、今私から見て何か安定したポジションを得た人や何かを決断した人だって本人からしたらその確信には満ちてないんだと思うし。みんな〜そういう不安とか、吐露してこうな〜。磯野〜野球しようぜ〜。なんで、なんか「定まりました」みたいな言説ばっか出回るんだよ。定まらねぇだろ、生きてたら、と思うんだけど。でも結局、それって、語りであって、冗長なものなんだよな。その人がどんな生き方をしてきたかとか、何を見てきたかとかって、時間もかかるし、互いに興味がないと続かない。いや〜文学すぎる。

 

結局ミスiDってそれを聞いてくれる場所だったんだな。社会に文学を残す取り組み、偉すぎ、審査委員長、講談社編集長小林司小林司が出場者の少女たちをまなざすとき、私たちもまた小林司をまなざすし、少女たちを批評する時、少女たちにも批評されるからな。小林司を解釈したい。小林司が少女たちを解釈するのと同じくらい。

 

何かのスキルを持った人として、キャスティングされる場合の社会との関わり方に対して、これは非常に"無駄"が多い。でも何を無駄とするかなんだよな。無駄が大事みたいな言い方があるけど、私は無駄は無駄だろと思う。仮に効率的ではないことを無駄というのなら、その効率的ではない中で本当に無駄なものがあり、効率的ではないが選んでしまうものは、それは無駄ではない上、効率的でもないから、めっちゃ大事なものなのだ。むしろ効率の方が無駄。例えば、時間を度外視して何時間でも喋りたい友達ってかなり特別案件なのだ。

 

お金をもらって人の話を聞く、話すを仕事にするということは、時間が来たらおしまいの関係だということだ。互いに何時間でも話せるということの中にも、その人の人生に興味があることにも優劣がつく。結果、ついてるんだよな〜優劣って話を『テルマ&ルイーズ』見に行った時にその子にしたら「でも、全部にやってると抱きしめられるものも抱きしめられなくなるから…」というようなことを言っており、「あーーー!」になった。何かを切り捨てるんじゃなくて、何を大事にするかなんだよな。無駄が大事なんじゃないんだよな〜大切が大切なんだよな〜。

 

てか、その大学時代の自主ゼミの飲みで、日記の本を出して売ってる人がいて、本当に人はエッセイを書いて売ればいいと思う。生きることをエッセイにすることはむちゃくちゃ主体性をぶち上げる行為だと思う。エッセイを書く時私は個人になるから社会問題について考えなくていいし──そんなことはないけど。(例えば、何かしらのトップクラスの友人とばかりつるんでいることが、全体の何%かとかをいちいち考えることは、1回知ったのでもういい)自分が自分であることに勇気を持っていられる。

 

なんでサザエさんに、はまじが出て来ないんですか?と言われたら、違うアニメなんで…ってだけだ。私は私のアニメに出てくる人とか、登場する場所とかがなるべく自分の世界に近くなるようにカスタムしたい。死ぬまでに見るVRが最高ならそれが人生なので、とりあえず、死ぬまで見るVRに出演してくるものと場所をなるべく自分に合うものにカスタムすることを第一目標にする。それは私がどれぐらい恵まれてるかとか、そういうのも考える必要がない。みんな各々最高のVRをやっていくだけである。VRで見るもののカスタムに執着してるだけで別に差別をしたいわけでもないし、それぞれの不平等や理不尽や困難は克服されるべきだが、それはそれとして私は私が見るVRをめっちゃいいものにしたいなーと思う。

 

社会的な正しさとか、そうは言っても実際問題難しいこと…とかもあるんだけど、私個人の人生でいうと、その身体を持っていける場所も、

キュレーションであり、エディトリアルだから、時間の配分を考えて生きる。心の配分を考えて生きる!編集なんだよな〜。てか、日記映像とかもそういうことよな。日常をクリエイティブと編集で見つめるって楽しいな。いや、編集者がミスiDやってるってそういうことよな〜。ミスiD論考書くか〜。最近ずっとこの話してるんでなんだかんだ自慢にしてるとは思います。楽しかったね。

 

エッセイとか生き様評価性のものがこの世にあってもいいってことよな、総括。

どの本のどの棚に並びたいかの話だ。自分が並びたい棚(客観)と、私が見るビジョン(VR)にこだわって、それを続けるだけ。最近思ったけど忙しい方がいいな。自分の好きなことに一生懸命になった方がいい。それを考えながら疾走してる間はいろんなことを考えなくていいから。考えられてないことのことを考えなくていいから。そんな感じです。あ、貸切スナックやるから来てね〜。あと、ホームパーティ上手くなりたいな〜ちらし寿司とか作りたいんだよな〜これは私にとって「大切」なことだ。手を動かす感覚、手のひらから料理が生まれる感覚は「重要」である。大切で重要なことを当たり前のように信じること。それって自信なんだよな。