美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

極上

忘れかけてた。自分が関われる人の数、濃さ、本当に自分が自分に出会った時にだけ訪れる、「全部足りている」という極上の安心感。幼馴染の友達の家に行ったり、だいぶ前のお出かけの記事に来たスターに導かれ、その人のブログを辿ったら、すとんと落ちるような文章があったりして安心した。なんか4年越しに更新されていた。読者登録をした。

 

私のはてなブログの読者更新欄は、7年前の雨宮まみのもので止まっている。

 

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自死ではないとのことだけど、雨宮まみはこの記事を最期に亡くなっている。好きだった。知ったのは、亡くなってからなのだけど。

 

彼女の言葉は自分の心のいちばん痛いところに響くようで、美しくて、ときに傷つけそうなくらい抉ってしまって、恥と、ものすごく深く暗いところ輝く鉱物のような光を併せ持っていた。

 

愛情が深くて自分に嘘がつけない。彼女が自分の部屋を紹介するエッセイがあって。

 

どうしても欲しかった、美しいタンスを海外通販で買ったという話だったんだけど、そのタンスがすごく素敵で、わたしはあまりに眩しいと思った。何かにこだわらないことと、こだわることの間には必ず美しさという純然たる違いがあり、、彼女がどうしても欲しかったダンスを思い出すたびに、何ひとつ妥協したくないと思う、どこかでビビビとくるものに出会った時、それにしかもってない光があることを、思い出させてくれる。

 

 

これ雨宮まみが亡くなった後、譲り受けた人の投稿だ。螺鈿のようにキラキラ輝く表面が綺麗。

 

 

一番きれいなものだけを求めることが、こわいと思う。妥協をせず、ごまかさず何かを綴りながら生きる人が、すり減らないでいてほしいと思う。

 

この、美しいタンスを見た時に、自分が手近で安易なものに逃げてないかを考える。これしかなかったどうしてもこれがいい、わたしはこれが好き。雨宮まみの気迫と、嘘のつけなさ、美学、誠実さに、背筋を正される。極上の人がそこにいたことを忘れずに、いたい。苦しいくらい甘くて、届かない人である。