美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

わたしがママをやる理由

 

修論書かなきゃいけない時に限って全然違うことを書きたくなる。

 

このまま院を出て、私は多分当面はスナックママ業と、心に一点のやましさも抱えずできる仕事ー料理をつくれるバイトとかしながら、練馬の実家でなだらかな生活を送っていく。それでやっていけるから。縫い物もしたいし本も読みたいし、料理ももっとうまくなりたい。

 

博士にも興味がないわけではないけど、ちょっとどうなるかはわからない。

 

ある程度時間に自由が効いて、会いに行きたい人がいたらすぐに会いに行って、死ぬまでの後悔を少しでもなくしたい。困ってる人がいた時にそこにさける心と時間の余地を残しておきたいと思う。今この瞬間だってたまたま生きているようなものなのであまり多くの物事は望まないことにしている。だって十分楽しいもの。日替わり店主の店をいつか自分でもやりたいし、今のお店に立つ日も増やして所属しているお店にも返したいものがたくさんある。

 

仲の良かった人たちが急速に「大人」になっていくのを感じたり、変わらなさを感じたり、私自身も急に大人ぶってみたり子どもの顔をして得をしたりしているうちにすっかり26歳になった。でも、大事にすることを心に決めてもう手放さないと決めたら、もはや精神年齢みたいなものは増えることも減ることもない気がするのだ。そもそも、私の好きな女の人たちはプチ〜結構な富裕層の主婦である。文化的な余地があり、いつもおうちにいて、美味しいお茶とかお菓子とか料理とかを振る舞ってくれる。大人になるって、ティラミスをつくれるようになったり、天ぷらを揚げられるようになったり、かわいいアップリケのついたレッスンバッグを縫えるようになることだと思ってた。私はなんとなく大人になるということがわからず、だからといってその生活を手に入れることを目当てに結婚に人生を振り切るのは私にとっては魂の死を意味するのだけど、そういえるのは実家があるからかもな。

 

私が出会ってきた働く女性たちはいつも美しくバイタリティに溢れていた。それは私の父の周りにいる女性たちで、彼女たちは皆シングルか離婚経験があった。子供はいない人が多かった。わたしはそういう女の人たちに娘のように可愛がられて育ったし、いつも気にかけてもらった。

 

富裕層の主婦の家でもてなしを受けて紅茶を飲み世間話に興じ、東京の星のようなバリキャリたちにエンパワメントされた私は、26歳現在スナックのママになっている。

 

結婚による余地ではなく、スナックによる賃金で文化的で豊かな時間と空間を成り立たせたい。わたしの好きな女の人たちがくれたものにちゃんとお金が払われて社会の中に居場所があって欲しいと思う。素敵な専業主婦と、素敵なキャリアウーマンからもらったものがわたしには半分ずつ流れている。その人たちがどちらも好きだから。

 

カウンターに立っているといろんな人の話を聞くことがある。この前はお客様が1人しか来なかったのだけど、その人とじっくり話をした。お客さまとした話をここに書くのはご法度かもしれないが、あくまでこのブログは匿名という扱いにして、少しぼやかしながら書こうと思う。

 

その人は、20代の頃に兄を自死で亡くしていた。兄より出来が良かったその人は、トップ層の大学に合格し、有名な企業に就職したという。同期で入社した人々の中でただひとり海外派遣が決まり(栄転ですね)、1年間の海外勤務を経て帰ってくるその日に兄が飛び降りたのだという。

 

それからその人は、そのことを他人には口にしなかったという。事情を知っている人もその話題は避けるし、自分から話をするようになったのは兄の死から35年が経った後だったという。

 

35年というあまりに長い年月の間その語りが封じ込められていたことと封じ込めざるを得ない今の社会の在り方のことを途方もなく考える。途方もなく、途方もなく。

 

自分が海外から帰ってくる日に兄が飛び降りる、その、解釈の余地はあるけれど、あまりにも苦い現実に私はどうしたらいいのかわからない。言ってもいいのかわからない、その人にかけていいのかわからない言葉を、幼さに任せて言ってしまった。私も母を自死で亡くしているから自分が助かる方法を知りたくてその人に呪いの質問をしてしまったかもしれない。

 

「背負わないで…背負わないで生きていけるんですか?」

 

その人は言う。

「兄の分まで生きなきゃって思ったね。」と。

 

私は多分そんなふうに思えない、きっとその人だって本当はそう思えない日もあったかもしれないし、本当に生きねばと思ってるのかもしれないし、やっぱりそう思わないと生きていけないのかもしれない。その人はこう続ける。

 

「小説を書いてるんです。ペンネームは僕の名前と兄の名前を入れたもの。兄は僕より優しかったから、そういうふうに僕もありたいなと思って。兄がいたらこうだったかなって、想像で語らせる話なんですけどね…そうやって記憶の中で生きているんです。こちらが勝手に書いているだけなんですけどね。」

 

やっぱり人は生きるために物語を必要とするのかもしれないと思う。わたしは魔法のような出来事と、人間の愛情と、人生に時たまおこる神さまがデザインしたような心が震える瞬間のことを信じているけど、答えのない淀みのようなどうしようもないことがたくさんある。

 

でも、それを35年も自分の内側に封じざるを得なかった目の前の人を思った時に、そのいたたまれなさに涙がこぼれてしまう。もっと悲しみとか弱さとか、いたたまれなさについて語る場があるべきだと思う。

 

その人は、

「美人さんには少し聞かせるには若すぎたかな」

と言った。わたしは首を振った。

 

「いや、なんか今日お店開けてたことに意味があった気がして。他の人がいるとこういう話多分してなかったと思うから。」

と言った。

 

その人も

「わかります、そういうタイミング、僕信じるタイプなんですよね。」

 

と言った。私は

「ああ、私も信じます。ありますよね、今日。」

と答える。

 

そして私は話を続ける。

「私、母亡くなったこと相手が聞きたいかは別にして、結構いろんな人知ってると思うんですよ。私がすぐ喋ったり書いたりするから。」

 

その人は驚いた顔をした。

 

「当時みんなめっちゃ暇だったし、周り思慮深い人が多かったから、そのことについてめちゃめちゃ話してくれる時間があったんですよね。友達哲学科とかなんですよ。人が生きる意味とか死ぬこととか、どうありたいかとか、そういう話に永遠に付き合ってくれて。そういう余地があったことが恵まれてたと思うんです。」

 

「母が亡くなった後、それまでそれほど仲良くなかったその友達から急にLINEが来て、突然彼女の家の事情の話をして、美人ちゃんなんかあった?って言ってくれて。多分学校1週間くらい休んでたから察してくれて。彼女の自己開示から始まって、自分からは誰にも言えないようなことに踏み込んでくれたことがありがたくて。」

 

その人が35年以上を経て書いた小説をいつか読んでみたいと思った。どんなお兄さんだったのかを知りたいと思った。

 

その人は言う。

「今日、なんとなく節目みたいな日になりそうって思って来たんだけど、そんな日になりそうです。」

 

タイミング、みたいなものを信じている。この人との縁とか、やるべきことが終わったな、とか期が満ちたなとか、始まるなみたいな予感がすることがある。カルマとか縁とか言うとスピリチュアル過ぎると言われてしまうだろうか。やっぱり脳内で都合よく描いた妄想にすぎないのだろうか。それでもやっぱり人と人が出会うタイミングには意味があり、混じり合うことがあり、心の中に何かが満ちる場面が生じることに異議を唱える人は少ないのではないだろうか。そういう波を感じられる時は往々にして調子がいい時だ。そんな波の話も、そのお客さんとした。ふっと感じる空気の変わり目に、敏感でいたい。私が今感じているのは、どこの何へと向かっているのだろうか。でもこのことを続けた方がいい予感はしている。予感で人生を決めていいのかは分からないけど、予感以外に決める要素はないでしょ。だって本当に、明日何が起こるかなんてわからないんだから。

 

文化的で豊かな生活と団欒、人の話を聞く余地を守りたいからスナックのママになってただけで、先のこともよくわからない。す〜ぐに生き方の言い訳のように親族の自死の話をするので悲劇に酔ってるように見えるのかもしれないし、(自由意志はないので他者の死に責任を持つことはできないーすぐこういう話するし、したいんだけど、みんなもうしたくない?)さらに、私には、ある程度豊かな主婦たちが持つ特性である「世間知らずでメルヘンでずっと幼いまま」的な部分もあるし、見方によってはモラトリってて現実と向き合ってないのかもしれないし、別に自分の個人的な背景に酔いしれずにスパッと人生仕切り直して就職とかしてもいいのかもしれないけれど、たまたま今生きていて、時間があって、人の話を聞く余地を遺しておきたいと思うだけなのだ、そのことの優先順位が一番高いから、何も決めずにずっといるのだ。自分が社会に分け与えられるリソースを一番いい形で使いたい。

 

話さなければいけないことを話す場所があり、集まらなければいけない時に集まれる場所があり、別にこちらから招かなくてもずっとあいていればいいのだ。いたたまれないことと、それを綴り語り、現実をつくっていくことの意味を考える余地を守りたいと思う。私はラッキーなので、結構なんとなると思ってる。

 

ただ、予感の波の音が最近聞こえなくなってる、修論に追われて生活が乱れてるからかな。ラッキーに勝負強くありたいと思う。

 

ラッキーな人は運気を運びにやって来てください。

そういうの信じても信じなくても、楽しそうな人達がいるところに楽しそうなことが集まるのは真実でしょう。