美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

もう、インターネット以外の場所に行く。具体的には手で触れる現実。

 

題名の通りのことをはてなブログに書く時点で、すでにかなりインターネットだ。だけど、もうインターネットは終わりだと思うのだ。だから、私はここから出ないといけない。と思うようになって、荷物をまとめ始めている。

 

最近、ネットに繋がらない時間を増やすようにしてから、生活の充実度がぐんぐんあがっている。雑誌も久々に買うようになった。現実の書店に行って、ピンとくるものを手に取る。こんなに格好のいい専門系の雑誌を…?と思うものも手に取る。衝動で買う。買えば多分、その時間はその世界に浸れる。

 

そこには、タイムラインには出てこない美しさがあるから…。私はインスタに舐められてるので、レコメンドにニトリの商品の活用や部屋の紹介をされるけれど、本当はニトリで買えるものはニトリに行けばわかるので、すごくいい曲線美の椅子が見たい。

 

すごくいい曲線美のイスは、インスタ的に見て私には不相応らしい。ニトリの白だけの収納グッズの活用をすすめてくる。そして私は本当はすごくいい曲線美な椅子を見たいのに、持っていた欲求には気が付かずに、惰性でニトリの活用された「ホワイトガーリーで可愛い部屋」をタップしてしまうと、インスタから一生ニトリの活用をおすすめされてしまう。そんなことを繰り返してもう何年経っただろうか。

 

「嫌だ!うっとりするほど、苦しくなるほど、焦がれるほど綺麗な椅子が見たい!」という欲に気がついてしまった。LOWYAもIKEAも買うけど、でも、ただただ美しい椅子が、遊び心に富んだ椅子が見たい日もある。

 

今いる場所、今いるルーティンから抜け出す方法を、日常の中の驚きの出会いを、インターネットは伝えてくれない。コーヒーにいろんな種類やいろんな淹れ方や、いろんな味があること、あんまりインターネットは教えてくれなかった。大好きな先輩と、次にニューヨークに行く約束も、インターネットの中にいたら、見つからない。

 

確かに存在するけど、たいして自分にとって大事ではない人の「生きづらさ」とか「職場の文句」とかがタイムラインに流れてくるのがしんどい。雑に作られたキャリアアップの広告とか、脱毛の広告とかを目にしている場合ではない。

 

もう、なるべく自分の人生に関係のない情報を、入れたくないのだ。発信するにしても、いろんな人が見られるから、誰かが傷つくかもと思うと何も書けなくなる。そして、編集や、洗練、選抜の伴わない雑然としたものには、疲弊が伴う。それに、やっぱり、少し誰かの気を悪くしてしまっても、本当に思っていることが書けないのは嫌かもしれないと感じている。美学に排他は伴うのか、ということを最近考えてしまうから。

 

クローズドな空間で、目の前に見える人たちだけど仲良くやっていきたい。私は私を満たしてくれる場所や人と共にあるべきで、私が削られる必要性はどこにも存在しない。

 

インターネット捨てて、街へ出ましょう。いいものを聞き、いいものを見て、いいものを読み、いいものを食べて、いい人たちとだけ、いい時間過ごしましょう。