美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

階級闘争思い悩みドビー

 

日々、階級闘争ことを考えています。

階級闘争のことを考えまくり、階級闘争思い悩みドビーになっています…。

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階級闘争思い悩みドビー

 

階級闘争重い悩みドビーとしての日常は大変です。大学院を出てからぶち当たるさまざまな人との出会いに、喜び勇んで参加しながら、ささやかな違和感を覚えたのち、お家に帰ってベッドで暴れるだけのことです。

 

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階級闘争想い悩みドビー、帰宅

 

大学院受験を志した時、社会学の勉強を始めて一番惹きつけられたのは「ハビトゥス」という概念だった。「ハビトゥス」というのは、フランスの社会学者、ピエール・ブルデューが提唱した概念で、その階級に特有の習慣、仕草、好み、行動様式のことである。いわゆる文化資本のことで、家庭にどれだけ本があるかとか、どんな経験をしてきたかとかが影響する。

 

私は多分大多数の人間の中でも圧倒的に人に興味がある方で、人間のことが大好きだ。文化や社会や人との交流を愛している。その一方で、「ハビトゥス」という言葉が可視化したものがあまりに痛烈で、びっくりしてしまった。今まで感じていたが、存在しないことになっていたものが初めて出現した、そのものとの戦いが本当に辛くなり、私はその時から階級闘争思い悩みドビーになってしまった。

 

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階級闘争思い悩みドビーになった

 

我が家は、わたしの自己認知では「一億総中流♪」という感じの家柄で、ユーミンとサザンを聴いて育った。私は、80年代を過ごした夫婦の子どもという自負があり、それほどリッチだとも思っていないし、それほど文化資本が高い方だとも思っていない。世の中には、クラシックや乗馬といった伝統的なハイカルチャーを好むアッパーオブアッパークラスがおり、別にうちは全くそんなことはない。私も雑で気が短く、ピアノもへたっぴで続かなかった。オリジナルソング「バーミヤンの歌」とかを即興で歌っている方が向いていた。

 

だから、大衆的な一般の家庭のひとつにすぎない。名曲「バーミヤンの歌」が生まれる豊かな土壌はあったが。この辺は、ブルデュー的にはどの辺の文化資本に入るんだろう。高級な中華屋に行っている層には歌えない名曲だ。昔母親に「うちがバーミヤンに行ってるってバレるからそんなに歌わないで」と言われたけど。

 

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▲くらえ!自称中流階級バーミヤンの歌!

 

最近は私も上流階級のすなるものを〜と思い、クラシック、オペラ、歌舞伎、などに行ってみたが、クラシックは2回行って2回とも眠くなってしまった。一応、幼稚園音大付属のところだったんだけどな。年に一度クラシックを聞く集いがあり、その日は上品な黒のパンプスをはかされるのだが、私は常に足を引き摺りながら歩いていたため、つま先をボロボロにして怒られていた。これって上流階級ですか?

 

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▲ドビーは常に自らを屋敷しもべ妖精だと思っておりました

 

このように、幼児の頃あまりに足を引きずって歩くので、形成外科に連れて行かれたことがありますが、単に「歩くのがダルかった」という理由で、病院の廊下で「走ってごらん!」と言われて軽やかに走る私の姿が目撃された。歩くのが本当にだるくて。

 

話を元に戻すと、オペラは、本当に品のよく高いクオリティで人間同士の痴情のもつれを見られるので、質の良いインターネットみたいで楽しい。大ファンです。U35の割引を使って見ています。うざいセクハラおじさんから、突然女に入れ込んで人生を滅ぼす人などが出てきます。こんなものはXでも見られますが、めっちゃ頑張って歌ったり演じたりしてる人たちのを見た方がよっぽど楽しいです。人間の"揉め"って結局めっちゃ面白いですからね。"揉め"を見るならオペラとかで見た方がいいです。あやなんとしばゆーとてつやのことは気になるけど。(東海オンエアの話)

 

モーツァルトのオペラ『魔笛』は、「女の子をゲットするために男の子が通過儀礼を経て立派な大人になるぞ!」的な話なんですけど、主人公の青年タミーノのそばに、パパゲーノという軟派な青年がおりまして。(工藤新一と服部平次みたいなもんです)

通過儀礼のひとつとして2人にはおしゃべり禁止令が出されるんですよね。仮にもフェミニズムを学んだ私といたしましては、

 

「あ!女と喋らないのが大人の男性になる通過儀礼だと思ってー!いけないんだー!!」

「軟派な青年を軟派なままにしておけーー!」

「他者と交わることを閉鎖して個を確立することを成長と履き違えるなー!やー!」

 

と、思ったりするわけです。品の悪い野球観戦ジジイとかだったら、自分の思ったことをビール飲みながらヤジってしまうかもしれませんが、そこは美人ちゃん、お上品なオペラを見にきているので、ヤジは飛ばしません。ドビーめは、ハリーポッターに誓って絶対にそのようなことは致しません。

 

 

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▲ドビーめはモーツァルトのオペラを見て思ったのです。男性もお喋りをした方がよいと。

 

まあ、なんやかんやあって、おしゃべり禁止令を克服したパパゲーノが、老女に結婚しろと脅されて、受容れると、その老女がめちゃかわフィアンセのパパゲーナになってラッキーハッピーマリッジに結びつくという話なんですね。『魔笛』。話のメインテーマはまた別筋なんですが。

 

これは私の想像に過ぎないけど、一旦老女を受けいれるとめちゃかわフィアンセになるという描写、女性の老いを受容れることが結婚の試練として課されてるんじゃないかと思うんですけど。どうなんですかね。

 

ハライチの岩井が19歳と結婚したことをXで見て答えのない答えを探してる時間より、『魔笛』のこと考えてる方が楽しい。全然、X見てましたけどね。全然。前髪重めだった岩井って、おでこを出す髪型になってから活躍めざましくて、おでこを出した人間は全ての判断が世界に祝福されると思ってたけど、おでこを出しただけでなんでも乗り越えられるわけではない。わたしも社会人としておでこを出そうかと思ったが、べつにおでこを出すことが万能ではないことも感じました。

 

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▲デコ出しは万能だぞ!初期マルフォイ大好き!

 

ピエール・ブルデューが著書『ディスタンクシオン』で、趣味によって人々の階層が決定づけられたと書いたらしいが、上下巻で10000円するのでヒヨっている。金を払った上怖い指摘に辿り着きたくないだろ!

 

例えば「味覚」とかによって支配階級同士で陰湿なメッセージを確認しあって、階級を確立してきた、みたいな話があるらしくて、私、最近人に勧められた人の料理が食べられなかった経験を始めてして、こんなに自分って人に不寛容なんだと思って、愕然としたんですよ。

 

したがって、『味』は文化的覇権の重要な例であり、階級的分断がどのように決定されるかを示す重要な例である。それは、社会資本や経済資本の保有だけでなく、文化資本保有でもある。文化資本を植え付け、獲得することは、支配階級の文化的再生産だけでなく、社会的再生産を確実にするための陰湿なメカニズムとして利用される。また、人は幼少期に自分の嗜好を教えられるため、嗜好は深く内在化される。味覚のための社会的再コンディショニングは非常に困難である。植え付けられ、後天的に獲得された味覚は、その人がある社会階級の出身者であることを恒久的に特定する傾向があり、それが社会的な流動性を阻害するのである。このようにして、支配的な(支配的な)階級の文化的嗜好が他の社会階級の嗜好を支配する傾向があり、経済的にも文化的にも支配的な階級の個々の男女は、支配的な美的嗜好に適合するか、あるいは「社会的」(しかし実際には小数の支配的な)不支持を受ける危険性があり、粗野で下品で味気ないように見えるのである。

ディスタンクシオン - Wikipedia

とりあえず500円の100分で名著のやつはメルカリで買った。

 

私大学時代、お友達がお鍋とか作ってくれるの大好きでさ。人って食によって温かい気持ちになるし、みんなで食べると美味しいね!楽しいね☺️みたいな気持ちだったのにこんな、暴力差別装置みたいな側面があって本当に悲しい。

 

味、残酷すぎる。私が食べられなかったのは、人が作ってくれたプリンでさ、目の前で砂糖をかけてバーナーで炙ってキャラメリゼしてくれたんだけど、ベッコウ飴みたいになって、スプーンの裏で叩いたけど割れんかった。びっくりした。アメリになれなかった。飲み会した時先輩が深夜に作ってくれるプッタネスカ美味しかったのに。人の料理ってなんでも嬉しいわけではなかった。

 

実際には、男性や女性が他の社会階級の文化や芸術に出会うと、「嫌悪感、恐怖によって誘発されたもの、あるいは他の人の嗜好に対する内臓的な不寛容(「気分が悪くなる」)」を感じる。

 

ディスタンクシオン - Wikipedia

これは悪口ではないのです。社会学のいいところは、悪口を言わずに済むことです。私ではなくて、ピエール・ブルデューが言ってたから!人の料理を食べられないことが良心以外のもので起こりうるって、1979年にフランスの社会学者が本にしてくれたおかげで、私はドビーみたいにタンスに頭をガタガタぶつけてハリーを困らせずに済む。

 

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▲べっこう飴のようなプリンのキャラメリゼではアメリにはなれないことが発覚

 

▼ショックでブルデューの『ディスタンクシオン』を読もうとする屋敷しもべ妖精

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ちなみに『ディクタンクシオン』には、農作業でひどく荒れた手の老婆の写真を見てどう思うか、という質問に、上流階級は「美しい」みたいな感動を見出すけど、それを言う側の手は往々にしてきれいだ、みたいな話が出てくるらしく。結局物事に対して、俯瞰的でさまざまな見方をする可能性を持ち得る人は上流階級なのだといった話が出てるらしい。

 

①「わたしたち」の輪郭を決める文化資本の呪い~ピエール・ブルデュー「ディスタンクシオン」より|なかそね

 

階層の話をする時にドビーの話をして大暴れをする人間は、上流階級に入るのだろうか。全然私は、もっと、親からブランド物を買い与えられてる人とか、クラシック音楽をやらせてもらっている人とか、海外に留学する人とか、親の会社を継ぐ人とかいるのしってるよ。それなら私はどこに位置するのだろうか。

 

ブルデューは、「労働者階級の人々は対象物が機能を果たすことを期待している」のに対し、経済的必需品から解放された人々は、日常生活から切り離された純粋なまなざしを操作することができると主張している。

ディスタンクシオン - Wikipedia

つまり、機能面とは違う美に興味を持てるのが上流階級らしい。

 

でも、わりかし子供の時って、みんな機能面とは違う面白さを見出す力を持っているよなーとか思ったりもする。まあ、幼稚園にかわいいサンダルを履いていこうとしたらスニーカーじゃないとダメとか言われていたけれど。

 

なんだろうなー、心の上流階級っぽさみたいなのがあって。童心を持ち続けられるかどうかって、普通に貴族性とかと関係性あると思うんだよな。童心がダサい幼いとされるのは、普通に、それを忘れさせた方が都合のいい誰かがいるからだということに気がついた方がいいし、人と話さず硬派を気取ることが、大人になることではないと、重ねて言っておくからね。恵まれてるからできること、で結構、死ぬ気で守ってやる、と思ってる。童心ないやつつまらんもん。おふざけできんやつはきらいでつ。

 

多分もっとお金持ちな人とかは私の高校とかにもいたんだけど、こう、ユーモアとか、ポエティックな表現ができる人とか、ゆとりのあるやりとりとか、ウィットのある感じとかは、なかったんだよな。目の前の機能だけを見てた気がする。ほんとに!?私よりいいものを持ってたし、経験もたくさんしてるし本も読んでた気がするけど。彼女たち、彼らと私ならどちらが上流階層なんだろう。早く読まなきゃ〜上下巻で10000円するよぉ。

 

てか、私が求めてるのって、文学部っぽさ?と思ったりする。

 

「あそぶんがくぶ」とか「就活に弱い」とか揶揄されてたけど、私が結局文学部っぽい人としか仲良くしたくないのって、うわべでは「社会不適合者ばっかり☆」とか「いやいや、趣味人が多くて!」とか、「理系じゃないから」とかこちらを下げるようなことを言いながら、

 

・世界に機能面以外の余剰を見出すことができる

・そしてそのことを人生のある一定期間追求する決断ができる精神的身体的な余裕があった

 

人たちが好き、と言う話であってこれはかなり恵まれていて、ある種CAとの合コン以外嫌だぜ!とか、キー◯ンス以外はお断りよ!みたいな話をしてるんだろうな、と思った。

 

一番就活に弱い学部を選べてそれを好きでいられることはやはり、かなり余裕があり、先のことを考えないでいられることの裏返しだよなー、と思った。最も価値がなさそうに思われているのは、この世で価値があると思われている物をすでに持っている、もしくは全く気にしないでいられるかと言う強さがあるからなんだろうなと思った。誇り高きやしきしもべ妖精ドビーは、自由な妖精なのです!

 

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▲ドビーは、マルフォイ家の妖精なので、ハリーに告げ口すると自分の耳をオーブンの扉で挟む自己処罰を与えていたが、靴下をもらって自由になったため、もうお耳を挟まなくて良くなった。わたしも早く知性を得てこうなりたい。

 

なんだろうな、もちろん出自も影響するとは思うんだけど、そして、ブルデューはそれは強固なもので乗り越えようがないと言いがちなのもわかった上でなんだけど、逆に言えば、物事を機能面以外で見られたり、一つの写真に対して俯瞰してさまざまな美を見出すことができるのは上流階級に近いということではないかと思う。近いのがいいかどうかはわからないけれど、私は美的センスが優れていたり、いろんなものの見方ができる人が好きだ。

 

自分の軸かもなーと思う。合わんやつは去れ!

私は人様のプリンを食べられない自由な屋敷しもべ妖精…

 

ドビーに靴下くれるみたいに誰か『ディクタンクシオン』くれないかなー。