美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

心地よい安全圏を出て勝負しないといけない時はあるだろうよ

スラムダンクを見てしまった…。スナックに院生時代の学友が来て「4回見た!」「みなさん同時代性を分かち合ったほうがいい」と言っていて、その言い方があまりに面白かったので見に行った。「いや4回!?!?」と言ったが「試合がいい、4回試合を見に行った」と言っていたので、そういうものか、と思った。

 

その場でチケット取ろうとしたら、ちょうど2日後に作中の試合開始時刻と同じ時間の全国同時上映があったので、ちゃっかり取ってみた。なんかその友達ももう一回見るとか言い始めて、私と違う映画館で見てたし。もう1人のお客さんも夜の回取ってたし。結局彼女はスラムダンクを売り捌いて、私の店を出て行った。彼女には今度カウンターに立ってもらうことになったが、「私接客苦手だよ〜、スラムダンク売ることしかできない〜」と言っていた。十分である。

 

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いや、兄も亡くなってるやんけ、聞いてないよ、と思いながら、見ていた。スラムダンクは私ちゃんと見てなくて、昔スラムダンク世代の恋人の家で再生されているのを見てたら、体育館で大乱闘が始まり、「全然バスケしないやんけ!流血量多すぎるぜ」と思った。ちなみに、『銀河英雄伝説』は登場人物を覚えた端から人が死んでいくので見続ける体力がなかった。でも、初めて家に行ったときに『彼氏彼女の事情』が流れてたのは「世代性出てる…味わい深い…」と思った。

つくづくオタクとしか縁のない人生である。最近家にきた友達に「美人さんはオタクを前提としすぎ!

オタクばかりと関わりすぎ!」とオタクに言われたが、「人がオタクと近づく時、その人もまたオタクなのだ」いうのは旧約聖書における有名な一節だから仕方ない。

 

で、話はスラムダンクに戻るんだけど。

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人間が普通にトレーニングしてスポーツ頑張っている話、良すぎた。異世界転生をするな。恵まれない自分を突然美少女が救ってくれると思うな。弱者ムーブをするな、それでいい!健全!という気持ちが蘇ってきた。「頑張れない人もいます!」というのに合わせるのに疲れてきた。殺し合うようなプライドのぶつかり合い、いいですね〜。人がひねてない、鬱屈としてない。私は基本的に人生の半分くらいを、社会に蔓延する鬱屈とした何かの打開を考えることに割いてしまっているので、もうそんなことのケアは私がしなくて良いのであり、人は各々スラムダンクとかを見て頑張ってくれ、という気持ちになった。

 

でもさ、そうやってプロが生真面目にアニメとか作ってても、ある日突然、気が狂って「俺が考えた話が盗作されてる」とかいって何一つ生み出さずに限界になった人間がやってきて一面を火の海にしちゃうんだぜ。生活も創作も歴史も建物も焼き尽くすんだぜ。試合にすら出てない人間が。現実の方がよっぽど耐えられない。フィクションを全然超えてくる。生きることは単調で、人生に物語なんてないと言うのは簡単だけど、個々人の物語のバッドエンドが、ハチャメチャな被害を巻き起こすことをもっともっと人は考えた方がいい。藤本タツキが『ルックバック』を描くことは、苦しく重く、力強く、怒りのこもった一撃であるよ、晴れやかで少しさみしい。

 

健全な心、健全なスポーツ、健全な創作、健全な勉学。「人に健全という状態などない、いい・わるい」ではなく色々な人がいる」というのはわかるが、そうはいっても、人にはちゃんと戦わなきゃいけない時があるよね〜とかは思ったりする。最近のタイムラインで話してる話とも関連するけど。

 

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なぜハウルの話をしているかというと、今週、スナックに立った時「ジブリにおける『ハウルの動く城』はアリかナシか」という話になって。アリ派もナシ派もいたかな。私はハウルが髪色しくって緑のグチョグチョになってるところが滑稽で好きなので好きだが、後半の鳥になってからが嫌なので…ていうかどうでもいいので…という話をしていたけど。

 

幼少期になんとなく思った、「ハウルが鳥になってからだるい」の正体、たぶん、私自身が持ってる、強烈な「戦争を知らない箱庭で私たちは生きていきましょう」というポリシーに結びつくんだよな。いいじゃんね、黒の扉(ハウルのおうちにはルーレットの色ごとにいろんな街にに繋がった扉があるよ!黒色は危ないよ)なんて開けなくて。目玉焼き作って、カルシファーがポリポリ卵の殻を食べ続たりね、楽しかったじゃんね。お上手お上手。目玉焼きお上手〜♪♪ルルル〜♪♪ たぶん、こういうところが嫌われるので、この世には黒の扉が必要なのかもな。黒の扉って自我と戦闘だから。そんなことはさておき、

 

おジャ魔女どれみ』の最終回ってMAHO堂に立て籠るけど、箱庭で生活を営みものづくりをし生きていくことは、『プリキュア』の戦闘に劣るのだろうか、と思うんですよ。内向とインドアが、外向とアウトドアに対して分が悪すぎると思う。

 

うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』で、高橋留美子が描く日常は、フェイクに過ぎないと、押井守が指摘したけど、作中で登場人物たちは友引町の終わらない日常を生きる。宇宙船に乗って脱出を試みても、決して逃れることができない。作中ではそれを「ラムの夢だ」とあたるに宣言させることでメタ的にその構造を破壊したのだけど。「でもそもそもそれは悪いことなんでしょうか?」とも思うのだ。『この世界の片隅に』で、ただ絵を描いて、生活を営んでいた主人公、すずの日常があまりに理不尽に奪われていくように。戦闘に対する、日常の力って絶対にあって。そのことをよく考えるんだよ。

 

これ有料版だからみんなほぼ読めないと思うんだけど。宇野常寛が、『この世界の片隅に』の主人公すず、が、戦災孤児を引き取り、街のスケッチを描きながらもういなくなった誰かの思い出の器として自身が日々を暮らしていくエンドのことを、「<公>のことを一旦忘れたふりをする姿勢で好ましくない」と言っている。

 

それに私はキレている。「クソが!お前正気か!?!?」と思うんだけど。ガチで批評しようと思うと、「お前正気か!?!」とか書けないけど、ブログだから書く。本当にね、「お前正気か!?!」以外の何者でもないんですよね。いや、これもう3年くらい思ってたから、言いたい。「お前正気か!?!?」

 

宮台真司が、「姪が爆撃で亡くなったこと、自身の右腕が亡くなったこと、その見たくない外傷を見続けることこそが戦争への回避策になる」と言ってたけどほんとそうです。

 

〈公〉の事情により右腕を失った、一市民が、生活を取り戻すことに、その日々を編んでいくことに、何の問題があるのだろうか、と思う。スポーツは近代における戦争の代替手段らしいんで、スポーツでもおやりになってはいかがですか?バスケとかやれ、バスケ(暴論)とにもかくにも、宇野常寛に対して私はずっと怒っている!!!!

 

はぁ、はぁハウルの話に戻ります。スラムダンクの話にはまだ行けません。

 

ハウルたんは、中盤の「サリマン先生のところ行きたくないでしゅ」ムーブに関しても腹が立つので、「舐めるのも大概にせいよ」と思っている。

 

こういうことばかり言っているので、スナックに来ていた元同窓生たちに「美人さんは絶対に嫌いなのでエヴァを見てください。エヴァを見てひとつひとつに怒ってください」と言われたけど、見たらそのうちちゃんと怒りたいと思います。

 

あ、でも、ハウルのあの異常にゴテゴテで、装飾品に囲まれた、自分の砦みたいな部屋に住んでるところは好き。あれはオタクムーブだから。物語、装飾品、服装、インテリアの力を借りないと生きていけないムーブだから。

 

ハウルの部屋、『モテキ』の藤くん(森山未來)の部屋みたいな感じがしていいですね。ギッリギリ、ギッリギリの、要塞。藤くんの部屋、銀杏BOYZの『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』レコードが、山積みのCDと漫画の間にあったことくらいしか記憶してないけど。この前、久々に見返そうと思って『モテキ』映画版再生したら、長澤まさみが、Twitter毛皮のマリーズを絶賛し、森山未來くんとロフトプラスワン吉田豪の話を聞きにいって談笑するシーンがあった。なんというか高校生の時に何気なく見てた時よりなんか色々濃度が近くなって共感性羞恥と、嫌さ、なんなんだ。あの人間たちを見る余裕が2023年の私からは失われた。

 

結局あの、藤くんの部屋の要塞のようなあれ、ハウルの風呂に魔法薬剤が決まった配置で並んでいるのと同じだと思う。多分。あれを勝手に掃除されるというのは自己の崩壊です。

 

そもそも、ハウルが髪色ミスってグチョグチョになるのは、自分で自分にかけていた魔法が解けたことによるアイデンティティクライシスだろ、と思っているんです。空想とクリエイティビティで生きてるタイプでしょ。

 

そもそもね、ハウルは男の魔女っ子なんですよ。戦闘型の男性に対して、魔法型の男性というのがあって、それは多分、この社会を生きていく上で、魔法型の女の子よりだいぶ分が悪いんですよ。この世は、夢みがちな男の子にね、本当に冷たいんですよ。橋本治が少女漫画批評『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』(1981)で、「女の子は社会の成員としてあてにされてないためそのまま放置され夢見る自由が与えられたが、男の子は成員にならなきゃいけないので夢見る自由を剥奪される」というようなことが書いてありました。放置されたがために爆誕したのが少女カルチャーなんですけど、男の子が夢みがちムーブをするのはねー、女の子より分が悪いからね、大変だし、かなりキリキリとした「現実」と向き合わされる、向き合わざるを得なくなるんすよね。まあそれが本当に「現実」なのかはわからないんですが。

 

そもそも、城っちゅうものは、女の子がいる場所なんですよ。『カリオストロの城』だって、クラリスが軟禁されてるでしょ。その点『動く城』はね、城ごと動きます、しかもハウルのですから。城に入ったまま動くという生き方、あるとおもいます!悪しき父性からの逃亡シリーズ、『逃げ恥』、『すずめの戸締り』推してますからね。全部なんかオタクの匂いがするコンテンツだけど。と、そんな主義を持っていた私でしたが…。

 

 

いやーーーーーー!!スラムダンク良かったじゃないですか!!人は心臓バックバクになりながら戦わなきゃいけない時があるじゃないすか、母親をフェンスの向こうに置いて、沖縄に置いて、インターハイに行かなければいけない瞬間が…。父と兄なきあと、健全な父性を手に入れなくてはならない時が、あるんですよ。とっくに限界超えてやらなきゃいけない時があるんですよ…!!飛び出しそうなボールを命がけで拾いにいかなきゃいけない瞬間が…あるじゃないですか…。選手生命!?!?今です!?!?よ!?!?!? 人間のタナトスに火がつく瞬間があるじゃないですか。タナトスイェーイ!

 

宮城リョータが手のひらに「No.1ガード!!」ってマネージャーの女の子に書いてもらう描写があるんだけど、恋人の手に書く言葉としてよすぎ!

 

『君の名は』で、手のひらに書いた「すきだ」なんだったんだ?と思った。いや、片割れ時の、隕石落ちる前の、もう会えないかもしれない人の手に書く言葉としてパンチ力が弱すぎるな、と思った。無駄に世界線だけがデカいオタクが手に書くふわっとした好意は、コートの中で死闘をやってる人間への誠実な応援に、勝てません!!!!「あなたがNo.1ガードです」と信じるということだから。見ましたか?チームの皆さんから手のひらに念を送られてコートに立つ桜木花道を…。巫女がくちゅくちゅ噛み砕いたキモい酒でタイムトリップをしてる場合じゃないんです、誠!聞いてますか!?!?

 

巫女の組紐も大事ですが、ベンチで、ほんの数秒ずつチームメイトが手を合わせていくだけで伝わるものがあるんです。巫女の組紐とか大事にしたい奴は後生大事に、地下アイドルのチェキでもお守りにしてればいいとおもいますよ。なにひとつシュートは決まりませんが…。

 

池袋のラブホテルで身体が透けちゃった女の子と、東京の天気を気にかけてる場合じゃないんですよ。

無駄にテーマがでかい上なんもしてないのがオタクの悪いところ。

 

あなたのハイライトはポテチかなんかを砕いたサラダをひなさんと食べてたくらいの時だから…合わないことをするな…。あ、鞄に拳銃入ってるもんね、使命w使命w頑張ってくださ〜いw

 

はぁ…はぁ…それに比べて、90年代までのアニメ、ちゃんと現実でガンギまる奇跡が書いてある…。素晴らしい…。健全でありたいと思った。

 

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と、友達が言っていた。

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これ、急になんの話をしてるかと思われると思うんですけど、本当に冗談でもなく、現実世界においては、山王戦で湘北が頑張っている時とか、次の試合とかで、「全部が羨ましくなった。ちやほやされていて悔しくなった。」とかで火を放ったり、銃乱射をするような終わった人間がいるってことなんですよね。京アニ事件とか完全にそうでしょ。すべての盤をぐちゃぐちゃにする奴がいるってことだと思うんですよね…。もう精神力も、身体性も、徳もクソで、現実を投げてる奴はそういうことをやるんですよ…。

 

で、その面倒を私、及び女性が見なければいけないのかは、また別の問題なんですけどね。本当に、鬱屈って、深刻な問題だとおもいます。私はアニメシリーズのスラムダンクを見始めたのでしばらく桜木花道に励まされて生きていきます…。馬鹿だが純粋で誠実な方の全能感に最近飢えてるのだ。

 

なんというか甘えた鬱屈とかゲームをぐちゃぐちゃにして終わりにしたい感とか嫌だよなー。元気コンテンツ、80年代とか90年代とかのリバイバルばっかだし。今世をやっていこうな。

 

てか、スラムダンクアニメシリーズ見始めたけど、選手たちは「このコートが俺の居場所だ」的なことを言うけどさ、バスケのコートの中でたった一つのボールをめぐって死闘を繰り広げることも、小さな箱庭で生活を営むことも、目の前の何かにただただ誠実であることに美しさがあると思うんだけどなあ。人は小さくて大きなものに没頭することで、気がつけば広い世界に出ている気がするんだけどねぇ…。

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友達がゴリを目指していた。私もスラムダンク見てちょこざっぷにでも通う夏にしようかなー。

 

耳元でハンバートハンバート

「青くなって しりごみなさい

にげなさい かくれなさい〜♪」(『教訓Ⅰ』)

歌っていた。私はそれに、脳内で、「あと、バスケはちゃんとやる」と、付け足した。