「ねぇ、アズってほら、かいじゅうみたいな顔してるじゃん」
心の底に引っかかった言葉がずっと消えない。考えるだけで、苦しくなる。高校の頃同じクラスだったプロムクイーン的なポジションの女の子、エレナちゃんが放った言葉だった。彼女、および彼女たち、一軍、と呼べばいいだろうか、と親交が始まったのは高校2年のクラス替えで、お弁当を一緒に食べるグループになってからだ。
彼女たちは何故か学校のハズレ〜の方にある演劇部の部室に来てくれるようになった。その後も文化祭とかも見にきてくれたし、褒めてくれたんだよな。それは、嬉しかった。
話は、5月くらいにエレナちゃんたちが、演劇部の部室に遊びにきたことに遡る。私の後輩に、私たちと同級生の女の子の妹がいて。ふつうに可愛らしい女の子だったんだけど。彼女が部室に入ってきて、用を済ませて出て行った。私が「あれ、アズちゃんの妹だよ〜」と言った。
すると、エレナちゃんが
「え〜全然似てないね」
と言った。そのあと、
「え、だってさ、アズって、かいじゅうみたいな顔してるじゃん」
と言った。「えっ?」と思った。16年間そういうことをね、言う人とね、仲良くなったことがないのだ。なんかその時壊れてしまいそうになった気持ちが、ずっと昇華できない。私その時うまく返せたかなぁ。「あ、なんかちょっと引く」って言えなかったのは、私がこのグループに居たいと思ったからだ。学生生活をこのグループで乗り切ろうと思ったからだった。つまりは自己保身と自分への自信のなさが、正義に負けた瞬間ですね。ほんと、ぜーんぶ、イヤ。自分も彼女も、高校も全部イヤ!
そのあとアズちゃんの妹が部室に入ってきて。エレナちゃんは
「あれ、聞こえちゃったかな?」
と言った…全てが最悪だった。
エレナちゃんは勉強もよくできて、ダンスもよくできて、親は大企業の取締役だった。国語の教科書に村上春樹が出てきたとき、その1軍グループの子達はこぞって『多崎つくる』を読んでいた。なんとなく、私は読まなかった。みんな、部活もよくできて、勉強も良くできて、身のこなしもよかった。皆、難なく、早慶国立上智に入っていった。難はあってそれを見せないだけだったかもだけど。人としての出来がいい、なんとなくつくりのちがうエリートというのがいるのだと思った。書きながら久々に思い出したな。私は彼女たちに囲まれてたから、なんとなく自分がずっとそのポジションで、あまり後ろ側のことは見えていない。
私はいつも彼女たちに対して、劣等感があった。というか自分の周りってハイパーエリートたちなので、なんというか、自分が持ってるものもまた、誰かを無自覚に傷つけたり、威圧したりしてることに、気がつかない。思春期の立ち位置って、なんかその後の人格形成に大きく左右されない?私はいつも彼女たちと自分について考える。憧れも、怖さも、傷つきも、怒りも、ちょっと意地悪なところも。何が美しく、何が嫌だったのかを考える。
教室でクレープを焼くのにも入れてもらった。卒業間際に先生が教室に入ってきてクラスのみんなで隠れる遊びをしたこと。教室のプロジェクターを使って、放課後そのグループの子達で『悪の教典』を見たこと。なんか先生も半公認だったし。これはね、ハイパー1軍プレイでしたよ。お菓子食べながらな。
沖縄の修学旅行で、私がラッシュガードホテルに置いてきたのとか、美人ちゃんがおっぱい見せびらかしてるとか言うからな。可哀想に私着てきたTシャツで海入ったわよ。あとブラのホックを外す遊びも面倒な上に面白くなくて下品だから嫌い。つまんないし。
なんか細々したいろんなことはあるんだけど、でも、とても頑張り屋さんだったな、彼女たちは。センター世界史満点を取りまくる彼女たちのことを思い出したら、私ももう少し頑張れる気がした。
でも、人の顔「かいじゅうみたい」って言うひとイヤだな。エレナちゃんが可愛かったから、無自覚なのかな。それって私たちがあんまり悪気なく。「まあある程度勉強できない人って話噛み合わんのな」とかいうのと近いのだろうか。
その後も色々同じ時間を過ごしたり、結局同じ大学に行ったりしたけど。なんかずっとその言葉が刺さって消えない。でも、こうして書いている間に彼女たちの眩しさとか、人間としての出来の良さとか、なんか頑張り屋さんなところとか、毒っぽさとか愛しく感じるようになってきたな。負けたくないと思う相手って、あれからそんなに出会えてないかも。何となく彼女たちのことを思い出して日々を頑張って生きるのも悪くないなと思った。全てが悪い人もいなければ、全てが良い人も居ない。アズちゃんのことかいじゅうって言うような人間になんというか、生きる勝負負けたくないなと思うけど、なんかもう全部いろんな感情だと思う。過去を思い出して綴るのは楽しいなと思う。
数年前、全然別の同級生(前の前の記事に出てきたモテガールね)はアズちゃんと仲良しだったんだけど、アズちゃんがホストにハマって、加工まみれの自撮りをあげたり、あとは配信アプリばっかやってて、金遣いも荒くて距離を置いてる、と聞いた。
彼女のSNSを見せてもらった時、なんとなーく、その陰口を思い出した。勝手に思い出して、繋げる私の方もどうか思うんだけどさ。ウッ、と思った。
私はいろんなことが繋がって苦しい。
どういう世界を生きているのか、どういう気持ちなのか、全部はわからないけど。
あーあ、なるべく心が綺麗な人たちと一緒にいたいなーと思いながら念を込めて日々を生きていたけど、少しずつそれは叶っている気がする。そうそう、昨日の記事の感想送ってくれようとした友達が、7〜8人いるラインに打ってたけどどんなだよ。
いや〜、いい友達ができて良かった。
もし、エレナちゃんたちと、次に会うことがあって、ちょっと毒を感じたら「その発言はあまりに無自覚すぎる!あなたたちには、そういうところがある!」と、冗談めかしていってみようと思う。
もし、また海に行くことがあったら、私は黄色のラッシュガードを忘れずに持っていくし、脱ぎたい時には脱いで、
「うんうん、そうそう、はい、私、胸、おっきいからな〜、は〜い、てか、あのあと沖縄出身の友達と仲良くなったんだけどさ、沖縄って日差し強いからTシャツ着て海入るのが現地のデフォルトらしいよ。あれで正解だったらしいわ〜、」
とか、話そうと思う。あれから彼女たちが何を見てどんな人になったか知らないけどな。
本当に、エレナちゃんたちに、また会う機会があるのかはわからないけど、そういう感じの自分でやっていこうという話だ。なんだか元気が出てきた。とにもかくにも、書くのはいいな、白でも黒でもない答えが見つかる。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、私が読むのは、今なのかもしれないと思った。