それから、先生は、切り出す。
「で、どう?」
まぁ、そういうことよね。私はもうとぼけられないなぁと、思いながら少し間を置く。今まで先生と会って身体を重ねた元教え子の女の子たちは何を想い、何を考えたんだろう。とくに考えてなかったのかもしれないけど。 昔から見てた、白のワイシャツに包まれた先生の上半身は、さらに薄くなっていた。あばら骨は浮いているのだろうか。
「ん?」
「そろそろ、アヤ(私のことね)じゃないかなと思ってきてみた。」
「私、先生の中でそういう枠に入ってないと思ったので話聞いてたんですけど、そうなるんですね。」
「最近本当に成功率がさがって、干からびそうなのよ。生きてる意味見出せないのよ。カミさんに言ったら、もうアヤでいいんじゃない?って言われて笑」(先生と妻は合意のもとで互いに不倫をすることをOKにしてる)
私は言う。
「ああ、おかみさんにね。私でいいんじゃないって言われたんですか。千雪(ちゆき)さん。千の雪って書くんですよね。笑」
「よく覚えてるね」と先生が言う。
覚えてる。先生は授業中に「うちのかみさんがさ」とよく話してたから、生徒たちの話題や冗談にもにもおかみさん、千雪さんという呼称が登場することがあった。おかみさんはふくよからしく、小学生ならではのおかみさんデブいじりみたいなことが良くされてたけど、なんというか、会ったことないけど存在するキャラクターとして、生徒と先生の間で機能していた。
私は「アヤでいいんじゃない?」と言われるような筋合いはないんだよな。千雪さんのことも先生のことも好きだからさ。「で」と言われたことも、愛人候補にされたこともめっちゃ嫌。
でも、先生が家で私の話をしていて、夫婦の中に私の人物像が共有されていたんだなと思う。たぶんこれは想像だけど、その夫婦の会話には別に愛人候補の女の子たちだけじゃなくて、小一時間前に先生としたような、いろんな生徒たちの話題が共有されてたのではないかなと思う。ちょうど私たちが教室で一度も会ったことがない「おかみさん」の話を知っていたように。何百人もの生徒たちが先生を通り過ぎていく中で、いろんな生徒の話をその夫婦はするのかもしれない。愛がない訳ではない。歪んだ世界の中で生活している方が居心地がいい人と、そうではない人がいて、その夫婦はそっちの人たち。私はやっぱりそういうものからは距離を置きたいのだった。
千雪さん、私は千雪さんを覚えてるし、いつか会ってみたかった。50を過ぎた旦那が教え子を抱けなくなって病んでる時に、私の名前を出すことは、あなたたちにとっての重さと、私にとっての重さが違うから、傷ついちゃいました。
私はあの時毅然とした態度で怒れば良かったのだけど、自分が傷ついてると思いたくなかった。
しかも、先生が本当に死にたいくらい受験屋稼業や教え子抱けない現実に打ちひしがれてること、自分の仕事をいいものだと思ってなくて、あまりいい人生ではないと思っている、大人の脆さみたいなものの方が怖くて、自分が寝てあげること以外でできることはないのかを必死で考えていた。先生の授業やその時間がいかに楽しかったかは伝えたけど、特に足しにはならないみたい。それに、受験業界も先生がそう考えていてその斜陽具合に身を委ねるなら変わらないし、先生はこれからどんどん年齢を重ねていくし、なにひとつ救えない。私「で」よかったとして、どうせ終わりが来る。死にたいのだからどうしようもない。
あの頃はそれが子どもの頃に思っていた理想郷の裏にある絶望と現実だと勝手に思ってしまったし、屈してしまいそうになった。
私は
「それはできないんですけど、私結構面白く生きると思うので、見てたら将来楽しいと思ってて、そういうのって生きる理由の一つになったりしませんかね?」
とか言ってしまう。先生は「あー、愛人獲得失敗したな」くらいにしか思ってないだろうけど、わたしは、いちいち劇的になっててしまう。真剣なのにな、そちらがこちらに向ける感情より、わたしの方がずっと愛なんだけど、重過ぎますかね。
友達の映画監督が「人間関係に真剣な人以外話しかけてこないでほしい」と言っていたけど、私もそのきらいがある。悲しいな、先生にも千雪さんにも軽んじられてるけど、私はそれでも愛があってくやしい。
先生は言うのだ
「ねぇ、今恋人はいるの?」
私は答える
「います。」
引き下がるかな、と思ったけど、全然違った。
先生は
「ねぇ、それで、"満足"はしてるの?潮とか吹いたことある?いや俺と寝てさ、同級生の彼氏とかいたコもいるんだけど、今まで潮とか吹いたことなかったらしくてさ、新しい扉を開いたり、知らないことがあったりしたみたいでさ…それで…」
「あー、結構です、大丈夫です、恋人のことが好きだし、先生とそういう関係になることはないです。」
顔では笑ってるけど、心の中がどんどんクチュッと潰れていく。傷ついてもなお残る先生が好きだという気持ちが混じり合って、答えが出ない。それってもはや先生を愛しているというより、私が過去の私を愛してるってことだと思うけど。でも、未練がある、どうしよう。先生は性の話ばかりするけど、私はもっと底とかにあるベーシックな愛の領域みたいなのを信じてるんだよな。
先生が私に「まだ知らないだろう」と想像している性の領域があるように、
私にだって、先生が「まだ知らないだろう」と想像している愛の領域がある。
そっち側の提案ってどうしたらいいんだろうな。
これがじゃんけんだとしたら、相手の差し出すグーに、私がパーを出すのは、まだ間に合うだろうか。
「ねぇ、先生は、自分がしてきたことや生きてきたこと人と関わってきたこと仕事をしてきたこと歩んできた人生に無上の価値があるって思われてることに満足したことある?
急に10年ぶりにやってきて、今まで女子生徒を愛人候補として見ていて、品のない話を投げかけるような、あなた自身が侮蔑するような不適切人間であることを知っても、それでも子どもの頃に過ごした時間とか、教えてもらったことを大事に覚えていて、その領域を守りたいと思う人がいるの、感じちゃったことある?
自分と自分の妻の名前を覚えてて、気にかけてることとか、生きてて欲しいと思ってること。今もしその夫婦が絶望して刹那的に生きてたとしても、こちらが誠実に生きることくらいでしか励ませることはないとわかっているまだ21歳の生徒から、本気で大事にされてて、愛されてることに満足したことあるの?そこに存在してるのに、それに気がつけたことはあるの?扉を開いたことある?」
5年越しのあと出しは、私が勝てるだろうか。
だけど、5年前の高田馬場には、ただただ苦しい「現実」みたいな時間が漂った。店が閉まる夜明けまではまだ時間がかかる。私が水商売とかしちゃったから舐められちゃったのかな、こう言うところに立ってるとそういう言葉をかけてもいいと思われちゃったのかな。と思いながら、ピンク色に塗装された店の壁ばかり見ていた。