美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

ちっとも当たらないメンタリズムに爆笑しながら死にたい

 

あれ、楽しかったなあという思い出がある。

大学2年の時だっただろうか。現役で、大学入った者、1浪した者、2浪した者などがいたが、中高の時の仲が良かったメンバーで伊東の方に旅行に行った。

 

男の子も女の子もいたけど、5人が入れる部屋で、みんなで泊まれるのが楽しかった。なんというかそれで、違和感のない信頼関係はね、良いものだった。

 

広い部屋の広いテーブルで、私は友人に微積を教えてもらった。我が高校は進学実績向上のため、私文は、微積を教わらずに卒業する。文部科学省のバグみたいな存在なのだけど、数学が得意な友人が、ちゃんと教えてくれた。もう忘れたけど。その友人はは数学がものすごく得意で、その後も進学先の地方で、塾講師のバイトをよくやっていた。しかし、国語は壊滅的に苦手で、中学の頃だけど、「更級日記」を「こうきゅうにっき」、「女房」のことを、「じょぼう」と読んでいた。あと、あまりテレビを見ないため、学校に「徳永先生」という先生がいたんだけど、実は昔、徳永英明という芸名で曲を出していた、とみんなで嘘をついたらガチで信じていた時期があった。あと、オタクすぎて中学の体育祭の時に、担任のクラスTシャツにみんなが一言ずつ書く流れの時に、「あなたは死なないわ、私が守るもの」と、綾波レイの台詞を書いていた。イタイと言っていじられていた。イタかったが、善良だった。その友人の兄は「あきお」というのだが、兄は自分の名前をローマ字にして入れ替えるとaikoになる、という理由で、aikoが好きらしい、という話を聞いた。兄弟揃って謎である。

 

まあ、そんな話はさておき、そんな友人の隣にいた、もう1人が今日のブログの主役だ。その友人は、当時、韓国人の彼女がいて、私が微積を教わっている間ずっと韓国語の教本を読んで勉強をしていた。伊東の一室、広い和室と広いフローリングのリビング大きなテーブル。なんか、すごい幸せだった。書きながら改めて思ったけど、そういう居心地の良さっていうものがあるのだ。皆勉強がまあまあ好きなのだ。私は微積を教わり、友人は彼女を訪ねるために韓国語を学んでいる。(結局そのあと別れたらしいので、韓国語を使う機会はなかったのかもしれない)それは楽しかった旅行の思い出の中でもかなり上位に入る。

 

韓国人の彼女がいた友人は中学生の時、歌い手のよっぺいが好きで、みんなであだ名で呼び合おうという流れができた時に(これもこれで中学生ノリすぎてキモいが)、自分のことを「よっぺい」と呼んでほしいと言い始めた。カラオケにいけば膝をついて絶叫しながら、「チルノのパーフェクトさんすう」を歌っていた。しばらく会ってなかったけど、最近共通の友達に、あいつ元気?変わってない?と聞いたら(別に変わってても良いんだけどさ)、「〇〇くんは二重になった!」と二重整形をしたという近況だけ入ってきてめちゃ面白かった。そうはいってもさ、昔と変わらないでいてほしいってちょっと思ってたから、「二重になった」はちょうど良い変化だったのだ。

 

そんな今や二重となったよっぺいは、その旅行の当時、メンタリストのDaiGoに憧れていた。「俺はメンタリストになりたいんだ」と言い始めた。一日観光を終えた私たちは彼がトランプを使ってメンタリズムをやってくれるのを見ていた。

 

びっくりするほどに当たらなかった。もはや、これは偶然の確率の方が高いレベルで当たらなかった。最後の1枚になるまで当たらないのはメンタリズム以下である。「次こそは当てる!次こそは当てる!」と言って、見事に外していた。私たちはそれを録画したり、バカ笑いしたりしてめちゃくちゃに楽しい時間を過ごした。別にわざとやってるわけではない、よっぺい、もとい、自称メンタリストDaiGoは、そういうところ、変に持ってるところがあった。

 

結局、全然そのメンタリズムは当たらず、「これが、メンタリズムです!」という謎の決めポーズと台詞だけが、少し広めの客室に響いた。今はもう旅行に行くことはないメンバーかも知れないけど、それでもね、その時間は思い出すたびに楽しくなるのだった。

 

必要なのはチャーミングさじゃないかと思う。以前記事で書いたキャバクラで2時間マジックを見せてしまうおじさんのことを想う。私はそういうおじさんは、しょうも無さすぎる!と突っ込まれた方が幸せな気がする。しょうもない!種バレてる!って言ってあげたい。

 

もちろん関係性あってのことだけど、その旅行先でのメンタリズムの下りマジで一度も当たらなかったけど2時間くらいやって死ぬほど楽しかったんだよね。全然DaiGoより性格いいし、二重の人は。

 

 

なんかさ、うまくメンタリズムをやることよりも、もっと楽しいことがこの世にはあるよね、と、過去を思って愛しくなることがある。メンタリストDaiGoより、なんか彼の方が幸せに生きられる気がするのだった。DaiGoは嫌いだけど、DaiGoになりたいという気持ちを抱えた20歳の青年の純な気持ちは、DaiGoより澄んでいた。

 

完璧でなくて良いから、必要なのはチャーミングさと、失敗を笑える空気なのではないかと思ったりするのだった。1枚も当たらなくたって、楽しけりゃ良いのだ。そんなのは暴論だろうか。メンタリズム、というものが他者の感情や選択をコントロールするものだとしたら、楽しい気持ちにさせてもらったので十分だ。上手いことを言った気持ちになっているのは私だけだろうか。

 

明るいメンタリストがぱっちり二重で、幸せでいて欲しいと思う。