美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

『チョコレート革命』を捨てる

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友達が来るからと部屋を片付けたかったのにグチョグチョのまま友達を呼んでしまった。

しかもエアコンの調子が悪く激アツ部屋に軟禁してしまった。空回りの毎日である。友達の誕生日を祝いたくて、予定を立てて、ケーキも用意して、ご飯も作るはずだったのに、なんか、もう何もできなかった。見切り発車で最後まで完遂できず、いつもうわつきがちな自分でも、多めに見てくれ!と思いながら暑すぎる部屋に軟禁した。ひどい。友達ってどこまで許されるのだろうか。大学の頃は人のこと許せまくったのに、最近はいたしかねること、許せないことばかりで自分のことが嫌になる。友達本当に許してくれてたかな、大学の頃みたいに、人の失敗も、不完全さも、至らなさも、愚かさも、愛されたいよ。愛される人たちの輪の中にいたいよ。大人になるとそういうの無理なのだろうか、と思う。

 

寛容で人格のない存在になりたかったのに、とても苦しい。嫌すぎる。自分にいたしかねることがあって、わがままで欲深いところや、人に差をつけてしまうところがあって、悲しすぎる。

 

家に来てくれた友人が、私が手を抜いてLINEに美人ブログの更新通知を送らなくなったら、送ってくれていいのにと言ってくれた、嬉しかった。魂込めて書いていなかったり、人の貴重な時間を使って読ませるようなものでもないだろうという、うじつきとと緊張感が、文章を一際書きづらくさせた。

 

誰には読まれたくなくて、誰には読まれたいかが、どんな言葉でどんな他者に語りかけたいかがもうはっきりしてしまった。そんなに多くの人たちに言葉が伝わる訳でもないことにも気がついた。もう、好きなものと嫌いなものができてしまった。友達が家に来るから片付けようといろんなものを整理していたら、私にはもういらないものがたくさん出てきて、へー、そうなのか、自分、と思っちゃうことばかり。

 

俵万智の『チョコレート革命』、これは私には必要のないものだった。「いる」って思う自分でいたくて、何度も手に取ったんだけど、心のこんまりが納得しなかった。「不倫をしているときの俵万智はいい」という有識者のコメントが味わい深い感じがして、買ったんだけど、私多分俵万智が嫌いかもしれない。

 

国語教師をやりながらなんとなくずっと罪深い女の子でいる感じ、自分は特別だというその感じ、短歌の中に出てくる自分が「マチちゃん」と呼ばれてるときの描写をみると、あーあ、ほんま仲良くなれねぇな、と思う。『チョコレート革命』の中身はなかなか刺激的な感じの短歌もならんでいるのだけど、どんなエッチな短歌より

 

焼き肉とグラタンが好きという少女よ 私はあなたのお父さんが好き

 

俵万智『チョコレート革命』

 

の一首は私をぞくりとさせた。というか、『チョコレート革命』購入に至ったのもこの一首が見たかったからで、こう、こんなにも意地が悪く、そして本心が書いてあり、インモラルな短歌がつくれるかねぇ、と思ったりする。

 

自分の残酷さを棚に上げながら、私はいつもそういうことを思う。昨日、友達が、浮気をする機会があっても今のパートナーは裏切りたくない、という話をしていて、そりゃ生きていれば、自分がそばにいると選択した人以外との出会いが生じることもあるよな、そのときに何を優先させるのかを考える。何に正直であるかは人それぞれだなと思う。

 

私はよく「人が意地悪するのの気がしれない!」と言いながら、そんなこともなく、それとわからない形で実行する。

今日はその残酷さについて正直に書こうとおもう。文章を書くのであれば自分にとって都合の悪いことや書きたくないことも書くべきであると思う。他の人が書かないこと、恥ずかしいことを書いた方がいいと思う。そりゃ、生きてれば奥さんのいる人を好きになることがある。だけど、法に問われるようなことを、したことはない。する気もない。訴えられたら負けになるのは悔しいから。

 

法を犯さないという確固たる決定事項があるからこそ、好きなのは自由!とあえて無邪気に振る舞う癖がある。ずっと、確定して黒だと言えないグレーの中で、罪に問われなければいいではないかと思ったりする。それってなんというか、理性が揺らいで、法に問われれば負ける状況より、よっぽど狡猾でものすごく卑怯なんじゃないかと思ったりする。配偶者のいる人を好きになることがある。そのことで損をしたことはまだないけど、明確に意思を持って"倫理的"な行為をする。その意地悪というのは、別れ際に「またあなたの奥さんと子供に会いたいから」と、タクシー乗り場まで送ること。超えないことは、超えることよりよっぽど悪い。自分が善でいたい、自分の立場が揺らがないよう、決して決して足がつかないよう、それがそれと観測しえない形での愛の交遊は存在するでしょう。新種として見つかってない動物がまだこの世にいるように。私はやましいことはひとつもなく、やましいことがひとつもないことがやましい。

 

その人に子どもが生まれたときに、私は、子どもにある絵本のキャラクターのぬいぐるみをプレゼントした。彼が大変に喜んでおり、「うわっ!!〇〇だ!めっちゃかわいい!」と、子供よりも彼の方が無茶苦茶大きな声でリアクションしていたが、子供も生まれる前、ネットニュースか何かに出ていたそれを、彼が欲しがっていたことを私は覚えていたので、家を訪ねるときのプレゼントはこれしかないと決めていた。

 

私は基本的に子どもに懐かれないのだが、その子供が私の膝の上に座ってきて、それがしっくりきて愛しく感じた自分に怖くなった。無邪気な彼が、「めちゃめちゃ美人ちゃんに懐いている!」と言っていた。わたしはそのことが怖くなった。

「あれかな、奥さんが妊娠してる時、私、彼とよく喧嘩して電話越しに声聞こえててたからかな?」と言った。

「ね、よく喧嘩してたね」とあまり感情が読み取れない奥さんは言った。

彼は「そうかもな!めっちゃ喧嘩してたもんね」と言った。なんというか、いけないことな気がした。

 

その後、しばらくして少し成長した子が、そのぬいぐるみを載せた小さな段ボールを車に見立てて動かしてる映像が送られてきて、あまりの可愛さに吹っ飛んだ。そして、それを見たときに、自分の中のやましさに気がつき、ものすごく良くないことをしてしまったことにおののき、ひたすらに怖くなったのだった。彼の家にそのぬいぐるみがあることがたまらなく怖くなった。その子が抱きしめているそのぬいぐるみに一抹含まれるその禍々しさに耐えられなくなった。善意の皮を被ったエゴをする方が、よっぽど明確な悪行より悪質な気がする。それは本当に軽はずみな一晩の過ちよりもずっと毒を含んでいると思う。自分の狡猾さが嫌になる時がある。

 

水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う

 

俵万智『チョコレート革命』

 

私は一線を超えなければ、それ以外のことはなんでもしていいと思っている節がある。奥さんと彼がおしゃべりしていた時、「僕がもし、美人ちゃんと付き合っていたら、喧嘩をしまくって多分食い殺されていると思う。だから付き合わなくてよかった。」と、発言したと聞かされた時、私は得体の知れない高揚感をおぼえた。本人がどこまで自覚的なのかはわからないし、そういうのも含めて向こうの掌の上なのかもしれないし、どちらがどちらのペースに持ち込んでいるかはわからないけど、こういう言葉が自分に与えられたことに私は満足するのだった。

 

彼の家で、奥さんもいる場で金曜ロードショーの『魔女の宅急便』が流れてた時、確か彼が、「このシーン色使いきれいだな」みたいなことをいった。構図だっけ?忘れちゃった。画面にはマホガニーのカウンターで店番をするキキの頭に真っ赤なリボンが結ばれて、カウンターの隅にはひまわりの花が活けてあった。

奥さんはそんなことには興味がないらしく、特にその発言は拾われることもなく宙を漂う。私は何度も見た『魔女の宅急便』が急にまた瑞々しさを持って見え始めて、

「あ、キキのリボンの赤とひまわりの黄色の対比がいいんだね」と言った。彼が少し驚いた顔をした。

このことにはやはり毒が含まれていると思う。

 

その空間で誰も拾わない言葉を、私には見えたからただふわりと拾っただけ。なんとなくね。別にそんな、リボンの赤とひまわりの黄色なんて私の友達なら誰だって言えること。でも、それを言える女の子はその人の周りにはいなかったってだけ。その瞬間に生まれた、無垢な加害のことを私は見て見ぬ振りするのだった。

 

私が絶対に一線を超えないことを知ってて、「最近元気がない」といえば、コース料理の出るレストランに連れてってくれる。ノスタルジックな洋館で、最初に彼が行こうとしてたフレンチより、なんとなく私好みのノスタルジックな店に変えてくれたことを感じる。「こっちの方が行ってみたかったから」というけど、私の好きなものを選んでくれたことがわかる。

 

なんというかちょっとその日は会話が噛み合わなくて不思議な感じがしたんだけど、帰り際に、今日は奥さんからプレゼントがある、とポケットから、お菓子を取り出して私に渡してきた。「またね!」と言って別れた。

 

なるほどね、と思った。しっかりと釘を打たれてやってきた、というわけである。この話を友人にしたら頭のいい女は「あ、マーキングみたいなね、知ってるぞっていう」と言ってて、男の方は「普通にお菓子もらえただけの話かと思った!」と言っていた。人それぞれ同じものを見ていても、見えてるものが違ったりするのだった。

 

彼も私もお互い注意深くない2人なのでぎこちなく別れたホームが互いに逆だった。別れた後、LINEで、

「ねぇ」

「ホーム」

「逆」

「それ」

「私乗っちゃったわ」

「こっちは乗る前に気づいた」

 

私は「今日、首輪ついてたね」と書きかけて、これはきっとウケると思ったけど、さすがにそれはダメか、と思って自分の心に封じた。

 

そんなことの機微を全部わかりながら、恋愛じゃないというただ一点を言い張って、カマトトぶるのはやはり、知性を使ったあくどさなんじゃないかと思う。

 

ただ、恋愛でなかった、という証明のために、帰宅後コース料理で満腹になった腹に、そのお菓子を押し込む。食べたくもない安っぽいワッフルのお菓子。これを食べて太るのもまた、私の償いであると、思い、ワッフルが口の中の水分を吸い取るのをただ感受した。

 

ギフトには、毒という意味があると、モースの『贈与論』で読んだな、と思いながら食べたワッフルの味は、コース料理の味よりよっぽど思い出せる。かつてやましさを持って贈ってしまった、ぬいぐるみのお礼がワッフルなら私は食べるよ。また別の日、彼が、お父さんが友達に会うと言ったら子供が、友達に渡して欲しいと用意してくれたという、たくさんシールが貼ってるトーマスラムネは全部食べきれずに捨ててしまった。

 

もし自分が悪になる勇気があるのならワッフルを「知らね!」と言って捨てたっていいのだ。

 

絶対に自分が善側の位置を崩さない、罪に問えない。その自覚があるだけで、ものすごく不穏なことをしているのではないかと想う。昨日来てた友達がパートナーを裏切らないから浮気しそうになったけどやめた、と言ってて、そりゃみんな生きてればさまざまな線がゼロってことはないよね、と思ったのだった。

 

彼の奥さんには絶対にわからない感性と知性を私は持っているし、圧倒的な才能がある。バイタリティがある。活力がある。かわいい子は他にもいるし、性愛できる子もたくさんいると思う。でも、ある分野においては圧倒的だったと思う。それ以上のことを必死で求めたりしない。こちらがこれだけ言うのだから私の方が漬け込まれているのかもしれない。だけど、あなたは私から、目を逸らすことはできない。その人が何か目にするものの中に、私は10年後に必ずいると思う。そらしてもそらしても私はどこかであなたの目の中に飛び込むと思う。絶対に忘れられないと思う。いつも飲んでくれる先輩が「自分だけが特別だ、と思わせるのが上手い人が恋愛得意なんだよ」と言ってたけど、それならそれでいい。わたしは明確にあるひとつの関わり方として、特別であったという自負があるから。いい思いをさせてもらった。

 

でも、そのことは誰も傷つけてないと言い切るには、ちょっと、ちょっとやましい。

 

誰ものことを受け容れたかったのに受け容れられなくなったり、ものすごく確信的に悪いことをしていたり、何も傷つけず、何も嫌がられず、ずっと無垢なままでいたかった。本当は知的で全てが見えていることがあるのに、あえて無垢なふりをすることをカマトトと呼ぶのなら、世界に対してカマトトがすぎると思う。

 

ただ、アイドルの「全員好き」がその瞬間そのホールその曲の間だけは真実であるように。大学院にいる瞬間が世界の全ての愛が友愛を前提にした聡明で謙虚なものであると思えるように。脆くて見えづらい人間の聡明さを信じられるように。しかし、そのことを盲信しすぎるときに、私は自分の狡さに蓋をしてより残酷になることがある気がする。

 

男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす

俵万智『チョコレート革命』

 

全ての短歌にさえ目を通さなかった『チョコレート革命』は、捨ててしまった。俵万智とは違うけど、違う汚さと違う美しさを私は持っている。

 

美しいままでいることは、自分の嫌な部分を見ずに生きることかもしれないと思ったりする。そのことにほんのり目を逸らして軽やかに生きるのもありかもしれないなと思う。

 

執着は少ない方が、幸せになれるというのは、本当のことだと思う。それでも、グッと何かを堪えて、美人でありたい。本当は汚いと気づいていることはもうやめようと思う。そして、100%白ということはないと、分かった上で、彼をタクシーに乗せた私、ワッフルを押し込む私、トーマスラムネを食べれない私の方を大事にしてもいいんじゃないかと思う。

 

いつかその人が私を目にする何かへの執着も、書いている間に和らいできた、聡明な友人から、聡明な匂いのする飲み会の誘いが来て、ふわっと体が軽くなる。やはり友愛でいいのかもな、と思う。

 

人の心を焼かない愛を私の心を焼かない愛を、たゆたううような愛をそれでも実行したい。淀みがないふりはせず、軽やかに美しくありたい。

 

人と人とのまぐわいはすべて「出会えてよかった」でまとめていいのかもしれない。チョコレート革命は、未遂に終わった。

 

Valentine

Valentine