美人ブログ

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小あじの南蛮漬けで命を感じる

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地元の飲食店で出してた料理が私好みで最高に美味しそうだったから、店主に作り方を聞いて同じように自分で作ってみた。豆あじの南蛮漬け。絶品である。

 

私は甘酸っぱいとか、甘じょっぱいとか、二つの特性が合わさった味などが好きである。南蛮漬けはその最たるもので、チキン南蛮からキビナゴの南蛮漬けまで、南蛮漬けと名のつくものが好きだ。

 

こんなに美味しいものが作れるなら、私は明日も楽しいどころか、一生楽しいのではないかとすら思う。料理にはそういう力がある。

 

私が料理に執着するのは、明日死にたくならないための呪(まじな)いのようなものだった。指先から食卓を生み出し続ける限りは少なくとも命を紡ぐ気概があるということだ。その気概だけが驚くほどあって、びっくりする。本当に、つくることと食べることが大好きだ。それさえあればわりかし幸せに生きられる気がする。

 

料理が好きで、食べることが好きなので、この先、借金で身動きが取れなくなろうが、最愛の人が死のうが、戦争が起きようが、信頼してた人からひどい裏切りに遭おうが、私は多分台所に立ち、ご飯をつくると思う。腕を切ることもなく、野菜を切ると思う。それほどに、食い意地と生きることが繋がっている。

 

来年の夏は今より10kgほど痩せていたいと思っていたのに、気がつけばあんかけ焼きそばと小あじの南蛮漬けをつくっていた。友人がやる演劇を見に行ったらなんというか、創作意欲が湧いてしまったのだった。

 

友人がやっていた劇は面白かった。彼らが持っている悩みや揺らぎ、問いかけ、言葉選びは、自分が持っている語彙や、問いや自我と近かった。結局、問題意識とか、語る言葉が近い場所にいないと人は孤独なのだと思った。

 

あじの下処理は手で内臓を引きちぎらなきゃいけないんだけど、あまりに「命」すぎて怖い。命が手の中にあって、それを手でグチュグチュやるの怖すぎる。恐れ多すぎる。小泉今日子の序盤のシングル「素敵なラブリーボーイ」をかけてノリノリで小あじに親指を入れるんだけど、サブスクでどんな音楽も聴ける最先端の時代に指先から伝わる命は命すぎてびっくりする。

 

食卓は自分の命を紡ぐ行為なのに、(行為だから)他の生物の死とか命とも近すぎる。辞めてほしい。命こわすぎる。マツコ・デラックスは、「命が多すぎる」という理由でシラスとかイクラが苦手らしい。面白いけど、なんかめっちゃわかる。

 

私はずっと私のままでいたいな、と思う。そのことに、料理は役立つんじゃないかな、と思う。明日死ぬ前に口にしたいもの、囲みたい食卓についてよく考えている。