美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

私が全力を出して起こる結果は全て最善で誰も傷つかない

地元の飲食店に居場所がありすぎる。

 

以前ちょっとだけ働いていたんだけど、最近はネットとSNS周りの手伝いをしており、お小遣いをもらったり、賄い扱いでご飯が食べられたりする。今日も行ってきて、ちゃっかりビール2杯と、その上、ビールサーバーの洗浄前に出るコップ半分ぐらいのビールももろた。大好きななまこ酢も食べたし、常連さんがなぜか「参加型」と称して働くことがあり、手羽先の下処理をしていたらしい。その常連さんの隣で、手羽先の余った部位をカリカリと食べた。私このお客さん好きなんだよなー。

 

あと、ナス揚げたやつ食べた。ナスって美味しいから。

 

大谷と水原のニュースをインターネットの外で人と話すとなんか落ち着く。「身近な人に裏切られるなんて怖いよなぁ」と誰かが言い、「そうそう、今朝から私はそのことをインターネットではなく生身の他者と分かち合いたかったのだよ」という気持ちになった。これぞ、よさ。

 

私ががっつりカウンターで働いてた当時は、私とは全然バックグラウンドの違うバイトの女の子が常駐していた。多分病んでる女の子で、異常に厚い化粧と顔じゅうにあいたピアス、10センチはあろうかというヒールで働いていて、男運も悪く(警察沙汰になってた)、不穏な空気を出していた。私が他のお客さんに好かれたり、ママさんに好かれると、洗い物の音がデカくなった。私は人を傷つけたと思ってめっちゃショックを受けた。でもまあそんなこともあるよな、と今になって、だんだんわかってきた。

 

自分は商業高校でパソコンが使えると言っていた彼女が作ったメニューのフォントがポップ体でできてて、うーん、と思った。こういうものに出会うのは、正直私は初めてだったのだ。人って、出版サークルに入って、PhotoshopIllustratorを操ると思ってた。そういう人がこの世にはおり、私はそれほどはパソコンができない。

 

でも、メニューを作り変えることはできる。ママさんと相談して、一緒に値上げをして新しいメニューを作る。日本酒の銘柄のいわれになった和歌を調べて記載したりとか、数ヶ月カウンターに立った中で、「あ、手が込んでるな」と特に思ったメニューには、そのポイントを一言添える。頑張っている人の頑張ってることを書くのは得意。地元のおじさんに送信すると、地元のおじさんが地元の職場のプリンターでプリントしてくれて店に届くというハイパーローカル助け合いによってメニューができる。

 

でも、私のメニューの方が素敵だから仕方がない。そういうことで人を傷つけたんじゃないかとモゾモゾして喚かないことにした。この世の世知辛さが受け入れられなかったのだが、その、前のメニュー作った子は私より器用なところがあるし、人は適材適所なのだ。なんというか、ペーパーテストってやっぱなー、誰かを傷つけたという加害性がスポーツとかに比べて弱いから気が楽なんだよ。インドアで…。

 

店で見た豆あじの南蛮漬けとかすぐ家で作ってみるから、報告したら喜ばれるし。

 

 

しかもこの記事、今週のはてなに、選ばれたし、ラッキー。

 

なんか私がカウンター去ってからその子も辞めたらしい。事務職に転職したと聞くし、顔のピアスも外したようだ。もしかしたらその方が彼女にとってよかったのかもしれない。それがどんなきっかけになるかなんてわからないのだ。もしかしたら彼女の人生にとって良い展開になっていたかもしれないし、自分が力を発揮したことで、勝手に人を傷つけたと思う方が私の傲慢なんだろう。全てはなるようにしかならない! 私は、頑張っている人の美味しいポイントがより伝わるように品のいいメニューを作りたかったのだから、何も悪びれることはない。自分がしたかった善意以外のことを考えて発狂するのはやめよう。彼女の方が私よりできることは圧倒的にあった。まあでも愛され度は私のがあるな。彼女偏食だけど、私の方がご飯好きだもん。食いしん坊万歳!そうそう、あまりに苦しそうなブログばっか書いちゃうから、意を決して最近Oisix注文してみたら、他者の怖料理を食べさせられた恨みが減って、完全に傷がいえた。濃いめの牛乳ゴクゴク飲みながら、よつ葉バターを、極上食パンに塗り付けて全てを赦した。

 

話がそれた。最近入ったという従業員の子はなんだかすごくしっかりした公務員志望の女の子らしく、店から不穏な空気が減っていた。

 

私はその後も店と、縁が続いており(メニューもカウンター立つのやめてからつくった、基本的に不器用なのでこっちのが向いてる)、ママさんにも超良くしてもらっている。カウンターに一緒に立ってる時は「地主の嫁になりたいわねー!」とか言われて(仮にもフェ、フェミニズムを学んだこの私に!?なんだこの環境耐え難い!?)などと仰け反ったが、いい感じに役割が違えば素敵な関係性がうまれる。

 

私がカウンターに立ってた頃は、ママさんはマジで自分に鞭打って働きまくってたので、すごい勢いで病気になっており、「労りの係」として私は労わっていた。最近は身体に無理をせず休むことにしたようだった。心なしか穏やかに見える。

 

以前は「貧乏だから!うち!店開け続けなくてはいけないの!」と言いまくっていた。私は、(あー、言霊からダメになるぞー)と思った。男の客にすぐ「私なんかでよければ」的な自分を低める言葉を言う。私は、自分の運気を守るため、この店の運気を上げるため、(ロケット団の口上みたいだな)、孤軍奮闘していた。

 

ほぼ合いの手のように「ご飯美味しいです!絶対うまくいくしかない!ゆっくり休んでください!」「いえ、ママさんは一級品なのでそんなことは絶対に言わないでください」と、運気のコールアンドレスポンスを繰り返していた。

 

だんだんと店の空気が良くなったのか、私がカウンターには立たなくなってしばらくしたあと、お客さんたちが集めた本を置いた本棚ができていた。インターネットに疎い地元の人たち逆にめちゃくちゃ本読むらしく、ラインナップがかなりいい。ビジネス本がなくてめちゃくちゃいいんだよな。

 

私は、良くされすぎると申し訳ないのでだんだん足が向かなくなったが、連絡をいただいて伺うたび賄い扱いになる。食レポが上手いため…。あと料理をするのでひとつ一つの手間ポイントがわかる。贈与される人って、贈与のポイントがわかるんだよ。あと、よく食べるから。

 

かくして、地元の飲食店で好かれている。

ほくほく。やーやっぱ愛されちゃうなー。

利己と利他ってめぐってるなー。

 

あと、お店だから当たり前とはいえ、ご飯美味しいんだよな、この店。昨日のブログの答えじゃないけど、ご飯食べてる間に愛しちゃったのかもしれない。ご飯食べてた相手に裏切られちゃったらどうしよう!と思うけど、でもその時美味しかったら割りかしOKかもな。許すと決めたら全部許す以外無かったりすんだよなー。

 

相思相愛

相思相愛