美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

不幸を煮詰めたり、今を踊ったり

ずっと前から気になっていた『おやすみプンプン』を無料期間中に読み終える体力がなかった。私の指が画面をスワイプし物語を進める気力もなく、多分自分が受容れきれない世界観ではないはずなのに、でもなんというか、人と一緒になら食べるけど、すすんで食べたいものでもなく、箸が止まってしまう料理、そんな感覚だった。

 

 

仲良しの友達が、以前浅野いにおにファンレターか、サイン会か何かで、「おやすみプンプンの愛子ちゃんって私からのファンレターをモデルにしたんですか?」と言って浅野いにおを困らせたという話の方が、頭にチラついて、読むことに集中できなかったのだ。

 

その友達が、以前私が紹介したバイト先で、ド不倫(もしくはド恋愛)してた頃を振り返り、「〇〇さんって、飼ってた犬のことで思い出して泣くんだよね…。」と言ってたことを思い出した。こういうのって、リベンジポルノには入らないのだろうか、と思った。

 

(私信)あ、これ書いちゃまずかったらすぐ消すんで言ってください!

 

今朝ははてなブログのおすすめ一覧に

が載ってスターがたくさんついた。私がゴリゴリと思い入れを込めたり、こじらせ感を煮詰めたようなもう6年前の記事なんかよりたくさんの人に読まれて、リアクションが来て、読者がついた。ウケる。

私が!私の!私によって!こだわっている!私的な私の!特別性!みたいなものが、どーっでもよくなって、心のルフィが「ガハハ、やっぱメシ、メシだよな!!」と言っている。以前、ルフィのこと好きな友達が、一緒にスーパー銭湯に行った時、隣でワンピース読みながら「ルフィって横顔綺麗だな…」と呟いていたけど、ルフィのことそう言う目で見ている人がいるのか、と衝撃を受けた。それ以来ルフィの横顔、が気になっている。

 

話が逸れた。

 

不特定多数の他者によって、ものすごく煮詰まった個人の文章空間に、風穴が開くのは不思議な感じだ。「私」が漏れ出す、というか、私が私でなくなっていく。普段の自分を知らない人、私に特段興味もない人が、文面を目にするし、自分の内側で大層な問題だと思っていたことがどうでも良くなる。自己と他者の間が、水に浮いた油同士がつながるように、グチュッと溶けあって落ち着く感じがする。個人的な痛々しい体験とか、どうしようもなさとか、抱えている仄暗さとか、鬱屈とした気持ちとか、自罰感めいたものですら、不特定多数の他者にとってはどうでもいいとわかる、そんなことが心地よい。

 

だって、豆あじだぜ?豆あじを調理したことが、私の鬱屈より、全然ライトに読まれたり、伸びたりするんだから、自分の自分らしさにこだわって大仰なこと言ってたってしょうがないのである。でも、そんなことこそ、ただ料理を作り日々を暮すこと、全ては無に帰す、という感覚に近い感じがした。そう、それで良いのである。どうせ死ぬなら踊らにゃソンソン!こだわりなんて無意味である!沖縄県知事玉城デニーが宴席でカチャーシー踊って炎上していたが、あれはいい踊りであったよ。踊り、つくり、語らい、食べること、こそ、生きる醍醐味ではないかと思ったりする。

 

星野源が、「意味なんか ないさ暮らしが あるだけ 」という歌詞の曲に、「愛」ではなく『恋』というタイトルをつけたのはなぜだろうか。

 

意味なんか ないさ暮らしが あるだけ

ただ腹を空かせて 君の元へ帰るんだ

『恋』

 

恋

 

今を踊るすべての人に捧ぐ

『Week End』

Week End

Week End



この人、たぶん一度、くも膜下やって、生死の境彷徨ってから、なんか吹っ切れたんだろうな、と思う。何か、生きることに対して変な開き直りとか、瞬間性とか、恥をかくことへの怖がらなさとか、肝の座り方がある。

 

無駄だ ここは 元から 楽しい地獄だ

生まれ落ちた時から 出口はないんだ

地獄でなぜ悪い

 

嘘でできた世界が 目の前を染めて広がる

地獄でなぜ悪い

地獄でなぜ悪い

地獄でなぜ悪い

 

 

上記の曲たちは、アルバム『YELLOW DANCER』(2015年12月発売)に収録されている。黄色という色と、ダンスという要素に私は生きる意味を見出す。黄色という色にはユーモアとかふざけとか、お調子者とか茶目っ気、滑稽さみたいなのがあって、自分のことを奇妙なものとして扱うようなメッセージがあると思う。格好のいい色、かわいい色、おしゃれな色、ではないけど、黄色というのは、珍妙さと一緒になった恥と面白さみたいなのがあると思う。YELLOW DANCERというのは、生きることに対する開き直りの演舞ではないのか。

 

プンプンが始終黄色い珍妙な鳥として描かれていたことを思い出す。プンプンは作った悲劇と自己憐憫を生きている側面があると思う。男がすぐやる自分のことを珍妙で滑稽な生命体だと思うやつやん!と、冷めた目線で読み進めながら、高校の頃好きだった男の子なことを思い出した。彼も含めたグループでうちで鍋パをやった時、何故か彼だけがものすごく上滑りしていて、突然オレオを自分のチゲ鍋の皿に入れて食べ始めたり、友人のアイラインで急にV系みたいなメイクをしはじめたり、ものすごくしなくていい頑張りをしていたことを思い出した。そんなことをしなくていいよ、今日は普通にお鍋を食べる日だよ、と思ったけど、何かと引き換えにしか自分の居場所がないと思っているんだな、と思った。成績優秀者として表彰されるくせに、それが欲しいあまりにテスト前に学校を休んだりすんだよ。彼は元気だろうか。うちでみんなが弟とベイブレードをして遊んでくれてた時に、彼が放ったベイブレードが弟の足を掠めて、本気で慌てた感じで「わ!君!大丈夫か!!」と心配してくれてたのウケたな。

 

おはよう 始めよう 1秒前は死んだ 無常の世界で やりたいことはなんだ

『Crazy Crazy』

 

Crazy Crazy

Crazy Crazy

 

狂うように瞬間を生きるって、覚悟と、死にながら生きるみたいな行動なんですよね。

星野源、開き直りがあったと思うんだよ。現実も物語も少し地続きなところはあって、ガッキーと星野源が結婚したのはなんというか、それを知った私にとって生きてることを少し面白くさせた。ロマンチックラブイデオロギー云々は差し置いても、2人が生活を分け合うという選択を取ってみた、ということが面白く、微笑ましかったから。

 

 

こんな風になったらいいな、と思って人は物語を紡ぐ。自分の好きなミュージカル『キューティー・ブロンド』でエルをやった神田沙也加が、飛び降りて死んだことが、まだ受容れきれずにいる。だって、エルは飛び降りないでしょう?やった役に責任を持って欲しいというのは、傲慢だろうか。私、東京でも見て、静岡まで見に行ったんだよ。死んだ人をなお追い詰めてはいけない、本人には本人のつらさがある、百も承知で、でも、恋人との同棲の約束が白紙になったから書き置きを残して飛び降りるのは…あまりに…あまりにエルとかけ離れていて苦しくて仕方がなくなる。私は『キューティー・ブロンド』をバイブルに、定期試験も、大学受験も大学院受験も乗り切ってきたし、とっても大切な作品で、その上、私が母を飛び降りで亡くしていることもあり、神田沙也加の最期については、かなり恨み節になってしまう。人が日々祈るように大事に紡いでいた物語なのに、そんなことを起こさないで欲しい、と彼女の身の安否よりも先に思ってしまったのだった。

 

Omigod You Guys

Omigod You Guys

  • Annaleigh Ashford, Delta Nus, Dequina Moore, Laura Bell Bundy & Leslie Kritzer
  • サウンドトラック
  • ¥255

 

Twitterで公演時の情報を調べてたけど、「あのキュートでハッピーMAXなミュージカルが待望の再演!」とのコピーがついたチラシの画像が出てきた。バーカ!カス!という気持ちになるな。カスのメンヘラ!キュートでもハッピーでもない!私を裏切った!と思う。生身の人に対してはここまで思うことないのに、この一件に関してだけ死ぬほど怒ってるんだよな。

 

人前に立つ人すべて、メディアに映るように、底抜けに明るいわけでも悩みがないわけでもないと思うのだ。役柄が本人と地続きというのはまったくおかしな話で、渥美清はものすごく秘密主義で実際の性格は寅さんとは似ても似つかなかったらしいし。でも、ガールエンパワメントミュージカルの主演が、男に書き置き残して飛び降りることに「そりゃないぜ!」くらい思ったっていい気がする。削ぐよ、削ぐわよ、他人の生きる気力を。呪って死ぬなよ。呪いを現世に残して死ぬなつってんの!

 

神田沙也加に対して、自分のことが嫌いな感じが伝わってきて、何か拠り所をこちら(観衆)に求められているような気持ちがする違和感があった。本当は『キューティー・ブロンド』のエルではないし、『マイ・フェア・レディ』のイライザのような性格ではない。本人がいちばんよくわかっていた感じがするのだった。根源的なハッピーよりも、どこか、愛されたいという願望と、根源的に自分が嫌いな感じが透けて見えて、「惜しい!」と思うことがあった。乗り越えた何かを見てみたかったといつも思う。そしてそれをこうして書くことができる私にも、似たものがあるんだろうな、と思う。

 

神田沙也加が演じる少女は、客に対して開かれている感じがなくて、プリンセス然とした自己完結した世界で舞い踊ってる感じがして、見ていると少し寂しくなる時があった。閉ざされたコスプレっぽさがあった。自分のためにやってる度合いが強い感じがして、自分の問題を解決するためにミュージカルをしてる感じがして、好きになりたいのに少し苦手だった。あー、アダルトチルドレンの匂いがする。ずっと自分の問題を誰かが解決してくれそうな感じが匂ってた。

 

神田沙也加が死んでから、私は松田聖子が、郷ひろみと別れた時の記者会見の動画を見た。聖子が半泣きで「生まれ変わったら一緒になろうねって」とぶっこく姿を見て、「ま、エルはあんたのお母さんよな」と思った。エルは松田聖子である。この言葉を、ずっと言ってはいけないと思って我慢してたけど、私は今日書くことにした。私は言ってはいけないと思えば思うほど、何度もその会見を見てしまう。松田聖子は、郷ひろみのファンで、郷ひろみと付き合いたいと思い、芸能界に入り、しっかり付き合い、しっかり別れて、しっかり会見までした。還暦を超えたひろみも聖子も芸能界を泳ぎ切ろうとしており、今なおスターである。規格外すぎる。それが素敵かということはさておき、思ったことを叶える力において、松田聖子の右に出るものはいないのではないかと思う。

 

恋人追っかけてハーバードに行って弁護士になるエルは、福岡の田舎から郷ひろみと付き合うこと、歌手になること一点を信じて蒲池法子から松田聖子になった人のことでしょ。神田沙也加より松田聖子でしょ、と思う。神田沙也加の物語が、松田聖子に負けてしまったのではないかと、考えてしまうことがある。非倫理的だから思ってはいけないと思っているのに、思ってしまう。

 

デビューしてすぐのベストテンで、飛行機が到着してすぐにタラップを笑顔で駆け降り、ヘッドホンをつけて、生放送でバッチリ歌い切る18歳の松田聖子と、松田聖子のコンサートに出て、少し緊張した足取りで階段を下りながら登場する10代の神田沙也加を比べてしまう。

 

物語が好き、というのは、残酷だ。私のバイブルを汚したから、私は神田沙也加を許せない。でも、『キューティー・ブロンド』公演当時の動画を見に行くと、この人にどうか、ここにいて欲しかったと思ったりして、込み上げてくる感情があり、耐えがたい。

 

松田聖子が最近のコンサートで喪服のような真っ黒のワンピースで神田沙也加の曲『ever scince』を歌う動画を見たのだが、歌詞があまりにもシンクロしていて、まるで物語の中を生きているようだった。そしてあまりに歌がうまくて、彼女は芸能の神に愛された、その使命を全うしている人だわな、と思わざるを得ない。松田聖子松田聖子でしかあり得なかったということを強く思わせる説得力がある。

 

壊れかけた夢 拾い集めたら

そう 立ち上がって

ずっともう前だけを見て進んでいけばいいよ

『ever since』

 

ever since

ever since

 

こんなの、最愛の娘を飛び降り自死で急に亡くした人が歌う歌詞にぴったりすぎるだろ、と思う。神田沙也加が遺した曲。しかも上手いのよ。あーあ、どう足掻いても松田聖子が主役よなと思うのだ。そんなこと思ってはいけない、すべての人生が素晴らしい、それもあって、でも誰が主役かなんて、明らかである。皆が主役であることを望んでおり主役である必要があるのかと言われたらそんなことはないんだけど、主役でありたかったけどそれができなかったのだろうな、と思うと、苦しくなる。

 

大森靖子が、神田沙也加が亡くなった後、実は大森靖子が率いるMETAMUSEというアイドルグループに彼女が期間限定加入をする予定があったたと発表した。ティファニーブルーというメンバーカラーを与えられる予定だったそうだ。

 

生まれ変わったらアイドルになりたかったな

ママみたいに明るく幸せ振りまけないけど

tiffany tiffany

 

ママと同じ名前の友達ができたの

何も言わなくてもわかってくれるってわかる

tiffany tiffany』 

 

私が死んだら泣いてしまう人なんて 大嫌い

大嫌い 大嫌い

そりゃそうだよねって笑ってよ

tiffany tiffany』 

 

tiffany tiffany

tiffany tiffany

  • METAMUSE
  • J-Pop
  • ¥255

 

仄暗さと病んだ空気の漂う、人気の地下アイドルグループで彼女の不在が強調される一曲を聴いていた。何度も聞いた。私は彼女のことが嫌いではないのではないかと思う。少なくともここにこれほどの恨み節を書くほどに興味があった。愛しいとは感じていた。いい年こいて、メゾンドデフルールの小物を大事にするところ、弱ペダの御堂筋役をやったロン毛の俳優と結婚して、ペアルックを披露すること。ボカロの曲ばかり歌うところ。Lilyという名義でロリータ服の読者モデルをやってたこと、アニメイトで『ダンガンロンパ』のフィギュアを買うところ、友達は少ないところ、焼肉屋で普通にバイトしたりしてたこと、私がまだ子供の頃ディズニーの朝の番組に出ていたこと。書いてるうちに身体が暖かくなってきた。彼女のことを私はずっと見ていた。なんか、遠くないんだよ、自分との距離が。だから少し嫌いだった。私は赦せる気がした。

 

ついさっきまで、神田沙也加が私の物語を壊したから、海外で『キューティー・ブロンド』のミュージカルもう一度見るまで許さないと思ってたのに、どうでも良くなってしまった。なんというか、機微が、機微で機微で、やっぱりどんな人生も美しい気がして、自分のことが恥ずかしくなってきた。

 

私は神田沙也加が死んでも、彼女が演じた『キューティー・ブロンド』のことを想って、死を受け容れられる気がした。エルを演じてた方の神田沙也加を、私は見ていることにしようかなと思った。

心の扉はもう開けないことにする。ティファニーブルーより、私の中ではピンクだったよ。

 

So Much Better

So Much Better

  • Laura Bell Bundy & Legally Blonde Ensemble
  • サウンドトラック
  • ¥255