美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

人は美に屈服する

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▲友達がカラオケで歌ってた曲、よすぎる。ていうか何があったら、『そうだ!We're ALIVE』って曲を出そうとするんだよ。つんくって変なんだよ。

 

◾︎生きてるだけで偉い!とそれはそうとして「美」の話

 

その人の存在が肯定されること、ここ「いる」ということが重んじられるというのはとても大事なことである。しかし、それはそれとして、美しさや実力というものはあり、毎秒毎秒私たちは何かを選ぶ、そして、選ばれて生きている。そして、私は何も選びたくなくて寝そべり続けた。ここ最近まで、そのことに耐えられなさすぎて発狂していたが、自分のことに必死になること以外にないのだろうなと最近思う。

 

私たちは、可処分時間の奪い合いをしている。自分が発信するものや自分が面白いと思うこと、別に上下もないけど、人の目に映るかどうかか、その興味が双方かどうかはかなり違う。だからみんな、魅力的だと思う人とチェキを撮りに行ったり、オンラインで数秒対面して喜んだりしている。私は数秒会える関係より、長い時間を過ごせることの方が大事だと思うけどさ、私の友達って超面白かったので、基本がタレントレベル。あと何かしらの首席レベル。時間割いてもらえるって贅沢ですよ。ほんと。と思っている。別に人間は時給とか月給じゃないひ人材みたいなものに換算するのもナンセンスだけど、ほんと、このクラスの人々を独り占め、もしくは、一同に会させて…ありがとうございますという気持ちになるな。(そのくせ遅刻とかしてごめん)ハズレ値の人といると楽しい。

 

てか小説も、音楽も、映画も、人々の「私の〇〇を見ろ!」「俺の〇〇を聞け!」なんだよな、ある種の暴力性と支配はあるんだよな構造自体に。インタラクティブであることが私は最近良いと思えない。圧倒的な誰かの世界に溺れること、溺れさせること。結果、恋だからなー。恋って日常の感覚持ってかれることだと思うから、相手が人でなくても、みんな好きなものがある人は何かしらに恋してるんだと思うよ。それは場所でも、カルチャーでもなんでもいいんだけどさ。

 

恋というのは残酷なので、つまり、楽しいものがあるということは楽しくないものもある。伸びるYouTubeもあれば伸びないYouTubeもある。人が一生懸命編集したYouTubeより、私の無編集のYouTubeは、安定して一定の再生回数は超えている。これは、向いているということだ。知らない間に登録者も増える。私が立つ場所に足を運んでくれる人がいる。個人としての価値が証明され続ける立場にある。このブログだってそうだ。何万回も再生されるわけではないし、何万人が登録してるわけでもないけど、私のブログを読んだり何かを見てくれる人は、人生を削ってそれに充ててくれている。私はある側面では紛れもなく強者だとおもう。そのことを知っておきたい。

 

ありがたいと思う。心から。気持ちが乱れると変なものを読ませてしまってごめんと思う。なるべく美しいものを一緒に見ようと思う。数ではないんだよな。一人一人が何かの時間を使って手を止めてこれを読んでくれてるのだとしたらありがたいと思う。

 

必要なのは、何かを殺したかもしれない、何かを傷つけたかも知れないと恐れることよりも、私が真剣に言葉を発して、それを読んでくれた人に誠意を尽くすことだけなんだろうなと思う。存在をやっていくってそういうことだな。

 

私は私の一生分をきちんとやるというそれだけでそのことに優劣がつくことは全く関係ない。なるべく質の高い言葉を紡ごうと思う。ちょっとずつ調子が戻ってきた。