美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

夢が叶ってるのだから、大暴れして人に迷惑をかけないようにする

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自室が最も綺麗だった時の様子を貼る。そういえば、子どもの時に思った夢で叶わなかったことはほとんどない、ほとんどの夢が叶っている、ということに気がついた。

 

それを意識したのは、先日、ディズニーランドに行った時のことだ。私がいちばん好きな場所は、ワールドバザールの中のコスチュームが入ったショーウィンドウだ。中のトルソーはたぶん昔とは変わってるけど、私が子どもの時からあったコンセプトのディスプレイだと思う。

 

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この前、このショーウィンドウを見て、「あ、私、子どもの頃、自分がこんな部屋に住んで、こんなドレスを作れるようになりたいと思ってた。」ということを思い出した。そしてそれが叶っていることに気がついた。びっくりした。

 

人生に積み上げなければいけないキャリアというものがあるとしたら、「これで大丈夫か?」と思うこともあるが、紛れもなく、子どもの時の、(絶対に叶わないかもしれないけど、こんな部屋に住んでこんな服を作りたい!)という願いが現実になっていて、「わ!夢叶ってるんだ!」と思った。

 

全く忘れてたけど、私の部屋の写真のトルソー、多分子どもの時にみたディズニーランドのディスプレイの影響が感じられるよね。

 

多分私が子どもの時って、トルソーにオーロラ姫か、シンデレラのドレスが飾ってあったと思うんだけど。今はアリエルみたい。

 

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私が友達のディズニーハロウィンのために作ったジャスミンの衣装見て!そっくり!ショーウィンドウの中にあっても変わらんよね!?

 

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繰り返しになるんだけど、何一つ将来の先行きが見えず、「自分って大丈夫なのか?」と思うことがあるんだけど、なんか、これを見ると大丈夫という感じがしてきた。

 

それから、子どもの時から早稲田行くのと東大行くの決めてたけど、それも叶ったしな〜。大学って1個しかいけないと思ってたから、どっちかかと思ったけど、どっちも叶ってびっくりだ。ありがたや。還元していきます。

 

それから、小1の時『窓ぎわのトットちゃん』を読んで、「エッセイって面白いな、私は記憶や過去がどんどん失われて誰も覚えていなくなるのが悲しい。いつかエッセイを書こう、そして一つ一つの記憶を細かく覚えておこう。」と思ったんだけど、こうしてブログという形でエッセイを読んでいただけて本当にありがたい限り。叶っているんだよな。

 

受験生の頃、18歳の時に憧れてたことは、大学のファッションショーでデザイナーをすることと、好きだったラジオのイベントを開催していたトークライブハウスに立つこと。

 

前者は入学してすぐ叶った。この1年で、立ちたかったトークライブハウスにも立てるようになった。この前、トークがうまくいかなかったもっとプロとして頑張らなくてはみたいな記事を書いては、絶望し発狂していた。「もうだめだー見捨てられる切られる終わりだー」である。しかし、ありがたいことに「またブッキングさせてください」と連絡が来て、わたしはいちいち自分の能力のことで発狂などせずに、自意識でぐちゃぐちゃにならずに、向こうの要請にのびのび応えたほうがいい。私の人生全般に言えることだが、全てが独りよがりである。ミス独りよがり。助けてくれ。

 

ちなみに、スナックに立ち始めた時も、全然お客さんが来なかった時とかに、「何人呼べば大丈夫ですか!?いつまでに集まらないと枠クビですか!!」と騒ぎ立て、オーナーママを困惑させた。勝手にハリーの家にやってきて、騒ぎ立てるドビーそっくりだ。

 

私はよく、「競争や戦闘や、勝ち組以外が報われない男性社会を辞めて、ケアと繋がりを重視する女性的な視点も大事にしよう!」と言ってたが、どう考えても、わたしは男性社会を内在化し、自分がまあまあエリートで不器用なところもあるができることもあるのに、自分は無能だと大発狂して人に当たり散らかしている。言語化して気がついた。最悪だ!

 

私はさらに何を望もうとしているんだろうか。

めちゃくちゃ持ってるじゃんか、ということに気がつきはじめた。え、今更?

 

私はコンビニバイトでマルチタスクができる人のことを全員MENSAに入ったほうがいい、クレカの番号を覚えられる人間は無形文化財、みたいに思っているが、それと同じくらい私も私ができるをちゃんと威張ったほうがいいなー。別に子どものときドビーになりたかったわけじゃないもんな。ドビーのことは好きだけど。

 

小学生の時にネットで見てから憧れてた、ブライス人形が欲しい、も叶った。高校の時にお友達のグループから誕生日にもらった。

 

中高の時にすごく女子に人気で私も好きだった古典の先生がいて、ひたすら古典の勉強頑張ってたんだけど、卒業後、偶然YUKIのライブで会った。

 

ショートカットが似合うようになりたい、ピンクハウスやMILKの服を着てみたい、も23歳以降に叶った。ピンクハウスのリュックを背負っているとしあわせだ。

 

あと、部屋の壁を好きな色に塗って好きなインテリアを飾りたい、も叶った。綺麗にできてないけどおうちに来てくれた友達ありがと。

 

松田聖子の曲とか、私たち世代で有名な曲だとマクロスの『星間飛行』の作詞をした作詞家の松本隆とも、ご縁もらって会うことができた。子供の頃からずっと歌詞カードで見てきた名前!隣で食事をした!ゆめみたい!

 

子どもの頃からの夢で叶ってないのは、ユーミン黒柳徹子に会いたい。あと、王様のブランチに出たい。

 

なんというか、私は自分に自信がなく自分が手にしてるものを誰でも手にできると思い込んで、自己認知が歪んでいるために他者に迷惑をかけ続けていることに気がつき始めた。世界の絶望に目を向け続けてもキリがないのだが、少なくとも、私は自分の部屋を、子どもの時に思い描いたようにすることができ、作りたいものを作ることができる。叶えたいことも大体叶えられている。全部出来ているのでどうとでもなるだろう。そういう自信を持っておきたい。

 

やっぱ夢叶え度合い強いな。なんで、自己卑下と自己処罰を繰り返してしまうんだろう。それって迷惑だ。

 

外界が、あまりにモラル守らなかったり、投票に行かない人がほとんどだったり、やばい恋人と付き合ってたり、尊厳が大事にされてなかったりして、世の中ってこんな感じか!と思ってびっくりしてたんだけど。(あえて危ないところ見に行ってばっかだけどね)

 

そのせいで、突然大学教育のこと、全てドッキリかと思って発狂してたんだけど、(ドッキリにしては手が混みすぎている。みんな、私を騙していましたか?)そんなわけはない。そんな『トゥルーマン・ショー』みたいな高等教育があってたまるか!全員が私を騙してたと考えるのは流石に極端すぎる。思想が極端すぎて人に迷惑をかけている!繰り返しますけど、本当に、思想が極端すぎて人に迷惑をかけていますね。

 

 

さて、いろんなことを書いてきました。やっぱり、「不倫ごっこ」的な投稿とか、数個前に、記事にしてんみたんけど〜、世間の汚れ具合に合わせて私も靡いてみただけで、自分の人生のメインストリームを綴っていくと、どう考えても文の流れに合わないから、やっぱ、不倫しなくて正解だったわ、と思った。私の文脈にスキャンダルないんだよな〜。夢叶え女児だし…。人の恨みは買わないほうがいいし…。

 

しかも怖いことに、ギリギリスキャンダルになりそうになっても、突然の祈祷とかが届いたりするんだよ。私の人生。(前に本当に好きな人がいて、既婚だったんだけど、神様に、「私今日までそんなに悪いことせずに生きてきたんですけど、あやまちって1回くらい大丈夫ですか?許していただけますか?』って必死で祈ってたら、次に会った時に離婚してたことがあった。全然私とは別件なので私が色目を使ったとかそういうのはない。)

 

あと、最近自分の意思でおみくじで大吉を引けるようになってきた。運がよくていつも勝ちを手にする友達が、一緒に遠出した時に大吉を引いてたのを見て、「やっぱり大吉って自分の意思で引かなきゃな」と思ってから引けるようになった。ビビッとなんかくるんだよな。

 

とにかく、なんか怖いくらい夢が叶う。祈りが届く。願いが現実になるタイプなのだ。

 

ああそうだ!ミスiDも中学生の時雑誌で立ち読みしてて、ずっと気になってたし、出たら爪痕残せた。それから、全然話は通じなかったが、好きなアイドルグループの立ち上げしたプロジェクトリーダーの人とも一時期一緒に過ごした。当時の企画書や、黎明期の映像も見せてもらった。本物だった。私はやりたいことを形にする方法を見せてもらったんだよなー。

 

自分が得ているものを無視して、自分はもうダメだーと騒いでるのはあまりに酷い。私はやっぱり自分が手に入れたものの価値を誰でも手に入ると思いすぎている。それはひとえに私が不器用で自信がないからである。でも、私が私の持っているものを誇らないと自己卑下の連鎖が止まらない。

 

自分が客観的に強者の位置にいることを自覚して、私が強者だと思わないと、周りに迷惑をかける。みんな自分の存在に満足することがケアの一環になるのに、私は自分が欠乏しているせいで常に競争の殴り合いをしてしまう。自分があわれだという思い込みを捨てましょう〜!!大迷惑!自由に大吉が引けるんだから。

 

あと、大学教育はドッキリじゃないんで、全然無教養な人が酷いことを言ってたり、話が噛み合わなくても、いじけたり発狂したり、見下したり、自分の討論を場の中で優先させないようにします!自分がおねえちゃんだってことちゃんとわかって行動します!

 

とりあえず、残りの人生で大学の友人か先生に「ドッキリ大成功!」って札を出される日が来るまでは──多分来ないが──、一応自分が思ってるモラルがとても良いもので、人を寛容に見るキャパがある、と思っておきます。

 

いやー、やっぱり自分が見てきたものとか信じているものに対して、誰かから許可や根拠をもらえると思ってたんだよな。自我が希薄だったため暴れてしまった。私の中のモラルも美学も真実も、良識もちゃんと自分で守らなきゃなのだ。自分が過ごしてきた時間がドッキリじゃないとしたらね〜。

 

でも、国家と組織ぐるみで、学部4年、修士2年、若い学生を箱庭に入れて、ドッキリにかける意味がなさすぎるもんな。流石にそれはない。やばい現実を見たからと言って、これまで、学問をやってきた先人たちがずっとドッキリノートを綴り続けてきたとしたらヤバすぎる。嘘すぎる。アホの営みすぎる。そんなわけがない。そんなわけがないのだとすると、自分は、こちらは何かしらの良識を学んでおります、というポジでちゃんとお姉ちゃんプレイをしましょうということです。強者の余裕が必要です。全ての場でガチ討論をしない、我慢しましょう。

 

世界の愚かさに絶望しない2024。

愚かさすらも愛していきましょう。

私もまた、自分が持ってるものを正しく喜ばないという愚かさを持ってるからなぁ。戒め。

 

これからもいっぱい夢叶えよーっと。

 

Too Lucky!

Too Lucky!