美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

文脈の中にしか生きられないことを怨念と呼ぶなよ

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「無理に異端ぶっても、人は結局、普通に戻っていくのだから普通に頑張った方がいい」という旨のツイートを見た。そうだと思う。この数年自分らしさから逃げるようにさまざまな場所へ行きさまざまなものになり、さまざまなことをしたが、結局自分というものは変わらない気がして逃れられないような気がしている。30代になっても40代になっても、50代になってももっとその先でも変われる気がしない。こわい。

 

外界に合わせて自分のステップを進めることができない、わからない。何を変えたらいいのかも何をどうしたら変わるのかもわからない。求められる人格を少しだけならやれるけど、長持ちせず結局戻ってきてしまう。他人はそれほどあなたに興味はないですよというけれど自分の大問題が中心でいいじゃないかと思う。昨日は小学校の頃通っていた塾の教員に謝罪を求めた。今から6年ほど前に再会した時に成長した教え子とセックスばっかしていきてきたが最近成功率が低くて気がおかしくなりそうみたいなことをめちゃくちゃ言われたんだけど、あとめっちゃ下劣なこともたくさん言われた。私だけじゃなくて教え子全般舐めてたな。(このブログにも前に書いてるね)、本当に許せなかったので連絡して劇的に怒って、6年前のこと謝ってもらった。

 

ずっと悲しかった。その教師に教わっていたのは高田馬場の塾だったのだが、私はその塾に通っていた子どもの頃から駅のホームから見える馬場の景色をよく覚えており、将来ここの大学に通うことがあればまたこの景色が見られたら嬉しいなと思っていた。それが叶ってからはなんとなくその頃見たものと自分の今が重なるような気がして心地よかったのに、何かそのことがあってからいつも心の奥がざらつく。ずっとざらつく。全然大学出てたまに乗り換えに使ったり大学時代の友達と遊ぶために馬場の駅を見るたびにざらつく。

自分の作り上げた完璧が他者によって崩されたことに悲しみが抑えきれない。でも、昨日ふと思い立って、連絡をして激おこをしたら、その日たまたま乗り換えで馬場を使う機会があったんだけどこの数年でもっとも清々しい気持ちになった。

 

多分過去のデバッグをしたということが大事なんだと思う。エラーが永遠にエラーであり続けてしまう。何か人生に負けた感じがして悔しくて悲しくなってしまう。謝罪を拒否されたらされたでもまあ、と思ってたけど、ちゃんと内側から押し出して、傷の回復に取り組まないといけないのだ。忘れられるなら忘れればいいんだけど、忘れられないなら怒りを表明していると自分でいられる気がする。

 

教員は私のこと若干アスペルガー扱いして、冗談が通じなかった、とか過去の出来事にめちゃくちゃ執着してる、みたいにも思ったみたいなんだけど、別にそういうのではなくて思い出が大事な人なだけだよ。こだわりは強いと思うんだけど別に服とか、ルーティンとか、食べ物とかそういうのの偏屈さは一切なくて、ただ、過去の時間の美しさに対して異常執着をするんだけど、それって、多分持って生まれた特性のようなもので。

 

物心ついた時から喪失感がすごい。今が過去にどんどんなっていくから、私たちって生きてるだけで常に喪失なわけではないですか。もう戻れないものが蓄積していく。そのことが苦しくて、別に母の死とか関係なく、常に感情が、遺族、って感じなんですよね。小学校の頃自分が入学する何十年も前の生徒が残した卒業制作の壁画みたいなものを見ると怖くなっていた。この人たちはこれを遺して同じ日々を送ることは2度となくこの小学校に足を踏み入れることもないんだ、私もいつかそうなるんだ、と思うともう常になんか痛切な気持ちで生きていて、小学校の廊下の床の真ん中にまっすぐ引かれた赤い線をずっと覚えておこうと思った。未だに思い出せる。図工室の絵の具の香り、図工室の掃除担当になった子たちだけが10秒だけ給湯器のお湯にあたれる特権があって。なんだかそれがとっても嬉しかったこと。その10秒のことをずっと覚えている。

 

多分、そういう特性はどちらかといえば、アスペルガー的なものより、星占い的にホロスコープの第8室が強いことが影響していると思う。星占いというのは生まれた時のどの場所にどの星があるかで占う。ざっくりいうと時計の文字盤のような、12星座分のテリトリーに、どの惑星が入っているのか、その組み合わせで占うのだ。

 

私はその中で8番目の部屋、第8室に火星と金星がある。第8室は、死、相続、性、官能、密室、を表す星座である。基本的に「開けちゃダメ」な場所である。ていうか情念?まあ、わざわざ書くくらいにはかっこいいので気に入っている。死と相続とセックスの並びかっこいいと思ってるの私の周りだけかもしれないけど…。で、そこに、戦いの星火星と、美意識の星金星がある。怨念じみている〜。

 

過去と地続きとか、何か手放せないものとか痛みとか、そういうものへの執着がめっちゃあって、星占いのサイト(8ハウス強めな人のためのトリセツ(1) -占い| インド占星術 はやたともみ)を見に行ったら第8室の人っぽい曲、として『I Can't Let go』(Smash - I Can't Let Go (DOWNLOAD MP3 + LYRICS) - YouTube)という曲が紹介されててウケた。(海外ドラマの曲らしい)

世は『Let It Go』しているのに…。でも、私のありのままが『I Can't Let go』ならしょうがないのかもしれない。その曲の歌詞に、「永遠に続くものはないと人は言いますが、この心の痛みは消えない」とか、「時間が解決するというが、その日を待っていたが特に来ない」とか、「心の痛みにしがみついていたい」みたいなことを歌いまくっていて、かなり良かった。かなり意訳ですが。ドラマ見るか〜になった。

 

そうなんだよな、手放したくないんだよな〜。手放すこと敗北と思っている節があって、それは別に他人の心とか、金とか名誉とか、そういうものを自由にさせないとかの話じゃなくて。

自分がそれを大事にしていたこととか、今それがないなら喪失感を感じていることととかを大事にしたい。ものすごくせっかちで勢いが強いのだけど、でも、余韻とか空白とか不在みたいなことをものすごく大事に思いたいと思う。

 

中高生とかの時に着てた服全部捨てたけど、一着ずつ覚えている。浮かれたワンピースばかり着ていた。どれもお気に入りだった。

 

よく訪問させていただく素敵なレディのお家は、旦那さんが亡くなって25年経とうとしているが彼と暮らした美しいインテリアがそのまま残っている。彼と一緒になったドアも、カーペットも、壁紙もその形のままメンテナンスされている。本人がいなくなってもずっと。

 

今年は2人がよく行っていたという和食屋さんでおせちを買った。そこに勤めている方は50年同じ場所で料理を作り続けているという。

 

あーあ、なんで私めっちゃうろちょろしちゃったんだろう。基本的に自分の根城を広げる型なのは明らかなのにな。でも、根城に執着があるのってダサい感じがして。執着から覚悟に変わればいいんだろうか。自分は自分に紐づいていることが中心で、外界に興味を持たない。社会性より、情念が強い。ドスンと主観で刺したい。こちらの見ている世界をあなたも見なさい、私が私の主観を語りあなたたちがそれを読む時にそれは主観を超える!事実になる!!!!と思いながら書いているんですよ。

基本的にね、主観で刺したいんですよ。

 

誰かの主観が外界を変える瞬間が好きだ。最近その意味でディズニーランドに行くだけで意匠を凝らした柱のひとつひとつを見ては泣けるようになってきた。ホーンテッドマンションで並んでいる間に泣きそうになった。頭の中にあることってね、別に嘘じゃないんですよ。あるんですよねちゃんと。それを形にするのは大変なのに、壊すのは一瞬だから、戦争はやっぱ良くないね。やっぱり美しいものを作る大変さを知っていたり、壊されたくないものを持つのが平和のためには必要だと思います。

 

てか、全然脈絡ないけど、「俺の見たものを見ろ!!!」って言われたら好きになるな…。

またこの世に存在しない架空の男性の話をしているけど、「俺の見たものを見ろ!!」よくないですか?狂信的で。たぶん、基本的に宗教を求めているな…。世界だからそれ、他者が見た主観的な世界を他者とシェアしたらそれはもう世界なので現実だもんな〜。

 

多分、私には自分の見たものが世界であって欲しい、世界でないならすこしずつ侵食させたい、という気持ちがあって、強情で、どうしようもない。他人にとっては超どうでもいいんだけど、私が高田馬場の駅を小学生のときから大事に思ってたこととか、どんな気持ちで学生ローンの看板とドンキを見ていたか。「意外と汚い駅なんだなー、でもここに大人になったら通えたらいいなー」と思ってたことと、その無邪気な気持ちが、他者によって穢されたことと。本当に別になんの変哲もない27歳女性の内面で起こっていることなんだけどさ、知れよ。私の見ていた世界を少しでも見てよ、一緒に痛め、傷つけ、共感できなくてもいいけど、私がただ駅を使う時にだけ感じる感情が存在していることを私以外の限られた時間を生きる生命体に知ってほしい。わかんない。なんでそんななのか。これもまた性欲だな。

 

先の教員は、自分が昔から性依存だったことを認めたし、今はアルコール依存らしい。多分病的だったし納得だな。カウンセリングすすめたけどこのまま安楽死を待つらしいので、呆れた。「もう関わらないほうがいいと思う」と本人に言われたので、お別れをした。最後の挨拶は互いに「バイバイ!」だった。何か心の生き霊が成仏した感じがして、今朝から私の脳内はプシューとして体全体が軽くなった。多分6年前になんか食らってたんだと思うんだよな。呪いみたいなもの。呪術廻戦見てないけど見たら面白いかね。

 

その先生に文句言った時、私めっちゃ子どもの時いい時間だったから本当に壊されて自分がしてきたこと全部言われて苦しかったと伝えたら、軽口叩きあってあえて露悪的なことを言うのが仲がいいと思って、いろんな人を傷つけた。あなたもその一員だった。と言ってた。そんなわけがない、あれ全部本当に人の事ナメくさってたし、私にも「お前でいいや」的なことを言って甘え腐ってたんだよな。お前はお前の甘えを自分で引き受けろよ。

 

 

全ての関係を真剣にやると疲れてしまう。でも真剣にやらずに生きていく方法がわからない。魂だけがずっと変わらず年齢を重ねることができない。自分が自分であるという確信だけが強すぎて、地続きの自分しか生きることができない。自分に対する執着が強すぎてびっくりする。自分がずっと自分である事が私にとってNo.1事項で、変化というものを嫌っている気がする。ドタバタしたのも、そのことを知るいい機会だったのかもしれない。なんか別の人になれるんじゃないかと思ったんだよね。人前に出たり、憧れの服装したり、ブリーチしたりしたら。でも、なれね〜!!

 

なんか別に、全然ずっと、鯖の味噌煮好きだしな〜。あとくまのプーさんのイーヨーが好きだね。100エーカーの森で一番暗くて安心するね。魂は変わらないなー。たらこも好きだね。あと、向田邦子とか、吉本ばななとか、森絵都とか普通にずっと好きだね。中受してた12歳の時から変わんね〜。なんか上品ぶって小綺麗に見える文章書く時あるけど、普通に自我変わらなすぎるな。ここにいるよーって感じするな。

ピンクレディとキャンディーズ小学生の時から好きだな。あと、子どもの時読んでた本で『季節の行事絵じてん』てのがあって、季節の行事が描かれてるんだよ。あれ好きだったね。あれやろう。もしかしたら私は今、自分がこの能力を身につけて、何かに追いつきたいと思うより、なんか季節の料理とか上手くなりたいな〜。

 

私の手から生まれる世界を味わったり、見たり、現実になってほしいと思うんだよなぁ。そんな感じで日常と手を取り合って紡いでいようなー。なんか作ってたりするとね、未来に対する期待が上がるから、情念的ではあるんだけどなんか明るくなるだよ、文脈の中を生きて人と比べずに私の世界を頑張りたいなー。もう傷つきたくないからなるべく、こう、物語に危害を加えられる人との出会いは気をつけるようにした方がいいんだと思った。暖かい箱庭で思い出を大事に、慈しんで暮らしていきたいなぁ。情を大事にしたい。

 

くらえ!第8室!手放すな!執着!痛み!傷つき!