美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

いつでもつながれるとは思わないけど

 

 

みんな、大なり小なり面倒だって思いながら人の相手したら、本当に思っていることなんかわからないのかもしれない。

 

でも、「心の中なんてみんな何思ってるかわからないからね、なんだっていいのよ」と諦めた距離感の話をされると苦しくなる。最近のテーマは受容を大事にしてても嫌なものは嫌とか、選んでいいとか、相手の期待に添えなくてもいいということだ。選んだら選ばれたりしながら生きている。それもまた自然なことだ。なるべく嫌いたくないのは私が嫌われたくないからだろうか。

 

だけど、心身が一致してる人の態度はわかるし、してない人の態度はわかる。私、本当のコミュニケーション以外人生にいらないと思っている。重すぎますか?何が本当かなんて人それぞれあるけど…。でも、その場限りの適当な会話に私は意味がないと思う。

 

 

「いいのよ何思ってたって伝わらないんだから。でもその人には居場所があるってことでしょう」

と年上の女性は言うし、

 

「美人さん、嘘も方便、です」と、年下の女の子はいう。方便なわけねぇだろ、いかに嘘つかずに生きられるかだろ。と思う。無理に心の中をコントロールするのは確かに良くないことがある、必ずしもいい方向に心を持っていかなくてはいけないわけではない。それはそれで楽になる。それでもさ。

 

そのことを言われると本当に悲しくなる。全てをわかりあう必要はないかもしれないけれど、全てを受容れる必要はないかもしれないけど、何思ってたってバレないとか、その場だけでいいとか、適当な上部の話でいいとは絶対に思えないのだった。「いつもいつもそんな話してたら疲れちゃうや」って言われることもあったけど、私には忘れられない会話とか、あ、この日は通じたかも、ってシンクロとか、会話の中で他者と交わることで発見する自分とかがあってそのことが楽しいのに、どうしてくれるんだろう。

 

ねえ、深度のある話をしたいのは私のエゴだけど。そんな話できないならじゃあもう関わる意味なくない?って思う。それもそれで極論だし暴力的かもしれないけど、私は適当に表面的な会話をするくらいなら、家に帰って本でも読んでた方がいいと思う。本を読めば、ライターの雨宮まみが、性欲強すぎてホテルのペイチャンネルでオナニーしまくったせいで大学受験に落ちたり、テレビで出ていた武田信治の発言に影響されて突如ヒョウ柄のミニスカートを履いて親友の彼氏を寝とった話を、恥を忍んで話してくれる。飲み屋であった人と、適当なやりとりをするより、雨宮まみが人がしてくれないような話を書いてくれることに、私は魅力を感じる。心の中身が一切漏れ出ない会話なんて、恥と踏み込みがない会話なんてこの世に必要ないのではないかと思う。

 

これは飲み屋でこう言う話をしろと言うことではない。みんなにそんな話までする必要はないかもしれない、自己開示が全て素晴らしいわけではない。切々と胸に迫るような関わり合いが死んだ人との間にも成立するのだから、そちらの方が楽しくなる。もし、それでもなお生きている人との時間を楽しむのなら、深さは同じでなくとも心を注ぎたいと思う。

 

街ですれ違う人との挨拶とかとは違う、飲み屋のお客さんのことをバカにしたり、隣だからって話した人のことを後から悪くいうことが苦手だ。ものすごーく嫌い。全てのお客様に感謝はできないが、なるべくきちんと接したい。あと、飲みに行った先で適当に隣のおじさんに話しかけるタイプの人は嫌いだ。大概飲み終わった後に面倒臭かったな、と言うから…今日はあなたと話に来たのに、おじさんを巻き込んだのはあなたじゃない!と思うのだ。

 

私、飲み屋を出た後にその場で話した人のことを、一緒にいた人が「あー、めんどかったー」とか言われると人間不信になるからやめてほしいの。めんどかったーって言う人に限って周りの人に話しかけたりする。飲み屋って、なんだ?

 

「美人さん、嘘も方便ですよ」って言った、年下の女の子と旅行先の古いホテルにあるカラオケバーに行ったらその女の子がデュエットをしたいっておじいさん達に声をかけたの。私はやめて欲しかった。「デュエット勉強中なんです」といってて声かけて、ジジイとデュエットした。ジジイたちは3人いて、私たちの近くの席に来た。私の方がジジイ寄りの席になった。

 

ジジイの1人がつけあがるので、歌い終わった後にハイタッチ…ではなく謎の肘タッチの動作を求めてくる、まあ肘タッチくらいならと思って適当に合わせてたら、肩を叩いたり、セクハラにならない範囲で私にどんどん触り始めた。若い人間と話したり隣に触ることなんてほとんどないから、性というより、なんかもう縁起物みたいにぺたぺた触ってくる。嫌だった。でも厳密にセクハラではないから逃げられない。挙句私の名前を聞いて、どういう漢字を書くのか聞くために私の腿のところでなぞってきたゾワっとした。数ヶ月経ってもまだ不愉快。私はデュエット誘ってないからな〜♪と思う。

 

隣にいたその女の子が、私に耳打ちして「美人さん、ちょっと隣の人触りすぎですね、部屋戻りましょ」と言った…そして出た途端、「あのジジイが一番クソだった」とか言い始めた。でも、でもデュエットに誘ったのはあなたじゃん、と私は思う。0か100かしかない私がバカかもしれないけど、それなら最初から誘わなければよかったのにと思う。

 

飲み屋でよくわからないおじさんに話しかける女の子、自分から行って、適当に変な目で見られるのは楽しみながら、ちょっとつけあがるといい感じでやめて、「本当くそ」みたいなの言うけど、そういうの面倒じゃない?と思うのだ、でも私が幼くてだるいだけなのかなとも思う。

 

その話をすごく仲良しのお友達にしたら「最後まで面倒見られないものに手をつけちゃダメ!」と言われて「本当にそう!」と思うのだ。だって最初からデュエットに誘わずにおじいさんの「さらばシベリア鉄道」とか上手だったから「上手ですー!」って拍手したり、私も桜田淳子とか歌って楽しく手を振ったりしてれば、私は腿に名前なぞられたり(不愉快概念タトゥー)、純朴なおじいさんたちの旅行の悪口を言わずに、旅先での夜を迎えられたはずだった。なんでこんな嫌な思いしながら寝なきゃいけないんだろうな、と思う。私は適当に近づいて適当に終わりにするみたいな人間関係なら最初から近づかなきゃいいと思うから。

 

昔『僕の初恋をキミに捧ぐ』って少女漫画で、心臓病の主人公が出てきてたんだけど、主治医が深刻そうに「死期が近づくと性欲が強くなるんだ…」と言っているコマがあったな、あれシリアスだけどなんかちょっとウケるなと思った。70代に差し掛かった人間の藁をもすがる限界性欲、だるかったな。そんなことを思った。もはや救いようがない。

 

その爺さんに話しかけてた女の子に、「なんで飲み屋とかで人に話しかけるの?」って聞いたら「すごく嫌でも、それはその場限りで終わりだから」みたいなことを言ってたが、そんなジャンクに私生きてないから全然わからない。家帰って読書てた方がよっぽど自分の心の話をしてくれる。私、そんなに限界じゃない。

 

友達の映画撮ってる女の子が「人間関係ガチな人以外話しかけないで欲しい」と言ってたけど本当にそう。

 

全てを「よい」ように考えようとしたり自分の心の声に嘘をついたりするのは違うけど、でもなるべく誠実に付き合いたい。

 

なんだか、私は、心の中はどうでもいいとは思えない、そのつもりで生きていると、人と接することとかこの世に生きてることそれ自体が嫌になる。嘘をつかないのは自分が世界のことを信じたいからでしょう。

 

適当なジジイとデュエット誘うくらいなら、自分の好きな歌歌えばいいのに。

相手が何考えてるかなんてわからなくても、なるべくそれでも通じ合う瞬間を大事にできたらいいのに。それは尊敬ゆえの、何考えてるかわからない、であって、諦めの、何考えてるかわからない、ではないと思うから。

 

私は過去に人と過ごした時間のことを大事にする。もう会えなくなった人でも、蜜月の時間が終わった人でも。濃い人間関係をやった人とのことをすごく嫌いになったり忘れたりすることはない。一度なにか縁があった人のことはずっと好きだなと思う。そんな話をしていたら。

 

年上の女性から、

「んー、じゃあ、今まで好きだった人と、もっかいキスとかその先とかできると思う!?私は無理!」

って言われたんだけど。なんというかそういう話でもなく、「好きになった人はずっと好き」にはもっといろんな含みがある。

 

誰かと誰かが深く関わった時間にその人に残る他者の影響とか、価値観が変化していくこととか、そういう話。自分の中に残るその人と出会わなければなかった自分の面影のことが大事で大事で仕方がない。目の前にいる今自分が好きだなと思う友人や恋人をつくりあげたのだって、その人とそれまでであってきた他者たちだ。そういうもっと、ざっくりとした、人と人との交わりの話をしている。

 

この前ピューロランド行く途中に友達が

「いや、深い会話があればセックスはいらないよ!」と言い始めて、確かにそれもあるが、それもそれで極論よな。と思うのだ。私も私の友人も極論の人が多いからな。でもこの派閥の人が自分の近くにいるのは本当にいいなと思うし、彼女から教えてもらったことはたくさんある。何より、人に本当に思ってることを話してもいいって教えてくれたのは彼女だと思うし。

 

また、それと別の、私と毎日LINEするような友達は、以前「あのね、私恋人の過去を作りあげた人としての元カノに興味があるんです」と言っていた。そうなのだ。もちろんちょっと嫉妬したりすることもあるかもだけど、自分の好きになった人に強い影響を及ぼした他者のことが気になる。

 

その年上の女性は、移ろいゆくものだから何ひとつ確実なんて物はない、ということがわかっているようだった。でも、確実なものなんてない、と思うのは自分の考えだから、ある、という考え方もあるのかもしれない、と言っていた。私はやっぱり「ある」派なんですよね。というか「あった」派なんですよね。

 

移ろいゆくことがわかっているからこそ、人には楔を打てないことがわかってるからこそ、それは記憶に、自分の価値観の変化に、時に文章や、服に、催しに姿を変えて、沁み渡っていく。

 

ああ、この道昔よく通ったな、とか、この店よく行ったな、とか、この料理よく食べたな、とかあるでしょ、私はそれを思い出すことを「ずっと好き」と表現する。この街はこの人の出身だったな、この曲が好きだったな、私の知らないこんな世界を教えてくれたな、と思うことで生きている、いちいち重いとか、いちいちそこまでやらないとか言われる筋合いはないのだ。

 

縁もゆかりもなかった街や店に思い出が色づくこと、同じ時間は戻らないけど一緒に過ごした時間があったこと。私は過去を軸に生きている。過去が好き。大事なものが増えていくことは楽しいから。

 

もっとちゃんと人と関わりたい、関われる数が減っても、少しバカにされてもいいから、なるべくちゃんと関わりたい。なんか、いろんな人の前に立つようになると、びっくりするようなメッセや変な人も出てくるからみんなに誠実にはできないかもだけど、でもなるべく、なるべく、嘘も方便、より、嘘はつかずについたとしても、誠実にしたいと思う。

 

難しいだろうか?年下の女の子に「それは美人さんが辛くなるのでは?」と言われたけど私にとったら全員が嘘ついてると思いながら茶番やってる世界の方がよっぽど怖いから、もうちょっと誠実モードで人生をプレイしたい。

 

貫けるだろうか。書くことでしか守られないものがあり。「美人ちゃんは頭でっかちだから」と言われても…でも大事なものがあるだろ、と思ってるから…。その場が終わったら、適当な悪口を言ったりしたくないなと思う。愚痴は時々こぼすかもしれないけど…でもなるべくいろんな人ときちんと生きていきたいなと思う。そういう人達と入れれば私は満足だから!