美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

私には嘘がつけない

 

大人になるって、"見せない"ことかもしれない。私にはそれがわからない。多分大人が上手い人って、人当たりが良くて、この人に話していいことと、ダメなことを瞬時に分けて、その場で最適な素振りを見せることなのかもしれない。

 

この人にはここまで、この人にはここまで、自分のことを好いてくれているだろうけど、ここで見せられる自分はここまで、心の内側とか仕事のこととか、過去のこととか、胸の奥にしまっていくことはひとつひとつ増えていくのかもしれない。世界の全てのことも他人のこともわからなくなっていく。仕事も恋愛も関係性も、お金のことも、レイヤーが上がれば上がるほど責任も重くなり、仕事で負う額も重くなり、言えないことも、明らかにできることも減っていく。

 

孤独と責任は相関だろうか?とも思ったりする。みんな色々大変なんだろうなーとか思ったりもする。前の記事で、私には仲良くしたい人と仲良くしたくない人の線引きがはっきりしていて、という話をした。

 

みんな多分そんなこと考えず、「うーん、ごめんねー最近ちょっと忙しくてー」とか、「うーん、ありがとうねー、引っ越して遠くなったんだよねー」とか適当に大人になって大人の言葉で対応している。わたしも大人対応によっていなされている場合もあるかもしれないが、めげないでいくし、まあガチのマジで嫌われてたら、オッケー、みたいな感じで行く。

 

でも、いなししてると、自分がいなされてるんじゃないかという自意識で発狂してしまいそうになるんだよな。いなしの語彙の中にいると、なんか本当に自分がダメになってしまいそうな感じがして、苦しい。いなしの大人になりたくない。

 

例えばその人の手料理が食べたくなかった時とかに「ご飯食べてきちゃったんだよねー」とか、言えない。嘘だから。食べたくないと言うシンプルなことをどうしたらいいかわからなくて、何も言葉が出なくなって俯いてしまったり、無理をして食べたりする。

 

多分、大人上手な人は「ごめんねー、夕飯の予定あってー」とか言うのだ。て言うかそれが普通。極端に嘘をつきたくない.そこには、発達障害に由来するものもあると思う。どうしても真実にこだわり、嘘がつけない。適当に方便な使い回しの言語でできた世界に生きたら、泣いてしまうかもしれない、そんな世界の中に生きられない。"社会人"に向いていない。

 

どうしようか、先行きが見えているわけではない。自室の布団にくるまりながら、雨宮まみのことを思い出す。何度だって書く。私が筆をとる、原点だから。正直で美しい人だった。

 

『女子をこじらせて』の中で、大学入試のために上京したホテルのペイチャンネルでAV見てオナニーしまくって大学受験に落ちた話を読んだ時の感動。「この世にはこんなに正直な人がいるんだ!」と思うと、嬉しくてたまらなかった。性に関する話がオープンだったから惹きつけられたのではない、真っ直ぐで正直で、身を切るほど美しい文章だったから、私は、惹きつけられた。痛手を負って、恥をかく人が好きだった。人がここまで無様でセクシーになれるのかと思った。私は天にも昇る気持ちだった。この世でこんなに恥ずかしいことを「ある」こととして書いてくれる人がいるんだと思った。この人には全部自分のことを話そうと思った。雨宮まみが大好きだった。

 

21歳の頃の雨宮まみは、テレビで武田真治が「今の時代は個性的なオシャレで自分を演出すべきで、ブスだとか自分に言い訳をするべきではない」と言っていたこと感動し、ボロボロと泣いた後、家にあったヒョウ柄の布で、一心不乱にミニスカートを作って履いてみたという。あまりにもいじらしかった。雨宮まみはその直前やけくそになってネパールで坊主にしており、伸びかけの坊主を金髪に染めあげていた。ベリーショートの金髪と、ヒョウ柄のミニスカートは、コンプレックスまみれだった自分がグッと「よく」見えたと書いていた。

 

その服を着るようになってから、雨宮まみは初体験をすることになるのだが、その相手は友達の恋人だった。人と触れ合うことが怖く、自分に手を出してくる人などいないという思い込みでにっちもさっちもいかなくなっており、自信のなさから、友達の恋人に抱かれにいってしまったのた。私は、雨宮まみがこれを書くところがたまらなく好きなのだ。

 

後悔する気持ちはありませんでした。やっと、やっと人と触れ合えた、誰にも触れられずに死んでいく人生にならずに済んだ。

—『女子をこじらせて』雨宮まみ

 

いじらしい、なんていじらしいんだろう。誰が彼女を責めることができるだろう。雨宮まみは、切実なのです。いつも切実だから、誰も咎められない。

 

私は、正直な人が好きです。損をするほど正直な人が好き。友達の彼氏を寝取ったことより、そこに至るまでの自分の惨めさやその行動を選択するまでの狡さ、虚しさ、自分が手に入れたもの。そのすべてを、わかっているところが好きでした。

 

 

 雨宮まみはいつも正直だった。そして美しかった。雨宮まみの美しさは自分の何に恥とコンプレックスを感じて、自分が何が虚しくて、何を手に入れて、何を失ったかをはっきりいうところです。

 

いろいろ人生考え直してどう振ろうか考えてたんだけど、雨宮まみと添い遂げることだけを思い出したらとてもシンプルでいられる気がした。雨宮まみという人がここまで心を開いて遺してくれた言葉があるということが私のお守りなのだと思う。自分が何をしたくて、どこが狡かったのか、どこがダサかったのか、逃げずにいたい。雨宮まみに届くようにまたいろいろ書きたい。