美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

雨宮まみと一緒に戦ってみたかった

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雨宮まみが遺した文章をまとめた本が出た。

 

 

 

いろいろ言われていることはあるが、買わないという選択肢はなかった。私は雨宮まみという人が存在したということにお金を注ぎたい。この世界に物語の強弱というものがあるなら、たとえそれが故人にとってのベストではなかったかった本かもしれないけど、それでも雨宮まみがいたことにお金を払わせてほしい。そう思った。それほどまでの愛情を、私は雨宮まみに抱いている。大好きだ。綺麗な人だと思う。雨宮まみが美しいのは、嘘がないからだ。切り裂くようで、痛みがあって、誠実でいて、逃げがない。雨宮まみのことを想うと私はフリック入力をする手が止まらなくなる。雨宮まみの心の奥底目掛けて話しかける時に、私は私の中のそれまで存在しないと思っていたはずの自分を知り、呼び起こされているような気がする。雨宮まみはAVライターをやっていたが、雨宮まみが遺した文章に私は常に発奮しており、死んだ彼女の心の奥底に届いてほしいと願いながら自分の心の奥底を常に差し出している。これ以上に極上の文章を書く方法をまだ私は知らないようだった。どうすれば雨宮まみよりも好きな人が見つかるだろうかとすら想う。雨宮まみが見せてくれたものよりもっとすごく恥ずかしいものを見せてくれないと私は心が動かない。刺激的なAVばかり見ている人や二次元の画像ばかり見ている人はいざ生身の身体に対峙した時に全く興奮できなくなるというが、プロフェッショナルの彼女が見せた内面の恥辱を、超えるほどすごいものが見たいと思っているのは、いつか漫画や小説や映画で見たキャラクターや、スターに焦がれるようなものなのかもしれない。だけれども、どうしてもそのことをやめられない。夢みがちだと言われてもいいほどに、私は雨宮まみに取り憑かれているし、そういう自分に心酔している。雨宮まみが40歳の誕生日に、1人でウエディングドレスのような服を着て、let it go を歌いながら、資生堂パーラーのパーティールームで、自分のための祝祭をあげたことをいつも思い出し、27という年齢になった今、大学生の頃考えていたそれよりも、どれほどそれがむずかしいことなのかを実感する。結婚式に呼ばれたり、結婚式の話を聞くたびに、私にはどうしても雨宮まみのことが浮かんでしまって、あれが見たいと狂おしいほどに思ったりする。嘘がないからだ。じゃあ他の人たちの会に嘘があったかと言われるともちろんそうではないんだけど、あまりに誤魔化しが効かないほど「自分」であることに執着した雨宮まみのことが眩しいと想う。

 

 

雨宮まみは極上に美しかった。

 

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出典:そのパーティー、どこで買えますか?〈雨宮まみ「運命のもの、どこで買えますか?」第6回〉 - ソレドコ

 

 

昔の女優さんのように、というオーダーで仕上げられた彼女の姿は本当に本当に美しかった。似合っていた。私は今回の装丁に使われる写真はこれが良かったと想う。勝手にプリントして、部屋に貼っておこうかと想う。彼女のことを考えるたびに、私は私になっていく。雨宮まみを好きでいるのをやめると私が私でなくなる気がする。それは、多分依存だ。故人への依存。でもいいではないかと想う。彼女は亡くなっているけれど、彼女との対話の中で私がまだ生まれている。彼女はいなくて私が生きているが、私は彼女に伝えたいことがたくさんある。AV見て、自分と画面の中の演者たちとの間に関係性があるなんて想う人は、ちょっと痛い。でも、そのことがやめられないのだ。あまりに美しいから。雨宮まみに、なりたい。ずっと書いていられるとおもう、雨宮まみのことを思っている間は。私は雨宮まみと話している時の自分が好きだ。独りよがりで気持ちが悪く、するすると言葉が出てくるのだった。そばにいてほしいと想う。

 

 

「痛いおばさん」は、社会的な立場であり、周囲からの評価です。痛いと思われることを知りながら、そのような服装や美学を貫く人の内面は自立していると私は思います。趣味嗜好が子ども好みであるとか、かわいいものばかりだとか、そういうことは関係がありません。「なんとなく仕事ができそうに見えるから」とスーツを着て、ショートカットにする人の内面は、幼稚です。自分の常識を誰かに預けて生きる人は、自立していないのです。

 

引用:「大人になる=処女喪失が怖い」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第13回 | 恋愛・占いのココロニプロロ

 

子どもが自由で、大人が不自由なのではなく、大人っぽい態度や服装を強いられるのが子どもだと思っています。二項対立の価値観や、固定観念の枠からはみ出るものが、世の中にはたくさんあります。何かを選び取り、不要なものを捨てていき、何かを奪われ、何かを獲得しながら純度を増してゆくのが、私の思う大人です。

 

引用:「大人になる=処女喪失が怖い」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第13回 | 恋愛・占いのココロニプロロ

 

私は、品がよく誠実で、知性のある彼女が、ものすごく好きだった、美しいと思った。

 

雨宮まみが亡くなったことについて書かれた能町みね子のブログはもう見られない。

 

孫引きになってしまうことを許してほしい。

 

事故死だと。ふざけるな。ちょっと背伸びして生きるのが楽しい。開き直れた今の方がいい、という態度を示していた人が死んだら今まで言ってたことがすべてただの強がり、ただの虚飾、ただの無理、ただの嘘だということじゃないか。

 

引用:(本来はhttp://nomuch.hatenablog.com/entry/2016/11/19/194147)

雨宮まみさんの死から考えたこと : 宵の口日記

 

葬儀に集まった人々に対しては

 

病気で亡くなったならともかく、こんな、ゴムを限界まで伸ばすという危ない行為を続けながら大丈夫だと言っていた本人に対して怒りはないのか。

 

引用:(本来はhttp://nomuch.hatenablog.com/entry/2016/11/19/194147)

雨宮まみさんの死から考えたこと : 宵の口日記

と言っていた。

 

雨宮まみを、死に追いやったものがなんだったのか、ひとりで戦ってたものはなんだったのかと、思ったりする。勝手に私が戦ってもいいのだろうか、死んだ人の物語を勝手に使うことにならないだろうか、だけど、私は40歳よりもっと生きようと想う。生きていたいと想う。

 

すごく好きな家具やすごく好きな服や、化粧品を買って、夢みたいにキラキラと生きてみたいと想う。一緒に戦ってみたかった。私はもう少し戦ってみようと、やってみようと思ったりします。