美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

適量目

この前会いたい人に会いに行ったら、固まって身動きが取れなくなってしまった。写真のひとつもお願いできず、「う」と「あ」しか言えず、おずおずと帰ってきてしまった。なんでこんななのだろう。高校生の時とか、馴染めなかった大学院のグループワークの授業みたいだった。26にもなってこんなことになるとは思わなかった。なんでこんなことに…。

 

息が詰まりそうで、息が詰まりそうで、逃げ帰ってしまう。なぜこんなことになってしまったのか考えてみたけど、多分心が近いからだ。心が近いと手に取るようにばれちゃいそうな人だったからだ。崇高な理性と感性と才能がある。心が近いのが全て見破られてしまうようで怖かった。見破られるくらいの理性を持った人だから、近づくのが怖いのだ。

 

私の持っている熱量が、私が持っているよからぬものが、適量目を溢れたそれが、もう、ダバダバとこぼれているのが、バレてしまう。私のダバダバは、多分狂気を孕んでいるから、多分、バレないうちに退散した方がいい。もう、なんというか変な感じになっちゃうから!自分でも、なんでこんなことになったのかわからない。用事を済ませてそそくさと退散。本当はもう少しいたかったけど多分これ以上いると私は狂気のオーラを放ち始める。独特の内圧と緊張の外圧でおかしくなってそこにいられなくなるのだ。

 

帰りながら、ふと、思ったことがある。そういえば、自分もかつて、自分の催しに遠方から来てくれた人が、おめかしして来てくれてたのに、写真を撮ることもなく、テキトーにしてしまったことがあった。なんか、初めてその立場の気持ちがわかったし、そういう扱いをしちゃう人の気持ちも推察した。

 

私は自分がとっても会いたい、会いに行きたい人ができて初めて知ったことだ、と思った。私に会いに来てくれる人には堂々としようと思った。そして、もう、多分私は足を運ぶたびにダバダバするので、しばらくそういうところには行かん方がいいな、と思う。たぶん、「きゃー!大好きです!」って言う人より、ものすごい不穏さを纏う。纏っていいじゃないか、手紙魔まみになろう、とも思うけどな。

 

いつだって愛は全身を突き破りそうで、弾けてしまいそうなのだ。有楽町の三省堂でレターセットを買ったから、手紙でも書いて出してみようかと思うけど、またダバダバしそうで怖い。手渡しはダメだけど、然るべき場所への郵送ならいいだろう。

 

全身を超えて生まれる感情を、私はまだうまく乗りこなせない。いつだって、適量目からはとうにあふれている。