美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

ただ、教室を出て、廊下で『秘密の花園』を読んでいたい

今週のお題「最近壊した・壊れたもの」

 

お題の文章を書いてみようと思った。はてなの投稿欄を見たらテーマが、あまりにも心に響いて苦しくなった。

 

壊してばかりの人生である、持ち前の不器用さでさまざまなものを壊してしまい、幼い頃から家族の間では「こわしや」と呼ばれてきた。力加減がわからず、大事なものもよく壊してしまう。でも、空気でも、その場そのものでも、何かを壊したい時って、何かを守りたいときでも、あるんじゃないかと思う。不服なものがあった時、全てを壊してしまいたいような気持ちに駆られて、それらの衝動をコントロールすることがとても難しい。他者の事情を考えすぎて優しくしすぎ、と言われることもある私だけど、思春期を超えるまでは、本当に手のつけようがないほど、常に癇癪を起こしていた。

 

母が大事にしてた、ロイヤルコペンハーゲンのイヤープレートもひとつ、12歳くらいの時に、壊してしまいました。それから、父が長崎出張の帰りに買ってきてくれたビードロ(ポッピン)という、江戸時代の遊女がよく遊んだという、息を吹きかけて、ぺこんぺこんと音を鳴らす綺麗なガラス細工の玩具も、なんというか母と喧嘩して虫のいどころが悪かった時にブチギレて勉強机に叩きつけて、割った。あれは後悔してる。ポッピン、ショッキングピンクに、緑の模様がついてて、きれいだった。

 

怒りに任せて力をこめてぶつけたらまさか壊れると思ってなくて…。自分でもびっくりした。衝動がこんなことになるなんて思ってなかった。なんというか子どもの頃から癇癪持ちで手がつけられなかった。家族には、私の癇癪は「発狂」と言われるほど、常に劇的に泣き、劇的に怒り、この世の終わりのように絶叫した。小学1年生の時とか、毎日なんらかの揉めを起こしては泣いていた。納得のいかないことばかりだ。

 

小学校入学の日に、登校中に通りがかりの知らない男の子に「おばさん!」とただからかわれて走り去られたことにキレて泣いた。私の通学路に他者が侵入してくることはエラーだからだ。外界からの意図しない不法侵入行為を、エラー、あってはならないこと、と認知しており、不服にも程がある。

 

それから、小1の頃、隣の席の男の子が私のことを好きだという囃し歌が流行った。たなかけんすけ君(仮名)という子をからかう曲で、「たなけんは〜♪たなけんは〜♪美人が〜好〜き〜♪」というなかなかのサウンドコピー力のある曲なんだけど、私はそれで、泣いた。

 

絶叫して、泣いた。

 

理由は

 

「私が好きなことで私がからかわれるのなら良いが、私から発されたことではない出来事が原因で私がからかわれるのは不服すぎる。」からである。自分の意図しない方向からの不条理への耐性が弱く、怒りの矛先が明確すぎる。

 

「私が好きならいいけど、私が好きというわけじゃないのに、からかわれるのか、原因がなくて、嫌なの。やめたい。」

 

としゃくり上げながら弁明しまくった。最悪である。でも多分、私はからかいそのものより、自分が好きなら、別になんと言われようがかなりどうでもよくて、自分が好きとか好きではないとかの対象じゃないところから、私の安寧を壊すものを全て、エラーだと考えてしまう。好意ですら、エラーである。無償の優しさを信じているけど、無償の愛とか優しさって、かなり難しい。愛も興味も負荷が伴う。意図しない場所からの矢印を、私は嫌う。

 

6歳といえども、あまりにひどいと思う。人間の好意の拒否の形として、全員の前で「泣く」最悪すぎる。その人が嫌いだとかキモいとかそういう話ではなく、外界からの攻撃性と侵入に、私は耐えられなかったのだ。でも、あまり人の気持ちを考えられた行為ではなかったと反省している。

 

以降の人生、私は自分の好意の矢印がうまくいかないことがあれば、この愚行への「罰」だと思っている。贖罪の日々です本当にすみません。でも、結局自分から向ける矢印以外に興味がないということで、全く反省してないとも言える。意思の力を、信じ、愛しすぎている。

 

私は私の世界を邪魔されたくないのだ。

 

小学生の頃、多分10歳くらいかな。先生不在の自習時間に、教室があまりに荒れてて、私は漢字の宿題を早く終わらせて、学級文庫に置いてある『秘密の花園』を読みたかったのに、邪魔をされたことに腹を立てた。何度注意しても聞かないので、私は腹が立ち、教室の外に出て、廊下に這いつくばり漢字ドリルを進め、童話『秘密の花園』を読み耽った。

 

母からタイトルだけ聞いていたその本は、ネットで本を買う、探す、という選択肢も少なかった時代、なかなか手にすることができないものだった。図書室にもなく、たまたまその年私の使う教室に置いてあった本棚で、出会えたのが嬉しかった。松田聖子の曲に『秘密の花園』という一曲があり、その曲のタイトルの元になってることも知っていた。どんな話なのか、読みたかった。それは、愚鈍なクラスメイト達より、私にとってどうしても重要性の高いことだった。

 

 

話の内容はよく覚えていないが、屋敷にやってきた少女と、屋敷の病弱少年とが、屋敷の扉を開けて秘密の花園を見つけて…みたいな、そんな、薄ぼんやりとしたことしか憶えていない。あと、挿絵がすごく良かった。

 

私が廊下で勉強しているので、駆けつけた先生に怒られたが、先生が設定した通りに、自習をする、課題が終わったら本を読む、という行為が履行されている空間が整っておらず、私は言われたことを履行したいために別の空間にいることを選択したのに、私が怒られるほうが不服だった。どう考えても、教室で騒ぐよりも、①宿題を早く終わらせて家に持ち帰りたくない、②早く童話『秘密の花園』を読む機会を堪能し、読み終えたいもの。(学級文庫なので持ち帰れない)とても大事にしたい。それは、私にとって廊下で這いつくばってやりたいくらい大事なことで、私のその時間と行為が野蛮なクラスメイトによって奪われることが絶対に許せなかった。

 

先生に怒られそうになったので、腹が立ち、すくっと立ち上がり、逃亡。『秘密の花園』を抱えて、お馴染みの主事室(用務員の人たちの部屋)に行った。私は何故か主事室がすきで、よく入り浸っては主事さん達とおしゃべりしていた。

 

授業時間中にやってきた突然の小さな訪問者に、主事さんたちは「美人ちゃん!どうしたの!」と心配してくれた。滔々と事情を説明し、匿われた。椅子に座って足ぷらぷらさせながら、主事室の机で『秘密の花園』を読んだ。廊下より読みやすかった。

 

沸かしているほうじ茶の香り、温かい照明、ふくよかなおばさんの主事さんと、顔は思い出せないけど細身のおじいさんの主事さん。主事室にずっといて、『秘密の花園』を読んでたかった。うるさくて野蛮なクラスメイトのいる教室にも、連れ戻そうとする先生にもついて行きたくなかった。この時間がずっと、続いてほしかった。

 

その後、先生が迎えにきて、捕獲された。なんだこの思い出。私は小学生までの問題行動の数々をすっかり忘れて過ごしていた。書いてるうちに、記憶がどんどん噴き出してくる。忘れてた記憶がひらきはじめる。こういうことをやっていると、クラスメイトに「美人さんは劣り人間」と認知されるので、かなり問題生徒扱いされていた。でも、クラスメイトの顔はほとんど覚えてないけど、『秘密の花園』の挿絵は覚えてるの。でも、個人が一生を生きる上で、大事なものって『秘密の花園』じゃないだろうか。

 

自習時間に廊下で這いつくばってでもやりたいというのは、不真面目なクラスメイト達への「怒り」の表明であり、自分の大事にしたいことを大事にしたい行為であり、その上で誰にも迷惑かけてないと思うんだけど、なぜ私が怒られるのかがわからない。統治が機能していない教室から出ていく自由はあるよ。輪を乱してないと、今でも思っているよ。

 

それから、大人になった。私は相変わらず、主事室と、『秘密の花園』の中ばかりにいる。

 

ある時縁があり、地域のコミュニティラジオに出ることになった際、共通の知人だったおじさんが応援しにきていて、その時、松本隆の詩集『秘密の花園』をもらった。私は、その日、メルカリで買った好きな時代の好きな服を着て、好きな使い捨てカメラを持ってご出演していた。これもこれでちょっとあざとい自覚はあったんだけどね。

 

童話のほうではなく、松田聖子の歌詞の作詞、という意味での『秘密の花園』。松田聖子に提供した歌詞がたくさん載っている。「僕がずっと持ってたけど、君が持ってた方がいいと思う。」と言って渡してくれた。ほら、松本隆だって、自分が作詞した曲のなかで、本のタイトルにするくらい気に入っているのだ。

 

私、こんなものがあるって知らなかった。それは、検索からも見つけられなくて、学級文庫にも並んでいない本だった。もらわないと、自分が欲しいってわからない本だった。ずっと『秘密の花園』ばかり探してるな、と思う。

 

私はその詩集をもらった年の夏休み、大学時代の友人の縁で、作詞家の松本隆と会うことができた。その、おじさんから譲り受けた詩集に、サインをもらった。「懐かしいねぇ」と、隆が本を見返していた。

 

秘密の花園

秘密の花園

  • 松田 聖子
  • J-Pop
  • ¥255

 

私に詩集をくれたおじさんに、松本隆からサインをもらったよ、といったらひどく喜んでいた。

そうなのよ、素敵なお友達たちと、冗談のお城みたいなお家に行ってね、あなたからもらった詩集を、私、もっといい詩集にしたわ。

 

Hold me tight 入り江の奥は

誰も 誰も知らない 秘密の花園

松田聖子秘密の花園』 

作詞:松本隆

 

それから、今度はバイト先だった歌謡曲バーに行って、松本隆の詩集に記された、彼の肉筆を、常連さん、みんなで見た。作詞:松本隆、でしか見たことない、なんとなく立体感のなかった人物が急に私たちの中で、立体感を持ち始める。『赤いスイトピー』『君は天然色』『星間飛行』私たちが知ってる曲の、言葉を紡いだ人なの。

 

「私はね、会ってきたの!」

 

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誰だって自分の思い出の音楽の話をしたり、行った場所の話ができて、そのバトンを紡いで、戻ってきてくれる人のことは、嬉しいんじゃないかと思う。

 

人から勧められたものとかを読んだり、人が好きだったものを覚えていたり、人が大事にしているものを紡ぐのはものすごく、得意な方だと思う。そちらの方への比重が重いというだけで、ちゃんと別の観点から見れば誠実だと思う。

 

教室出て、主事室に入り浸ったまま、生きている。

そうして、子どもの時に何かを壊したてしまったのは、なんだかものすごく最近のことのような気がしている。