美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

人が言ってくれた言葉を間に受けてみてもいいんじゃないかと思う

 

いなくなった人のことを、思い出しながら生きることばかりだ、会えない人や変わった人や、この世を引退してる人のことばかり考える。

 

私は過去を見ながら生きていて、過去と現在と未来の記憶が近すぎる。

 

会えなくなった人への喪失感を抱えている人の、綴った文を読んだ。若い時期のほんの少しの期間だけ飲み友達だった、ある女性のことを書いていた。ホステスをやっている女性と知り合うのは初めてだったという。結婚を機に、別の街に行くことになったその人とは、もう会えなくなったのだという。

 

当時物書きを目指していたその人が、いつか本を出したら、彼女はその本を買って、近所に配るのだ、と言ったらしい。彼女がそう言って居る時の目は、真剣だったと思うと振り返って書かれていた。たぶん、真剣だったんだと、思うな。真剣だったから、記憶に残るのだ。

 

そして、言われた本人がいちばんそれを望んでいたからだ。信じて欲しい自分を信じてくれた人を、人は忘れられないと思う。あまり、真剣に話してもらえることなんてそう多くはないらしいというの、最近気がついてきた。

 

私はその言葉を放った人ではないけれど、その誰かが書いた本が、その言葉を放った人の街の本屋に並ぶ景色を、震えるほど信じている。ずっと、何度も、そういう約束を腐るほど聞いてきた。でも、やってのけてくれたひとはまだいない。だから、どこかの、だれかの、それを見たいと、願う。会えなくなった誰かに宛てた言葉は、たった一人の身体を突き破って、ちゃんとその人に呼び出しがかかったりする。

 

私はその言葉を放った人でも、放たれた人でもないけれど、強く信じたいと思う。その本が書店に並んだ時、その人はきっと、本当に近所中に配るんじゃないのかなと、思ったりする。そういう現実がこの世にはまだあると、願っていたいと思う。