美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

1分の1の生よ、美しくあれ

f:id:toyopuri:20231209034903j:image

 

パーティーは欠席することにした。いざ欠席するとなると気が楽で、自分が何かプレッシャーから解き放たれたような感覚になり、ぷしゅ〜となる。今日はいい日だった。すっごく、楽しかった。横浜で催しをやったんだけど、遠方なのに足を運んでくれた人がいてとてもありがたいとおもった。時間限られてるのに、お金もかかるのに、同じ時間を過ごしてくれて、きてもらえて嬉しかった。ありがたかった。本当に、恵まれていることだなと思う。 

帰宅して、母が好きだったマウントレイニアをジュコジュコ飲む。

 

どうせ明日、家にいるのならと、帰りにスーパーに寄って母の好きだったお菓子とお酒を数年ぶりに買ってみようと思った。ライターの能町みね子は、応援している政党に限らず必ず野党側に投票するという。

 

そういえば、母親が好きだった食べ物を知っている人って、もうどんどんいなくなるんだよなと思う。しかし、逆に私が覚えていたものを買い集めると急に存在が生まれ始めて、わ、人の存在って記憶の中にあるよな、と思ったりする。

 

私は人の好きな食べ物を覚えている。思い出の場所を覚えている。好きな音楽を覚えている。よく着てた服を、髪型を、好きなタレントを、好きなドラマや映画やアニメを覚えている。その人がいなくなった後その人の輪郭をつくるものを私はある程度なら買い揃えられると思う。その人の心の奥にどこまで触れているのかはわからないし、その人の本質とまではいかないけど、ああ、こいつそんなやつだったよね、とみんなが納得するようなものは買ってこられると思う。

 

私はLINEの友達の名前の後に、彼らの好きなものだったり、色、あだ名や名前からイメージされる絵文字をつけることにしている。🐹🐩🍊🌾💣💚🎞📚🐻💄

 

個別性は大事だよ。ひとつひとつの生がかけがえがなかった証だからね。君たちの苦手だったことも、食べられないものも、よく歌う歌も覚えていたいと思っている。そんなふうに興味のもてる人間はみんなじゃないのかもしれないけど、でも、何かその人が一生懸命やってくれたこととかやってたことのことはなるべく覚えていたいと思う。忘れないでいたいと思う。

 

悲しいことがあった。

 

父の正式な結婚パーティーがある1年ほど前、父の会社の人が父に内緒で勝手にパートナーできておめでとうパーティーを開催してしまったのだ。サプライズのパーティーって、やる側のオナニーでしかないと思う。

父と縁のあったさまざまな人たちが集められて、父はその場に行くまで知らされず、そのお兄さん主催で勝手にパーティーが開催された。私は見てないけど、父とパートナーの人の馴れ初めを創作した出し物のVTRや、さまざまや人たちからのメッセージ動画もあったという。

 

その席には私が子供の頃からお世話になっていて今でも一緒に食事に行くような、血縁のない叔母のような感じで慕っている女性、私も含めて家族ぐるみで仲良くしてきたような人たちがたくさん出席していた。私も父の仕事の催しがあるときは、かなり手伝っていたし、親しいと思ってた。私もその主催のお兄さんとは仲が良く、何度も同じ飲みの席を囲んだし、私が大学院に行きたいといった時に志望校の学食まで連れてってくれたのもそのお兄さんだ。

 

不登校の私の弟を誘い出して唐揚げを食べに連れて行ったりもしてくれたし、母が亡くなったことは知っていると思うし原因も察しがついてると思うんだけどなー。

 

だけど、私はその会に呼ばれなかった。どうして呼ばれなかったんだろう。26とかといえど子どもはお呼びでなかったのだろうか。でも、私にだって出る権利はあったと思うし、なんで私だけ呼ばれないんだ、軽んじられていると思った。

 

その時まだ父は弟にすらパートナーができたって言ってない。あと正式に発表したわけでもない、そのお兄さんが、パートナーらしいと、小耳に挟んだだけで、父はみんなに言うタイミングを探していた。なのに、先にやった。勝手にやった。とてもデリケートな話なのに馬鹿だから勝手に馬鹿のパーティーをやった。

 

ものすごく、雑で悲しかった。そのことで私は深く傷ついたし、ものすごく寂しい気持ちになった。いろんな事情や、人生の紆余曲折経ての再婚で、私たちのことを何一つ考えてない馬鹿の催しに腹が立った。

 

でも、そのことが言えなくて、しばらくしてから父に、「私が呼ばれなくて悲しかった」、と言ったら、父が、フィアンセの方も「それ私が呼ばれてないのおかしくない?」と言っていたと言うではないか!しかも「急な催しで来れた人と来れなかった人がいるから、別途報告会をしなくてはいけなくなり、仕事で世話になってる人々に順番にご飯会をやらなくてはいけなくなった」と言うではないか!

 

え!フィアンセも呼ばれてないの?私も呼ばれてないの?しかも主催がオナニーでやりたかったパーティーで急に粗雑に開催して、呼ばれなかった他の仕事のメンバーのこととか、正式な社の催しなのかなんなのかはっきりしないのとか、マジでなんなんだと言う感じだ。

 

人のことをナメないでほしい。私は、「悪気はないが浅はかである」という理由で人のことを嫌うことにした。

 

そのお兄さんと後日会った時「俺は、美人ちゃんパパにパートナーができたってことが嬉しかった!祝いたかった!」と言っていた。

 

そもそも、母が亡くなっていることや、亡くなった母の方の親族にパートナーを紹介しているかということ、まだ弟が知らないと言うこと、オープンにするかどうかもそもそもわからないし、オープンにするタイミングは父が自分のパーティーでやろうとしていたこと、私が呼ばれなかったこと、父が自分の幸せのために人生を切り開こうとしていること、私が人が生きる意味とか死にたくなることについて日々考えていること、細やかに父と弟が積み重ねた時間、私とフィアンセがあった時間、そのすべての文脈を無視する、気持ちの悪い行為に、腹が立っている。そして、急に催しをやって、都合のあった人もいれば合わない人もいてそれがオフィシャルな催しかどうかもわからず、私以外にも疎外感を与えた人がいること。アンハッピーなマスターベーション、お腹いっぱい。

 

祝いなのだからいいのだろうか。私はそのお兄さんの結婚式で放映されたVTRを間接的に見たことがあり、海辺のコテージで彼女にプロポーズするやつで、彼の仲間たちが隠れてサプライズ、みたいなやつだったんだけど、そのことをふと思い出して、吐き気がした。

 

ああいうのも全部「あれをやっているオレ」なのである。当人を置き去りにしたユーザー体験。本人よりも、見せること優先の馬鹿らしいお祝い。元、派手好きな某社の出身だからだろうか。嫌だと思う。

 

本当に私の父にパートナーができて嬉しかったんだろうか?雑にVTRとかつくって、人集めて、企画ごっこしたかっただけだろ。そういうのに、人が6〜7年かけて紡いできた人生の決断とか、人と人とのパートナーシップとかを表に出して消費するんじゃないよ。と思う。

 

だいたい色気がないよな。プロポーズだって(人のプロポーズにとやかく言うものではないが)、動画撮らずに2人だけが知っていればいいだろうし、まあこれは私がとやかくいうことではないな、もし、私の父にパートナーができて嬉しいなら、そっと父を飲みに誘えばよかったじゃないか。

 

それで、「オレ、聞いたんですけど、パートナーできたんすか!?めっちゃ嬉しいです!!!!」

 

↑こんなん嬉しいでしょ。すっごい、嬉しいでしょ。ニコニコしながらビール飲んでくれたら、私も嬉しい。私の父にパートナーができて嬉しいって、そういうことじゃないの?

 

何かしてあげたいなら、2人で使える温泉チケットとか、食事券とか、あとはワインとか日本酒とか焼酎とかプレゼントすればいいじゃん。

あなたが呼ばれて、父と父のパートナーの家でもてなされるのもいい。あなたの祝いたいという気持ちと虚栄心とか見栄とか消費したい感じがずっと気持ちが悪い。

 

昔は聡明で憧れのお兄さんだったのに、私も年齢を重ねたから、頼り甲斐のある感じが、見栄っ張りで気持ち悪いように見えてくる。結局本当に何度も繰り返すけど、愛は密室の中に宿るのだ。

 

私は父に、こういった人間たちがなんの迷いもなく馬鹿のように喜んでいるのを見ると不快になる可能性があり、かつ私に対するあなたの招待も全く私の尊厳に値しないため、別途食事会を希望する旨を伝えた。他のゲストと同じように雑にリンクを送られて招待されて、そんなんでいいわけがないと、言った。私は1/1だから。役所みたいな手続きで済むと思うなよ。

 

今日は、私は母の仏壇と過ごしてみることにした。なんかその方がいい気がした。1/170になるパーティが裏で開催されているなら、私は1/1を選ぶ。この日に母と過ごすことには意味があるだろう。父と父のパートナーと私の食事会があるなら1/1の席に座りに行く。その日に相応しいかわいいワンピースを、私は持っている。昨日のイベントで着ていたら、友達に似合うと言われて嬉しかった。この服は彼女に褒められると思っていたのだ。1/1。

 

私は1/1でできており、私の周りの人たちにもそうあってほしい。1/1の席に私は座り、1/1の席を用意する。このブログの中で私が美人ちゃんなのは1/1だからであるし、私の友達ってなんかそれぞれの世界で自分の一等賞を持っている気がする。気持ちの悪い自分の企画力を見せつけたいパーティを企画する人とはもう会いたくない。文脈や想像力のない人は悪気がなくても嫌いで、それは祝う側へのリスペクトがないからである。大嫌いである。二度と会わないだろう。