美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

照れをやめろ、誠実をやれ

「いらねーな」と思いながら、メルカリのおまけのよくわからんシールと汚い押し花のカードを捨てる。こういうものを善意で受け取らなきゃいけないと思っていた頃より、私は少し大人になってしまった。

 

幼稚園の時から時を止めたような、いるかいらんかよくわからんおまけと、稚拙な犬の絵が、馬鹿げていると感じる。頭が悪そうで、お友達には、なれなさそう。

 

腐ったマフィンをデザフェスで出しちゃった人について、ぼーっと考えている日が多い、悪気はないが有害な人について、私は、ぐるぐると、思いを巡らせる。なんとなーく、しんどい。

 

多様性についての漫画を読むのに、小汚いメルカリの善意100%のおまけが気持ち悪くて、捨てる。デザフェスに腐ったマフィンを持っていってしまいそうなパーソナリティの人を避けたい。「自然派マフィンで、添加物不使用!」と、5日常温で置いたマフィンを…善意100%で売る人と共存するのは難しいなと思う。

 

結局美人ちゃんの登場人物って東京の人たちなんだよ、という話を友達にされたけど、本当にそうで、あんまり、関わっても仕方ない感じの人間と、関わっても良い感じの人間の区別がついてない。モブとモブじゃないひとの違いがよくわからず、どうやら結構私が今まであってきた人たちは、かなりキラキラ人間たちだったらしいということを自覚した。

 

全ての人の話をちゃんと聞ければそりゃいいんだけど私も人間だから、限りがあり、無理である。持ち寄りパーティにオレンジワインを持ってきてくれる人が好きだな。ハードルが高いだろうか。

 

とても仲の良い友達のDJパーティで、無限にちいかわの話をしてくる距離感がおかしい人に捕まってちょっとだけ話を聞いてあげた。私の友達は大体壇上に上がる側の人で、なんかファンの層の人ってみんなやっぱり私の友達とは違う感じがする。

 

全ての人が尊重されるべきだが「おもんない」ということは、罪になるのかなーと思う。もはや他者とインスタを交換したくなさすぎて、クラブに行くのが億劫になる。

 

週末の父の再婚パーティーを欠席した。

「結局170人になっちゃった。なんか、〇〇ちゃんとは20代の時に付き合ってたんだけど、それを知っててママの方を知らない人たちがなんかいろんなことを言ってきて、ママの不在を感じることがあるかもしれないからよろしくね。」

 

と、昨日言われて、「あ、はい」とおもった。別にいいんだけど、これ私にとっては「仕事」だから親といえど、普通に金払って普通にパーティーに行くの感情労働すぎんか?なんの労りもないんか?と思った。父は忖度をしない人なので、こちらが何か相手のことを思って譲っているなど微塵も考えてないんだけど、うーん、私の母親がそういう扱いを受けて、私には娘枠というなんか特典もなくただ出る意味がないよなーと思った。

 

「でも私にとって楽しいことはひとつも起こらないんだけど、なんで私が出ると思ってるんだろう〜」と思う。誰がどれくらい感情のコストを払っており、そこが埋められるか埋められないか、ということで人は怒ったりするんだけど、父はあんまりそう言うことに気が付かないので、父の周りにいる人がそれが原因で怒ることは多い。

 

これに金払って私がめかしこんで行く意味は、本当に儀礼以外の意味合いがない。

 

こちらは寛大な感じで一応娘が出た方が円満な感じになるし、と思って譲っているのだからそちらもそちらなりに何か気遣いをよこせと言うのはうまく伝わらない。多分父や父のパートナーへの愛なんだけど、父は私が出たくて出てると思ってるから、うまく伝わらない。

 

それは祝ってないわけではなくて、100%かどうかはあなたの態度によるよ、という揺らぎがある。その揺らぎをうまく埋め合うことが人と関係性を続けることなのではないかと思う。帰ってこない愛には、より多くのコストを払えない。

 

逆に受付をやるとか、逆に何か役割があった方が楽だ。直前で「あ、挙式もくる?」と言われたけど(多分照れがあるから)、私が出ないなら誰が出るんだ?とってつけたようにパーティーにだけ私が出る意味は?正式になんでちゃんと呼んだり話したりしないの?照れがあるから逃げていると思う。私は照れがあるから逃げることを絶対に許さない。こちらが先回りしてそれを汲み取ってあげようというところまではできない。めちゃくちゃ正直にちゃんと向き合って話をすべきだと思っているが、私はそこの部分への圧が人より500倍くらい過剰なので、それを父に求めてはいけないのである。

 

でも、そういう話ができないなら、私の心からは肉親だけど遠くなっちゃうなーと、思う。

 

 

私には私なりのだいじにされたい指針があり、それにマッチしないものをだいじにされてると思えないのだからしょうがない。↑これが起こらないと気が済まないんだけど、ヤバいのは私なので仕方がない。

 

AV監督の二村ヒトシが、

 

ロマンチックだということは、がんこだということだ。それはぜんぜん自由ではない。生きていくための物語なら、なるべく「がんこじゃない物語」を選んだほうが生きていきやすい。

みんなロマンチックすぎるんじゃね?|ちくまプリマー新書|二村 ヒトシ|webちくま

 

と言っていた。彼はこの文章で雨宮まみについても触れている。ていうか今更気がついたけど、雨宮まみが作中で言っていた付き合ってたAV監督って二村のことだったのかなー。雨宮まみは、あんなふうに生きるのはほんとうに大変だったとは思うんだけど、文章に嘘がないから好きで、98.5%くらい嘘がない状況を私は渇望しているため、人とのコミュニケーションがうまくいかない。そりゃあ、父親もいきなり、雨宮まみくらいの自己開示を求められても、どうしようもないよな〜と思う。

 

愛と感情の等価交換が成立しないので、行けなくなった。頑固になってしまったが、なんか自分がうっすら削られながらそこにいるより、いいと思った。

 

父と父のパートナーと私とでご飯を食べに行ったのが本当に楽しかったし、父のパートナーの人はアクティブなので、毎年名古屋のウィメンズマラソンに出てるんだが、お、なんか母のことは母のこととして、そういうのに私が出る人生とか今までで考えてもみなかったことが起こるかも、それを楽しむ自由も私にはあるのかも!と思ってた。まぁ、それはそれとして、パーティーは行けないのだった。

 

命は限られているから、少し恥ずかしいけど喜ぶかなーと思って、父をブラックジャック展に誘ったり、サンローラン展に誘ったりしたんだけどなー。恩恵もたくさんもらっているけど、茶化さないこと、誤魔化さないこと、恥ずかしくてもしっかり節目節目で照れ臭いことをやっていくことが大事なのに。これって自分のために恥をかいて欲しいと言う感情なのだろうか。

 

「これからこういう事情で、こう思っていて、とても良い会にしたいから出て欲しい」

 

という一言がほしかっただけなんだよな。大事なことから逃げると、生きることの重みが減るので腹が立つんだよな〜。きちんとやらないと、きちんとやらないなりの距離感になるからなー。

 

あんまり気乗りしなかったから、着て行こうかなとメルカリで買ったワンピースがもうすぐ届くけど、また別の食事会で着ようと思う。

 

当然出なきゃいけないと思うのを欠席するのは気持ちがいい!やらなきゃと思ってることも、私の思い込みなのだから、辞めても良いのだと思うと気が楽になった。なんとなく、自分の存在が軽んじられているように感じるところとは距離を置いてみても良いのではないかと思った。

 

少人数の食事会なら、またできるのだし。父やパートナーや近しい人たち10人くらいならぜひいきたい、と思う。私は1/170ではなく、1/1だ。1/1の席がないところにはいかないのだ。1/1が大事だというのは私の主義によるものでめっちゃ変わってるとも思うし、偏屈だし、でもそれが欲しいのだから仕方ない。私がプライドが高すぎるのかもしれないが、自分の扱いが極上じゃないと気が済まない。

 

たとえば、悪くはないんだけど…の例として、不幸そうな女友達、というジャンルがある。

 

彼女から私に向けられる友情は善意なんだけど、クソみたいな(例えば罵倒してくる、殴られる、など)男と付き合っている友達と会うと、その女が自分の価値をその程度だと思っているため、なんとなく愛の天秤が揃わなくなる。愛の人権意識が揃わなくなり、結果的に私の方が間接的に安い扱いをされたみたいになる時がよくある。これも、「かわいそうだから友達でいよう!」というのをナシにした。雨宮まみの本を読んでる方が崇高でいられるから…。

 

お情けの友情は友情としてカウントしないことにもした。ケアは、有料なのだ。ケアは友情ではないのだと思う。彼女たちのクソみたいな関係性も、ナルシシズムのひとつなので、邪魔したらかわいそうだ。

 

f:id:toyopuri:20231207152454j:image

 

この前仲良しの友達の家で千切りしたセロリを使った常夜鍋と、白子ぽん酢を食べた。白子を家で茹でてくれたし、わかめも茹でた。大根おろしを削って、唐辛子をかけて、もみじおろしをつくった。おすすめの旭ポン酢をかけた。美味しかった。

 

常夜鍋はだし醤油で食べたし、さっぱりめのハートランドと、重めのサッポロクラシックを飲んだ。日本酒も白子によくあった。

 

「今日はご自愛にしましょう」と言われ、お風呂に入れてもらって、ネイルオイルを塗った。

 

f:id:toyopuri:20231207154245j:image

 

お茶を入れてもらっていろんなクッキーとかチョコを食べた。楽しかった。

 

「もうほんと、調子悪くて最近荒れてたんだけどそういう時も一緒にいてくれてありがとうねーー😭」と私がいうと、彼女は

 

「どうしよう!これ、本当に病めるときも健やかなる時もだねぇ〜」

 

と言って、笑った。私宛の時間が好きだ。嬉しかった。私は、東京の小さな小さなコミュニティで生きていくんだと思う。1/1の席が、欲しい。

愛は密室にしかないものなのだと、つくづく思う。