美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

時計技師的な

 

知人がある創作活動をしている。

 

その創作活動は、今芳しくない状況にいる可能性が高い友人に向けて、ただ、その人に宛てて、見てもらえるように、という気持ちで行なっていると語っていた。その人はその話をした後に、自分が独りよがりで芳しくない状況にいる彼を利用して自分の物語に都合のいいように解釈しているのではないか。要は、ダシにしているのではないか、ということにも同時に言及しながら、そのことが持つ加害性にも敏感であることがわかった。それはとても美しいと思った。私はそういう人が好きだ。逆にそういう人以外は好きではなく、自分の物語のために、虚栄心のために他人を利用する人のことを侮蔑している。侮蔑しているので私の近くにはなるべくいないでほしいと思う。私の身近なところからはいなくなればいいと思う。

 

私が好きな人たちは自分の中の欺瞞やずるさに対して容赦ない客観性を浴びせかける。他者との関係性の機微のなかに他者の存在へのリスペクトを見出す。それはとても細やかで、もしかしたら腕時計の修理をする技師同志でしかわからないような世界観のようなものなのかもしれない。だけどもしそうなのだとしたらそのことの細やかさが見える人同士が修理した時計たちが時を刻めば良いと思うのだった。

 

腕時計の中身なんて知らないくせにみんな当たり前のように時刻を知っている。刻む時刻に合わせて行動しようとしたり、しなかったりする。私は時計に合わせて動く人より、時計技師の細やかな世界にいたい。人間関係の最も密で繊細な部分で自分の中の細やかな間違いや、傷や、はみ出しをめざとく見つけ、なるべく美しく動き続ける時計を仕上げるように、そのことにおいて、ルーペを覗くように、細部にまでこだわって組み上げたいと思うのだった。

 

その技師の世界の中にいたいと思う。時計の中の最も美しく繊細な部分に対して妥協がない人たちと時と関係を刻みたいと思うのだった。