愛は仁義である。仁義をいくつ切れるかが、人生におけるかけがえのなさだと思っている。任侠任侠!!!私は、仁義を切らない奴が嫌いなのである。
切らないならいいと想う、覚悟を決めた遊び人というものが、私は大好き。すがすがしいので。
ただ、切った前提で、片方が切ったものをうまうまと啜るのはちがうのではないかと想う。
極道をやれや、と思っている。
この前、大学院で出会った友人たちとご飯を食べていたら、長年付き合ってる彼女がいた友人が、戦地で四肢を負傷した女性兵士に寄り添う恋人の男性を見て、自分の中の愛というものがいかに浅かったかを実感した、と話していた。
びっくりした。
そのあと、彼らは「我々は映画や小説を嗜むくせに本気で走ったことがないかもしれない」という話で盛り上がっていたが、なんで走ったことがないのだろうとおもう。いつも間に合えばいいと思って走ることばっかりだ。なんで走らなくても生きていけるんだろうと思った。私が暇だからであろうか。夢みがちだろうか。幼いだろうか。でも走らなかったり、大事だと言わなければ無くなってしまうものがあると想うんだよな。手を抜きたくないと想う。強く想う。何かに必死になれよと想う。笑って誤魔化すなよ。と思う。
ええっ、結婚式を挙げた翌日に自分か相手が全身不随になる可能性があると思ったことないんだ!と思った。私にとっての愛とか好きってそういうことだ。愛は覚悟であり、極上であり、ひた走るものである。心意気!!!!!!!!🖕
仁義を切れよ。逃げんな。