美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

TOEICを受けて元気になった。内向を愛している。

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TOEICのリスニングはマインドフルネスだからねー」と、私にTOEICを勧めた友人がシカゴピザをつつきながら、話をしている。

 

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旅先のノリでTOEICを勧められ、人生において久々の試験を受けた私は、その報告をしながら、一緒に夕飯を食べていた。全然予習をしなかったので結果は多分散々なのだが、心なしか、ものすごい安心感と、もうTOEIC以外やりたくない!という気持ちが込み上げていた。没頭できる、正解と不正解と秩序のある世界にきわめて安心感を覚えたのだと思う。私はそういう世界で生きてきた。TOEICには正解がある、的外れな解答を排除して、正しい解答を選ばなければいけない。真面目に努力をした方がいい。本当にそう。

 

設問を解いていくごとに自分が線になっていく感覚があり、今まで無理をして受け止めなくてはいけないと思っていた数々のことがふるい落とされていく。あー、TOEICのリスニング聞いてた方がいいな。地元の飲み屋で隣になったおじさんにアメリカのミニ四駆大会に行った話されたの、なんの落ち度もない話なのに面倒だったな〜。西荻の立ち飲み屋で無限に怪談話をしてくる人も迷惑だったなー。TOEICの勉強してた方が幸せだな。と思った。そんなことを思っていたので全然試験に集中していない。

 

自分が他人のことを気にしなくていいのだ。鼻に凄まじい量のティッシュを詰めたやばい青年がTOEICを受けていても、ここは私の場ではないので、ハラハラしなくていい。試験だけやってればいい。最高。自我を取り戻した。

 

ていうか模試の会場という場自体に懐かしさと馴染みの感じが込み上げてきて、なんだかいろんな記憶が湧き出してくる。忘れたはずの塾や学校の同級生たち。楽しかったな。中受時代の講師は性愛依存で狂ってたし、大学受験の時のカリスマ英語講師は、そのあと私たちがスタッフになってから自分の教え子だった女とオキニの女だけ集めて魚金に連れてった。なんか今思うとキモいんだよな。やっぱ、大人としてなんか変な人が多かったし、普通にちょっと社会とずれてて歪んだ支配力を持っている人が多かったんだと思う。

 

あー邪魔だな、ここでずっと試験ばっか受けてたかったなー。本当に外界ってうるさい。と思う。ケアと理性、難しすぎる。誰も見捨てたくないし、辛辣にコメントしたくないが、若干の危なさについてちゃんと自覚をしていないと、人生が危なくなっていく。どんなにイケてるカルチャーに近くても、大麻やってる人私やっぱダメだし(逮捕されると良くないので)、恋愛で警察沙汰になっている人は危ない(危ないから)。

 

マトモもマトモじゃないなんて、ないんだよ。というのは自由だけど、やっぱりマトモさというのはあるのであって、それを私が選択した面の一つに過ぎないとしても、私はマトモ面をプレイしたい。ただでさえ、生きてくのって一生懸命。基本に忠実な方がいいでしょ。

 

なんか、この数年色んなもの見て、やっぱ面白いもんってそんなないな、と思ったけど。

 

有名とか"大物"とかになるに従ってきな臭い世界ばかりなんだろうな、と思う。世、インテリも倫理もぜんぜん幅欠かせてねぇなと思う。効かせてる場所もあるけど。芸能人とかも変なのしかおらんのやろな、と思うから。ラランドとか、バキ童とか令和ロマンとか、オモコロが持ってる空気ってあちらのものだけど、なんかテレビに出てる人たちとか本当に輩も多いんやろうな、とおもう。普通にとんでもない話を聞いて、こちらも危害を被った人間たちが普通に活躍してたりするし、なんか、輩の世界なんだよな。斎藤工は大変倫理観があり素晴らしいです。人のことを倫理観で見ています。

 

あと、なんか、経営者の人たちも変で、私に大学院受験を勧めたり、やれ東大院とホクホクした顔で接したのに、「大学には嘘つきの教員がたくさんいる!」「大学生協はヤバい組織だ!」みたいなこと、突如、右寄りの極みみたいな話をしてキレてきて、こっちがオロオロしている間に「頭がお花畑なんだよ!」と言われて「ご飯の時に右翼の話するのやめてほしい😢みんな色んな考え方があるから、今はやめたい。それぞれ信じた世界の中で生きていくことが切実な人たちがいるから…。」といってぴえんしたこともあった。大人ってもう少しマトモだと思ってたんだよ。

 

発狂して自分らしさを発揮しようと、ミスiDに出たら、全てを受け入れすぎて倫理観が崩壊してしまった。

 

ささやかに暮らそうと地域のお店で働いてみたらこちらもこちらで倫理観がない上、自分がありのままいるだけでその差異で他者を傷つけたりするのを知って愕然ととしたりして発狂。

 

スナックにド下手な楽器を持ってきてとんでもない音量でトロンボーンを吹く、関係値そんなに親しくないおじさんの面倒は見られないし。カラオケを突然5曲連続で入れて歌いまくって、全ての曲にがなり声でハモるおじさんにオロオロしてたり、人間の欲って底なしで怖い。

手作りのローストビーフと凍ったマッシュポテトを、初来店で持ってこないでほしい。怖いから。あの時断れなかった。ローストビーフ、赤身も多くて怖いんだよう。自分が料理できるって自慢じゃん。せめて安全なのにしてよ。怖いよ。カラオケ5曲おじさんも昔別件で手作りの食べ物持ってきたな。差別はいけないんだけど、関係性のない他者の手づくり怖いんだよな。落ち着いて欲しい。

 

あと、何か企画に誘ったくれた人の会場に行ったらゆるいゼリーが置いてたこともあり「せめてマドレーヌとかクッキーであってくれよ」という気持ちもあった。なんで?私って結構人の手作りダメなんだな。心置きなく、友達と鍋がつつけた時代に戻りたい。友達のために、「天然水で米を炊きたい」って言って炊飯器にミネラルウォーター入れて米炊いてくれるのに?まあまあ関係値あるのに?それって承認欲求じゃなくておもてなしなんだよな。凍ったマッシュポテトを今すぐやめてくれ。泣きそうになる。何もかも受け入れられない。

 

また別の先輩たちと集まって、向田邦子が好きだったレモンのお鍋をした時間!大好き!ピーコックの日本酒棚を眺めて、一人が浦霞を手に取ると、「それだ!」てみんなで指差し合う瞬間。その後、深夜に先輩が作ってくれたプッタネスカ。オリーブとトマトのパスタ。大好き。

 

なぜ私は苦行で、ゼリーとヤバローストビーフを食べているんだ?世界を抱擁したいけど無理だよ。毒マフィンの事件に近いことが起こりつつあるんだよな。無邪気な有害さ。

 

お前ら恥と品性はないんか?と、問いたくなることばかりだった。これだけのことにNOと言えず自我が失われ発狂していた。だってこの人たちどこいくんだ?マジでどんどん嫌われていくぞ。

 

で、そんな様々な事態に困り果ててたんだけど、TOEICには居場所があった。ペーパーテスト大好き。この世からペーパーテストがなくならないでほしい。努力が正当に報われて公平なものが好きだわ。(そこに至るまでの機会の平等は別にして)。一応TOEICという軸足ができたので言いたいことを言えるようになった(画期的)。別に、彼らの料理が食べられず、音楽性が合わないからといって、人間みんなプランとしては愛してるんだけど、やっぱ無理だわ。

 

この前友達に「お鎮まりください」って愛じゃないからね美人ちゃん。と言われて。本当にそうだなと思った。

 

人間は能力じゃないが、能力値が低すぎて品もなくて辛い。ちゃんとやろう!やっぱ全部中途半端で舐めてるからキモいんだよな。そうだ!中途半端なものに中途半端って思うのは逆に相手を人間扱いしていると言っても過言じゃない。

 

それからその前日は、TOEICの勉強そっちのけで、大好きなseiren musicalの公演を見に行った。素晴らしかった。誰一人手を抜いてない。美しい。この世界の中で透明になりたいと思った。何かに携われるなら、自我を主張せずその一体になりたいみたいな、一部になりたいみたいな、美しい有機体みたいな空気があって、自然と拍手が出た。真剣にやってるものってすごいよ。これが好きだと思うからこういうものを見たりした方がいいな。

 

帰りにジュンク堂に寄って、本棚眺めてたら、和菓子の練り切りの作り方の本があって。中途半端な人間に慌てふためくより、真剣に練り切りとか練習してた方がいいんじゃないかと思った。高みを目指すことでしか人間、他者も自分も幸せになれないよ…。

 

TOEIC最高〜。人間嫌い〜!!

思い返すと、幸せだった記憶、小学生の頃は、ずっと欲しかった手芸本で赤いフェルトのバッグをつくりうさぎのワッペンをつけてた頃が楽しかった。中学の時はうさぎのぬいぐるみを作ったりしてたし、高校の時は受験期とブライス人形いじってる時が楽しかった。

 

大学時代、1年生の夏、ずっとセルフ監禁してファッションショー用のドレス作って、ジムに行ってエアロバイク漕ぎながらデスノート読んでだけどめっちゃ楽しかったからな。

ちゃんと、本の手順に従って、小さな過程も無視せずに試してみると、ビスチェの形が出来上がるんだよ。美しすぎる。

 

いいか!?他者、絶対に入ってくるなよ!!?!?という気持ちがある。あー、TOEICで自我が整ってうれしい。

中途半端なことを許してるとどんどん私も半端になるので普通に高いもの見て、自分も高み目指した方がいいな。

 

ハンパなもんで甘えるなっつーの!