美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

んー!!極上!!!

 

極上!と思える日がある!こういう日のために私はカウンターに立っていると思う。

 

今夜はすごくいい日だった。最近自分が嫌だと思うことに嫌だと言って、欲しいものに欲しいと言うようにしてから、流れがめっちゃ変わるんだよな。本当にしたい話が人とできる。幸せだ。ごっくじょう!文面も安定しているね。

 

幸せってこういうことを言う!こんな感じで生きていきたい!しかもお金もいただけるし。いいのか?なんというかお互いにありがとうございましたという感じで。しあわせだ。

 

お客様の数は2人だったけど、前半サシ、後半サシで、全て私の思い通りか?と思う。

 

お客様のことあけすけに書くのもあれだが、一応エピソードとして書いていいと許可はもらったので、書いておきたい。

 

ひとりめのお客様は、もともと来店予定だったそうだが、ずっと親しかった方の訃報を受けて、気落ちしている中来てくださった。

そんな話から始まっていろんな話をした。人生は死ぬまでの暇つぶしなんだよね、と話していて、趣味だという花の写真を紹介してくれた。散歩先で一輪の花の名前が気になりそれを調べた瞬間、それが、自分の家の周りに十何年も咲き続けていることに気がついたこと。それ以来草花の名前を知りたいと思ったこと。自分の見ていた世界が変わったことを話してくれた。

特に面白いのはカラスウリの花は真夜中にしか咲かないのだという話。すごく繊細で綺麗だ。蛾を寄せ付けて、受粉するんだって。

 

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不思議だ。朝には萎んでしまうんだって。

 

その人は本を読むのが好きなんだけどいちいち買って、本が溜まると売るというのが煩わしくなり最近は図書館に行っているらしい。お金がかかってないと思うと本を読むことにもっと親しめるようになっていたと言っていて面白いなと思った。それから映画も好きらしくて、今度『オッペンハイマー』を見にいくと言っていた。その人は戦時中に実際に使われた兵器や特攻隊の歴史などを資料館に見に行ったりしていて、戦争の傷跡をリアルに感じることが多いのだという。

 

私は最近いろんな人と会うと、自分の考えてきたことが通じず、人々はもはや陰謀論に侵されて、戦争をおっ始めたいと思っており、国防と戦闘の区別がつかずそのまま世は暴力に飲み込まれらるかもしれない、くらい極端に思って、ワーとなっていたが大変元気をいただいた。痛みを見よう。この世の知性は敗北したか──そんなわけはない──と思われたがそんなことがなくてよかった。(よかった)完全に救いを見出した。

 

オッペンハイマーは原爆開発したあと、水爆には反対しているんだよね。『オッペンハイマー』、公開決まったから見るのが楽しみで。」

 

とのことで、安心できる話題すぎる、そうそう。「なかなか公開決まらなかったですもんね〜バーベンハイマーのスラングの時、まだ公開されてなくて。」

と私が返すと、

「ん?バーベンハイマー?なにそれ?」

と言われて、(あ、そうかそうだよな。)と思い、急に『バービー』とのミームの話うまく説明できるかな?と思ったんだけど「なにそれ、知りたい」と言ってくださったので、話したところ、

「それは自分は知らなかったし、周りの人に『オッペンハイマー』見に行くって言ったけどリアクションくれた人は1人もいない。ましてや自分が知らなかったことまで知ってるなんて。」

と言っていて、なんかめっちゃ喜んでくれた。

 

はて、私が半泣きでやばゼリーを食べたり、凍ったマッシュポテトを食べたりしてる努力なんだったんだ?私が普段通り生きているだけで、なんか助かりましたとか言ってもらえることあるんだなと思う。これでいいし、これがいい。

 

アカデミー賞7冠の話とバービーのネットミームの話してる人なんて自分の身近なところではいくらでもいるため、(外界がそうではないことは知っている)、ただそこにいるだけで私がその人の中のたった1人になってよかったねー。

 

ここ数日の記事で書いてたけど、やっぱり、利他って「思いがけず利他」以外ないと思うんよ。それからアンサングヒーロー(知覚されないヒーロー)。私が在りたいように在ることでしか、互いに救われがないんじゃないだろうか。私が『バービー』公開前にミームに萎えてたことですらtoo luckyになるんだよなー。

 

捨てられた車が神の役割を果たす子猫と雪を隔てて
-「オールアラウンドユー」木下龍也

 

これなんだよな。やっぱり世界ってバランスでできている気がする。多分自分が「受け入れてやってる」「受け入れなきゃ」と思うものって不正解なんだよなー。カウンターの中に入ってると、時々変な巡り合わせが起きる。

 

それから、明和電機の話で盛り上がった。「オタマトーン!」と言うと「何でオタマトーンを!?!?知ってるの!?!?」と言われてすごい喜ばれた。なに一つ無理がないな。

 

 

オタマトーンのことはもともと知ってるのだ。なんなら友達が持ってて演奏してた。そんなことで人は喜んでくれる。私も楽しい。オタマトーンを演奏しそうな友達ばっかり。

 

帰り際に、大事な人を亡くしてさっきまで泣いていて苦しい日だったけど来てよかったと言って笑って帰って行った。「助けないよ。力を貸すだけ。きみが一人で勝手に助かるだけだよ。」じゃん。化物語忍野メメ〜。

 

私「癒さなきゃ」とか1mmも思わなかったもんな。その人も好きな演劇と映画と草花の話して帰って行ったし。その人が映画いろいろ見るきっかけになった、自己啓発本の著者のことも私偶然知ってて驚かれたし。「博報堂をやめて〜」って言われた時点でわかったし。中谷彰宏な〜。私が「スピのオーディブル聴いてて」っていう時この人のやつ。年間1000本映画見て博報堂入った人な。この人今は時間の全てを美術館巡りと映画鑑賞に極振りして生きてんだよな〜。経歴調べたら中谷彰宏早稲文でウケた。言ってることダンディズムの要素強くてあんまり合わないんだよな。そのお客さん、今度マティス見に行くって言ってたな。そうそう、マティスマティス。人ってマティス見に行ってるんだよな。あるがままあろうぜ。

 

「ヒトも街も宇宙も〜まわれまわる"タイミング"〜♪ 」ってブラック・ビスケッツが耳元で歌ってます。てか、『Timing〜タイミング〜』の作詞した森浩美って、SMAPの『SHAKE』も、『オリジナルスマイル』も作詞してるんだよな。全てじゃん〜。そうなんだよ、何かタイミングが合わないとうまくいかないんだよな〜。子どもの時から、なぜか二人三脚得意なんだよな。シンクロが持ってる力ってあるんだよ。神様が結びつけたみたいな時間が。

 

 

例えば、介護の時に、この人を動かそうと思うと向こうは動かなくて、力づくになると良くないんだけど、なんというか、ふわっとお互いの身体が浮くような瞬間が訪れる。そこに宿るのは、タイミングだ。どちらがやった、のでも、やられた、のでもないタイミング。なんかそういう夜って、個人の話同士でも起きるじゃないですか。私はそれが欲しいんすわ。

 

やたらとシンクロニシティ

やたらとシンクロニシティ

 

2人目のお客様もそれを強く感じさせた。前に来店した時の話を覚えてたら、すごく喜んでもらえた。たったそれだけなのに!

 

最初に、「自分が無理をして入ろうとしたコミュニティってその後続かない」みたいな話をしてくれた。それに、2人で話してるうちに、「私たちはそこに痛みがあることを無視しているのでは?」というテーマになった。痛さがあり、我慢をしているではなく、痛さがあることそのものが、発見されてないのでは?ということ。痛みとは自然なことの一つなのでは?ということがある。だから私から見たら「何でこんなに傷ついているんだ大変だ、血だらけに見えるぜ」みたいなことも本人の痛覚が鈍いとそうとわからなかったりして、ミスマッチが起こるんじゃないか、という話があった。痛がりは確かに迷惑だが、痛がりは優しさもあると思うんだよな。自分の価値を高く置いている人の方が基本的に人に優しいんだよなぁ。

 

その人が思っている自分の価値が他人の扱いに出るからなぁ。全ては鏡合わせなのよ。そのバランスが狂うと具合悪くなる。カウンター越しはそういうバリアがあるからなぁ。

 

なんか深いところまでいく会話をして、その人が何だか不思議な感じで嬉しい、照れる。と言っていた。そうそう本質的な対話って、性別よりももっとベーシックな人間と人間の対話になるんだよな。この感覚忘れてたわ。私はこれがしたい。

 

それからその人からもルーツに関わる話をしてもらって、いろんな話をした。最近「死を覚悟したことがあるか」の話をしたんだけど、その人が「地獄を経験したことがあるかじゃないですか?」といっていて、「あ、そうかも」と思った。「自分の力ではどうしようもない不条理を知っている」と言っていて、「あーそれそれ」って話をした。

でもその人が、安易にその話をすると、「なんとなくそういうのかっこいいと思って自分から地獄に飛び込もうとする人がいる。」と言っていて、極めて冷静だなと思った。

 

「痛みというのは忘れた方がいいのか」という話になった時に「私は痛みを忘れたらなにが大切だったかわからないんじゃないかと思う」という話をしていて。でもなー、生理痛とか無痛分娩とか和らげない方がいいって考え方には反対だしな。でも、心や身体の不調はなにかしらのメッセージだと思ってるからな。痛みそのものに注目した方がいいと思う。なにが痛かったを忘れたくないんですよね。でも、それに対して「覚悟であり強さだと思う」と言ってもらって確かにそうだなと思う。「痛みの中を突き進む覚悟をした方がいい。痛覚を無視しない。これも人に辛い経験した方が〜とかいうジジイになるので良くないが、YUKIは第一子を亡くしてるんだけど、その後から神秘性とか大きい何かに動かされてるって感じの曲も多くなってきていて、歌の系統が変わった気がする。

 

長い夢

長い夢

▲これ亡くなったお子さんのこと歌ってる

 

歓びの種

歓びの種

大きな何かに動かされてるんだよな〜。

 

あとやっぱくも膜下やってからの星野源はいいんだよな。

 

地獄でなぜ悪い

地獄でなぜ悪い

 

 

やっぱな、適度に他者への感謝が出てくるくらいがちょうどいいんだよな。自力と他力のメビウスの環がくるっとひっくりかえる。そこにいる。

 

昨日すごくいい夜だったから、なんかわたしが人生で「仕事した」って魂レベルで思う時って、人の力との呼応があった時だなと思う。今までそれが起こったのはいつだろうと思いながら終電に乗っていた。

 

やっぱり神様に愛されてるんだよな、私、どう考えても。心に余裕が出てくると、受け取れなかった贈与も、あ、思い遣ってくれたんだなってちゃんと思える。なんかほんと、悪態ついてごめん。自分に対する扱いをどんどん良くした方がいい。

 

やっぱ愛を受けた人基準で考えた方がいい。となると、愛の資本は循環する方向が決まってしまうんだよな。でもいいよな、食物連鎖の中で、アリとライオンがどちらが偉いという話でもないし。本当にしたい話ができてないと、私の中の愛が枯渇しておかしくなってしまう。バランスが取れない。

 

お客さんが「美人さんが思う、嘘のない場所をつくるしかないですね」と言っていて「本当にそうだな」と思った。

 

祝祭とcheer!感謝が込み上げるものって、今自分が自然とシンクロしている感覚なんだろうな。 結局、giftって才能。神から与えれたものだ。missionも、神から与えられたもの。

 

偶然性に背中を預けてみたいと思う。自然でいい。他の何にもならない。ただ、そこに居たいと思う。