美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

あーーーーー恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!

 

今日もイベントでステージで喋った。(昨晩書いたブログ)一緒にやってる子が、メディアにめっちゃ出てる子なので助けてもらってなんとかなった。

 

あまりにいろんなことがひどく助けてもらった。

 

楽屋で、「今回はこの方法が良かったから次以降もこうしたいね!」と言われて、「ああっ、つ、次もいっしょにやってくれるのぉ!?!」と言って、ビニール傘いじいじしてたら、「美人ちゃんおバカでかわいい〜」と言ってくれた。本当になんか安心した。そうなのだよ、私はおバカでかわいいのだよ。

 

この前、別の友人に、サシャも一応調査兵団だから、美人さんが民間人に立体機動装置をつけた状態で「パァン!」とか言ってお茶目なそぶりをしても、怖がられるよ、という話をしてもらった。

 

おバカでかわいいポジのはずなのに全然違う場所に行ったら違う扱いを受ける。基本的に周りが有能すぎたので相対的に自分ができないポジになり、私が喚くのが定石。人に陰険としたりしないで済むし、おバカでかわいい私の方が自分らしいと感じる。自分のホームグラウンド以外出ていかなくていいのではないかと感じる。

 

終わってからいつも、運営の人と、カウンターで飲むんだけど、「ウワーーーーッ!!耐えられない!自分のことで精一杯!自分のことで精一杯で恥ずかし過ぎる!!!!」と言って喚いた。

 

「もっと、もっと伸び伸びやりたいのに!!次失敗したらどうしようとか!呼ばれなかったらどうしようとか!!!!そういうことでいっぱいいっぱいになって全然外側を見られない!!!むなしすぎる!!!!!!」

 

と言ったら、ウケた。「本当すぎますね」と担当者の人が言っていた。他人の問題に干渉して絶叫するか、自分のことになると自意識でいっぱいいっぱいになるしかない。自分のことでいっぱいいっぱいになるのは辛いけど、どうしようもない。

 

結局自分に合う半径2〜3メートルで生きていくしかないという話もした。必死で必死でにっちもさっちもいかない。自分に対するこだわりを減らすことが大事だと多分多くの芸事で言われているけどマジで無理!怖い!バクバクする!!!!!!!あとブログで本当のことを書く時もバクバクする!相手に自我があると思うこと全てがクラクラする!人が自分と同じだけの意識を持っていてこちらをみてジャッジしてくることが怖い。優しさも情けも慈悲もあって、ドキドキする。世界中にひとりぼっちな気もしてでもそうでもない気がして、外界との間に膜できたり、繋がったりする。ヒリヒリとするような視線の中に生きている時にしか、生きている実感がなく、自分の輪郭を確かめるように私はよく自撮りをする。

 

 

緊張で焦ってどうしようもなくて謙虚になってしまうことをやった方がいい。それは私が言っているbeingとはまた違うのかな。ひりつくような緊張と、自分の輪郭を確かめるような作業は、いつか終わるのであろうか?でも、それがない日々は退屈でもあり、私は死ぬまでそれを続けるのだろうなと思う。ごまかしきれないから。恥ずかしくないものは、いじらしくない、いじらしくないものは、愛おしくないと思う。

 

愛おしさというのは無力さから出るものであり、無力である時ひとは自分のエゴを貫いているんだと思う。少し嘘をついている時、ひとは傲慢になる。これくらい折れているのだからとか、嫌われないようにやっているのだから、と思う。本当にやりたいことをやっている時にだけ訪れる、無力さと嘆願のみが、私を小さくさせるのだと思う。誰かの面倒を見る方が楽で、本当は自分のエゴをやる方が困難なのかもしれない。ドキドキして恥ずかしくてどうしようもないけど前に出たいみたいなことをこれからも繰り返し続けるのだろうと思う。安心したらのびのびできたり、慣れることってないのかも。

 

和田アキ子って、いまだに歌う前緊張するらしい。すごいよ、「アッコにおまかせ」されてるのに、歌う時緊張するんだって!おまかせされてる人でも緊張するんだよ。しかも、歌が一番緊張するんだって。側から見たら、和田アキ子が一番得意なことは歌なのにね。ひとは緊張することをやったほうがいい。

 

終電で帰りながら、大学1年生の時に、服を作って、ステージに登った時のことを思い出した。ずっとこの話をしてしまって恥ずかしい。その年のファッションショーのデザイナーの募集が入学前に終わっていることを知っていたけど、ブースに突撃して、新歓名簿に名前を書いた。留学で1人デザイナーに欠員が出たと連絡が来たのは、その夜の事だった。

 

結局、実現しなかったんだけどトレーナーとTシャツをデザインするというプロジェクトが、当時あって、私は黒いトレーナーと白いトレーナーに宇宙柄のハートマークと、イチゴの写真を載せたものを作ろうとしていた。黒と白のカラーはベーシックで人気だから、他のデザイナーの人と色が被ってしまったら良くないという場合もあった。でも、絶対に、黒と白だった。

 

「お願いします!!!どうしても私はこの色が良くて、それはこのデザインに映えるからだと思っていて、もしかしたら1年生だから譲った方がいいかもとも思うんですけどわがままかもなんですけど、ずっと憧れてた、役割だからから、いいものにしたくて、なるべく!白と!黒がいいです!!」

 

と、理工キャンパスの3年生のお兄さん(担当者)に、懇願していた。ていうか嘆願?いちいち面倒くさくなっちゃうの本当に恥ずかしい。多分、普通のサークルであれば、めっちゃ先輩に当たるポジだから、もう絶対にわがまま言ったら、ダメかと思ったけど、引き下がれず、にっちもさっちもいかず、激重LINEをしてしまった。そんな感じだった。でも、基本的にね、人は自分が携わっているものに真剣な人のことを、あんまり悪く思わないんだよね。

 

予算を増やしてもらえないか、3年生のお姉さんに、頼んでみたり、衣装をLEDで光らせたいと言ってみたり、衣装替えをしてみたいと言ってみたり、こんなことしたら嫌われちゃうかもしれない、でもこんなことしてみたい、みたいな、なんかものすごいひとつひとつがおっかなびっくりで、助けてほしいくらい恥ずかしくて苦しくてどうしようもなかった。息が止まりそう。あの時のことを思い出す。

 

私の衣装で、モデルさんたちが秋の文化祭の時にキャンパスを練り歩くことになってる時に、モデルさんが寒い思いをしたら困ると思って、カイロを届けたりしていた。わからない、モデルさんが主役の催しだから、私がどんな服を作ろうとそんなに大事ではないことはわかるんだけど、足を引っ張りたくない、失敗だけはしたくない。

 

基本的に自分の折りたたみ傘を忘れている私がである!

 

昨日も、出演者の人たちとか、運営の人たちに、お土産を渡したりとかしていて。なんか、そういう自分を思い出した。受け入れられたくて必死で、なのに対して能力も高くなく、でも自分がやりたいことばっかあって、理想像とのギャップに必死で、いつか、ペコペコしないで自信たっぷりに振る舞える日がやってくるんじゃないかと思ったけどそうじゃなくて。そういう日々が一生続くんだろうな。全てが怖い、人間が怖い。

 

文化祭でデザイナーをやってた頃から、地下アイドルの衣装まで、人のスリーサイズが測れない。モデルみたいな綺麗でちょっと怖く見える人の身体に、メジャーを添わせて正確なサイズを測ることができない。デリケート過ぎる。助けてくれ。人と近づくことが怖い。私が結局服飾が続かないのは、スリーサイズを測ることが怖いからだと言っても過言ではない。そのくせその人一人一人のジャストサイズの服をとか言ってパーソナルなオーダーメイドにこだわるのは、良くも悪くも、人に対して過敏だからなんだろうな。全然気にしない人が代わりにサイズ測ってくれたらいいのかもしれない笑笑

 

全然はかれてないのに、ゴニョゴニョ!っとクニャクニャ!と雑に測ってしまう、ダメなのに。多分きっと、恥ずかしい分だけ、それくらい人の身体を測ることが怖い人の方が、いいものが作れるのかも知れない。息と一緒に膨らむお腹が怖い、あがる肩が怖い。ぼんやりとした他者が、正確な数値となって自分の手の中に入るのが怖い。出来上がっても服の丈を調整するたびに、その人の、身体の形が私の手の中に入ってきてこわくなる。肉薄しすぎている。

 

一番素敵な服を着てもらいたい。わたしのエゴで、迷惑をかけたくないと思っている。ステージの途中で、ビスチェが外れたらどうしよう。綺麗に見えるラインってなんだろう。自分のためなのか他人のためなのかもわからない。いつも何かを渡して、自信がなくなって張り裂けそう。自我が割れてしまいそう。どうしたらいいかわからない。いつも必死で、なんでこんなに必死になってしまうのかわからなくて、どうしようもない。そのくせ、ボディラインに沿った服が好きだ。ワンピースの胸の下の切り替え、男性のベストの背中についてるベルトとか本当に官能的だと思う。身体に肉薄したものが好きで、とても格好いいとおもう。人に近づきたい。ひとのかたちがしりたい。こわくてこわくて、そのかたちをつくりたくなる。きれいなものってこわれやすいものだから。

 

また、どうしたらいいかわからない。でももしかしたら一生こんな状態を続けるのかも知れないなと思う。伝わらないかも知れないことを、伝えてみたいという、スベるかスベらないかのギリギリを必死で試してみたい。

ドスベリが怖いんだよな。

 

次のトークはうまくやれるだろうか、いつも準備が中途半端でダメになってしまう。逃げているんだと思う。自分がギリギリの時間だけを生きていると、人に優しくなれるのかも知れない。なるべくほんとうのことだけをやっていよう。