美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

第8室

掃除してないエアコンから、水滴が落ちてきて、涙かと思った。

 

寝起きでホゲホゲしてたけど、結局、カビと埃の水滴なので、頬を拭って顔を洗う。

 

エアコンを、ガバッと開けて、フィルターをジャッと外して、シャワーでシャワワーと流して、フィルターをまたジャッと付け直したら、エアコンが張り切り出して2倍くらい効くようになった。そんなポテンシャルを秘めていたんだね。

 

なんで数分で終わることが、ずっと出来なかったんだろう。こんなことばっか。生活のことをしていると、世界から置いてかれる気がして私は怖い。

 

自分のことを大事にするということがよくわからなくなっていたので、ローソンで無印良品の不揃いバウムをいっぱい買って食べた。いろんな種類を買って、一度に3種類ぱくついたりした。発酵バターとはちみつと宇治抹茶と1口ずつ食べて残してまたあとで食べちゃったりします。

 

ローソンの冷凍のカヌレが美味しいから、それも何度も買ったりして、謎の贅沢をしている。

 

ちかごろ元気がなくてスーパーに行く気力がないから最寄りのコンビニばっか行ってて、コンビニで割高の梨を買うという暴挙に出た。あとで冷やして剥く。

 

幼い頃の私が、

 

「男の人ってなんでみんな梨が好きなんだろうねぇ」

 

と言いながら梨をぱくついたらしい。かなり気に入っているエピソードだ。記憶にあるし。

 

おませ女児としてのポテンシャルが高い。なんでそう思ったんだろう。

 

 

はぁ、戸川純三宅裕司が、アポジー&ポリジーという別名義で歌っている『真空キッス』という曲を聞いている。

 

ニッカのウイスキーのCMのキャラクターのロボットをコンセプトに、松本隆が作詞で、細野晴臣が作曲をしている。

 

私の思う、ジャッジのない、異空間のパーティーってこんな感じだなぁ。本当にかわいい。B面の曲。(3:53からどうぞ)

 

 

回転木馬のオルゴール

赤青緑のイリュミネーション

あなたピエロの真似しながら

鏡の迷路へと手招きしてる

雲間にそびえる観覧車

下を見ちゃだめよ 目がまわる

黄昏色の遊園地に

無数の風船が舞い上るのよ

真空キッス きつく抱かれると

真空キッス チッ息しそうよ

受動的な私性格ネ

自動的に瞳 閉じてるの

 

この前カラオケでYUKIの『cosmic box』歌ってたら、間奏のところで友達が、「あー、これ美人ちゃん好きなのわかるなぁ、間奏のところ、思春期のぎゅーって切ない感じ思い出すなぁ」と言っていた。

 

COSMIC BOX-LIVE-

COSMIC BOX-LIVE-

 

月で生まれた人は 地球には戻れない

母の故郷の惑星に降る雪に頬うずめるのは難しい

見た事の無い海に 憧れてため息

巨大なモニター 同じ顔した 青い魚達が跳ねる

歌い出しがなんか本当に好き。

 

びっくりした。私は一生この感情を引きずると思ってたから。生まれてからずっとこんな気持ちだ。慢性的にどこかに帰りたくて、切ない気持ちがある。

 

昔の子供向けアニメのEDで、夕暮れ時が描かれる時の憧憬を生きている。物心ついて初めて買ってもらったCD、ポケモンの『ぼくのベストフレンドへ』だった。夕方の歌なので…。私は基本的に夕方を生きている。すごく好きだった。

 

あと、『おジャ魔女どれみ』の1期のEDの『きっと明日は』が、大好き。夕暮れ時にシャボン玉がたくさん出てきて、友達と仲直りする映像なんだけど。どれみちゃんたちのイノセントな表情が良くて。可愛いなぁと思って、よく見る。

 

帰り道ひとりきり

はなうたを うたえば

素直な気持ちになる

ちょっぴり泣きたくなる

 

この感じを27年繰り返し続けている。

 

おそらくそれは、ざっくりエモい、と言われるもの。感傷的な気持ち。私はエモい感覚が多分好きだったんだけど、エモいは切なすぎるから、切り離した。

 

寂しすぎて、旅行が苦手で、もう戻らない場所が増えるのが苦手で、夜が来るのも、死ぬのも、苦しい。インターネットに出会う前の私は、毎晩眠るためにベッドの周りをぬいぐるみで固めて、ファミリーを形成していた。こうでもしないと、もう全てが怖かった。

 

わけもなく泣くため、育てづらい子だと言われていた。私からすればどうして平静でこの人たちは生きていけるのだろうと、思っていた。テレビのニュースの、事件に、いちいち悲しくなり、不完全な世界に生きていることに驚いていた。いちいち傷付かずにいられるようになったら大人になれるんだろうか。

 

私のメールアドレスには5歳の時に買っていた魚のベタの名前が遺っている。

 

エモという言葉が流行し始めた時に、大学の友達に「エモって何!?!?」と聞き続けていた。

 

私の知らない話をみんながし始めて、びっくりした。「エモいわー」とか、口々に言うようになったから、それが指し示す状態がなんなのかを知りたかった。

 

しばらくして、それが私が生きるために切り離した類いのそれだ、ということに気がついた。「あー、やってましたやってました。」と思ったんだけど、もし、その心当たりあるものを「エモ」と呼ぶなら、これみよがしに、みんなが口にしてたエモってなんだったんだろうなと思う。

 

でも、私はいまだにフィルムカメラの写真の写りのことをエモいとは思ってないんだよな。

 

エモと人が言い始めた2016年ごろ、当時、流行ってたパスピエの『デ・ジャヴ』を聞いた時に急にわかって、「エモって、これ!?!」と思って、慌てて、「これですか!?!」と人に聞いてしまった。

 

明確に「エモかも!」と思ったタイミングを覚えてて、サビが始まる瞬間に、ぶわあああって、子どものころからずーっと同じだった駅まで行く道が全然違って見えた。人によってエモの感覚違うんだけど、私はやっぱ「帰りたい」という気持ちがめちゃくちゃ強くて、そのことをエモいと表現することが多いかもなぁ。安心したいのかなぁ。

 

 

金色の街へ 行ったあなたは戻らない

知っていました でもまだ

わたしここにいます

 

いやぁ、私だなぁ。いつもこういう気持ちで生きている。残りたい、もあるんだよね、留まりたい、みたいな感情。待つ人でありたいという気持ちも痛切にあって、いつも同じ場所にいてしまう。

 

 

あと、2020年に旅行先で、友達に「私の好きなロン毛を見てくれ」と言われて、志磨遼平を初めて友達に見せられた時、私は「志磨遼平 is water…」と呟き卒倒した。

 

私は最初「あなたたちほどロン毛好きじゃないからなぁ、多分好きにならないよー。」って言いながら、深夜3時くらいに見せられたんだけど、釘付けになってた。

 

当時、コロナの流行し始めだったので「マスクをしていなかったので、志磨遼平と濃厚接触をしてしまった…」という気持ちの悪い言葉を遺して、床に伸びていた。助け起こされ、「志磨遼平 is water」の発言を褒め称えられ、私は、しどろもどろ説明する。

 

「あの、ヘレンケラーがさ、コップから溢れた水で『water…』って知るじゃん。あれ、今あの気持ち。」

 

と言ったら友達が笑っていた。多分、"ある"のに、感じてなかったものが溢れて初めて感じられてしまってどうしたらいいかわからなかなったんだと思う。

 

あと、感情とか、エモって、やっぱ水なんだよなー。「エモって水だと思う!」って仲良しの子が言ってて、エモ、水説は、2016年くらいから私たちの中で、結構メジャーな話になっている。私の友人たちは水が好きなので、いつも水をガブガブ飲み、お風呂に入っては「人間は水につけないといけないねぇ」とLINEをしてくるし、噴水を見たり、湖面だけを見て帰ってきたりする。

 

この前、ハリポタのスタジオツアー行った時、「憂いの篩」を見た。いろんな記憶をいつも頭の中に入れておくわけにはいかないから、人はこの中に流して、必要な時だけ取り出して、見るのだそうだ。再現されていたは、映像が映るモニターの上に水が張ってあって、スモークが焚かれていて、白い煙と、水面と過去の記憶だけが映し出される装置。とてつもなく魅力的だった。私は、一生こういうものに張り付いててもいいなと思っていた。私は「憂いの篩」に磔になりたい。てかインターネットなんて広義の「憂いの篩」でしょ…。

 

もんにゃりした思い出と、昔のことと、お別れまでの寂しさみたいなもので、私はできているなぁ。世界の時間の流れと全然違うところに自分がいて、ずっともんにゃりさみしい。もんにゃりもんにゃり。なんかずっと「遺」とか「冥」みたいな感じのところにいる感じがするんだよな、子どもの頃から。

 

そこから抜け出せない、抜け出せないでいる。てかずっとここにいたらいいのかもなぁ。たぶん私が捲し立てるように話すのと声が大きいのは、同じくらい加害してないと、負けてしまうからなのかもしれない。安心できる人の前では、囁くように話しても大丈夫なのかもしれないなぁ。

 

サシの会話が好きだ、グループよりも、サシが好き。個人のチャットはその人と自分だけの部屋だから好き。LINEもDMもサシの部屋が並んでいると思うと楽しい。

 

スナックに立ってる時間より、閉店後に、一緒に立ってくれた友達や、仲良しのお友達が1人だけ残ってくれて、店のソファで話す時間が好き。みんな優しくて、柔らかくて素敵なところを見せてくれるから。もうそういうものしか見たくないんだよなぁ。ずっとサシで話してたい、と思う。 サシで話したいという性欲が強い人なんだろうな。すぐ性欲の話をする。

 

私星占いで第8室という部屋に金星(ラブの星)と火星(暴力の星)があって、めちゃくちゃ変なんだよな。

第8室は、遺伝/継承/死/性/深い情動/深い関係性/婚姻/隠されたもの/共有/融合

 

みたいなテーマがあり、私は星占いというのはその当たる当たらないというより、世界に存在する事象の切り取り方として好き。この第8室っぽさが、自分の根源にあるんだよなと思う。これで人に迷惑をかけ、人を閉じ込め、人と揉め、人を癒してきた。めちゃくちゃ性に潔癖なのに、性に極振りみたいな人たちの書くものとか好きなんだよなぁ。

 

最近読んだブログで、「潔癖もビッチも同じで身体を代償に愛されたい」という話をしていて、「わ!そうだ!」と思った。身体を人質に取るのが潔癖で、身体を人質にさせるのがビッチだ。

 

性愛の話だけじゃなくてさ、みんな、身体を代償に愛されたいから、愛が足りなくなると体調を崩したりするのかなぁと思う。そのブログを読んでから、身体について考えることが多い。

 

自殺は、身体を代償に愛されたいの、極地だと思うし、引きこもりだって自分の身体を人質にとってるんだよなー。と、我が母と弟のことを考えながら思う。

 

なんか、身体を大事にする方向に、人生の舵を切って行った方がいい気がしている。1個分の命の価値を上げてった方がいい。

 

この前男友達が、今までずっとネイルやってみたかったネイルをして、ずっと着たかった服を着て、見せに来てくれたけど、清々しい気持ちになったもんなー。

 

垂れ流しで話してるなー。なんか、生活というか、ライフというか、身体性というか愛というか。そういうのの中にいたいなー、と思いながら、明日こそは散らかった部屋を片付けようと思うのでした。