美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

ココとミシア

腐れ縁の女と火鍋を食べに行った。ココシャネルに憧れているらしいので、ココと呼ぼう!彼女に「私をコンテンツ化するな!」と言われているが、それならコンテンツではない本当の声みたいなところを、ズドンと私に届けてきてくれたことがあっただろうかと思う。欲しいものが欲しいくせに、そんで手に入れるくせに、少し自信がなさそうで、上っ面でバタバタしているじゃん。誇りなはれ。と思っている。

 

まあ、私もバタバタしている方であるから、お互い様なんだけど、かわいくて頭もいいのに何でいつもそんなに、自分のことが根っこで少し嫌いそうなんだろうと思うことがある。そういう渇望は彼女と鏡合わせのような私にも言えることなのだろう。自己ありのまま、うけいれたくないし、ちょっと自分が嫌いだ。そして、結構、自分がやりたくもない役を、良かれと思って買って出る。例えば私の店に来てた変なジジイを、客なのにちゃんと元ラウンジ嬢然として接待してくれたりするんだけど、別にしたくはなかったらしい。あと、私がネタで振っちゃう時もあるけど、なんかキャラをやってる時がある。「芸人やっちゃうのよ」ってよく言ってるけどね、彼女も。せんくてもいいことを、わざわざやる人間というのは、その場にいることが居心地がちょっと不安な人間がやることだ。何かと引き換えにそこにいなくてはいけないような気持ちって、すごく難しいなと思う。中身男っぽい(男性性)よなと思う。

 

高校のころ、仲良くしていたグループの子達が我が家に来た時があった。好きだった男の子がいたのだが、彼が突然お鍋を注いでいた彼の皿にあえてオレオを入れて食べ始めたり、アイラインでセルフで変なメイクをし始めて、爪痕を残そうと暴走していた。私たちはそういうノリを求めてなかったのに、なぜか自分でそういうノリをはじめた。私は(どうして)と思っていた。今ならわかる「それってホモソだよ」って言えるんだけどな。なんかものすごい勢いで自刃に向いてたな。なんでなんだろう。

 

ま、私もそういうちょっとそこに居るだけじゃ満足できず、頑張りすぎてしまう人間というものが昔から好きなんだろうな。

 

さて、話はココと鍋を食べに行った日に戻る。「私と美人ちゃんってもう結成して8年なわけじゃん?」と言われたけど、特に結成した覚えはない。同席者が「俺はそこにいた」といっていたけど、「私もいた」と言ったら「そう、いた」と彼女も言っていたけど、私たちはただ「いた」だけである。私と彼女は、多分美学や倫理観は違うが、話が噛み合ってプロレスができる、というただそれだけで、なぜか縁が続いているという、奇怪な関係性である。別に明日終わってもおかしくないんだけど、誘われたら多分次も会うんだろうな。気に入りそうなものがあったらこちらも誘うと思うし。なんか、そういう不思議な仲である。

 

彼女は私の下の名前の頭文字2つをちゃん付けで呼ぶが、それは大学を卒業してからのことで、心の奥まで届いている度合いに対して、呼び名が近いことが何だか私にとってはむず痒いのだった。親と恋人にしか呼ばせたことのない名前を!?なぜこの女が!?!?という気持ちになる。昔通り、苗字名前のフルネームでいこうや。

 

「私の記事を書いていいよ、美人ブログに出たい」と昔から言われているが、「えっ、どのように登場するつもりなんだろうか?」ということがかねてよりの疑問である。書くとココの今の生活に差し障りがあるのではと思う。仕方がないのでよく人にしゃべっている。

 

ココの話には、弁護士の登場回数が多すぎる。華やかなラウンジでの勤務経験やいろんなことがあったため、それを渦巻く人間関係を含め、現在も華やかな場所の延長にいるココの話題には事件に事欠かない。本人はそれを「私のコンテンツとしての全盛期を、美人ちゃんは期待してるかもだけど〜。」とか言ってたけど、「別にそれは全盛期ではないからな。」とかは思っている。平和が一番なので…。むしろなんかもうちょい落ち着いて、本当に大事にしたいものって何なのかとか、どうしても行きたい場所のこととか、なんかもっと核に触れたいんだけど、そういう日が来るんだろうか。もっと心が見たいのに、と思うことばかりだ。ライフステージとか気にしなくてもいいのにな。謎だな〜。

 

「昔の私じゃなくて、今の私を見てよ!」っていうけど、私はココと一度も心の話をしたことがないと思っているし、心の話をしたことがない人は、私の中では少し遠い位置にある。それはそうなのだ。心の話ができないと、エピソードの話になる。本当は心の話がしたいのにそれはほとんどできない。昔、星占いを大学の近くのカフェでした日。とかかなぁ、あと、ココのバイトの休憩中に呼び出されて、話したこと。ちょっと心が通じたかもって思ってたのは。

 

私は、エグい話聞くとびっくりしちゃうからね。やめて欲しい。ていうかココには、エグいところに、突っ込まないで欲しいと思ってるんですよ。どれだけこの社会が実際エグさと、危うさに溢れた世界だとしても。どうぞご安全に、と思っている。基本的に私は怯えている。まあでも、あたりさわりのないつまんない話をされるよりは面白い方がいい。と思ってるだけだからな。図太さがあなたの魅力ではありますが、私は世界のエグさに耐えられません。ぷぃきゅあだから。

 

相変わらず私は堂々と女児ってるので、

「うわーん!世界のエグさに耐えられなーい!PG12の話以外しないで!」って私が言ったら

アダルトチルドレンになるのやめな💢8歳にならないで💢」と言われたけど(どんな喧嘩?)

やっぱPG12の世界で生きていきたいでちゅ🐹

PG12の世界観は倫理的でちゅ🐭少女小説と令嬢カルチャーこそ私の生きる道💓👧って思ってるもんな。ていうかなんだかんだエグさがない方が徳高いし。

 

私は箱庭で生きている。半睡半醒の中を生きている。私たち世代が半睡半醒を生きるってのは、橋本治が少女漫画批評『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の中で書いていた説で、かなり推している。この話はまた書くね。

 

ココ・シャネルには唯一の女友達がいたといい、それはミシア・セールという、サロンのオーナーであった。ミシアは「天才の収集家」と呼ばれたそうで、小説家のプルースト、画家のモネ、ルノワール、音楽家ドビュッシーたち名だたる文化人たちが集まる集会所となったという。画家のロートレックは、進んでバーカウンターに立ち、プース・カフェというカクテルを提供し、大変喜ばれたという。

 

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私がやりたいのはスナックではなくて、結局はサロンなんだろうな、ということに気が付きつつある。昭和の文化人たちが集ったレストランのキャンティにもずっと憧れてるし。

 

これまで、私は分け隔てなくある程度誰にも優しいのだと信じて疑わなかったのに、大学院を出て外界と触れたせいで最近バランスが崩れてきたことでおかしくなっていた。

 

先日、友人のヘルメス(仮名)さんに「美人さんは今まで勉強できる人たちの場所にいたから、常に周りに主席クラスの人たちがたまたま多かっただけで、外に行って『周りが主席じゃない!』って怒るのは違うよ。人はそうそう首席にならないよ。」と言われてびっくりした。まさかこの分け隔てない私が首席フェチだったなんて──!!そりゃそうだ、全員が首席なら、分け隔てなくてすむから──!。首席ハーレムだ。首席ToLoveるか、首席ニセコイ。そういえば、私の人生には、いろんな種類の主席が出てきて、私の人生を翻弄し続けてきた──。

 

高校生の頃、学校外の学生団体で出会った人が

「医学部に行っても社会は変えられないから…」と医者になることを押し付けてきた親への反抗で、高3で文転して、東大にちゃんと受かっていて、あまりに人生の舵が自分の手の中にありすぎてぶん殴られたような気持ちになった。

 

ていうか、私が、高校の頃仲良かった友達も成績トップ層のグループでみんな生徒会だったしな…。ていうか友達、医学部目指してて医学部入ったとか、入らなかったとか、そんなんばっかだわ…。

 

後何かしらの模試や試験で首席の経験ありとか。職場で表彰とか、検定試験で大優勝とか。

 

別に、勉強面以外でもな…歌手として頑張ってる子もいれば、コンカフェ嬢で、デュエマで客と勝負をする時にガチすぎて、「デュエマが強いコンカフェ嬢がいる!」と話題になり、都内中のデュエリストが駆け込んでいるという子もいる。

 

あ、インスタのストーリー見たらまた、お友達のチャーミングガールが創作活動で賞取ってたし。

 

エリートから徒花までいろいろいるが、基本的にキラキラの一番星率が高すぎる。何て多様で美しい!『世界に一つだけの花✨』って思うけど、首席の花畑です、私が見ているのは。楽しくなってyoutubeで聞きはじめたら、歌い出しから「No.1にならなくていい〜♪」で、本当にすいませんという気持ちになった。私にとっては大嘘すぎて、びっくりした。首席いっぱいに囲まれてた。「何だこの花!!!!!」って最近めっちゃキレてるもんな。

 

いいじゃないか!「天才の収集家」まあ、収集ってのは相手の尊厳的に失礼だけどな。私はたぶん、首席サロンにしか居場所がないと思う。出るつもりないし。だってミシアだもの。まじでwiki読んだけど、芸術家と作家と音楽家を自宅でもてなしてばっかいるな、この女。何の因果か、ココ・シャネルの唯一の女友達。

 

使えるものは何でもつかって、男性からの援助も好きなだけ受けて、自分の野心を叶えるココと、主席のサロンばっかやってるミシア、お似合いじゃん。

 

もはや、美学も倫理観も真逆なので、好きなのが嫌いなのか、よくわからないんだけど、彼女のことだと結構筆が進むので、それが「いる」ってことなんだよな。なんか、私の人生に「いる」と、彼女はココで、私はミシアになれるようだから、ラッキーという感じで、いいんじゃないだろうか。