美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

デッキへの入場は1度限りです。

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▲ポートタワー展望デッキの前の張り紙。人生かと思った。

 

地元の飲食店の常連さんが死んだ。

 

メガバン(大手銀行の意)出身で、奥さんと別居してて、口を開けば東大に落ちた話と、共通一次の点数の話をしていた。カウンターで虚空に向かって、出張の予定と自分がやる講演会の話をしていた。この人の話聞きたい人がそんなにいるんかなぁ、と思ってたけど、その仕事もそんなにうまくいかなかったみたい。

 

62だったけど、髪の毛は真っ白で、お爺さんだった。ズボンはお腹の上の方まであげてて、姿勢が老け込んでいた。

 

それでも、そのおじいさんは、清潔感とか品の良さは残っていて、あぁ、若い時、格好良かったんだろうな。と思う。

 

お店の1番の常連さんで、定位置が決まっていた。その地元のお店が昔スナックだった時から通っていたそうで、ママさんの息子さんの受験や就活の時も相談に乗っていたという。

 

老け込んだきっかけは、これ、というわけではないけど、出世ルートから外れたのは、たった一枚、出向先で手形の不渡りをだしたことらしい。出向から戻ってきて支店長になったのも束の間、降格されたのだそうだ。

 

そのおじいさんは、ママのことが好きなのにとても不器用だ。ムッとすると機嫌を損ねて変なオーラを出すし。構って欲しい時に不機嫌なことしかできないというのは本当に良くない。箸置きを置き忘れていたら「今日は箸置きないんですか?」と言って並べさせる。チャーミングな常連さんのお兄さんは、サッと置き場所から自分の分以外も並べたりするのに。

 

ものすごく不機嫌なのに、紙の封筒にお金を入れて、ママさんに渡す。ママさんは求めてるわけではないので大体バイトの子にママに渡すようにこっそり渡す。その後すぐ、ママさんのケータイには「こずえちゃん、大好きです❤️❤️❤️」というLINEが入る。わけがわからない。基本的にブー垂れて、金渡して、LINEで甘え倒す。感情労働と、ケアと、コミュニティに関心を抱いていた私としては、そうか、人には、こんなことがあるんだよな、そう。あるんだ。と思った。虚しくて虚して、いたたまれないんだろうな。それでも、こずえちゃんへのラブコール、基本的にこの類のLINEはめちゃ入ってくるらしい。なんなんだ。

 

ここ最近は「らっきょうを剥いている姿が素敵です❤️」と、言われたそうです。笑っちゃった。

 

でも全然チャーミングじゃないの。私が働いていた頃、彼にお釣りを渡したとき、釣り銭が違うと言って、こちらに直させたことがあった。

 

そのおじいさんの隣の席の人が、あなたは銀色の硬貨を〇枚出しました、美人ちゃんがあってます!と言ってきたのに、硬直して笑顔でこちらを見つめて、私に行動を変えるように促した。

 

私が固まっている間に他のバイトの子が適当に釣り銭を直して渡したけど、私結構そのこと根に持っている。相手を屈服させるコミュニケーショしかできない人が嫌いだ。でも、そういう中を生き抜いてきたから、人から大事にされる方法も、する方法も、知らないのかもしれないな。

 

メガバンの出世ルートは厳しいようで、そのルートから逸れたら、もうお払い箱のようだった。天下り先でもあんまりうまくいかずに、週に2〜3日ほど出勤してたようだけど、2ヶ月ほど前にそれも辞めてしまった。というか、やんわり辞めるように言われたのかな。

 

お酒の量はどんどん増えた。どんどん増えて。お店にいる時以外もずーっと飲んでたんじゃないかなぁ。ここ最近は、みるみる痩せてしまって。2週間で10キロ痩せた日もあった。最寄りの駅の出口でうずくまってる人がいると思ったら、その人だったらしい。その後もまあ、ヨタヨタしながら店には来てたんだけどね。

 

近所の人たちがゴルフに誘うと、朝から酒臭いまま車に乗り込んでくる。ママさんは「そんなにお酒飲むならもうゴルフ行かない!」と言ってしまったのだという。

 

昨日、私は、関西旅行から帰ってきたばかりで、久々にそのお店に顔出したら、ママさんが私に挨拶をしてくれなかった。不思議に思いながら、席についていたら、お通し出しながら、「植村さん、亡くなったんだ。」と言ってきた。

 

あーあ、思いの外早かったなと、思った。そういう人って、なんだかんだ、しぶとく生き残るのかと思ってた。本当に死んじゃったんだ。突然死の類の病気だった。

 

奥さんと別居した、一人暮らしの家で倒れていたのが亡くなった数日後に見つかったのだという。毎日来てたとはいえ、店になど連絡が来るわけではなく、風の噂で知ったという。

 

葬儀は終わっており、もう骨になっちゃったって。あっという間にいなくなっちゃった。

 

ママさんは言う「最近もう、目も合わさなくしてたの。返事もしなかったの。だって目が濁っててさぁ。」

 

と言っていた。嗚呼。と思う。

私はその目を知っている。すがるような澱んだ目を、私は何度か見たことがある。助けて欲しそうで、相手を取り込むような、死の淵に近いような目を私は知っている。私はそういう目の面倒を見なくてはいけないのではないかと思ってしまって、何件もそういう目を見たことがある。自分のことならどうでも良くなってしまう。なんならすぐ取り込まれてしまう。

 

でも、他人になら言える。

「だめです!目を見たら! 取り込まれちゃうから…。」

 

ママさんのことが好きで好きで仕方がなかった。LINEでお金をあげると言われたこともあるらしい。ママさんはそういうのに返事はしない。あーあ、カオナシだ。

 

もう20年くらいの付き合いだったんじゃないかなぁ。それだけ大好き大好き言われて愛なり毒なり盛られてた相手が、どうしようもなくなって消えてしまったって、ママさんどんな気持ちなんだろうか。

私は自分にも言い聞かせるように言った。

「引きずられちゃ、ダメなんです。こずえさんは、カウンターの中で光ってなきゃいけないから。」

 

本当にそう。カウンターは聖域で、ひとつ隔てているからなんとかなる。

 

私がその人に最後に会った時、洋服の青山で買ったというカジュアルなスニーカーを自慢してくれた。可愛らしかったので、褒めた。何回か足を出してこちらに見せてくれた。なんか、褒めておいてよかったなと思った。

 

でも、もうあの店のお客さんも店員も、彼のことがしんどかった。ずっと何言ってるかもわからなくて、陰険としてて、誰も助けられなかった。

 

そう、私は気がついたの。誰も助けられないって。本人がやっぱり死にたがってた。本人が助かろうと思わないと人は助からないって、化物語でも言ってたっけね。

 

自分を大事にする方法がわからなくて、雨の中ゴルフに行った時、傘もカッパも身につけず、下着まで全身グショグショになってたらしい。

 

私はね、人の最期がこんなだなんて、ショックだったんだよ。酒浸りになって、暴れ散らかして、無視されて死んでいく。なーんの物語も奇跡もなく、無常に消えていく。だって、優しくできた要素が浮かばないんだもの。まあこうやって私が3000字くらい書いてるのはその人が生きた証ではあるな。本当にどうでも良ければ、書かないもの。 

 

旅行で行った、神戸ポートタワーを思い出す。「デッキへの入場は一度きりです。※入口も出口も同じでこの場所に戻ってきます。」という張り紙の先を進むと、「立ち止まらずお進みください」という張り紙があった。KEEP MOVING。なるほど、生きるとはそういうことですよね、と思う。

 

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人生、ゆっくり右方向の可能性が出てきた。

いやー思想は若干左寄りなんだよなーと思いながら階段を登る。

 

くるりと一周すると大体満足した。こちらが海であちらの山側が友達の家。あちぃ。まあ、こんな感じでいいか、と思い階段を降りると、デッキから戻る張り紙があった。

 

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「ええっ!?また人生!?!?」と思った。張り紙に対していちいち意味を見出して人生を問われてると勘違いする人は危ない。精神状態は一応正常。そうかー、フロアから出て、フロアに戻るんだもんなー。と思った。

 

でもまあ、くるっと一周見たし、いいか、と思って階段を降りた。

 

ポートタワーの階段は、とても狭く離合が難しい。上から歩いてきた人と下から歩いてきた人がすれ違うとかなりきつい。まるで「旧アニメイト池袋店の階段のようだ!」と思ったが、私にだけ伝われば大丈夫です。リニューアル前のアニメイト池袋店の階段は信じられないくらい離合が難しかった。

 

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あれかな、人が生まれるときの産道と、死ぬ時に通る道って、旧アニメイト池袋店の階段と、神戸ポートタワーの階段とかに近いのかもしれない…。死ぬ時にこういう道通ったらそう思うんかな…。私は…。

 

これから生まれる人と、これから死ぬ人がちょっと会釈とかしてて。「すいませぇん」とか言っててね。それを見て私は「うわ、ポートタワーの階段みたいだ!」と思うのかもしれない。

 

私はね、人が必要じゃないって爪弾きにされて、コミュニケーションも下手で、ボロボロになって疎まれていく死に際見て、こんなになんのフォローもしようがないラストってあるの!?とショックを受けちゃった。

 

でも、思ったんだよ。意外と人生のラストは、「一度フロアは戻られますと、再入場はできません」くらいのものなのかもしれないって。それで、おじいさんは「いいです。」って思ったんだろうな。

 

私は「あ、もう一周見たんで最上階はまあいいっす〜。涼しいところでまた景色見ます〜。」って感じだった。人が死ぬ時もそんなもんかもしれん。

 

おじいさんも、くるっと一周みて、「デッキにはもう戻らんでいいかなー。」って、フロアに戻ってっただけのことだ。フロアに戻る人を止めるのは変だ。じっくり何十分もデッキにいる人もいるし、数十秒で去る人もいる。景色のひとつひとつに感動する人もいれば、なんかたいしたことない、と言って降りる人もいる。

 

全部が1度きりの入場で、同じ場所に帰っていく。KEEP MOVINGでしかなく、時の流れは右方向。狭い階段を降りて、元の場所に帰るだけ。そのことに、いいも悪いもなく、無理に助けようとしたり、縋るような目の相手をしなくてもいいんだろうなと思った。

 

私は自分以外の感情の面倒を見過ぎてしまう。何が不幸かなんてわからないし、私には私の幸せがあるから、誰かを助けられないことだとか、縋られるような目で見られても、私のペースで動いてもいいんだよな、と思った。

 

毎日毎日、ママさんは彼のご飯とお酒をつくってたけど、どんどん衰えてそのおじいさんは死んでしまった。欲しがるばっかで、もらってる愛情には気がつかない。結局死にたい人は死にたいのだ。結局他人の居場所より、自分の居心地を優先するしかないんだよな、と思った。

 

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ポートタワーの、地上に一番近い階段には開業時からの床が残っていて「今もここに在る」と書かれてた。1963年当時の開業からの来場者たちの足跡が残っている。いいじゃん。

 

デッキへの入場は1度きり、だけど、足跡は残るよね。

 

あーあ!人を助けなきゃと思ってたけど、もう、やめにしようと思う。結果本人の問題だ、何一つできないな。私は私のために生きて、その縋られるような目のことは、私も忘れるのだと決めた。