美人ブログ

お待たせいたしました、美人でございます。

神事、邪魔するべからず。

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友人が邸宅を引っ越すため、最後に行われたパーティーは、とんでもない勢いだった。カオス!夕方から夜通し、昼前くらいまでおこなわれる予定だったけど、私は、始発で帰ってきた。

 

完全撤収まではあと1〜2日かかるそうで…。「大丈夫か!?本当に!?!?」と、お手伝いしようかと思ったけど、別に頼まれていないし、開催側には開催側の道理もあるだろう、と思って帰ってきた。朝日に照らされた、坂道をてくてく歩いて帰った。

 

抱えた紙袋には邸宅から放出された古本が入っている。私の友人が私と出会うまでに見ていた景色、本棚は、私の見ていた景色と重なる。胸がキュッとなる。生まれた場所、育った環境、全然違うのに、私たちは同じ物語を経由して、出会ったんだなと思った。並んでいるVHSのディズニーのビデオ。児童小説。私が知ってるもの。全然違うけど同じものを見て育った。そのことが嬉しかった。行きは、差し入れを持って行った、地元のスーパーの紙袋に、帰りは本をいっぱいに詰めた。

 

明け方の住宅街には誰もいない。大きなお家を眺めながら、私は考える。

 

帰ってきてよかっただろうか。一度戻って、もう一度手伝ったほうがよかっただろうか。そんなことを思いながら、よろよろと歩くと、バス停に着いた。ベンチに座って、包みを抱える。あ、携帯の充電器忘れた、それから借りてたパーティーバッグも放ってきてしまった。中にお金入ってたような。戻るか?

 

だめだ、帰りたい。帰ってシャワーを浴びて、ホテルに戻って個室のベッドに倒れ込みたい。たくさんの若者と、邸宅で雑魚寝じゃなくて。区切られた空間で、回復しなきゃ。私は個室じゃなきゃダメなんだ。

 

起きたら、手塚治虫記念館に行く。前に行った時に満喫できなかった後悔があるから。友人に「ごめん、あなたの本棚の手塚治虫漫画を読んだらどうしても手塚治虫記念館に行きたくなった。片付けあると思うけど、帰ります。」と言った。友人は快く送り出してくれた。

 

「あと、味園ビルにも行きたくて…」と言ったら、パーティー運営してた友人に「それは私も行きたい💢」と言われたけど、とりあえず撤収待てないので、私は先に行くことにした。まだ味園ビル年内あるから、次の機会でもいいかなぁと思ったけど。まぁ、別に手伝い頼まれてないし。出不精の私がこんなにウキウキしてるんだから行かなきゃいけないのだ。

 

バスに乗って、電車に乗って、ホテルまでの帰路で思った。「結局みんな、いちばんやりたいことをやっているのだ。」と。ものすごいカオスなパーティだったけど、お家の引越し前の最後を締めくくるのが、この会の目的なのだ。と、気がつく。家主とは別に、パーティーを運営した友人は、占いで「壊し屋の星」と言われていて、壊すのが仕事だ。

 

綺麗なことや、いたわること、それがいつも必要なわけではないんだよなぁ、と思う。それを望んでたから、家主も解放を許可したのだ、と思う。朝の阪急電車の椅子に座る。緑色の少し長い毛足を触るうちに感覚が、ひらいてくる。

 

人はそれぞれ、したいことを選んでいる。手伝ったほうがいいかと思ったが、それは相手の尊厳を邪魔してるな、と思った。この神事に、私は必要ない。幸あれー、と思う。これ、通学路とかだったのかなぁ、彼女の。

 

早く帰って、部屋でシャワーを浴びて、寝て、手塚治虫記念館に行って、雨宮まみが愛したアンティーク&ヴィンテージのアクセサリーショップに行く。明日は味園ビルに行く。これが私の望むこと。

 

なんかさ、みんな表面に見えてるもの以外のことも含めて、深層のところで望みを実現してるのだと思う。典型的で、絵に描いたような、「ありがたさ」「やさしさ」だけじゃなくて、なんか、いろんな、いろんな役割がこの世にある。いいも悪いもなくて、そのタイミングでどんな効力を発揮するかということなのだ。

 

爆音が響いていた邸宅を思い出す。大きな音は邪気を払うと、以前、スピリチュアルの本で読んだ。それから、インドの神様って人間を踏みつけたり、生首をつなげてネックレスにしたりして、カオスだもんな、と思った。

 

結局、望んだようになってるんだろうなと思った。私は昨日始発で帰ってから、寝て、行きたい場所に行って、やりたいことをやった。雨宮まみが愛したお店は素敵だった。早く帰ってきて自分のしたいことをしてよかった。

 

神事、邪魔するべからず。

 

私には私の神事がある。各々の神事をやり抜くのみだなと思った。みんなにはみんなの神事があるね。だからそれを邪魔してはいけないのだと思った。

 

体調が悪いのも、大変な恋愛も、いたたまれない状況も、その時その人が取りうる中でベストな選択肢を取ってる姿なんだな。意味があるのだ。そんなことをこの前友達に言われたけど、私、わかんなかったんだよ。それぞれがバランス取ってるってわかんなかったんだよな。

 

命の課題がそれぞれあり、みんなそれぞれやってんなー。バランスの取り方がヘンに見えても仕方ない。そういう生き物。「カモノハシはなんで哺乳類なのに卵産むんですか?」みたいなものなんだろうな。産むもんは産むからなーー。

 

そう、この感じなんだよな、大学院いた時はある程度できてたんだけど、自分で膜を作る方法がわかんなくなってたんだよな。所属なしで、自分のバリアを作る、自分で自分の膜を作るってらなかなか難しいんだと思う。私は人はそれぞれ自分のベストな選択肢をとっているという信頼によって駆動させようと思う。私もそうする。

 

自分のいちばん行きたい場所に行って、着けたいものを着けて、最善を尽くす。

 

信頼ってそういうことだ!死んだっていい!命にリスペクトを!それぞれの決定に快哉を!たとえ、それがどんなにくだらなく見えたって、その人が決めた時点で最高なんだよな。全ての決断をケアすることもまたケア!

 

父性と母性の狭間で。融合と分離の狭間で。尊厳と労りの狭間で。私たちは結局命一個分の面倒しか見られず。みんな命一個分をベストな形でやられてる、ということですね。了解しました。傷つくことさえリスペクトだ!